縛る鋼と眩い風 二頁目
中に入っていた液体を首筋から注入させてから数秒後、クロバの全身に黒い靄がまとわりつく。
それは見る者に不吉な予感を感じさせるものであり、百戦錬磨のシロバをもってしても一目で危険だと感じ取り距離を取る。
「一つだけ忠告しておいてやろう」
「っ!?」
そのような行動に映っていたシロバの耳に、クロバの言葉が届く。
無意識に警戒の姿勢をとっていた彼は体を強張らせ、それを見たクロバが目を細める。
「今なら痛い思いをせずに戦いを終わらせることができる…………シロバ。降伏する気はないのか?」
「馬鹿なことを。やってみる前から白旗を上げるほど、僕は甘ちゃんじゃない!」
体から漏れている粒子は闇属性の類であり、性質は気体であることを認識したシロバが周囲に風属性粒子を散らせ警戒心を最大まで引き上げ、不敵な笑みを浮かべる。
「そうか」
するとそれを聞いたクロバが目を閉じやれやれと言った様子で被りを振り息を吐き
「ならば…………」
そのまま体を屈め右手を引きながら拳を握ると、身の丈を超える鉄球を左腕だけの膂力で真上へと放り投げ、
「その言葉の代償、己が身でを支払ってもらうぞ!」
落ちてくる鉄球を常日頃同様に渾身の力で殴りつける。
「何をするかと言えば鉄球を隠すだけか? 期待外れだな!」
これまで同様一直線に進んでいく鉄球は、黒い靄を纏いながら目標である青年へと向かっていき、それを躱すためにシロバが体を動かすのだが、彼の体に異変が起きたのはその時だ。
「!」
鉄球の射線から離れたシロバの体に、無数の細く真っ黒な鎖が伸びている。
それはシロバの右腕と右足にしっかりと絡まっており、思わぬ事態を受けシロバが抜け出そうとすぐさま考えるが、それよりも早く、彼の肉体が背後へと引っ張られる。
「黒い……靄か!」
勢いを殺しきれなかったシロバの体が鉄球が壁に衝突してから僅かな間を置いて壁に叩きつけられ、同時に風属性粒子で周囲の様子を探っていた彼は鎖がどこから伸びてきていたのかを認識した。
「流石にすぐにわかるか」
黒い靄に視線を移していたシロバに対し、いくつもの身の丈を超えた鉄球が撃ちだされる。
「ま、ずっ!?」
それらを軽快な動きで躱そうとするシロバだが、いかに彼が優秀でも体の動きを制限されればその性能を発揮しきる事はできず、その結果撃ちだされた鉄球の軌道を僅かに逸らす事はできたものの、黒い靄は捌ききれずシロバの体に大量の真っ黒な鎖が絡みついた。
「こ、のぉ!」
「終わりだ」
「!」
瞬時に黒い鎖に風の斬撃を浴びせ破壊を試みるシロバ。
幸いにも鎖自体の硬度はシロバの風の斬撃で破壊できる程度の物であったのだが、それに費やした時間を使い、クロバがシロバの目前にまで迫る。
「お、おおおおぉぉぉぉぉぉ!?」
すぐに回避をしようとするシロバの胸倉を掴み、拳を構える。
服を破ろうとするシロバであるがその行動は放たれる一撃には間に合わない。
「ぬんっ!」
「あ、がはっっ!?」
クロバの鋼鉄を抉り山さえ一撃で吹き飛ばす一撃が、シロバの腹部に叩きこまれる。
風属性を固め守りを展開するシロバだが防御が苦手な風属性では大した意味もなく、幾重にも強化された壁一面におびただしい量の亀裂を刻んだ。
「終わったか……」
力なくうなだれる彼をしっかりと確認し、着ていた服の胸倉から手を離すシロバ。
「慌て、す……ぎだ単細胞!」
「なに?」
決着の瞬間を感じた彼であるが、シロバは今にも意識を失いそうになりながらもも腰に掛けている布袋から小さなカプセル錠剤を二つ取り出し、噛み潰し飲みこむ。
すると瞬く間に体内の潰れていた臓器が再生し、体にできていた大小様々な傷も全て塞がっていく。
「…………超回復薬に体力増強薬か。ずいぶんしっかりと準備していたのだな」
「ああそうだ。準備してたさ…………」
シロバが使ったカプセル状の超回復薬は、体中の細胞を活性化させる効果を持つ。
これを使えば体中にできていた傷が瞬時に治る優れものだが、その代償に傷の治りに応じた疲労が襲い掛かる。
