狂気の檻 四頁目
「どうしました? 開けるのがつらいのなら私が明けますよ」
「……なぁ、ヒュンレイさん。一つだけ聞いていいですか?」
「質問ですか? できるのならば後にしていただきたいのですが?」
「すいません。急ぎの質問なんです」
窪みに置いた手を離し、ヒュンレイの方に向き直る聖野。その表情は真剣そのものであり、それを見たヒュンレイは息を吐きだし、腕を組んで続く言葉を待つ。
「この中を見て気が付いたんです。ここで死んだ人たちは本部から送られてきた監査員だけじゃない、もっと大量の人が、この工場の中で死んでるんだって」
「ふむ。それで?」
「今回の件は何で今日と言う日まで公にされなかったんでしょうか。もしかしたら神教はこのことを隠したかったんじゃないのか、この工場には何か重大な秘密が隠されてるんじゃないのか!」
大げさな身振り手振りをしながら、ヒュンレイを中心に弧を描いて動く聖野。そんな彼をヒュンレイは冷めた目で見つめている。
「……実際のところどうなんでしょう……これは俺の考え過ぎでしょうか?」
「…………ふむ」
しかしそのままでは流石に違和感があると思い顎に手をやり考える仕草をするヒュンレイ。
彼は少し間を置き視線をあげると、聖野を見つめた。
「巧妙に隠ぺいされてきた可能性は大いにありますが、神教が主導で大量虐殺はないでしょう。そこまで行くともはや妄想だ。何か別の要因があると考えるべきです」
「ですよね! 考えすぎました」
が、作戦を思いついた時同様、さほど時間をかけることもなくすらすらと答えるヒュンレイを前に息を吐き、脱力する聖野。
ヒュンレイはそんな聖野の反応すると横を通りすぎ、先程まで聖野がいたところで窪みを見つけようと忙しそうに手を動かし始めた。
「いやーでもヒュンレイさんでも焦ることってあるんですね。ヒュンレイさんは何があっても焦らないタイプの人間だと思ってました」
「どうしてですか?」
「いや普段見る姿は優雅に歩いている姿でしたから。なんか意外で」
「私とて事態が深刻だと判断したら焦りますし、走ることくらい普通にします、よ……!?」
その時、ヒュンレイの体に重い衝撃が奔り、ヒュンレイの声が裏返る。
一体何が起きたのかと視線を下ろし自らの胸部を覗き込んだ彼が見たものは、腹部から生えている真っ赤な何かだった。
「聖……野……………………?」
体内を循環する赤い液体が口から胃にかけての道を逆流し、抑えようと必死にもがくが耐えきれず溢れ出る。
なぜこんな事を!
朧げな足取りで一歩ずつ下がり彼の横を通り抜け出口へと向け歩いていくヒュンレイだが、そんな思いを乗せた視線を聖野は躱し、ヒュンレイの体を蹴り上げる。
その威力に耐えきれなかった彼は、抉れた腹部に視線を一瞬だけ向け地面に仰向けに崩れ落ちる。
「ふっ!」
そのまま続けて聖野が追撃の一撃を与えようとしたところで……それは動きだす。
「!」
体は未だ地面に伏したまま、血だまりは徐々に広がっていき瀕死の重体であることが一目でわかる状態。
そんな状態にも関わらずヒュンレイは何かに引っ張られたかのような様子で腹部から持ちあげられ、決してヒュンレイ・ノースパスが見せないような、口から頬にかけて裂けたような邪悪な笑みを顔に張りつけて聖野を見た。
「なぜわかったのですか?」
「あんた、ここまで走ってきたって言ってたよな」
「はて、そんなことを言いましたかね。…………確か言っていたような気も」
「あの人はさ、走れないんだよ」
その答えを聞き、顔を歪めるヒュンレイ・ノースパスだった『もの』。
それに対し聖野はすぐさま距離を詰め再び手刀を放つが、それは大きく後方に飛びのき、拳は空を切る。
「ちっ!」
「走れない、走れないときましたか!」
「何がおかしい!」
愉快だと言わんばかりの笑い声が、照明の灯っていない部屋に木霊する。
声を荒げ視線だけで殺そうとするかのように聖野はそれを睨みつけるが、そんな物など関係ないという様子で対象は笑いつづける。
「いえいえ、まさかそんな理由とは。細心の注意をはらったというのに容易くばれたわけだ…………ではさようなら」
心底面白い答えを聞いたと言った様子でヒュンレイだったものが関節などお構いなしの動きを見せながら笑い続け、聖野にそう宣言。
