第五幕 それは、日常的でありきたりな 一頁目
声をかけてきた存在を見て驚いた蒼野達だが、その驚きは普段のものとは一際違うものであった。
普段の驚きが突然の事態や想定外の行動を前に見せる『動揺』であるのに対し、今彼らが見せたのは『憐憫』の感情が多くを占める驚きであった。
「本当にお前が…………神教を恐怖のどん底に落としている………………パペットマスターの正体なのか?」
「そうだ。それともなんだ? 貴様達は姿形だけで相手を判断するのか?」
信じられないといった様子で話かける康太の問いを彼は肯定。
返す刀で問いを返すと、康太は思わず言葉に詰まった。
それほどまでに、目の前で錆びている車いすに座っている男の風貌は異様であった。
老人の肉体で第一に目に入るのは下半身の損傷で、両足は太もも半ばから先がなくなっている。
次に目に入るのは体の至る所が紫色に変色した肌であり、それを見れば目の前の存在が重い病を患っているのがすぐにわかった。
また目の前の老人の全身には肉という肉が削げ落ちており、全身に纏っている継ぎ接ぎだらけのぼろ布を加工したような上下の服と合わせて極めて貧相な印象を抱かせていた。
「ひどい……」
彼の顔に関して言えばさらに悲惨で、頬はこけ歯は大半が抜け落ちており、頭部には何か高熱のものを当てたかのような火傷跡が存在。極め付けは両目を覆うように巻かれた黒い布で、目が潰れているのは一目瞭然であった。
「「…………」」
康太や蒼野、それに積だけではない。
彼らと比べ様々な強者と戦いを繰り広げた優も、多くの人間を殺してきたゼオスもとある教えを思い浮かべる。
人形師と言うのは自分自身が最凶である必要はない。自らが使う人形が最凶であればそれで十分事足りるのである。
その大前提があるとしても考えずにはいられないのだ。
この男は自分たちに抵抗できるのか、と。
「ゼオス」
「……」
そんな疑念を払拭するように康太がゼオスに鉄のような固い声で話しかけ、それを聞いたゼオスは無言でうなずく。
目の前の存在の実力がどうであれ、この世界を混乱に貶めるパペットマスターの本体である事に変わりはない。
ならばそれだけで捕獲するには十分な理由なのだ。
ゆえに康太が懐にある二丁の拳銃に手を伸ばし、ゼオスが漆黒の剣の柄に触れる。
「「!?」」」
二人の指先に熱が生じ、それが自分たちに対する攻撃あると気がついたのはそれからすぐの事であり、彼らの額に嫌な汗が滲んだ。
「待ってくれ二人とも。俺はどうしてもこいつに聞きたいことがある」
「聞きたいことだと?」
一体何をされたのかわからず困惑する二人の空気を察知したのか、それとも自分の都合からか蒼野が二人の前に立ちふさがり、目の前の老人を見据えたまま二人に告げる。
「パペットマスター、あんたは言ってたよな。もし自分が負けるような事があれば、神教を目の敵にする『動機』を教えてくれるって」
「……古賀蒼野、貴様この土壇場で熱中症にでも襲われたのか? ことこの状況で、そんな事を聞く余裕があるとでも?」
ゼオスの指摘はごく自然なものだ。
神教が探し求めた仇敵が今目の前にいるのだ。ここで悠長に話している場合などではない。
戦う以外にもいくつか選択肢が存在するが、今蒼野が行おうとしていることが間違っているという事だけは、彼は自身を持って言いきれた。
「いや、確かに奴の憎悪の源流がどこにあるのかは気になる。奴に話す気さえあるのなら聞かせてもらおうじゃねぇか」
「…………古賀蒼野だけでなく貴様までそんな事を言いだすか古賀康太」
「黙ってろ。お前だって多少は気になるだろ。なら、黙って聞け」
蒼野に同意しながら頷く康太。
呆れた様子で言葉を返すゼオスであるが、そんな彼に対し康太は念話を飛ばす。
(現状俺達は奴が何をしでかしてるのかもわからねぇ。なら今は時間を稼いで奴の攻撃の正体を探るべきだ)
