賢教と神教 千年の禍根
「戦っていたのはどなたですか?」
「片方はリリさんです。相手は……わかりません!」
自分でなく康太ならば分かったであろうと想像し、内心で落胆する蒼野。
「ゴホッ……できるだけ近隣の方々に迷惑をかけずに終えたいところですね」
「急ぎましょう!」
「あ、ちょっと待ってください」
咳込むヒュンレイを傍目に蒼野は走りだそうとするがそこでヒュンレイが静止をかけ立ち止まる。
「実は私、あまり速く動けないものでして。音速を超えられるのなら、蒼野君が私のサポートをしてくれた方が早いのですがどうでしょうか?」
「人一人背負うくらいなら全然大丈夫です。それでいきましょう」
「助かります。聖野君はお留守番を。優は私たちと一緒に来てくださいますか」
「はーい」
「任されました」
聖野だけ置いて出て行った三人が、数キロ離れた位置にある小さな空き地とベンチしかない公園へと向け空を駆け着地。
「あれって……」
視線を一早く上げる優が目にしたのは、寂れた公園で動き回る白と黒の塊。
一人は先程まで自分たちを案内していたギルド『アトラー』の女性リリ。
バスガイドとして動き回っていた時とは全く違う、黒のスーツを着こんだ姿でサバイバルナイフを片手に縦横無尽に動き回り、感情の赴くままに暴れまわっていた。
「む、うぅ!?」
もう一人は名も知らぬ青年だ。
糸目に首筋を覆い隠す程度まで伸ばした真っ白な白髪を蓄えた青年は、その髪の色と全く同じ真っ白なスーツとシルクハットを被り、片メガネをつけた紳士然とした姿であった。
彼が手にしているのは持ち手がとぐろを巻いている木のステッキ―で、紙一重といった様子でサバイバルナイフを受け流している。
「ちょこまかと……逃げるな!」
対するリリは縦横無尽に動き続けている最中に岩の塊を作りだし、あるものは障害物として機能させ、あるものは撃ち出し、本人が縦横無尽に動き回りながら攻撃を加えるのにそれらを加え、徐々にだが青年を追いつめていた。
「しつこい!」
「こちらに敵意はないのです! あなたが矛を収めていただければ抵抗もしません!」
言葉を聞く限り青年の方に敵意はない。そう感じた蒼野がヒュンレイを背負ったまま、リリへと向け疾走。
サバイバルナイフを踵落としで地面へと叩きつけ、距離を取ろうと青年が後退。
「っ!」
が、それでも逃がさぬとばかりに追撃を加えるリリが胸の谷間から手のひらに収まるほどの大きさの短刀を取り出し投擲。青年の顔面へと向け一直線に向かって行くが、それは成年に届く前に優が弾き飛ばした。
「そこまでですよ、リリ君」
必殺の瞬間を狙った一撃が優に防がれ、なおも暴れようとするリリ。
すると蒼野の背から飛び降りたヒュンレイが地面を足で小突き、彼女の首から下を一気に凍らせた。
「失礼ですが、貴方は賢教の方ですか?」
「え? ああ、はい」
リリに襲われていた男性がヒュンレイの言葉に頷き、それを聞いてヒュンレイが目を伏せた。
「申し訳ありません賢教の方。彼女は両親を賢教の方に殺されたもので。あなた自身に非はないと思うんですが……」
まるで親の仇を見るような視線をしていた理由に、蒼野は苦い表情をして、それを確認したヒュンレイが彼に声をかけた。
「……蒼野君、彼を安全なところまで届けてきてください。リリ君はここで私が」
「安全な場所って言うと……貸家とかか? 家の場所を教えてくれませんか?」
「い、いえ、ここまでしていただければ十分です。ありがとう」
蒼野が支えている右肩を振りほどこうともがく青年だが、蒼野はそれを拒否し、これまで以上に力を込め、青年を支えあげる。
「困った時はお互い様だ。教えてくれ」
そう言って肩を貸す蒼野を見て、男は観念した様子で肩を預け自分の住む場所についてポツポツと呟き始める。
「ああ。俺達と同じホテルで宿泊してるのか。するとお兄さんも観光客?」
「ええ。昨日からこちらにお邪魔してまして、明日まで滞在予定なんです」
「そうだったんですか。ところで名前を教えてもらってもいいですか?」
「…………イスラ、と申します。お見知りおきを」
「イスラ、か」
