男はそうして幕を閉じる
ゼル・ラディオスが発した言葉に辺りの空気が凍りつく。
呆然とした様子で立ちつくす積に、フラフラとした足取りで立ち上がる蒼野。そして立ち上がろうとするが未だ先程までのダメージが原因で動けぬ康太。
彼らは顔に出すか出さないかの違いはあれど、皆が焦燥感に駆られていた。
「何を言ってるんだ西本部長殿。あの境界を、オレらみたいな若造が無断で渡れるわけが」
「黙れ」
ゼル・ラディオスが振り下ろした右腕に従い銃口を三人に向ける憲兵達を見て、口を開いていた康太の顔が歪む。
それ以上何かを口にするのは、自身の寿命を縮めるのみだと判断する。
「くそ!」
想定していなかったわけではない。しかしそれでも最大限注意をしながら二日間を過ごしてきた康太からすれば、今この状況に陥った理由がわからない。
初日の一件を除き蒼野に失態はなく、犬っころがこれをやるメリットも一切ない。というよりも今まさに銃口を突きつけられている状態だ。
「まさか」
疑惑の目を自分を脇に抱えた積へと向けるが、すぐさまそれはないと否定する。
サングラスをかけているため詳しく表情を見る事はできないが、顔中に流れている滝のような汗に、自分たちを持つ手の異様な震えを見れば、これが彼の策ではない事は一目瞭然だ。
「まさかとは思ったが本当だとはな。あの匿名の情報に感謝せねばな」
「匿名の情報?」
息も絶え絶えな状態で聞き返す蒼野の右肩に、銃弾が撃ち込まれる。意識を保つことが精いっぱいの蒼野にそれを返すだけの余力など残っているはずもなく、銃弾は少年の体を容易く貫通した。
「蒼野!」
「ふん、ゴミ虫が。まさか私の領土に許可証もなくノコノコ入ってくるとは思わなかったよ」
痛みに悶える蒼野を見る視線は人に向けられる物ではない。まるでゴミを見るような目をしたその男の姿に、蒼野達は反射的に唾を飲む。
「え、それじゃあ許可証を持ってる俺は助けられるはずじゃ」
「不法侵入者共と行動し、挙句の果てに町長を殺した犯罪者を活かしておけると?」
「昨日の友は今日の敵ってか。いや元々味方になるほど良好な関係とは思ってなかったが。それにしても、町長殺しの罪を被せて殺しにかかるとは思ってなかったぞ!」
「り、理不尽すぎるだろ!」
ここまで来た、ここまで来たのだ。
あの怪物から逃れるため力を尽くし、やっとの思いでここまで来たのだ。
あと一歩、あと一歩なのだ。
目の前にいる男を超える事ができれば彼らは無事に帰ることができる。
そこまでわかっているというのに、その一歩が果てしなく遠い。
見たところ目の前の男は狂戦士ほど強くはないと見定める康太だが、それでも満身創痍の今の状況はおろか、全力を出し切れる状況でもこの軍勢を前にして生き残ることは不可能だとも判断する。
「お前ら……動けるか」
「ああ。まだいける」
だがだからといって、誰一人として諦めたりせず各々が得物を取りだし目の前の相手を睨みつける。
「ふん。総員、迎撃準備」
「いくぞ、お前ら」
勝算は限りなくゼロに近い。だが生き残るために抵抗をしようと腹を括ったその瞬間、
「こんばんは、西本部長」
聞き覚えのあるその声に蒼野達だけでなく、ゼル・ラディオスでさえ動きが止まり、声に反応した全員の視線が、堤防を抜けた先にある町の入口に注がれる。
「私の友人に何か用かな?」
続けて無数の視線が注がれる中、その男は蒼野達を見てそう言った。
この一日は、彼らに取って本当に濃厚な一日だった。
『ラウメン』を標的とみなし追い続け捕まえたと思えば名も知らぬ狂戦士に命を狙われ、逃げ延びるために利用したゼル・ラディオスに命を狙われている。
彼らにとってこの上なくひどい一日であろうことは考えるまでもない。
その状況で男は現れた。
茶色の短髪に真っ黒な礼服。隣に控える執事らしき人物が抱えるカウボーイハット。
その男の名前を、彼らは知っている。
『ラウメン』がいた。狂戦士がいた。ゼル・ラディオスがいた。
蒼野が、康太が、優が、積が、それらに立ち向かったが、物語が終わることはなかった。
そんな状況で舞台に立つ最後の一人は、康太ですら予想だにしなかった最後のピース。
長い一日に終止符を打つため、男は物語が進み続ける壇上に立つ。
男の発した言葉に瞬時に反応する者はいなかった。ある者はその存在の出現に硬直し、ある者はその存在の出現に驚きを隠せず口を開きかけたまま動かない。
例外なく当てはまるのは、全員が全員、その男の出現に驚いているという事だ。
「これはこれは……フォン家の御曹司様ではないですか。何か御用ですかな?」
そんな中、最初に口を開いたのはゼル・ラディオスだ。優雅なお辞儀を行い目の前のゲイルに恭しい態度を取ると、穏やかな笑みを浮かべゲイルに問う。
最も、内心が浮き彫りになったその笑顔は相手に親近感を与える物ではなく、背筋を凍らせるようなものであったのだが。
