遭遇/開戦
時間切れ、そんな言葉がヒュンレイの脳裏を掠めた。
パペットマスターの言っていることが真実だとすれば、蒼野達三人を避難に当てたとしても衝突は避けられない。
目の前にいる男が本体で、自分が止めていれば良いという状況が根底から破綻している。
「くそっ!」
逃がす事を考えず、自分と共に目の前の人形を打倒するべきであったか等という考えも浮かぶが、結果論を語っても仕方がない。
少なくともヒュンレイは見たことがなかったのだ。
精密な指の動きを必要とする人形師という戦闘スタイルで、人形を通して人形を操り敵と戦う存在など。
「ゴホッ! まあ、文句を言っても仕方がないですかね」
激情のままに叫びたい気持ちを咳と一緒に吐きだし、殺意を込めた視線で目前の敵を睨む。
「彼らがいけないのですよ。私の誘いに乗り逃げていれば、痛い目にあわずに済んだ」
そう口にしながらも、彼は顔に張りつけていた気色の悪い笑みをかき消し顔を引き締めた。
目の前で口を抑えていた男の様子が、決死の覚悟を決めたものに変化したのを感じ取ったのだ。
「…………手の内を隠している場合ではないようですね」
緩慢な動作でヒュンレイ・ノースパスが立ち上がる。
手で地面を押し、顔面から流れる血がパキパキと音を鳴らしながら剥がれ落ち、同時に一陣の風が彼らを中心とした戦場を通り抜ける。
その風はヒュンレイを中心に一度だけ起こったものであり、ほんの一瞬耳に響く音を発したかと思えば辺りは再び静寂に包まれ、
「こ、これは!」
周囲を見渡せば、周囲のものは全て分厚い氷によって瞬時に覆われているという異様な世界。
道も建物も、転がっている人形も全て凍りついていた。
「っ!?」
対峙する人形はそれを確認し、僅かに全身を揺らすと背面が大きく盛り上がり、そこから無数の腕が現れた。
「奥の手、とやらはそれで終わりですか?」
「まさか」
人形の言葉を聞き、せせら笑うヒュンレイ。
次の瞬間ヒュンレイの姿は正面から消え、真横へと移動していた。
「はやっ!」
言いきらせるつもりなど一切ない棍棒による一撃が、対敵を砕かんと迫る。
打ち出したそれはこれまでで間違いなく最速の一振り。
がしかしそれは人形が僅かに体を反らしたことで直撃とはいかず、脇腹を掠め抉り取る程度で終わる。
「もう一度聞きますが、走れなかったのではないのですか?」
「さて何の事やら?」
両断の危機を脱し、人形が背面から生えた無数の手を地面に付ける。
「……なるほど。これはこちらも出し惜しみをしている場合ではありませんね」
すると凍った地面に触れた側から無数の手は凍っていき、それは上へ上へと侵食するよう昇っていくが、背面に達するよりも早く、腕を肩から外し、同時に地面から数十の棺が付き出てくる。
「人形だとわかった時点で理解はしていましたが、無茶苦茶ですね」
ただの人形に痛覚など存在するはずもないのだが、しかしそうだとしても、今目の前で対峙している相手は今までと全く次元の異なる相手だと認識。
ヒュンレイの前で彼は再び背面から腕を生やし、棺の中から出てくる人形全てに糸を付けた。
対するヒュンレイは口から白い息を吐きながら、片手には巨大な棍棒、もう片手には小さな棍棒を握り、臨戦態勢にな変化。
その時、そんな両者の間に流星が落ちたのではないかというような勢いで何かが落下する音が響き、
「「!」」
二人の視線がそちらに向けられる。
蒼野達三人がいるであろう方角へと向けられる。
目に焼きつく光景を今すぐにでも何とかするため、無我夢中で走ろうとする蒼野の腕を聖野が掴む。
「待てって! お前! 行ってどうするつもりだよ!」
猛る声で、蒼野に追及する聖野。その声に負けじと蒼野は声を荒げ言葉を返す。
「決まってるだろ、助けるんだよ! 目の前で人が殺されてて、放っておけるかよ!」
「落ち着けって! お前が行ってどうなるっていうんだ!」
「っ!?」
声を荒げる蒼野の体は震えており、聖野が叫ぶと弱気な表情に変わり縋りつくような目で彼を見つめた。