その言葉の意味をすぐには理解できなかった聖野であったが、視界に背後の倉庫から伸びた無数の『手』が映り、自分の体が捕えられた瞬間、全てを察した。
あ、終わった
対処に割くだけの時間が足りず、聖野の体が無数の腕に掴まれ壁の向こうへと引きずりこまれるその瞬間、
「大氷牙」
聖野の脇を巨大な氷の牙の密集体が通り抜ける。
それは背後の壁に当たった瞬間壁一面を一気に凍らせ、聖野を引きずるはずだった無数の腕は半ばのところで動きを止め砕け散る。
「今のうちに!」
「ちぃ!」
開放された聖野が駆け、手刀によりヒュンレイ・ノースパスの姿を模した何かを抉れていた腹部から両断し、崩れ落ちる瞬間にさらに縦にも二分する。
「ヒュンレイさんあざっす!」
それから礼を言いながら振り向けば、地面を凍らせ足をスケート靴のブレードに変えたヒュンレイがそこにおり、その姿を確認した聖野が勢いよく頭を下げる。
「かなり精密に作られているようですが良く分かりましたね」
「こいつがミスってくれたおかげさんで。それについて詳しく話しますよ」
「いえ、その前に」
近づいてくる聖野に手で静止をかけ、ヒュンレイが距離を保つ。
その意味が分からず首を横にする聖野であるが、ヒュンレイはさも当たり前という様子で口を開いた。
「私の姿を模したそれは、人形のようですね。念のためです、襲われていたので本物だとは思うのですが、お互いがお互いについて幾つか質問しましょう」
そのまま投げかけられた言葉を聞き、聖野は苦笑した。
今の攻撃の威力を見れば、本物である事は一目瞭然であったからだ
「俺の方は今の一撃で十分な証拠な気がするんで、ヒュンレイさん先にどーぞ。偽物じゃわからないような質問を頼みますよ」
「では、君の持ってる希少能力の名前は」
「暴君宣言」
「師匠の名前は」
「原口善は元何位」
「三」
「結構」
「んじゃ俺からも少しだけ」
「ヒュンレイさんの勤めてるギルドの隊長名は?」
「原口善」
「その人の戦闘スタイルは?」
「近接戦闘」
「最近入った部下二人のフルネームは?」
「古賀蒼野に古賀康太」
そこまで聞き、もう大丈夫だろうと考えた二人が息をつき警戒心を解き、距離を詰める。
「この件、思ったよりも闇が深そうですね。まさかあんな数の死体が出てくるなんて」
背後にある想像を絶するものを詰め込んだ倉庫を確認し、鳥肌が立つのを理解しながら話しを進める聖野。
「その事についても話し合う必要がありますが、まずは状況を知りたいです。蒼野君はどこに?」
「蒼野ならさっきヒュンレイさんの指示を聞いて……って、あれも偽物が出した指示か!」
「…………詳しく」
ヒュンレイに促され、話を始める聖野。それを聞いたヒュンレイは額に皺をよせ、厄介の事になったと呟いた。
「どうしてもわからねぇんですけど、何で偽物のヒュンレイさんは仲間との合流なんて指示を出したんでしょう。合流させるメリットがない気がするんですよね」
「考え方を変えて見ましょう」
言いながら、ヒュンレイのいる足元が凍っていき入口の先へと向かって行く。
「蒼野がアトラーの面々と出会った場合のメリットを考えるのではなく、メリットがあるからアトラーの面々と出会わせるのだと」
「合わせること自体が目的だってことですか。けどどうして?」
「……」
投げかけられた疑問に答えず、少しでも早く合流しようと焦りを見せるヒュンレイ。
「ちょ、待ってくださいよ、ヒュンレイさん!」
彼は足に作りだした氷のブレードを装着し、アキレス腱付近から地面へと向け、氷の突起を撃ちだす。
その勢いを利用し前へ進んでいくヒュンレイの後を聖野が追いかけてくる。
「無数の死体。精巧な人形に操作術。そしてここが神教という事実」
そんな中、聖野がヒュンレイの呟きを聞き、反射的に彼の方に視線を向ける。
その視線には、信じられない事を聞いているとでも言いたげな意思が含まれていた。
「もしかしたらこの事件の裏には、とんでもない存在が隠れているのかもしれません」
恐らくヒュンレイと聖野の脳裏に浮かんでいるであろうその人物。
その名は――――
ここまでご閲覧いただきありがとうございます。
作者の宮田幸司です。
本日二話目を更新!
しかしまだ消化不良なので終わりません。
本日十一時前頃に、今回の敵の正体に触れる三話目を発表。みなさまもう少々お付き合いください!




