尾羽優、変態を追う 二頁目
「ア――――――ハッハッハッハッハッハ!」
建物から建物へと移っていく彼の行く先に、数日前までいた敵意ある者の姿はない。あるのは真下から送られてくる無数の視線だけだ。
込められた思いは賛否両論。
賛辞や賞賛を送るかのような好意の視線や、侮蔑や敵意を込められた悪意ある視線。清濁を併せ持ったそれらの視線が彼の身に突き刺さり、その視線を浴びた彼は悦に浸るように笑い声をあげる。
そして視線に応えるかのように背負う袋から女性物の下着の数々を投げ捨て、更なる歓声に身を震わせる。
「風刃・一閃!」
それを遮り、袋を切り裂き落とすのは、空から降ってくる一人の少年。
真っ二つに破れた袋からは大量の女性物の下着が溢れ、はじけ飛ぶ様子を目にした人々が更なる歓声と悲鳴でそれを迎え入れる。
「こんにちは『ラウメン』」
レンガ造りの屋根の上に降り立った少女が、様々な声が混じった地上の叫びを掻き消すような凛とした声で彼に語りかける。
彼が立つ建物の屋上を挟むように現れたのは徒手空拳の少女・尾羽優に剣を構えた少年・古賀蒼野。
「女の敵たるあんたを血祭にあげに来たわ。覚悟なさい!」
前に立つ少女が獰猛な笑みを浮かべ、拳を鳴らしながら彼を指差しそう宣言し、
「いや血祭はちょっと。もうちょっとこう……穏便に話を済ませる道をだな」
背後の少年が少女の言葉に異論を挟みながらも彼へと近づいてきたところで、
「フ――――――――ハ――――――――!!」
口から炎が吐き出し、辺りを燃やす。
「ちっ!」
「ハ――――ハッハッハ!」
「追うわよ!」
二人が怯んだ隙を見て走り出す男に、怒声を上げ追いかける優と蒼野。
夜の町を舞台に、少年少女の追走劇が始まった。
「動き出した。行くぞ」
空を覆う炎が天を照らし、地上で待機していた康太に事態が動いた事を告げる。
彼は後ろにいる積に声をかけながら銃に手をかけ、臨戦態勢を取り動きだすが、返事がない事に違和感を覚え、背後を振り返る。
「…………何してんのお前」
振り返った時、そんな疑問が自然と漏れた。
康太と共に待機していた積であったが、康太の言葉に答えず何をしていたか言えば、辺りをキョロキョロと見渡し、何かを探しているような様子を見せていた。
「あ、いや……捕まえて警察に突き出す前に、今の内に宝物を回収しとこうと」
「…………」
「ちょ! わかった! わかったから! 些細な事で銃を向けるな! 怖いから!」
言葉と共に顎下につきつけられる銃口に、冗談であるとわかりながらも顔が引きつる。
「てかお前ら仲悪そうだったじゃん。それでも手伝うんだな」
何とかこの状況を打開しなければと思い積が言った事に対し康太が銃を下げ、舌打ちをしながら背を向け歩き出した。
「仲の悪さは関係ねぇんだよ」
「へ?」
「個人の感情なんて関係ねぇ。実際に協力することになっちまったんだ。なら、その点に関しては全力を尽くすのは当たり前だろ」
積の言葉には心底同意できる。
だがしかし作戦の出来自体はよくできたものであり、なおかつ両者が別々に行動するように配慮されたこの計画を見せられ、蒼野も参加するとなれば流石に文句は言えない。
「西本部!」
「さて、最初の関門だ」
路地裏を出て、駆ける二人の前に見知った服装をした兵士の姿が目に入る。
その姿を前に二人は胸中で嫌な感覚を覚えるが、決して顔には出さず、無言で走り続ける。
優が作った計画書には様々な事柄が書かれており、その中には無論西本部の動向についても説明されていたが、書いてあった文章に一同は目が点になっていた。
「うわ、これだけ警護の兵がいるのに動かないって、なんか怖いな」
「黙って走れ。奴らから見たら俺達は『ラウメン』を捕まえるためのデータの一部だ。変に関心を持たれても困るぞ」
その答えは何もしない。
『この町に来てる西本部の奴らは明日まで『ラウメン』の討伐に出向かないわ』
最初これを聞いた時耳を疑った康太だったが、その理由が確実に捕まえるための準備だと聞かされれば、プライドの高い西本部長らしいとすぐに納得した。
なんせ、世界の四分の一を統治する本人が、たかだか盗人一人捕まえるために動いているのだ。
捕まえられなければ、これまでの比ではない程の批判を受けることになる。そうならないために西本部長も必死なのだ。
「距離を縮め始めたぞあの二人!」
「となると、こっからが本番か。気合い入れるぞ!」
石造りの道を人を避けながら走り、水路を飛び越え空を見上げれば、僅かずつだが確実に距離を詰めていく優と蒼野の姿がはっきりと見える。
