終幕 ????
「……古賀蒼野を今の生き方に導いたのはきさ…………貴女か?」
時は僅かに遡る。
ジコンを襲った『境界なき軍勢』を追い返し、住人たちが徐々に戻り始めた頃の事だ。
ギルドの仮想戦闘フィールドが作りだした森林で、蒼野がシロバと楽しそうに談笑しているのを木陰で見守るシャンスの側に、住民の誘導を一段落させたゼオスが訪れた。
「生き方?」
自身が座っている椅子の真正面にある椅子を地面の草を操り動かし、そちらを示すシャンス。
それを受けたゼオスは一度だけ頷くとそちらに座り、目の前の机に置いてあった焼き菓子を食べるように促した。
「…………古賀蒼野は人を殺さぬ不殺の誓いを立てている。そのような無謀な誓いを立てるように導いたのは、貴女なのか?」
「ああ、そのことね」
最初はゼオスの言いたいことがわからなかったシャンスであるが、ゼオスが言葉を足すことで話の要領を得て、掌を合わせ子気味いい音を発し頷いた。
この世界における命の価値は軽い。
それは二大宗教の冷戦や個人が出せる力の関係や人種の差別、他にも様々な考えが混ざった結果だ。
とはいえ普通に生活するだけならばかなり気は使うが、実現する可能性は多少なりともある話だ。
問題は、それを行おうとしている古賀蒼野が戦火に身を置く戦士であるという事で、そんな中でそのような信念を抱くことは、自殺行為に近いとゼオスは前々から考えていた。
「うーん、どうなのかしら。正直なところあまり良く分からないのよね」
「……何だと?」
ゆえにその核心を突くために彼は問いただしたのだが、目の前の聖女のような女性の言葉に僅かにだがゼオスは驚いた。
蒼野の信念は人生全てを左右するほど大きな決断だ。
そこに至るまでの過程には大きな物語があり、その鍵を握るのが目の前にいる女性だとゼオスは考えていたのだが、彼女はそこまで深く悩んだ様子もなく気軽に返事をした。
「蒼野が目指したきっかけはあの子が恭介さんを助けた時に私が言った言葉だと思うんだけど…………その道を歩む決意をした細かい理由まではわからないの。ごめんなさい」
「……きっかけ?」
「ええ。あ、ちょっと待っててくれるかしら? あなたの分の紅茶と、追加のお茶菓子を用意するわ」
疑問を抱いた様子を口にするゼオスにシャンスが返事をすると、懐から布袋を出した彼女が中から紅茶用のティカップと焼き菓子を取り出し、紅茶を注ぎながらその時の事を説明し始める。
初めて蒼野が時間回帰を使った事。それによって土方恭介が死なずに済み、彼女がかけた言葉。
それを聞いた蒼野がそれから自警団に所属し、町を守るために多くの敵と戦った事、後々話を聞いた事まで、覚えている限りの事をこと細かに説明した。
「…………貴女はそれを止めようとは思わなかったのか?」
「それは…………思わなかったわね」
シャンスの話が終わりを迎え、机の上に置かれていた様々な焼き菓子を半分ほど食べ終えたゼオスがそう尋ねると、僅かに言い淀む事はあれど然程悩まず、彼女はそう答えた。
「……なぜだ。その目的が困難なことは貴女とてわかるはずだ。なぜ止めなかった?」
「そうね。それはたぶん…………綺麗だったからかしらね」
「…………綺麗?」
シャンスの口にした内容について、ゼオスの頭はすぐには追い付かなかった。
思いもよらない答えを前にして混乱してしまった。
「だってそうじゃない。この世界ではどんな場所でも戦いが起きていて、その結果人が傷つく。死ぬことさえ日常茶飯事だわ。戦いがなかったとしても、些細なことがきっかけで人は死んでしまう。
そんな中で蒼野が口にした目標は……………………あまりにも眩しかった」
だからそれを否定できなかった
そう彼女は暗に伝えた。
「…………それは夢物語だ」
その言葉を聞き、夢物語を語る青年と同じ姿をした少年はそう口にした。
いやそれ以上の反論をすることができなかった。
目の前の女性が見せる雰囲気に、それ以上言葉を重ねる事ができなかったのだ。
「そうかもしれないわね。でもいつか覚めるのも『夢』であれば、願ったものが叶うのもまた『夢』。いつか変化が訪れるその日まで、蒼野には美しい『夢』を抱いて欲しいと私は思うの」
「……いつか目覚めるその日まで」
目の前にいる女性の言葉を反芻するゼオス。
