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Despair night 三頁目


「君は……似ているがゼオス・ハザードではないな。何度か話に出てきていた古賀蒼野君だね」

「は、はい」


 朝日が差し込む部屋に入って二歩先に歩いたところで、全身を包帯で包みこんだ男が少年に話しかける。


 口調は静かで声色には熱というものが含まれていない静かな物言い。

 答えようと思えばほんの短い言葉で結論の出る短い問いかけ。


 だというのに彼が投げかけたそんな問いに対し蒼野はすぐに答えることができなかった。

 それほどまで目の前の存在は異質であったのだ。


 目の部分を除いた全てを真っ白な包帯で覆い、その上から白装束を着こんだ人間。

 長い間巻いていたからであろうか、黒くくすみ汚れが目立つ部分もある包帯や白装束を着こんだその人物は、遠目で見ればみずぼらしい浮浪者に見える。


 が、近づき瞳を合わせ、次いで口から溢れるその音色を聞けば、その印象は一瞬で変化する。

 瞳は優しく人々を包みこむ太陽の如き輝きを秘めたオレンジ色なのだが、それに加えて奥の見えない深みのある黒が所々に混ざっている。

 そんな初めて見る瞳に蒼野の心は一瞬で奪われ、同時に彼が口から紡ぐ美しい音もどこかまた不思議な力を持っているように思えた。


「ええそうです。俺が古賀蒼野で」

「そうか。はじめまして。会えてうれしく思うよ」


 恐ろしく耳障りのいい、他者をなだめる声で蒼野の言葉を切り語りかける男。

 声の質からして恐らく男性であるその存在は、穏やかさと落ち着きを感じさせるその声でゆっくりと言葉を紡ぐ。


「………………」


 一瞬、蒼野はここが牢屋である事を忘れてしまった。

 今自分とこの男がいるのは、緑生い茂り太陽の光が降り注ぐ森の中であるのではないかと考えてしまう。


「俺もうれしく思います…………実は今日は相談をしたくて来ました。話を聞いてくれませんか?」


 この男はただ者ではない。

 積が懐柔されてしまったのも仕方がないと言えるだけの風格が確かにあると、蒼野が瞬時に感じ取り、そんな人物ならば自分の中に蓄積したこのどうしようもない感情を取り除くことができるかもしれないと僅かな希望を抱く。


 そうして蒼野は謎の男に対し自らの悩みを話しはじめた。


 蒼野が初めて人を殺してしまったあの日。どのような経緯でそこに至ったのか。どのようなことを感じたのか、意識を取り戻してから初めて話した。


「君はこの数日間どのような気持ちで過ごしたんだい?」

「最初の二日間は生きた心地がしませんでした。思い返しては吐いて、疲れて眠っては夢の中でその瞬間を何度も再現して吐いて。とにかく、体の中に残っていたものを吐き続ける生活でした。それで……昨日の夜から今朝にかけて、最悪な夢を見ま」

「その夢の内容は?」

「はい……」


 それから数日の間抱いていた感情を言われるがまま吐きだし、夢の内容についてもポツポツとだが話しだす。

 が、その途中で急激に気持ち悪くなり、積が作ってくれた朝食を、殺風景な部屋の真ん中で吐いてしまった。


「気を重くする事を聞いてしまったな。申し訳ない」


 そう言いながら男が体に巻いた包帯を伸ばし、切り裂き、ゆったりとした足取りで蒼野が吐きだしたものに近づき包帯で包みこむと、部屋の隅にあった洋式トイレに捨てた。


「苦しい思いをしながらも話してくれたのだね。ありがとう。私も君の悩みを解消する答えを出したいと考えているのだが………………どうやら、事はそう簡単な話ではないらしい」

「え?」

「私が君の望む答えを口にした後、君は一体どうするつもりだい?」


 男がトイレの水を流し、流れていく包帯を見守りながらそう尋ねるのだが、その言葉を聞き、蒼野の胸に小さな刃が突き刺さった。

 自分が望んでいる答え、それが何なのかは蒼野自身にはわからないのだが、もしそれを目の前の男が口にしたとして、その後自分はどうするのだろうか?


