古賀蒼野と尾羽優、森を駆ける 二頁目
蒼野と優が合流し森へと進んでいってから三時間が過ぎた。木々の隙間から洩れていた太陽の光は色を変え、空は闇に包まれ始めた。
出発の際、前もってゲイルから敵の位置を聞き追いかけていた二人であったが、夜が迫りこれ以上の移動は危険と考え野宿をする事を決めた。
無論人質となっている彼らが気になるところではあったが、森に住んでいる生物の攻撃が激しさを増してきた事から、相手も移動はしないであろうと考えての選択だ。
「インスタントホームを持ってきたから今夜はそこで過ごしましょ」
布袋からどう考えても入らない大きさの、片腕と同じ長さの棒を取り出す優。それは何度か叩くだけで円柱の形をした人一人がすっぽり入れる大きさの建物へと姿を変え、そのまま地面に着地する。
「今夜はここで過ごしましょ」
そう言いながら蒼野を中へと手招きする優。
中に入り蒼野が最初に目にしたのは、二人が横に並んでも前後左右に余裕がある程大きな温かみのある光に包まれた玄関。そこから少し歩いた先にはリビングがあり、玄関から入って右側にある上へと昇る階段の先には来客用の部屋が幾つか用意されていた。
「これ……大きすぎだろ」
インスタントホームとは、豆粒ほどの大きさから片手まで、様々な大きさに圧縮された持ち運び可能な住居の事だ。
これらは使用者が命じるだけである程度の大きさにまで膨れ上がり、人が暮らす住居へと変化する。
中には様々なバリエーションや大きさの部屋が用意されているのだが、優が広げた中身は一般の者よりもはるかに高価な一軒家を形どったものであり、中の空間の拡張率もかなりのものであった。
「お風呂とトイレは部屋に付いてるからそれを使って。料理は今から適当に作るわ。協力してちょうだい」
「…………」
「どしたの?」
「なぁ、お前は何者なんだ?」
嵐のような半日を過ごしていたため忘れてしまっていたが、自分は目の前の少女の事を一切知らない。
康太の勘はかなりの的中率を誇る。少女はそれを信じていないようだが、少なくとも蒼野からすれば十分信用できる物だ。
だとすれば、目の前の綺麗な少女は敵か?
「そういえばまだ自己紹介をしてなかったっけ。明日も一緒に動くし、食事をしながら自己紹介をしましょ」
突如胸中に湧き出た猜疑心を晴らすような綺麗な笑顔を見せながら、彼女がピンクのポップな絵柄の猫が描かれたエプロンを身に纏い、そう蒼野に伝えた。
インスタントホームの中に用意されたキッチンで蒼野と優の二人が料理をする。
一足先に少し離れた位置にある机の上に置かれているのはミートソースパスタは、肉が焼けた香ばしい臭いを漂わせ、キッチンにいる蒼野の鼻腔を突き、ここまで神経を張って動き続け疲労感に襲われていた蒼野の胃を鷲掴みにしていた。
「卵頂戴」
「あ、ああ」
半ば夢の世界に飛び立っていた意識が優の声で現世に戻り、脇に置いてあった卵を渡す。
ベーコンがフライパンの上でこんがりと焼き上がり、その上に卵を落とし、多少固まったのを確認してから少量の水をフライパンの中に注ぎ蓋をする。
「自己紹介、だったかしら」
「そうだな」
調理が一段落した所で、着ていた桃色のエプロンを畳み近くに置くと、少女が話し始める。
調理に熱中していた蒼野はその変わり身の速さに一瞬戸惑うが、すぐに普段の調子を取り戻し少女へと視線を向けた。
「まあお昼から何度も口にしてるんだけど、アタシの名前は尾羽優。ギルド『ウォーグレン』に所属してるわ。今更だけどよろしく」
「専門は……人助け全般だっけ?」
「そうそう。……よし、できたわ」
フライパンの蓋を外し、出来上がったベーコンエッグをお皿に乗せる。料理の出来に満足そうにうなずく優は、調理器具一式を洗い場に置き水に漬す。