「ええ。ねぇゼオス君。とても厚かましいとはわかっているんだけど、よければ一つだけお願いをしてもいいかしら?」
それを聞くと彼女は微笑むのだが、その後すぐにそう口にすると、彼女の表情は穏やかなものから意を決したものに変化し、これから伝えられる内容がとても重要な事をゼオスは察し、
「…………内容による」
短くそう返事をした。
「ありがとう。あのね、もし蒼野がどうしようもない程大変な目にあって、そこにあなたが居たとするなら……………………蒼野を助けてほしいの」
「…………可能であればそうしよう」
いつか殺そうと思っているターゲットを助けてほしいという頼みは滑稽極まりないものであるのだが、事情を深く知らない彼女からすればさしておかしな願いではない。
なおかつ自分で殺す事が目的であるため、彼は少々間を置いてしまったが彼女の願いを快く聞き入れた。
「あ! 蒼野おにいちゃんがシスターとおやつ食べてる!」
「いいなぁーずるいなぁ!」
「それよりも遊ぼうよお兄ちゃん! あそぼあそぼ!」
「……………………む」
深刻な表情で語るにしては少々拍子抜けな内容だな。
そんな事を考えるゼオスの前で答えを聞いた彼女は心底安心したように胸を撫で下ろし、その姿を不思議そうな表情でゼオスが眺めていると、ボサボサに伸びた草むらの上を子供が駆け、二人の側にまでやってきて騒ぎ始めた。
「…………」
「あらあら」
無論ゼオスに子供と遊んだ経験など一切なく、助けを求めるように彼女に視線を送ると、彼女は口元を抑えながら楽しそうに笑い、
「そうね、みんなごめんなさいね。私がお兄ちゃんを独占しちゃいけないわよね。日が暮れるまでの間だけだけど、みんなで遊びましょ」
「…………おい」
彼女はゼオスにとって思いもよらない答えを返し、彼は短いながらも確かな意思を込めた抗議を行うが、彼女はそれを無視してゼオスを交え子供たちの輪の中に入って行った。
「…………なるほどな。あの願いの真意はそういう事か」
そして今、彼女が口にした危機的状況は驚くほど早く蒼野の身に迫っていた。
自分を含めたメンバーは蒼野を除き身動きが取れない状況に追い込まれ、自分たちを人質に老人と会話をしている。
その内容は恐らく想像できる中では最悪の手合いである。
「…………貴女が言っていたのはこういうことか」
するとこの土壇場の状況に陥ることでゼオスは彼女が本当に伝えたかった事の意味を理解し、
「…………古賀蒼野。貴様は――――――――――――」
この土壇場の状況を動かすべく口を開いた。
「いてぇっ!」
真っ黒であった視界が晴れ、自身を縛っていた拘束が解けた事で腕が地面に叩きつけられた少年が短くそう呟く。
もしそれを目の前のクソ女に聞かれていたら、これから一ヶ月は小馬鹿にされる
そう思い彼はそちらに視線を向けるが彼女の視線は彼へは注がれておらず、彼の視線もそちらへと移って行き、
「あ……」
広がっている光景を見た瞬間――――――彼は全てを理解した。
オレはあいつに伝えたかった。
お前は間違っちゃいないと伝えたかった。
オレや優が本気で足掻いていたがそれで抜け出せる確証はなく、全員が確実に助かる道を選ぶなら、手段は『それ』しかなかったと言いきれた。
その結果、オレ達全員が助かることができたんだ。
何も間違っちゃいないんだ。
「…………………………泣くなよ蒼野」
だから――――――泣かないでほしいと切に願う。
後悔しないでほしい
自分を責めないでほしい
仲間を助けたんだから安堵して欲しい。喜んで欲しい。笑ってほしい。
「頼むから…………………………………………………………泣かないでくれ」
そんな様々な思いを込め、オレは膝を折り、項垂れたまま涙を流す蒼野にそう告げた。
――――――――――お前は俺達仲間を見捨てるのか?――――――――――
ゼオスが告げたその言葉が少年の耳に入った瞬間、赤い光が老人の腹部に吸いこまれる。
それにより老人の上半身と下半身は二つに分かれ、縁から徐々に粒子に還る。
「………………」
上半身が床に堕ち、下半身がバランスをとれなくなり車いすごと横に崩れる。
するとゼオスの視界がカラカラと音を立てる車輪で埋まり、次いで首を上へ向けると、天使が粒子となって快晴の空へと昇って行くのを確認した。