「俺は………………」


 頭に浮かんだのは、どのような経緯でそうなったのかはわからないが、首を吊り死んでいる自分の姿であったのだが、それをそのまま口にすることはなく、何とか胸の奥にしまいこんだ。


「もしかしたら君は、ここに来れば犯罪者である私が君を殺すかもしれない。そんな救いを求めたのかもしれない。

 恐ろしい現実から逃れるため、死という結末をもたらして欲しいと思ったのかもしれない」

「………………」


 見ず知らずのこの男の言う通りであった。

 積や他の面々が気付かぬ間に、蒼野の心は既に限界を迎えていた。

 生きるのが辛いと思うほど、追い詰められていた。


「だとしたら、私は君の願う答えを伝えられない。その選択だけは間違っていると言いきれるからね」

「ど、どうし―――――――」

「簡単な理由だ。君はこれまで、同じように手を汚してきた人物を殺さなかった。死という終着点を悪と断じ、生き残り償う事を善とした。だというのに自分だけは苦しいから死んで逃げるなんて、都合が良すぎるとは思わないかね?」

「――――――!」


 その答えに蒼野は何も返せない。

 反論しなければと考えるものの言葉は形にならず空を切り、気がつけば口を半開きにしたまま硬直していた。


「正直に告白しよう。

 君が抱えている問題、それの最も良い解決方法は時間であると私は思う。長い時間を心優しい仲間と過ごし、現実と理想の差を埋めていき、理不尽を呑みこみ再び前を見て歩き出す。これが一番だと思う」

「…………」


 蒼野が望む答えを得ることができたとしてもそれで症状が回復するかと問われれば疑問であるし、中途半端な答えでは傷は癒えない。もしかしたら、うまく立ち直れず死んでしまうかもしれない。


 そんな症状の蒼野の傷を癒す最高の手段は、共にいる仲間と過ごす日々であると話を聞いた彼は結論づけた。


「しかしだ、それでは相談された手前何もできず申し訳がない。それに、君の治療法としては常日頃ならば最善手と言えるが、今は非常時だ。取るべき手段も変わってくる」

「え?」


 だがそれで話は終わりではない。

 穏やかな、言い換えれば感情の起伏というものを感じさせない声で、むしろ本題はここからであるとでも言いたげな様子で彼は話を展開し続ける。


「単刀直入に言おう。蒼野君。君は皆が言った事を君はもっと自覚するべきだ」

「俺が…………みんなに言われた事?」


 静かに、心に染み込むようなゆっくりとした口調で伝えられる内容を、蒼野は同じようにゆっくりとした口調で反芻する。

 その姿は親鳥の教えを学ぶ小鳥のようであった。


「そうだ。実際には聞いていないが、『君は自分が奪った命の事を思うよりも、助けた命に目を向けるべきだ』…………このような意図の話を、君に聞かせたはずだ」

「そんな話も……してたかな?」

 

 男が語る内容を聞き、蒼野はぼんやりとしか残っていない記憶を思い返す。

 ここ数日間は無気力であったため何が起こったのか正確に理解していない蒼野だったが、思い返してみれば確かにそんな内容を誰かが話していたように思える。


「助けた命……パペットマスターを殺したことよりも、優や康太を助けたとこに意識を向けろってことか?」

「…………」

「は、はは……」


 なのでそれを実際に口にして見ると、男は口を挟むことなく黙って見守ったのだが、しばらくして少年の口から漏れたのは、情けない涙声だった。


「無理だ。無理だよ。俺には……そんな考え方はできない、だって…………夢で見てしまうんだ。俺が犯した、罪の大きさを…………」


 助けた子供たちが、自分の側に駆け寄ってくる。

 その全員が嬉しそうな、太陽のような笑顔を向けて自分たちに駆け寄ってくるのだ。

 蒼野はその子達を抱きしめたいと考えるのだが、その時ふと自分の手を見てしまう。

 すると視線の先には彼らを救うために流した他者の血や臓物が張りついており、後ろから服の袖を引っ張られる。一体何が自分を引っ張る挙げているのかと考え振り返ると、凄まじい恐怖が襲い掛かりそこで目が覚める。


