狂気の檻 三頁目
「なあこの未返品の物の置いてある場所って、ほとんど同じじゃないか?」
「確かに…………そう、ね」
正体不明の嫌な感覚に包まれる中、蒼野がそれを振りほどくように声を上げる。
聖野と優が蒼野の指差した所を見れば、未返品の物の場所は一ヶ所に固まっており、嫌な予感を胸中に抱きながらも、戦々恐々といった様子で彼らはその場所にまで歩いていく。
「ここか?」
「なにもないけど」
辿り着いた場所は何もないただの壁際で、壁には物をかける場所も収納スペースも一切見当たらない。
「とりあえず一回周りを見てみようぜ。蒼野はそっち側から見てってくれ。優は真ん中周辺。ヒュンレイさんの言っていた通り、目に届く範囲を探していこう」
「わ、わかった」
「ええ」
熱気を一切感じさせない、ひんやりとした真っ白な壁を蒼野と優は聖野の指示に従いペタペタと触りながらゆっくりとだが動いていき、どこかに何らかの手がかりがないかと、手の感覚に全神経を注ぐ。
「あ……」
そのように探していれば目的の物が見つかるのに大して時間はかからなかった。
手探りで探っていた蒼野の右手が奇妙な凹凸を見つけ、まさぐるように弄ると、カコンという音と共に手すりが出現。
「二人とも!」
「見つかった、のね」
逸る気持ちを必死に抑え、現れた手掛かりに視線をじっと注ぐ聖野の姿を前に、蒼野の心臓が一際大きく飛び跳ねる。
その空気に影響されたのか後からやって来た聖野と優も自然と緊張し、握った掌には汗が噴き出ていた。
「大丈夫蒼野? やばそうなら、アタシが開けるけど」
「いや。大丈夫だ。俺が開ける」
「さて…………鬼が出るか蛇が出るか……」
この状況がどれだけ恐ろしい状況なのか、蒼野はしっかり理解している。
行方不明となった人たちの死体が、この中に入っている可能性だって十分にあるのだ。
が、蒼野は怯えこそすれ動きを止める事はなく、無数の嫌な可能性を思い浮かべながらも、そんなはずはないと信じ、毅然とした態度で現れた取っ手を引き扉を開く。
「え?」
が、扉の中身に詰まっていた純然たる『悪意』はそんな蒼野の覚悟をいとも容易く打ち砕く。
中を見ようと開けた瞬間蒼野の体を襲ったのは全身を包みこむ強烈な冷気。
突如襲い掛かって来たそれに対し、蒼野は目をやられぬよう両腕でそれを塞ぐ。
「な、何だこれ!」
「罠か!?」
蒼野が悲鳴に近い声をあげ、聖野が反射的に嫌な予想を口から出す。
それから少しして冷気が収まり、三人が目を守るようにしていた腕を外し前を見ると、
「…………は?」
「え?」
その時目にしたものに対し、それ以上の言葉は出なかった。
「な、なんだよこれはぁぁぁぁ!?」
そこには腕があった。足があった。
眼球が、皮膚が、腹部が、毛髪が、ありとあらゆる体の部位が置いてあった。
ある物は釘で打ち付けられ、ある物は瓶などで大切そうに保管され、あるものは収納棚に少々乱雑にまとめられていた。
目に見える範囲でわかる特徴は、それら全ては氷漬けにされ腐らぬようしっかりと加工され保管されていること。
加えて体の各部、内臓に至るまでが揃っており、なおかつ切り口は見るも鮮やかであるということだ。
これまで聖野と優は、若いながらも蒼野とは比べ物にならない程の長い間生と死の狭間を見聞きし、体験してきた。
衝動的な行動で死んでしまった遺体を見る事もあれば、原形を留めていない、惨殺された死体を見たことだっていくらかある。
だが、今彼の目の前にある物はそれらとは一線を画すものであった。
一時の気の迷いによって生じた行いでもなければ、人殺しの快楽に身をひたすら殺したわけでもない。
懇切丁寧に整えられ、人間の体という物に対し最大限の敬意を払っているように見て取れる、それでも隠しようもなく悪意に満ち残酷な空間が、そこには広がっていた。
「こ、これを作った奴は、どんな脳みそしてんだよ!?」
その景色を目にして、聖野は吐き気を催しながらもそう口にし、優は顔を歪めながら確認のため一歩前に歩き出した。
「ん?」
と同時に、聖野はある事に気が付いた。
自分と優の前に立つ蒼野の体が、小刻みに揺れている。
「そ、蒼野?」
「大丈夫?」
「う……う、うわぁぁぁぁぁぁ!」
気になって優が肩に手を置くと、顔を青くした蒼野が振り返り、口からはみっともない程大きな叫び声が発せられる。
「どうした蒼野!」
突如上がった叫び声を前に聖野が驚くが、よく考がえれば当たり前の事であった。
何度も外敵から故郷を守ってきたとはいえ、聖野や優と違って蒼野はほんの一ヶ月ほど前まで普通に暮らしていた少年なのだ。
戦場を渡り歩いた二人ですら堪える光景を前に、精神が耐えきれなかったのだ。
「ちょ、蒼野!?」
「待て優。お前まで行くと……いやどっちみち厄介な状況に変わりないか! 絶対に蒼野を捕まえろよ! 俺はヒュンレイさんに会ってくる!」
「わかった!」
声をあげる聖野と同じかそれ以上の声をあげ、優が蒼野を追う。
それを見届けるまでもなく聖野もヒュンレイを探そうと走りだし、すぐ側の角を曲がると、意外な事にそこにヒュンレイ・ノースパスは存在した。
「ヒュンレイさん、どうしてここに?」
「どうしたもこうしたもありませんよ。蒼野君の叫び声が聞こえてきたので、大急ぎでやってきたんです。何かあったのですか?」
「はい。実は……」
それから十秒程で自分が見てきたものを説明する聖野。