「賢教の田舎町からここに来ました。初めて神教側に来ましたが、まさかここまで嫌われているとは。正直参りました」
話を聞いていくとどうやらこのバスツアーは無駄な衝突を避けるよう神教出身者と賢教出身者は鉢合わないよう配慮されているらしく、リリとイスラの二人が出会ったのは、本当に不慮の自己であったらしい。
「着きました、ここです」
イスラがそう言った場所は蒼野達のいる階層から二つ下の部屋の隅で、そこに至るまでの間に確かに神教の面々は立ち入り禁止と書かれている立て看板を目にした。
「ありがとうございます。それではこれで」
「なあイスラさん。神教と賢教って、争うことしかできないのかな?」
飛びこんできた看板を目にして、蒼野は聞かずにはいられなかった。
自分と同じか少し年上くらいの青年が外の世界に飛び出て、どんな風に感じているのか聞かずにはいられず、思わず疑問が口を衝いた。
「そうですね……」
頼むから否定してくれ、そんな望みを持ち、心の中で手を合わせ願掛けする蒼野。
「そんな事はないと信じていますよ。同じ人間同士なんです、親身になって話し合えばきっと分かり合える。私は……そう信じてる」
その願いは穏やかな声色で説明するイスラの言葉によって叶えられた。
「どうかしたんですか?」
「いや、そうだよな。わざわざ足止めしてすいません。じゃあ、俺はこれで」
挨拶を終え帰路につく蒼野。
空には三日月が昇り始め、沈む夕日の赤い光がホテルの窓から差し込み、笑顔を見せる彼の顔を照らしていた。
蒼野が部屋の前まで帰ってきたとき、ちょうどヒュンレイに連れて行かれたリリが出てきたところであった。
彼女は瞼の辺りを赤く腫れており、鼻を啜るような音が聞こえてくることから、中で泣いていたことは一目でわかった。
「………………私のほうがお姉さんなのにかっこ悪いところ見せちゃったわね」
蒼野の視線が向けられていたことに気が付いたのであろう。リリが蒼野に気づきそちらに顔を向けると、精いっぱいの虚勢を込めてそう言いきった。
「あ、いやその」
その姿を前にして蒼野はすぐに答えを返すことができず、動揺し視線を逸らす彼の姿を目にして、彼女はクスリと笑った。
「はぁ…………なんか気が滅入っちゃったわ。ねえ蒼野君、少し時間はあるかしら?」
「…………ええ。まあ」
正直なところ今個人で行動するのはあまりよくないと感じていた蒼野だが、今彼女から目を話すのは最悪の一手だと考え、ヒュンレイや他の二人に確認を取るよりも早く頷き、目を赤くしている彼女に付き合う事を決めた。
「ありがとう。じゃあちょっとだけ身の上話につきあってほしいから、さっきの公園のベンチでお話ししない?」
「分かりました」
ホテルを出て、先程まで戦いが繰り広げられていた公園の木製ベンチに腰かける蒼野。彼は周りに怪しい影はないか探るために風の属性粒子を散らして周囲の状況を探知。
リリはというと近くにあった自動販売機でアイスコーヒーを二つ買い蒼野に向け投げる。
「お姉さんの話につきあってくれるお・れ・い。前払いね」
「ありがとうございます」
蒼野に続いて座ったリリが、冷えきったコーヒーのプルタブを開け一気に飲み干す勢いで真上へと向け傾け、飲料が喉を通る音を聞き、それを目にした蒼野も続いてコーヒーを飲み始める。
「なあにその飲み方、あたしより女子力高そうに飲むじゃない」
両手で缶を持ちチビチビと飲む蒼野を見て笑いかけるリリ。
それを聞いた蒼野がムッとすると、彼女はごめんごめんと謝りながら手をヒラヒラとさせた。
「……それであの、身の上話って何ですか」
「自分から聞いてくるか少年。そう言うのって聞きにくい気がするんだけどなー」
「す、すいません。つい!」
「アハハ冗談冗談! そんな気にしなくていいのよ蒼野君」
肩を何度も叩き、蒼野の姿を笑うリリ。
ただ思っているよりも落ち込んでいるその姿を目にして、これは失敗したと考えた彼女は、申し訳なさそうにしながら額に手を置き、小馬鹿にするような声や快活な声ではない、真剣な声色で彼に尋ねる。
「忌憚のない意見が聞きたいんだけどさ…………蒼野君は賢教の事をどう思ってる?」