これを回避するのがもう一つの体力増強薬なのだがこれにも代償があり、使った場合半日後に増強した分と同じだけの疲労に襲われることになる。要は負債の先延ばしである。
「準備に関して言うのなら、お前のほうがしっかりしてるじゃないか。まさか、そんな隠し球を持っているとは」
「クロムウェル家が作りだした最新の薬品だ。流石のお前も製品版第一号の、オレ以外まだ触った事のないこの薬品については知らないだろう?」
「…………そうだな」
「この薬品の効果は対象の体に異変を起こし、一時的に属性混濁を発生させる。俺の場合は闇属性だ」
単純な戦力で比較した場合、こと力に関して貴族衆は四大勢力の中で最も弱い。
シロバやクロバのような貴族衆における最高戦力は、善やゴロレム、壊鬼などのような幹部クラスとならば互角近い戦いを繰り広げることができるが、アイビスやシャロウズ、エルドラのような最高位クラスにはどうしても劣る。
それを補うために貴族衆は他の四大勢力とは違い科学に大きく力を注いでいる。
三賢人や他の科学者に対する支援はもちろんの事、貴族衆内でも日夜研究に励んでおり、人が乗り込むこみ操縦する小型ロボットの開発なども盛んに行われ、力の弱いものでも一騎当千の活躍が見込めるようになってきていた。
クロバが今使った薬品は、そんな貴族衆が開発した最新の発明品だ。
『属性混濁』は生まれつき持っている属性に異なる属性の特性がついてきているというものだ。
ゼオスを例に挙げるならば炎属性の使い手ながら氷属性の『冷やす』特性を宿しており、炎属性にも関わらず、『熱気』ではなく『冷気』を纏う事ができる。
特筆すべき点は属性混濁になる条件だ。
属性混濁という特異な力は修行で得られるものではなく、生まれつきの偶然の結果なのである。
この力を思うがままに使えればメリットは巨大なため、多くの者達がこの力を得ようと躍起になったのだが、その努力が実を結ぶことは終ぞなかった。
しかし貴族衆は長い研究の末、ついに限られた時間かつ限られた特性ではあるのだが、この属性混濁の力を後天的に得ることができるようになった。
「全く……常々邪魔をするなお前は」
立ちふさがる難問を前にしながら、口の中に溜まった血の塊を吐きだし万全の状態で宿敵を睨む風の申し子。
「無駄話をする気はない。これ以上お前の思い通りにはさせん!」
そんな彼を前にして、強面の強豪は再び黒い靄を纏った鉄球を作りだし空に飛ばす。
「ふっ!!」
地面が陥没する程の勢いで大地を踏み、渾身の力で自らが生みだした鉄球を殴る。
「風陣結界・流!」
対するシロバが展開するのは蒼野が使うものと同様、周囲に大量の風を解き放つ風圧の壁だ。
「痛みで頭がやられたかシロバ。そんなひ弱な守りなど、意味がない事くらい承知しているだろう?」
「ひ弱な盾なら意味はないだろうね。だがこれは違う。お前が想像するようなものじゃない」
「これは…………」
語気の強いシロバの発言を聞き疑問を覚えるクロバであったが、そこまで言いきる理由を彼はすぐにその目で捉えた。
あらゆる障害を突き破り敵を喰い破る鉄の剛弾が、シロバにある程度近づいたところで巨大な風に襲われる。
ここで問題なのはその風の動きで、鉄球へと向かって行く風は鉄球に真正面から当たっていく事はなく、真横から殴りつけるように襲い掛かった。
すると真正面からの風の壁ならば容易く突き破る鉄球も真横からの強烈な突風により軌道が外され、その結果シロバへと飛んで行っていた鉄球は目標から大きく外れた位置にめり込んだ。
「君の秘密兵器も僕の手に掛かればこの通りだ。無駄な努力ご苦労様!」
黒い靄すら届かない場所に衝突した鉄球を眺め、小馬鹿にした口調で煽るシロバ。
「…………」
「無駄と理解してなお続ける、か!」
しかしそれを受けてもクロバの顔に焦りはなく、顔色一つ変えずに無数の鉄球を撃ちだしていく。
「哀れだな」
「………………どういうことだ?」
「すぐにわかる!」
そう口にしたクロバが拳に力を込め、同時に彼の前に大量の黒い靄を纏った鋼属性粒子が集まって行く。