「これが……これが落ち着いていられるかよ! ここで俺が動けば、助かる命がまだあるんだ!」
「馬鹿言うな。死体が一個増えるだけだ!」
「クカカ!」
叫び声をあげる二人の真横を、線が奔る。
驚き後ずさる二人が見たものは、こちらに視線を向け不気味な笑みを浮かべるパペットマスターの人形、イスラの姿だ。
「どのみち俺たちも捕捉されたんだ。戦うしかないだろ!」
「…………わかった。ただし自分自身の身を守るのが最優先だ。悪いとは思うが、一般の人たちは放置だ」
「っ!」
「自分自身が死んじまったら、意味ないだろ!」
睨み合う両者。
それを大きな隙と見た人形の糸が二人に迫り、
「ちょっと男二人!」
その糸を、満身創痍の優が絡め取りイスラの体を引っ張り吹き飛ばす。
「この状況で喧嘩なんてしてんじゃないわよ! 死ぬ気?」
「あ、ああそうだな」
「悪かったから叫ぶな。まあいいや。なら蒼野、お前は今のうちに人を助けろ。で、その後は三人であいつを迎え撃つ……」
優の叱咤を聞き二人の頭が正常に戻るのだが、聖野の言葉は最後まで続くことはなかった。
放り投げられたパペットマスターが着地すると同時に右腕を振り上げ、それに合わせ大地を斬り裂きながら五本の糸が奔り、先頭に立つ優を含めた三人の体へと向け、迫ってきていた。
「む?」
されどそれが三人に届くことはない。
「見たところ一般人を助ける術があると見える。頼む! 彼らを助けて……」
打ち出された五本の糸を、まだ動くことができたアトラーの一員がある者は鋼の盾で、ある者は全身で、ある者は大地の壁で抑え込む。
「邪魔です」
されど数秒と持たずしてそれらは振り払われ、再び動きだすと生き物のような規則性のない動きで彼らの体を捉え、瞬く間に胴体を二つに分ける。
「ご……ぶぅ!?」
サングラスが外れ、虚ろな瞳で蒼野と聖野を見つめる姿に背筋が凍る。
しかしそれでも、蒼野は人を助けようと一歩前に踏み出し、
「っ!」
そこで再び肩を捕まれた。
「止めないでくれ! やっぱ俺は人を見捨てられねぇ!」
「………………」
そう口にしてから少しして、ほんの一瞬肩を掴む手が離されたと思うと、今度は首根っこに腕が伸び、強く握られる事による圧迫感を感じたと思えば蒼野の体は僅かにだが浮かんでいた。
「離せって!」
「おいおい蒼野。全身ガタガタ震わせながら言っても格好つかねーぞ」
掴まれもがくカブトムシのようになっている蒼野の動きが、声を聞きピタリと止まる。
その声は聖野や優の声ではない。だがここ一ヶ月で何度も聞いた声であり、その正体がわかると同時に首根っこを掴まれた体は後ろに引っ張られ地面に降ろされる。
そして冷静になり背後を振り返れば、いつの間にか大きな衝突でも起きたような跡ができており、蒼野はそれまで暴れていたのが嘘のようにピタリと動きを止めていた。
「あ…………」
顔を腕の先にいる人物に向けると、そこには思った通りの人物が立っていた。
ボロボロのジーンズを履き、学生服のような恰好をした黒のコートを纏い、口からは煙と火を上げる花火を咥える偉丈夫。
「待たせたな」
ギルド『ウォーグレン』のトップ、原口善がそこにいた。
ここは地獄か
それは蒼野が公園に到達し思わず口にした言葉だ。
逃げ切ったはずの相手と再び遭遇し、目の前で人が死んでいくその光景は、蒼野に取って耐えがたいものであり、まさに地獄であっただろう。
だがそれでも、地獄に仏と言われるように救いのきっかけは現れるものだ。
無論、これから先の未来はわからない。数分後には死んでいる可能性とて十分ある。
「聖野、優、それに蒼野」
だが少なくとも蒼野には、
「よく頑張ったな」
そう言って二人の前に立ち、後は任せろと背中で語る男の姿が――――とてつもなく心強く思えた。
「善さん……どうしてここに?」
「優の奴が事態を重く見て俺を呼びだしたんだ。ギリギリだったな」
善の出現、それは蒼野と聖野の姿を捕えていたパペットマスターの目にも入ってきた。
「なんだ。今何が起きた?」