「どう……ですか?」
ふと気になった事を尋ねるリリ。その言葉に含まれている遊びのない心を汲み取った蒼野は、自身もまた真剣な顔をしながら顎に手をやった。
神教の僅かな範囲での生活から、外の世界に出てまだそう長い時間を過ごしていない。
それでも町にいた頃よりもはるかに多くの賢教の住人と出会い、多くの事を学んだ。
ライクルル、ゼル・ラディオス、イスラ、アビスにゴロレム。
「……すんません、わかんないです。なんていうか人それぞれな気がして、一言ではまとめられないです」
「…………そっか」
誰もが違う性格をしていたと思う。
神教を憎む者もいれば、逆に寄り沿うために努力している者もいた。
そんな彼らを、蒼野は一言で言い表すことはできなかった。
「ヒュンレイさんが言ってたかもしれないけどさ、あたしはね、憎いんだ、賢教の奴らが」
「…………」
「あたしの家族は、賢教の住人に殺された」
空に浮かぶ満月をぼんやりと眺めながら語られた過去。
それを聞いて、蒼野は言葉を失った。
「別に何も悪いことはしてないんだよ。ただぶつかっただけ。それなのに相手は服が『穢れる』とか叫びだしてさ、まだ幼かったあたしを残して両親を殺したの」
「…………」
「それで相手側は賢教に戻され裁判にかけられたんだけど特別重い罪にはならず、数年後には普通に釈放。これってさ…………理不尽だよね」
許されるべきことではない。誰が聞いてもそう感じるであろう案件だ。
だがそれは神教に属する自分や彼女が感じる常識であり、恐らく賢教側からすれば当然の常識で、そしてそれこそが、千年前の戦争の時から今まで、二大宗教の間に広がっている溝なのだ。
「リリさん……………………」
目の前にいる女性が賢教を恨む気持ちを、話を聞き理解する。
二大宗教が抱える問題の大きさ、軋轢も知っている。
けれども、全員がそれらに従い生きているとは――――蒼野は考えたくなかった。
「だからあたしは賢教にいる人たちが憎い。どんな気のいい人でも、裏があるんじゃないかと疑っちゃう。それってさ、悪いことなのかな?」
「………………っ!」
そう思うだけならいいじゃない、
言外にそう伝えてくるリリに対し蒼野は言葉に詰まり僅かに俯く。
「沈黙っていう事は考えがまとまらないってところかな?」
「ご期待に沿った答えを返せず……………………すいません」
そうして、詳しく聞かれる蒼野だが、彼は謝ることしかできないでいた。
「いーのいーの、むしろそれでいいよ!」
「いいんですか?」
だというのにそれを笑いながら許すリリが蒼野の背中をバンバンと叩き、蒼野は反射的に言い返す。
「まああたしの考えだしね。この考え方が正しい、なんて押し付けられないよ。ただそういう考えを持ってる人もいるって知ってほしかったの。
君は君で、これからの人生で答えを見つけていけばいいのだ!」
「なんだかいつの間にか話の目的が変わってる気がするんですけど」
「気にしない気にしない!」
笑って言いきるリリの笑顔に活力が戻り、肩の力が自然と抜けていっているのが、すぐにわかる蒼野。
「ありがとね。私の愚痴に付きあってくれて」
そうして一通り話し気分が晴れた表情のリリが立ち上がり、持っていた空き缶を捨て蒼野達がいたホテルとは別の場所へと戻っていく。
「ちょっと待ってくださいリリさん」
そんな彼女を蒼野が静止した。
「ん? どったの?」
「イスラ…………えっとあの賢教の人の名前なんですけど、イスラさんはたとえ宗教が違っても、同じ人間同士分かり合えないわけがないって言ってました。その、もしよければ会っていただければな、と」
少し距離の離れた彼女に届くよう声を張り上げる蒼野。彼女は振り返りその言葉をただただ聞き続け、
「うん、ありがとう蒼野君」
これまでと同じ、満面の笑みでそう答えながらその場を離れた。
ここまでご閲覧いただきありがとうございます。
作者の宮田幸司です。
工場見学という緩い空気が終わり、不法侵入前の一幕。
正直ほのぼのとした話より、こういう話の方が作者は書きやすいです。
また明日もよろしくお願いします。