 そんな夢を何度も繰り返すことで、蒼野は目の前の男の言葉を受け入れることができなかった。


「奪った命が語りかける怨嗟が恐ろしく、救ったものを直視できない…………なるほど、確かにこれは重傷だ。そして厄介だ」


 蒼野の嘆きを聞き、彼は理解する。


 古賀蒼野という人間には助けた者を見て自分の行為の成果を認める。そのような心が一切ないのだと。


 古賀蒼野は善良で優しい少年だ。

 自らの行いが人のためになればと本気で考えており、それはある種の無償の愛さえあると言ってもよい。


 だがだからこそ、罪の意識というものが人一倍強いと男は考えていた。


 優しく善良だからこそ、得た成果よりも失ったものに意識を向ける。優越感よりも喪失感に襲われるのだ。


「とはいえ今見るべき点はそこではない。そこではないんだ」


 だからこそ、彼は取るべき手段を変える。

 どれだけ行為の正しさを伝えようと立ち直れない。どれだけ慰めようと立ち直れない。どれだけ正当化しようとしても立ち直れない。


「今重要なのはね、過去ではないんだ。現実、ひいては未来なんだ」

「現実…………未来?」


 そんな彼に包帯を巻いた男は厳しい言葉をかけることを選ぶ。


「そうだ。古賀蒼野……今君が立ち上がらなければ、大勢の人が死ぬ」

「え?」


 直視しなければならない現実を教え、これから起こりうる想定する限り最悪の未来を伝える。


「君は今の世界の情勢をどこまで理解している?」

「積から少し聞いた程度です。確か、『三狂』の一角デスピア・レオダが出現して、善さんたちがそれに立ち向かってるって……」

「それが現状の世界の情勢だ。そして、君が見据えるべきはその先、すなわち未来だ」

「未来?」


 男の言葉を蒼野が同じように反芻し、それを見た男が静かに頷く。


「この戦いの肝となるのは、デスピア・レオダが生じさせているウイルスだ。これにより神教の正規軍は全力を発揮できず、『境界なき軍勢』は逆にウイルスの恩恵をあずかり全力以上の力を発揮している」

「ウイルスの恩恵? 聞く限り、デスピア・レオダがミレニアムと手を組んでるってことですよね? でも、恩恵っていうの」

「デスピア・レオダが他者に与えるウイルスというのは、言うなれば状態変化の類だ。これをうまく利用すれば、痛みを感じさせなくする事や、大量のアドレナリンを放出させ、闘争本能を迫り上げることも可能で、こうして強化した軍勢が、神教を徐々にだが追いつめているのだ」


 そしてそれは、彼が生きている限り一生続く。

 一生続けばデスピア・レオダはさらに多くの犠牲者を出し人の命を奪い、ミレニアム率いる『境界なき軍勢』も四大勢力を圧倒し、世界は混沌に包みこまれる。


 そんな絶望的な未来を、声色一つ変えず彼は語る。


 それを聞いた蒼野の顔は――――――暗い。


 未来に絶望した表情を再び晒す。


「だが今ここで君が戦いに参加すれば、その最悪の未来は回避できる。君が恐怖を克服し立ち上がれば、その犠牲を失くす事ができる」

「!」

「逆に君がここで前に出なければ、皆が死ぬ」


 そんな蒼野に、彼は救いの手を差し伸べる。

 善や優。康太や積が決してすることのできない形で、救いの手を差し伸べる。


「デスピア・レオダと君の相性はこの上なくいい。君にとっての天敵がパペットマスターであったように、彼にとっての天敵は君なのだ。ゆえに天と地ほどある差を、君だけは埋めることができる」


 そう語る男の姿に優しく善良な蒼野は口に溜まった唾を飲む。

 その道を選んだ末に訪れる未来、それを無意識ながらも理解したのだ。


「詳しく…………教えてださい」


 それでも数日間自分の殻に籠っていた彼は久方ぶりに前を向き、再び歩き出す。

 進む未来こそ、最良最善であると信じて。



ここまでご閲覧いただきありがとうございます。

作者の宮田幸司です。


蒼野サイドの物語。彼がどうやって前を向き立ち上がるか。その詳細です。

前半部分と後半部分に分かれている内の前半ですがいかがだったでしょうか?


個人的に話を書く中で、読者の皆さまに納得していただける理由を表現するというのはかなり重要な点であると思っているので、そうなっていれば幸いです。


次回はこの話の続きになります


それではまた明日、ぜひご覧ください






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