「…………古賀蒼野」
「し、仕方がなかったんだ!」
膝を付き、老人の吐いた血で汚れた床に掌を下ろす蒼野を前にゼオスが声をかけると、震えた声が返ってくる。
「だって……だって死んでたんだ! あのまま放って置いたら、優が! 康太が! 積が! お前が!」
「………」
「みんなが死んでたんだ!!!」
悲痛な叫びを吐きだし続ける蒼野に対し、同じ顔をした少年は何も言わない。
自身にとっては当たり前の事にしか思えない彼はかける言葉が思い浮かばず、ただ黙って彼の言葉に耳を傾ける。
「だったらやるしかないじゃないか! 皆を助けるために…………やるしかないじゃないか!!」
その後すぐにセミの鳴き声をかき消す程の大音量が周囲一帯に響きわたり、
「ク カ カ カ カ」
その声に応えるかのように彼の耳に声が聞こえる。
一目で誰が発したかがわかる、不快感を伴う嗤い声が聞こえてくる。
「ついにやったな古賀蒼野。貴様はついに…………人を殺したのだ」
声の主は千切れた断面から粒子へと分解されている老人で、口から血を吐きながらも床を掴む腕に力を込め、蒼野へと手を伸ばした。
「がっ!?」
すると彼の服の袖を掴み自分と同じ視点になるよう体を叩きつけ、口が裂ける勢いで顔を歪め、心底楽しそうに語り始める。
「さあよく見るがいい! これが人を殺すという事だ!!」
「ひっ!?」
痛みから反射的に顔を上げた蒼野が目にしたのは、肩から下を消滅させ、口と鼻から血を流す、死の瞬間がすぐ側にまで迫った老人の姿である。
「あ、ああ。ああああぁぁぁぁぁぁ!?」
老人が口から残っていた血を吐きだしながら手を伸ばし、自らの血で濡れた手で少年の頬に触れる。
すると彼の脳を鉄の臭いが支配し、心底から恐れていた結末が迫っているのを理解し、半狂乱の声をあげ始める。
「古賀蒼野! 貴様はついに我々と同じ土俵に立ったのだ!
人々の血が流れ続け、
悲鳴が上がり、
命を散らす。
その末に欲望を叶えるこの醜悪極まりない世界。無法者の楽園に、貴様はついに辿り着いたのだ!!」
脳が限界を超え、意識を保つのがやっとな状況にまで疲弊した蒼野の脳に、頭部のみとなったフロイム・オルステッドがなおも語りかけ、
「ようこそ古賀蒼野! 今日から貴様も――――――私たち(人殺し)の同類だ!!!」
そこまで告げたところで老人の口が消滅し、言葉が途切れる。
「あ………………………………………………………………………………………………………」
蒼野の双眸が消えゆく老人の顔を無気力に眺め続け、殺めてしまった男の最後の瞬間をしっかり捉える。
そこで彼が目にしたのは、黒い布が外れる事で晒されたこちらを見つめる二つの黒い孔であり、その光景と彼が最後に口にした言葉が、彼の脳裏に消えぬ光景として刻まれた。
「本当に………………仕方がなかったんだ」
天へと向け真っ赤な粒子と真っ白な粒子が昇って行く。
それを最後まで見届けた少年は消え入るような声でそう呟き、
「ハハ。はっはっは。はっはっはっはっは…………」
彼は血で染まった地面に顔を埋めると、あっけらかんとした様子で笑い始めた。
いくら流しても止まらぬ涙で地面を混ぜながら…………体を揺らし嗤い続けた
「蒼野」
季節は夏
セミの声が騒々しく鳴り響き、真っ青な空が人々の心を弾ませる、そんな季節
けれども彼らの心はそんな世界に反し沈んでいき、
数分後に突如降って来た土砂降りの雨に包まれた。
終幕 ????
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終幕 嗤う敗者
ここまでご閲覧いただきありがとうございます。
作者の宮田幸司です。
この話は二章という範囲で見た場合だとど真ん中部分になる話です。
しかし長い物語全体で見た場合、最初のターニングポイントとなる重要な話で、筆者としてはかなり力を込めて書ききったつもりです。
ここからはこの『ウルアーデ見聞録』全体が、大きく変動する事になると思いますが、これまで通り全力で書いていき、見ていただける皆さまに楽しんでいただければと思っているので、これからもご愛読いただければ幸いです。
それではまた明日、ぜひご覧ください




