古賀蒼野と尾羽優、森を駆ける 一頁目
静寂に包まれた森の中を、ゲイルやほかの者が置いて行った大型二輪に跨り古賀蒼野と尾羽優が移動する。
二人が進む森はほんの僅かな光しか通らず薄暗いのだが、日が傾いてきた事で入る光の量はさらに少ないものになり、障害物や段差もありこれ以上進むのは危険な状態になっていた。
「日が傾いてきたな。今日中に追いつきたかったんだが無理かもしれないな」
「夜になっても動き続ける可能性はない? 賢教側に移動されたら厄介よ」
「ないと思う。この森に住んでいる生物は夜行性のやつが多いからな。夜になると昼の数倍危ないから、足を止めて守りを固めるだろうよ」
二人が駆けているのは、ジコンから二大宗教を分かつ境界へと向け広がっている森の中だ。
樹齢100年を超えるような切り株が散乱し、それ以上の太さと大きさの木々が太陽の光を遮るように立ち並び、木と木の間からは様々な動物や昆虫が顔を出してこちらを見ている。
神教と賢教を分け隔てる境界へと続く、人呼んで『試練の森』。
どのような理由があったとしても、この森を超えられない限りは実力不足として賢教へと向かうことは出来ないと言われるジコンから先に広がる場所を、二人は辺りを見渡しながらも進み続ける。
「ととっ! やっぱ乗り物に乗りながらだと動きづらいわね」
「体力の消費を抑えるためだ。仕方がないさ」
蒼野が賢教に行けない理由の一つがこの危険な森の存在だったのだが、今少年は超えられないと常々思っていたこの森を、目の前の少女が手伝う事で何の苦労もすることなく進めていた。
「話には聞いたことがあったけど、めんどくさい森ねー」
ここら一帯では最大の危険地帯と言われるこの場所に二人が突入した理由。それを語るため、話は数時間前にまで遡る。
町の中心部にある噴水広場から少し離れた位置にある何の変哲なところもない小さな倉庫。
そこには地下へと降りていく階段があり、この町や付近で暴れた犯罪者を捉えておく収容所となっていた。
中には簡易ベッドにトイレ、椅子に机が置いてあり、机の上にはメモ帳や小型テレビが設置してあった。
『およそ一週間前に起きた事件の犯人の正体は未だ掴めず、またどのような目的で町を襲ったのかも依然として判明していません。ルーテリア氏は【犯人の確保よりもまず、けが人の救助やなくなった人々の追悼が先である】と発言し……』
「…………来たか」
テレビから流れてくるニュースを悲しそうな目で見ていたゲイルが、階段から聞こえてくる足音を耳にしてテレビから目を離し、真っ白な壁で包まれた牢屋の入口の辺りまで近づいていく。
「俺に用事があるって聞いて来たんだが、なんだっだ?」
強化ガラスの向こう側、収容所の入口から姿を現したのは自らを下した少年古賀蒼野だ。
彼は牢屋についている電話の内線で呼ばれ、こうして数時間前に死闘を繰り広げた男の前に再び現れた。
「……ああ、おたくが俺に敵意のない人間と思って頼みがある」
「頼み?」
首を傾げる蒼野を前に、ゲイルがそう告げ一歩引く。
それから蒼野が見たの…………彼の土下座だ。
「い、いきなりどうしたんだよ」
「……………………」
「と、とにかく顔を上げてくれ!」
顔を上げるよう言うまで微動だにしなかった様子を見て、ただ事ではないことを察した蒼野が慌ててそう告げると、ゲイルは勢いよく顔を上げ、じっと彼を見続けた。
「一体どうしたっていうんだ。今の土下座も、俺への頼み事ってのに関わってくるのか?」
「そうだ」
「その頼み事っていうのはどんなことなんだ。いきなり土下座する程か?」
「あぁ。正直この町を襲った俺がこんな頼み事は自分でも馬鹿げてると理解してる。だけど。他に手がねぇんだ。だから頼む! おたくらの町を襲った真犯人から、俺の部下を取り戻して欲しい?」
「…………やっぱなんか裏があったんだな」
ゲイルが口にした言葉に、蒼野はさして驚きせず続きを待つ。対峙していた時から感じていた違和感は、目の前の男に何か事情があると察するには十分なものであった。
そんな蒼野の様子が伝わったのか、ゲイルは口を開けて話を続ける。
「まず大前提として、信じてもらえねぇかもしれないが俺自身にこの町に対する敵意はなかった」
説明を促されたゲイルが、蒼野に話しはじめたのはこの町を襲った理由の部分だ。
「今回の襲撃は今話した俺の部下を人質にされたからやったもんだ。俺以外の兵士は全員、別の組織の奴らだ」
「お前以外の全員を人質に取って、進軍してきたってことか。なんでそんな事を?」
「例えば罪を犯した奴らが捕まった時、どの組織に所属してるかって言われたら、大将首のいる場所だろ。連中の思惑はその点だ。要は、失敗した時の身代わりとして、俺を必要としたってわけだ」
「身代わり、か。それにしても大胆だな」