そう伝える康太が右腕を揺らすとゼオスの視線がそちらに向き、そこでゼオスは彼がどれだけの抵抗を繰り返し、そしてどれだけそれを阻まれてきたのかが理解できた。
(承知した)
ゼオスは一度攻撃を防がれた時点で奇襲をかけるのは諦めたゆえに指先が焼けただけで済んだのだが、その間も康太は必死の抵抗を繰り返しており、その結果彼の右手にある五本の指の先端は全て削り取られ、肉が焼ける嫌な臭いを発していた。
「確かに私は貴様らとそのような約束をした。だが忘れるな。そもそも我々は敵同士だ。そのような約束を守る義理はない」
深みと重み、なにより強い憎悪を兼ね備えた声に鋭さを付与し、突き放すように言いきる老人。
そう上手く物事は進まないか
そう考え自らの肉体が損傷することを覚悟して動こうとする康太だが、
「だが…………確かに約束は約束か。それにこの私の人としての最高傑作を破ったという褒美も兼ねて、少し昔話をするのもいいかもしれんな」
驚くべきことに彼は、蒼野の言葉を否定せず自らの過去を話すと少年少女に告げた。
「な、なに?」
「興が乗った、と言っているのだ。ゆえに語ってやろうとも。
死にかけの我が身を未だ動かす燃料となった、あの事件についてな」
そうして彼は語りだす、彼が神教で虐殺を行うようになったある事件、その顛末を。
「なにから語るべきか迷うところだがそうだな……この町の名を伝えよう。この町はな『アラマサ』という名であった」
「アラマサ……」
教会の砕けた壁から遠くを眺め、自らの過去を語りだす老人。蒼野がその名前を続けて呟くと、自然と視線はパペットマスターが見ている景色に向けられた。
周囲の建物の中では最も高いこの教会からは焼け焦げ崩れ落ちた町の全景が見渡せ、二大宗教を分かつ境界付近の町という事もあり、この場所はどこかジコンにも似た雰囲気を醸し出していた。
だからだろうか、蒼野は廃墟となったこの町を眺めると、胸を締め付けられる感覚に陥った。
「アラマサ、ね。俺たちの住んでるジコン同様、境界付近の田舎町ってところか。ここがアンタの出身地で間違いないか?」
「のどかで落ち着く素晴らしい町といってほしいものだな。今は見る影もないがね。そして後の質問に対しての答えだが、そうだ……私はここに住んでいた。名をフロイム・オルステッドという」
「……何だと?」
康太の問いに対し返された返事にゼオスが声をあげる。
ここまで姿を一向に現さなかったパペットマスター。その本名は彼が最も隠さなければならない情報のはずだ。
無論こちらを殺す気で戦いに挑むからこそ提示した情報なのであろうが、それでもここまで容易くそれを口にするとは思ってもいなかったのだ。
「フロイム……」
「オルステッド!」
「マ、マジか。冗談じゃ………………ないんだよな?」
その一方優とゼオスを除いた三人からすればその名前はあまりに衝撃的であり、ここが戦場である事も一瞬忘れ、身を硬直してうわごとのように聞き返した。
ある程度とはいえごくありふれた子供時代を過ごしてきた彼らからすれば、フロイム・オルステッドの名は聞き覚えのある名前である。
彼の書いた絵本を読んだことがあるのはもちろんの事、テレビ越しの読み聞かせでは本人の姿を見たことだってある。
その人物と目の前の人外染みた姿の死にかけの老人の姿は、どれだけ必死になっても重ならなかった。
「フロイム・オルステッドの名前は知っている。あんたが本人だっていうのなら…………これから話すのはそんな姿になるきっかけになった事件ってことか…………」
だが目の前の人物が嘘を言っているようにはどうしても思えず、結果として蒼野はそれを事実として受け入れ、パペットマスターを…………いやフロイム・オルステッドをまっすぐに見据える。
「…………フ」