「今言った通りだよ西本部長。私の大切な客人に、何の用だと聞いているんだ」
そんな様子で話しかけてもなお一切慌てないゲイル・U・フォンの言葉に、ゼル・ラディオスの眉が僅かに上がる。
「私はこの町にある、指定保護区域に認定されている小島に現れた外敵を粛清しようとしていたのです。彼らは悪人とはいえこの町の町長を見るも無残な姿に変え、加えて世界観光遺産の一つである『一踏の湖』の領域を荒らした。それを見逃す事はできません」
わかってはいたことだが西本部長ゼル・ラディオスの抱える神教に対する敵意は異常だ。今回の事件の真犯人をすり変え、その罪で自分たちを殺そうと躍起になっている。
「私は連れてきた友人の性格をとてもよく知っている。彼らがそんな事をするはずがないと思っているのだが……私用の衛星で様子を見てみますか」
ゲイルの言葉にゼル・ラディオスが動揺する。
そんな様子を知ってか知らずか、ゲイルがその場にいる全員に見えるよう巨大なモニターを虚空に浮かばせると、とある映像を再生させる。
その映像は、今夜の戦いの一部始終が収められた映像だ。『ラウメン』を追いかける映像から始まり、狂戦士が現れ、辺り一面を破壊していく様子などが映された。
「はて?」
それを見て、顎に手をやり不思議なことこの上ないと言うように声をあげるゲイル。
「私の友人はこの町のために働き、小島の件に関してはむしろ被害者のように映りますが、気のせいですかな西本部長?」
ゲイルの煽るような物言いを前に、西本部長の顔が途端に強張る。額には青筋がいくつも立ち、目を大きく見開き瞳孔が開いたその様子は、いつ怒りの叫びをあげてもおかしくないほどのものであった。
「加えて、あなたは賢教に不法侵入だしたと言ったが、彼らは貴族衆ゲイル・U・フォンが招待した客人だ。不法侵入者等ではない。それとも西本部長殿は私の言葉を信じられぬと?」
病的なほど白い肌がみるみる赤くなり、怒りを必死にこらえているのがわかる。
この状況を覆せる何かがないかを必死に探っているのが、部下たちのような気ごころの知れたものでもない蒼野達でも良く分かる。
没落貴族のクソガキが!
心中で吐き捨てるように言うその言葉を、しかし口に出す事はせず、必死に頭を働かせ目の前の『貴族衆』という壁を乗り越えようとするゼル・ラディオス。
「あ、さっきのお兄ちゃん!」
その時、緊張の瞬間が連続で起こる空間に突如明るい声が響く。
先程のゲイルの声と違い、聞き覚えのない声にゼル・ラディオスに康太、ゲイルが視線を向け、それに続いて残る面々も視線を声の方に注いでいく。
そこにいたのは一組の家族。
未だ朝日が昇らぬ中、漁に出かけようとするただの一般人であった。
「康太、あの子が持ってる猫」
「…………ああ、あの事故未遂の時のガキか」
お兄ちゃんという言葉に一瞬誰のことを指しているのかわからなかった一行だが、少女が連れる青白い光を放つ猫を見て、康太と積がその正体に気が付いた。
「さっきはありがとうございました!」
まだ幼い少女がこの状況を理解できるはずもなく、なんの警戒心もなく近づき頭を下げる。この状況で行われた思いもよらぬ行為に虚を突かれ、真顔で黙り込んでしまう康太。
「お安い御用だ。だけど、次は気を付けろよ」
しかし気を取り直し頭を撫でながらそれだけ言うと、少女は小走りで親の方へと行く。
「…………連れて行け、ゲイル・U・フォン」
そうして弛緩した空気が周囲を満たす中、突如つぶやかれた言葉に蒼野達一行が視線を向ける。
「私が治める領土の恩人を無碍にはできん。加えて、聞けば今回の件はこちらに落ち度があったようだ。ならばこれ以上の争いは不要だ…………さっさと連れて行け」
未だに蒼野達を認めてはいない、神教に対する嫌悪を込めた声。
それでも賢教をこよなく愛する彼は、自らの大切な民を守った彼らを、断腸の思いで逃がす事を選んだ。
「そうかい。そんじゃま、お暇させてもらうとするよ」
ゲイルに続き優が出て行き、それに続いて蒼野と康太が積に肩を借り半ば引きずられる様子で町の入口へと向け歩いていく。
「通してくれてありがとうな、ゼル・ラディオス」
そうしてすれ違いざま感謝の意を込めて言った蒼野の言葉を、
「早くいけ、私の気が変わらん内にな」
吐き捨てるかの如き勢いで言い返し、睨みつける。それでも男は攻撃することなく彼らを通した。
そうして、彼らはウークから脱出した。
ここまでご閲覧いただきありがとうございます。
作者の宮田幸司です。
これにてウークでの騒動は終了。彼らは帰路に着く、な一話です。
この話をもって序章の山場は終わり、あとは神教に帰還を残すのみとなります。
彼らのその後の話についても、その時に。
毎度の事ですが、よければブックマークや評価、よろしくお願いします。