「何が?」
「いや、全員人質ってところに驚いてな。ある程度は兵力に回すべきだろ」
さも当然な蒼野の問いに対し自虐的な笑みを浮かべるゲイル。
「身を粉にして戦えない奴らはいらないんだと。それに加えて、道中での反逆も気にしてたみたいな様子だったな」
「なるほど」
馬鹿馬鹿しいという様子で話をするゲイルに蒼野は頷く。
「ま、俺らは商人だ。戦闘に関してはほとんどの奴らが素人で役に立たなかったってのも関係するだろうな。で、だ」
「おいお前、そこで何を話している」
そうして話し込んでいると、階上から康太が現れる。
「おたくは」
両手は履いているベージュのチノパンのポケットに突っ込んでおり、ゲイルを見る目には強い敵意が籠っているその姿に、ゲイルが明らかに警戒。
「そんな恐ろしい様子で来るなよ。お前にもしっかり説明するからさ」
そんな事など露知らずといった様子で、話しを聞いていた蒼野が振り返り、ここまで聞いた話をそのまま康太に説明。
「いやねぇだろ。どうせ俺らをおびき寄せるための罠かなんかだろ?」
蒼野の話を聞き一呼吸置いた康太がそう告げるとゲイルが顔色を蒼白に変え、強化ガラスに手を置き必死に訴えてくる。
「本当なんだって! このまま放っておいたらあいつらは死ぬかもしれねぇんだ!」
「死ぬって、どういう事だ?」
必死の形相で喰ってかかるゲイルの言葉に蒼野が聞き返し、康太がそんな様子の義兄弟を見てため息を吐いた。
「俺達は普段賢教側に住んでいるんだが、こっちに来るのは商売のためだ。今回だってそうだ。ただ、その最中に面倒な奴らに出会っちまった」
「面倒な奴ら?」
「『馬脚の尖刃』っていう賢教の過激派ギルドだ! そいつらが今回俺達がこんな事をしたきっかけとなった黒幕で、今はすぐ側の森で待機してる!」
それまでさして関心のなかった康太だが、その名前を聞いた時、初めてゲイルに関心を持った。
「最近聞いた名だな。確か神教抹殺を掲げて賢教からやってきた盗賊紛いの連中だったか。だが奴らは数日前に手痛い敗北を負い、身を潜めたと聞いたが」
「ああ。だが傷を癒して、また活動を再開した」
「なるほどな。それで、お前らが従っているのはお仲間が人質になっているから、だっけか?」
「そうだ」
声を低くし探りを入れるような康太をまっすぐとした視線で見ながらゲイルが短く返す。
「同じ賢教サイドなんだろ。……身内同士なのに大変だな」
「いや違うぞ…………けどまあ、今の活動範囲は賢教だから完全に間違ってるわけでもないか。いやそれにしても、あんな野郎共と身内扱いとはな」
嫌な話だと引き気味の様子で語る蒼野。そんな彼をゲイルが鼻で笑う。
「その口ぶりからして神教はそこまで過激な思想はなさそうだな。だけど賢教には過激な考えがいくつかあってな。今回俺の部下を捕えた奴らの思想もその一種だな」
「過激な思想?」
「奴らの信じる教えはな、邪教に負けた者はいらない。死んで転生するべしってもんだ」
「転生?」
「邪教の者共に対抗できない程度の力ではだめだ。一度死んで、神教側の人間をバッタバッタ殺しまくれる人間として産まれ変わろうっていうアホな考え方さ」
ゲイルの言葉を、康太は馬鹿馬鹿しいと吐き捨て、蒼野は目を見開き硬直する。
「そんな考えの連中が相手だ! 俺が捕まったとわかれば、部下に対してどんな行動を起こすのか、考えたくもねぇ! だから頼む! あの森の中にいる俺の仲間を助けてくれ!!」
「………………」
事の重要性を必死に伝えようと声を張り上げ、必死に頭を下げてそう口にするゲイルを見て康太は思案する。
嘘偽りを言っている様子はない。しかしだからといって赤の他人以下の関係のこの男の為に命を賭ける必要があるかと言われれば否と言える。
そもそも話ができすぎており、罠の可能性だって大いにある。
「悪いな」
協力するに値しない、そう思い康太が口を開きかけたところで、
「事情はわかった。安心してくれ、助けに行くよ」
「おい!」
どこまでもまっすぐで力強い蒼野の声が、康太の耳に入ってくる
「いつも言ってるだろうけどよ、そう簡単に人の話を信じるなよ。嘘の可能性だってあるんだぞ!」
「そうかもしれない。でも嘘の可能性があるとしても、死ぬかもしれないといわれたら助けないわけにはいかないだろ」
「あのなぁ」
「それにこいつは戦いながらも渋々従わされているみたいなところがあったし、他の過激な連中と比べておとなしかったような気がしたんだが、康太はどう思う?」
「……確かに時間稼ぎに徹してたという感じではあった。村人に攻撃していた様子もない。いやだが俺はそう言う事を言いたいんじゃなくてだな」
徐々に喋る速度を上げていく康太を前に、真剣な表情で見つめる蒼野。
「なら、信用していいんじゃないか?」