「鉄柱弾幕!」
クロバの目の前に、一メートルを超える高さと数十メートルにも及ぶ長さを備えた鉄の柱が現れる。
それらはクロバの拳によりシロバへと飛んで行くが、蝶のように空を舞ったシロバはそれらを華麗に回避した。
「……マジか…………」
豪華な装飾が施され、一目で高級であるとわかる調度品が鉄の柱に押しつぶされる。
それらを目にしてシロバは多少なりとも落ち込むが、彼が今驚きの声をあげた理由はまた別だ。
地面や壁に突き刺さったまま微動だにしない鉄柱。
それはシロバが逃げるための空間を徐々に奪っていっているのだが、問題はそれら全てが先ほどシロバを縛り上げた黒い靄を纏っているという事だ。
「斬り裂け!」
自分が動けるスペースが減り追い詰められる。
迫る未来を回避するため、全力で地面や壁に刺さる鉄柱を斬り刻むシロバ。
「無駄だ。もう間に合わん」
「っ!!」
その抵抗を前にクロバはため息を漏らす。
「な、め、る、なぁ!」
その様子を前にして、彼は怒りに染まった声をあげながら守りの要である『風陣結界・流』さえも解き、大量の風属性粒子を掌に集め圧縮する。
「来るか!」
それは不可視の風属性であるにも関わらず確かな存在感を誇示し、それを見たクロバが自身の体全体を硬化させ両腕を顔の前に固め防御態勢を取る。
「全てを壊せ風の刃!」
圧縮された風の属性粒子が風の刃へと変化し、シロバの逃げ場を奪っていく鉄の柱へと接近。
風の刃の群れはクロバが鉄柱を周囲に飛ばすよりも格段に速く、クロバが防御態勢に入っていたのも合わさり瞬く間に鉄の柱を切り刻んでいく。
「君がどんな戦術を組み立てているのかは知らない…………」
直径十五キロほどになった広大な自室の真ん中で、部屋の主が声をあげる。
「しかしだよ、侮ってもらっちゃ困る」
壁、天井、床、そして彼の動きを制限する無数の鉄柱を斬り刻んだ事で彼の書斎が崩壊寸前の状態にまで変貌するが、その奥から聞こえる声に迷いはない。
「君のほうがこと戦闘に関しては優れているだろう。だけどだ、この僕を新しい力を一つ手に入れたくらいで倒せるなんて思うな!」
地面に散乱する鉄の柱を、散らばった豪華な調度品ごと風圧で端に押し寄せる。
それだけで空間を狭めていた脅威はなくなり、彼が自由に動き回るだけのスペースが戻ってきた。
「…………無論分かっているさ。お前を簡単に倒せるなんて、露ほども思っちゃいないさ。だから、誘導した」
「誘導?」
両手を広げ、自らは全能であるとでも語るような態度を取るシロバ。
そんな彼はクロバの言葉に引っかかりを覚え、
「そうだ。誘導だ」
それを前にしたクロバは拳を鋼属性で硬化させながら前進。
そんな馬鹿正直にな直進にわざわざ付き合う必要がないとでも言いたげにシロバが鼻で笑い空へと飛びあがるが、地面から数センチ離れたところで、強い力に引っ張られる。
「なっ!?」
反射的に下を見ればそこには自分の右足に絡みつく真っ黒な鎖が生えており、シロバを拘束していた。
「こ…………の!」
左腕を掲げ、瞬時に風属性粒子を圧縮し風の刃で鎖を斬り裂こうと画策するが、しかしその掲げた左腕にさえ黒い鎖は絡みつき、シロバの体を更に拘束した。
「視覚情報に頼りすぎだ。本来のお前ならば、もっとスマートに物事を成していた」
それでもまだ拘束から逃げ出そうと虚空に風の刃を展開しようとするシロバだが、彼の意識を乱す様に周囲一帯から無数の黒い鎖が襲い掛かり全身を束縛。
目前に迫った勝利を前に、鉄を操りし闘士が力を込め、
「鉄塊連撃・一弾!」
動きの止まったシロバの腹部に超硬質化したクロバの拳が直撃した。
ここまでご閲覧いただきありがとうございます。
作者の宮田幸司です。
クロバの切り札炸裂。
詳しい説明は次回するとして、大雑把に言えばクロバが得た新しい力は、自身が撃ちだす物体に黒い靄を纏わせ、触れた相手を鎖で拘束するというものです。
次回はその詳細。そして戦いは更なる展開へと進みます。
それではまた明日、ぜひご覧ください