盲目ゆえにその姿を確認することができない老人は、しかしそんな事を感じさせない所作で、
「…………裏切りだ。この世で決して許されてはならない裏切りが起こったのだ」
なおも変わらず、いやより一層重い声色で物語の続きを紡ぎ始めた。
「ことの始まりは至ってシンプル。どこにでもあるありふれた話だ。ある時賢教の連中が境界超えてきた。そして暴れた」
彼に身に舞い降りた悲劇。その始まりは確かにこの世界に住んでいれば多かれ少なかれ耳にする話であった。
「正規の方法でこちらに来た連中であったようだが、どうやら最初から神教側で暴れる予定だったのだろう。彼らは神教内部で仲間達と合流し、付近の町を襲撃し始めた」
「それで……それからどうなったんだ?」
待っているであろう最悪の結末を予期し、震える声で尋ねる積。
「この一件に対し神の座イグドラシルの行動は迅速であった。なにせ、この暴動が始まった十分後には私たちの町にまで警備が行き届いたんだからな」
「え?」
「それじゃあこの件は……」
「あっけないものよ。神教の境界周辺で暴れまわっていた者共は、瞬く間に捕まっていったのだ」
話を聞いていた五人全員が疑問符を頭に浮かべた。
「なんだなんだ! それじゃあ何事もなくめでたしめでたしでいいじゃねぇか。一体どういう事だパペットマスター?」
「そう焦るな。焦ったところで結論は出ない。が、まあそうだな。私の場合常日頃の癖でどうしても話の内容が冗長になってしまうようでな。結論から言わせてもらうと、神の座はここでミスをした」
「ミスだと? 千年の平和を作りだした神の座イグドラシルが、一体どんなミスをしたって言うんだ?」
「単純な事だ。神の座イグドラシルは敵戦力の分析を誤った。そしてその結果、襲ってきた危機を退けられなかった」
「なんだって!?」
神の座とて人間だ。仕事をしていれば様々な大小様々なミスはあるだろう。
しかしそのミスだけは、子供たちはどうしても想像することができなかった。
境界によって完全に分断されたとはいえ、二大宗教の衝突は日々繰り返されている事だ。となれば神の座イグドラシルがその問題に対応する機会も自然と増えていく。
その経験が千年間蓄積されているのだ。そんな初歩的なミスをするとはどうにも思えない。
「当たり前だがそうなった経緯までは私にはわからん。だが私のこの姿を見れば嘘をついていないことなどわかるはずだ」
しかし、蒼野達がどれだけ必死に訴えようと目の前でいつ死んでもおかしく姿を見せる老人の存在は消すことができず、この町の惨状がなくなるわけではない。
「それでお前は神の座を恨むのか。自分たちを助けられなかった奴に対する怒りで……神の座を恨むのか」
蒼野のその問いに対し、パペットマスターは首を横に振った。
「いいや違うな。私はそのような理由で神の座を恨んでいない」
「どういう事だ?」
「簡単なことだ。この物語はまだ終わっていない。本当の地獄は、これからやってくるのだ」
そう語る彼の声には深い悲しみが宿っており、蒼野は当然の事、康太やゼオスまで耳を傾け続きを待った。
そして彼らはその中で、思いもよらない事実を知ることとなる。
ここまでご閲覧いただきありがとうございます。
作者の宮田幸司です。
最後の戦いに向かう前の過去話。以前お話していたこの人形師の動機となる部分です。
この話は次回で終了。というより半ばで終わり、その後戦闘開始の予定です。
全体的には、そう長くはならないはずです。
それはそうと、作品を作る過程でキャラクターの声なども思い浮かべたりするんですけど、
パペットマスターやミレニアムも思い浮かべたりします。
で、この老人の場合誰かという話なんですが、
デジモンアドベンチャーという作品のラスボスで思い浮かべてます。
あの憎悪マシマシな声が、大好きなんですよね自分。
それではまた明日、ぜひご覧ください