「自分の! 命の事も! よく考えろって! 言ってんだよ!!」
そんな蒼野に対し、康太は人差し指と中指の二本で蒼野の額を小突くと彼はその威力に耐えきれず数歩後退。義兄弟の反論を聞いた蒼野が言葉に詰まる。
「いやでもよ」
「でもも、しかしもねぇ。そもそもお前一人でどうやってあの森をどう攻略する。これまで一度だって超えられたことがないくせによ」
賢教に行きたい蒼野はこれまで何度もその間に立ちふさがる森に挑んでいった。
しかしその度に敗北を喫し、今なお扉の前にまで言ったことさえないのだ。
「そこはほら、危険を前もって察知できる康太が力を貸してくれればいけるだろ」
「おまえなぁ。いやそもそも、通行証がねぇから賢教側には……はぁ」
蒼野の言葉に、康太がため息をつき肩を落とした。
――――――――そこまで言いながら、行くなと言う俺を頼るのか、
口には出さずに胸中でつぶやくが、すぐにその考えを否定する。
――――――――違うな、人を助けるためなら何でも利用する、それが古賀蒼野という人間だ。
「断る。こいつの願いを叶えてやりたいお前の気持ちもわかるが、避けられる危険に自ら飛びこむことは許さねぇ。今回の件は諦めろ」
完全に彼を理解していてなお、康太は彼の命を守るための意思を固辞。
決して譲れぬという力強い意志を込め蒼野を突き放した。
「なら、アタシが行ってあげよっか?」
康太のその返事を聞き蒼野が肩を落としたその時、突如入口の辺りから聞こえてきた声に三人が振り返る。
「お前は」
「尾羽優よ。気軽に優って呼んでちょうだい」
建物の入口で立っていたのは先程の戦いにおいて、突如現れた少女尾羽優。彼女は名案とばかりに声を弾ませ、三人がいる牢屋の前まで飛び降りてきた。
「何の用だ?」
「あら、声が小さかったかしら? アタシが付いて行ってもいいよって言ったのよ。たぶんアタシの方があんたより強いし、それを依頼だとするなら断る理由はないわ」
「そういえばおたくは『ギルド』所属みたいなことを言ってたな」
「ええそうよ。ギルド『ウォーグレン』よ、よろしくね」
『ギルド』は二大宗教とはまた別の勢力である。
二大宗教のしきたりや思想に巻き込まれることなく、二大宗教に属していても様々な考えや種族の人物達が気軽に作ることができるため、徐々に勢力を伸ばしてきている勢力である。
近年ではこの世界を形作る一勢力として『四大勢力』の一つとして数えられるようになった。
「アタシ達のギルドは人助けなら何でも受けてるわ。もちろん、法に触れない範囲でだけどね。
境界周辺を荒らしている盗賊紛いの連中については最近ちょくちょく耳にするし、同じギルドの組織らしいじゃない。それなら、ちょっとばかし懲らしめさせてもらおうじゃないの!」
「本当か!」
「ええ。話を聞く限り急ぎの依頼みたいだし、この町の入口で待ってるから準備が終わったら来てもらえる?」
「ああ!」
「俺からしても助かる! 礼は弾ませてもらうから頼むぜ!」
優の言葉を聞きゲイルが顔を明るくし、蒼野は準備を始めると言い出し部屋から出ていく中、目の前で胸を張る少女に対し康太だけは殺意の籠った目で睨みつける。
「なによその目。これって立派な人助けだと思うし、アンタに文句を言われる筋合いもないと思うんだけど」
「…………」
「まあいいわ、そんなことよりも少し一緒に来てくれない?」
「ふん」
対する優はそう告げると近くにいる人に監視を頼み、康太を連れ外へ出る。
「アンタ、さっきあいつらを殺そうとしたでしょ」
噴水広場を抜け、林に踏みこみ街全体を覆う塀にまで移動する。
そこまで移動したところで優は振り返り腕を組み、鋭い声色で康太を問い詰める。
「さて、なんの事やら」
「猿頭にもわかるように言っといてあげるわ。あのゲイルって奴、貴族衆の御曹司よ」
とぼけるような答えを返した康太が、優の答えを聞きピタリと動きを止める。
それから苦い顔をして僅かなあいだ優を睨むと、踵を返し孤児院の方角へと向け歩き始めた。
「これでアンタの目的は阻止したわけだけどどうすんの? 一緒に来る?」
そんな彼に気軽に声をかける優。
「お前は、なにもわかっちゃいない」
対する康太は振り返ることもせず、ただそれだけ伝え姿を消した。
ご閲覧いただき、ありがとうございます。
作者です。
さて、先日の話で最初の話が終わり、今回から新しい物語です。
この物語は基本的に群像劇を目指し作られたもので、各章ごとに数人の主人公がいる形式となっています。
今回の第一章に関して言えばその内の一人が蒼野で、他にも数人存在します。
あと、章のタイトルに関しては決まっているのですが、もう数週ほど控える予定です。
それを出してしまうと、主人公がどのような人たちかわかってしまうので。