それを聞き顎に手を置き考えるヒュンレイだが、その思案は瞬き程の間だけだ。
すぐに策を練った様子のヒュンレイは口元に手をやり咳払いを一度だけすると、聖野に向けて指示を出す。
「まずは賞賛を。証拠を掴めたよかったです。これならば強硬策に及んでもいいでしょう。聖野は私についてきてその場所の案内を。あまり見たくない光景でしょうが証拠品として写真を撮っておきます」
「これだけのことをやってきた奴を放置するんですか? 俺らが時間を掛けてる間に、逃げられる可能性があるかもしれないんじゃ」
「無論ここで仕留めます。証拠については予防策。ここで捕まえられなかった場合を考慮してです。確認次第ギルド『アトラー』の面々に連絡を入れ、信頼できる面子で工場内の探索と制圧を一気に行います」
「蒼野はどうします?」
「優に任せてもいいですが、一度合流したいところですし、写真を撮り次第私達も追いかけましょう」
「わかりました!」
聖野に場所を教えてもらい走りだす二人。
元々大して離れていないところにいたのだ。数秒もせぬ間に辿り着き先程と同じように聖野が窪みに手をかけたところで、
「…………ヒュンレイさん」
ピクリと聖野の手が止まった。
走る走る……蒼野が走る。
静寂に包まれた、ではなく耳に響くアラームの音を響かせる廊下を、その音さえさして気にすることなく一心不乱に走り続ける。
「リリさん! 聞こえていたら返事をしてください!」
全身から玉のような汗を発し、誰が見てもマヌケにしか姿勢もクソもない様子で走る蒼野の声が廊下全体に響きわたる。
彼女の名前を呼んだのは、この工場内に現在確実にいる知り合いの名前であったからなのだが、その時聖野とヒュンレイがいる上階から大きな揺れが伝わってくる。
「う、上で何が?」
そう考え真上をチラリと見ると、不意にこちらを伺う球体と目が合った。
「しまっ!」
咄嗟に距離を取ろうと後退するのだが、防犯装置である球体から正体不明の液体が霧状に吹きだされ、瞬く間に蒼野の目から大量の涙が溢れ、強烈な痛みとかゆみに襲われる。
「ああああぁぁぁぁ!!」
催涙ガスの一種であるとすぐさま判断する蒼野だが、そうしているうちに、通路の奥から獣の唸り声が聞こえてくる。
まずいと瞬時に悟り、能力を使うべきかと頭を悩ませる蒼野。
しかしすぐに今は躊躇している場合ではないと判断し、能力を発動させようと意思を固めたところで、
「ちょっと、これどういう事よ!」
「リリさん!」
聞こえてきた声を聞き、大げさな身振り手振りで表現し自分の側までやってくるよう意思表示。
「まったく、だから気を付けなっていったのに。お姉さんの言う事はしっかり聞きなさい!」
「す、すいません」
俺の能力はあまり人に見せない方がいいんだったよな
善やヒュンレイから自身の能力の希少性を説明され、その上で何度も言われていた事を思い出し、リリが向かってくるであろう方角から見えぬよう細心の注意をはらい能力をこっそりと使用。
顔を手で覆い、その覆った部分の時間だけを僅かに戻す。
「って、蒼野君催涙ガス浴びたの? それ結構強力なやつよ。目は開けられる?」
「大丈夫です。こう見えてもそこら辺の耐性は結構しっかり持ってるんです」
彼女に気づかれることなく嘘を吐きながら能力の行使を終えた蒼野が、両の瞼をつまみあげるジェスチャーを行い無事を伝える。
するとそのことに少々驚いた様子のリリだが、防犯装置に襲われたことで冷静さを取り戻した蒼野は、彼女がなにかを口にするよりも早く現状を伝えた。
「……状況はわかったわ。うん、それならあたしも協力する」
「通報の方は大丈夫ですかね?」
「聖野君とヒュンレイさんが証拠集めをしてるんでしょ。それならしっかりとした証拠を集めきってから連絡しましょ」
「わかりました」
その結果帰って来たリリの返事を聞き頷く蒼野。
警報を鳴らしたきっかけは恐らく自分で、それが原因で今回の潜入捜査が失敗したらどうしようかと気が気ではなかった気持ちが、彼女の返事を聞き落ち着きを取り戻した。
「で、これからの予定についてなんですけどアトラーの方々と合流したいんですけどどうすればいいですか? 電話で呼べます?」
「電話はさっき更衣室の方に置いてきちゃったのよね。非常口も近いし、そこから工場の外に出て皆を呼びましょ。非常口の扉はほら、あそこよ」
「あそこって、ぶ!?」
その時、言われて振り向いたところで再び蒼野の顔面に催涙ガスが吹きかかっていく。
「クソッ! マジか! リリさん、ちょっと待っててください!」
そう言いながら顔を覆い、目の部分だけ時間を戻すよう小さな半透明の丸時計を作りだす蒼野。
ガシャコン、そんな音が聞こえてきたのはその時、リリのいる方角からだった。
「リリさん! 何かきます!」
能力による再生を早め、とっさに振り向いた蒼野。
彼はそこでその音の正体と出会う。
「え?」
その瞬間、蒼野は自身の心臓が跳ね上がったのを理解した。
ここまでご閲覧いただきありがとうございます。
作者の宮田幸司です。
さあという事で今回の物語も戦いが始まります。
聖野が気付いた違和感とは? 蒼野が目にしたものは?
それについては明日以降……というところなのですが、流石にここで切ってしまうのは後味が悪いので、
本日また更新をします。
九時過ぎの予定なので、よろしくお願いします。