強烈な地響きを前に動きが止まるが、善はその隙を攻撃することもなく蒼野達三人の頭を優しく撫で、
「お前か、この騒動の原因は?」
「クカカカカ」
一通り撫でた善が口に咥えていた花火の先端部を左手の親指と人差し指でもみ消し、目前の敵を見つめながらそう尋ねると、目の前の存在は耳障りな嘲笑を返す。
「善さん、あいつは!」
「俺が来たからにはもう大丈夫だ。あいつの好きにはさせねぇよ。だから少し離れてな」
不安げな様子で眺める蒼野の頭に手を置きながらなだめる善。
ごつごつとした肌でグシャグシャと撫でられくすぐったい感じがするが、一瞬手を離したかと思えば軽くだが小突かれた。
「いてっ」
「だがまあ、よく覚えとけ。人助けに躍起になるのはいいが、自分が死んじまったら意味ねぇ。そこら辺、しっかり反省して次に活かせ」
「で、ですけど!」
「返事!」
「………………はい」
納得いかないとばかりに悔しそうな表情をする蒼野だが、同意を求められ渋々とした様子で返事。
「まあつっても、俺が来るまで生き延びれた事、それに人を助けようって言う意思が強い事、この二つは重要だからな。今回の依頼に関しちゃ、及第点はくれてやるよ」
「………………」
その様子を見た善が軽い調子でそう告げるが、無論蒼野は喜ぶことなどできるはずはない。
人々を助けようという心を胸に秘めながらも動く事ができなかったのだ。
俺は及第点を貰えるに足ることなど何もしていない
胸中でそう思いながら顔を伏せる。
「さてと」
蒼野から視線を離し振り向く善。
視線の先ではイスラが地面に両手をつけ十の棺が出現させ、さまざまな形をした人形が現れては、肩や背から生えてきたいくつもの手の指との間に糸を繋いでいた。
「うちの部下がだいぶ世話になったようだな。そのお返しと言っちゃなんだが、お礼参りをさせてもらいに来た」
「…………」
首をグルグルと回し、少々面倒そうにそう呟く善。
その様子を目にしてイスラを襲う感情が、正体不明の焦燥感だ。
「それにしても思ったよりも優しいな俺がこっちに気を配ってる隙に攻撃して来なかったんだな」
「軽々に動くべきではないと考えたので」
「そうかい」
何故だかはまだわからない。
だがイスラは、突如現れたこの男に言いようのない恐怖を覚えていた。
そういえば他の人たちは?
そう思いイスラが周りを見ると、蒼野が善の言葉を聞いている内に聖野と優が誘導し、善の後ろへと引き連れていっていた。
「さて、そろそろ行くぜ」
それだけ言い残し部下や弟子から目を離し前に進む善。
「シィッ!」
対してイスラはと言えば糸を繋いだ十体の人形で自身を守り、指を動かしその動きに呼応し人形が善へと向けて飛びこんでくる。
一斉に襲い掛かってくることような事はせず、時間差で、互いが互いの動きを補うように動くそれは蒼野のような素人から見ても高度な動きであり、それを見てふと考えてしまう。
もしここで自分たちを背負うように立つ善が負けたとしたら、自分たちはどうなってしまったのかと。
「善さん!」
不安な気持ちを抑えようと必死になるが、それでも耐えきれず言葉が漏れる。
皆を背負ってなお直立不動で前を向き続ける影の迎えるかもしれない絶望の未来に、目を覆いたくなる。
「心配すんな蒼野」
そんな蒼野を振り返る事なく、善は言う。
「部下のできない事をやり遂げる。それが上司の役目だ」
そう言って走りだす善。
「心配するな蒼野」
そしてそれをまねるような口調で聖野も口を開き、
「善さんは強いよ」
蒼野の胸中に溜まった不安を吹き飛ばすかのような満面の笑みで、そう言いきった。
ここまでご閲覧いただきありがとうございます。
作者の宮田幸司です。
前回で蒼野達VSパペットマスター二戦目はを期待された方がいたのならば申し訳ありません。
ここで善さんが途中参加です。
そう!今回はギルド『ウォーグレン』総出撃なお話だったのです!(康太のみおやすみ)
という事で次回へ続く。
また明日もよろしくお願いします。