「ずいぶんと範囲が広いんだな。人助けなら何でもやってますってことか?」
「そゆこと。いなくなった猫の捜索や物の修復・解体。あんたが言ったみたいに荒事に首を突っ込んでいく事もある。要人の警護だってやってるわ」
「そこまでできるってことはかなり大きなギルドなんだな。知らなかったよ」
「知らなくって当然よ。三人だけだし。それに今言った事をやるって言っても、そんな毎日色々なことやってるわけじゃないしね」
「三人!? その規模で要人の警護なんて物騒なことまでしてるのかよ!」
「少人数の方が小回りが利くのよ。それにアタシ以外の二人は、アタシより数段強いからできる事も多い。だから普段はこうやって一人一人が別々に仕事に出向いてるってわけ」
驚きの声をあげる蒼野を傍目に、包丁を持った優がトマトを切る。
そのカットしたトマトを既に切っておいたモッツァレラチーズと一緒に皿に乗せ、オリーブオイルと粗挽き胡椒をかける。それだけでトマトとモッツァレラのカプレーゼの完成だ。
「さ、ご飯にしましょ。冷めちゃったらもったいないわ」
そう言いながらリビングに置かれてある正方形のテーブルに今夜の食事を乗せながら優が席につき、続いて蒼野も真正面の席に腰かける。
「「いただきます」」
手を合わせ、あらゆる命に感謝する。
それから一呼吸置いて、出来立てでまだ湯気が立っている料理を口の中に放り込む。
「おいしいな!」
トマトの甘味とジューシーな肉汁。それに加えて上にかけた粉チーズの濃い目の味が混ざった重厚なパスタの一撃を受け、蒼野が驚きの声をあげる。
それを聞いた優が柔らかな笑みを浮かべると、彼女はすぐに脇に置いてある厚めのカバーを取り付けた本を取り出し、おもむろにページを開きだした。
「せっかくこういう風に一緒に行動してるんだしさ、アンタの事教えてくんない? 書いときたいのよね」
口にトマトとモッツァレラを含みながら、ペンを持ち話しかける優。
その時康太の勘が脳裏をよぎり、蒼野は一瞬だが言葉に詰まる。
ここで本当に自分の情報を教えてもよいか考える。
「……俺の名前は古賀蒼野。古賀孤児院に拾われた。まあ孤児って奴だな」
しかしこの数時間共に行動をしたところ目の前の少女に害はないと判断し、今回の依頼を達成するためにも、自身と能力についてある程度語る事を決意した。
「能力は時間回帰。人や動物みたいな生物だったら五分前まで。それ以外の無生物なら五日前まで時間を戻せる。戻す時間が長ければ長い程、早く戻そうとすればするほど、使う粒子の量が増えていく」
「なんの制約も準備も必要なく、即発動できる時間の巻き戻し。完全に希少能力の類ね」
「ああ」
この世界に存在する能力は二つの種類に分別されている。
一つは、数種類の属性粒子を混ぜる事により作成される【普遍能力】。
これはこの世界に住む全ての人々が修行をすれば手に入れる事ができる能力の事を指す。
もう一つが【希少能力】。
これは属性粒子とは別の、特殊粒子を用いた能力群を指す。
この【希少能力】は基本【普遍能力】より強力なものが多く、真似できないものがほとんどである。
その理由は、十属性粒子とは別にある『特殊粒子』という粒子の性質によるものだ。
属性粒子が決まった形を持っているのに対し、特殊粒子は備わる人によってその形が違ってくる。
粒子の合成すなわち能力の作成とは、歯車同士をきっちり合わせるような作業だ。
そのため一人一人が違う形を持った特殊粒子を使った能力は、他の者がまねようとしても歯車がきれいに 噛みあわず、結果誰にも真似できない世界に一つだけのものとなる。
「まあでも、時間を戻す事についても万能ってわけじゃない。好きな場所にセットしといて自由に発動。壊したくないものに貼っといて壊れたら自動で発動、なんて真似はできないからな。加えて時間を戻している間は、対象の物体には干渉できない」
肩をすくめ、不便であるとでも言いたげな表情をする蒼野だが、それでも強力な事に変わりはないと優が訴えかけた。
それから少し話をした後、ペンと分厚い冊子を机において優と蒼野は食事に戻った。
「さっき書いてた冊子はメモ帳かなんかか?」
「ううん日記。日課というか習慣というか……そうね、色々身の上話を聞いたんだし、お礼も兼ねて私自身の事も話すわ。アタシはね、突発的に記憶が欠けるの」
「突発的に記憶を? どういう事だ」
少女の言葉を聞き、蒼野が眉をひそめる。
「アタシはギルドのボスに拾われた時までの記憶がないの。自分の親が誰か、どうやって育ってきたか、年齢とか、そこら辺の事を何一つ覚えてないの」
胡椒の香りが鼻孔を突くベーコンエッグを口に含みながらのんびりと語る優だが、事の重大さに気づいた蒼野が顔を青くしながら追及する。
「不治の病とか、誰かの能力のせいとかか?」
「ううん。いろんな病院や記憶操作のプロのところにもいったけど、病じゃないし、手を加えられたような痕跡もないんだって。それでまあ、大体のところで言われるのが、生まれもってのもので、恐らく一生向き合う事になるだろう不治の障害だって」
語られる内容に蒼野は言葉も出ない。聞いてはいけない事を聞いてしまったと、瞬時に判断する。
「その……ごめん。知らなかったとはいえ、気軽に聞いていいものじゃなかったな」
思いもしなかった話の内容を聞き、頭を下げ謝る蒼野。
しかしそんな様子の蒼野とは裏腹に、優はまるで子供が悪戯をするような笑みを浮かべ、日記を蒼野の前に広げ自慢げに語る。
「そんな暗い顔しない! てかこの話題を出したのはアタシからじゃない」
「け、けどよ!」
「もうアタシの話を最後まで聞く! そこでこの日記の出番ってわけよ! 記憶喪失とは言ったけど、アタシの場合きっかけさえあれば大体を思い出す事ができるの。だから毎日の事を日記で書いといて、もし物忘れが発症したらこれを見てすぐ解決って寸法よ」
言いながら内容が見えない速度で分厚い冊子をめくっていく少女。
「これを見れば数時間程度の記憶ならほぼ完璧に思い出せるし、数日分の記憶を失ったとしても半分以上は取り戻せる。ギルドの自室に戻ればここ数年分のものが全部あるわ」
「怖くは……ないのか?」
「ええ怖くないわ」
恐る恐る聞く蒼野に対して、お茶会の席で話しているかのような気軽さで語る優。
彼女の内心を知る術など蒼野は持っていないが、顔に浮かべる弾けるような笑顔にに嘘偽りがあるようには思えなかった。
「善さんによるとね、初めて会った時のアタシってずいぶんひどい様子だったらしくて。もう少し出会うのが遅ければ死んでいた程衰弱していた状態だったんだって」
「何でそうなったのか。それまでのアタシはどんな人間だったのか。気になることは確かにある。でもそれ以上に今の人生が楽しくて、充実してるから」
だから怖いことは何もないと、少女は言いきった。
過去は過去、そんなことよりもこれからの人生を楽しもうとする。
記憶の欠如についても、その瞬間をただ座して待つだけでなく、対抗策を練り実践する。
それが、今を生きる自分に必要な事であると彼女は確信していた。
「優は…………すごいな」
その姿を目にして、尾羽優は強いと、蒼野は思う。
身体的な面ではなく心が強い。
自分にはないもの強い心を、彼女は持っていると理解し蒼野は確信した。
目の前の少女は敵ではないと。
そんな簡単に信じるんじゃないという声がどこからともなく聞こえてきた気がしたが、その声を迷いなく振り払う。
もし裏切られるような事があったとしても、この彼女にはそうしなければならない理由があり、自分は決して後悔はないと言いきれた。