「いいペースだな。これ、もしかするともしかするんじゃないか?」
「何言ってやがる。蒼野もあのクソ犬も逃がすことなんざ考えちゃいねぇよ。んな事言ってる暇があるなら、気を引き締めろ。俺らのミスで取り逃したらシャレにならんぞ」
それを見ながら、康太と積はただただ勝機を探る。
「追いついたぞ!」
追走劇が始まって5分が過ぎ、風の属性によって自らの速度を飛躍的に上昇させた蒼野が、ビルなどの屋上を足場に標的に迫り手の届く位置にまで近づいていた。
「フハ!」
「っ!?」
獲物へと向け手を伸ばすのと同時に、男の口から火球が撃ちだされる。
それらは追いかけ続ける二人から外れ、真下にある民家や道路、水路を走る自動車に向け飛んで行くが、優が水の壁を上空に作り出し、一つ残さず掻き消していく。
「優!」
「落ち着いて、これは予定通りの展開でしょ」
追い詰められたら町に被害を加える攻撃で時間を稼ぐ。それが優が調べた結果わかった目の前の男のやり口だが、その状況に陥った場合の対処法もしっかりと考えられていた。
この一ヶ月間、『ラウメン』を捕まえられなかった理由の大半は自滅だ。状況の変化が起こった際、大勢の人間が一度に様々な行動を取ることでパニックになり、どこか一ヶ所が崩れた隙を見て逃げ延びる。
今回の優の作戦ではその状況に陥った時の対応策についてもしっかりと書かれている。
「背後は任せなさい。アンタは、あいつを捕まえる事だけ考えて!」
基本的な作戦は放たれた物を全て優が迎撃するというシンプルな構造だ。
『ラウメン』を追う大多数が町に放たれる炎に対して別々の行動を起こす事で衝突し二次災害を起こす場合と比べ、一人が全ての攻撃に対応することは突発的なアクシデントを抑える効果が期待できる。
無論一人だけで全て抑えきるのはうまくいかない場合もあり、その場合地上から追跡する康太と積が、対象に存在を悟られないよう注意しながら防御をする。
「……分かった。任せるぞ!」
手が届く範囲にいる人々の命を守りたい。
その思いを胸に秘める蒼野からすれば、追うだけという状況は落ち着かないが、背後を走る少女と地上で待機している仲間達を信じ前へ出る。
「一発逃がした!」
「あれはまずいぞ!!」
優の横をすり抜け、特大サイズの炎の塊が地上へと落下。
炎弾の落ちた先にあった走行中の大型トラックが、炎に包まれパニックに陥り、道路から外れ歩道へと向かって進んでいく。
「やべぇ逃げろ!」
積の声に反応しトラックの進行方向にいた人々がその場を離れるが、それでも全員が無事に逃げおおせたわけではない。
端の方で青白い光を放つ仔猫と一緒にいた少女は、トラックが迫ってきている事に気づかず、夢中で仔猫と遊び続けていた。
「え?」
少女がトラックの存在に気が付いたのは仔猫が足早にその場を去り、振り返った瞬間だ。
大きく目を見開き金縛りにあったように動けなくなった少女の体は、
「たくっ、こんな時間に親が子を放っておくなっての!」
危険を一早く察知し動きだしていた康太によってすでに引っ張られていた。
「積!」
「お、おお!」
弧を描くような軌道で投げ飛ばす康太にそれを細心の注意をはらい、衝撃をあまり与えぬよう受け止める積。
「おまっ、早く逃げろって!」
それがうまくいき安心したのも束の間、目と鼻の先に迫る物体に対し引かない康太を見て積が声をあげる。
「いや、大丈夫だ」
しかし当の本人は普段と変わらぬ冷静さで前輪右側のタイヤを鋼属性の銃弾で打ち抜き、トラックのバランスを崩すと、間髪入れず三発の銃弾を撃ちこんでいく。
打ち出した銃弾は風属性。敵を貫くことではなく、吹きとばす事に特化した銃弾。
康太の早撃ちによって銃声一回につき五度放たれたそれは、倒れてくる大型車を支え元の安定感を取り戻す。
「もう1人!」
その後止まることなく走りだした康太が未だ燃え続けるトラックの中へと飛びこみ、急な事態を前にパニックになっている男性を抱え飛びだした。
「お、おお。すげぇなお前」
「荒事には慣れてるもんでな。この程度の事なら、何とかなる」
そう話しているうちに、周りを拍手の音が支配する。
見渡せば付近の人々が感心した様子で康太を見て賛辞を送っている。
「やべ、逃げるぞ」
とその時、辺りを見回した康太が表情を苦いものに変え、切羽詰まった声をあげ走り出す。
「え、なに? お前シャイボーイ?」
「んなアホなことで逃げるか。こっちにあの野郎が来てんだよ」
そう言いながら指を指した先にいたのは、拍手の音を聞きつけ現れた数人の兵士そしてその後ろで待ち構えているのは、彼らが今最も関わりたくない存在だ。
「ゼル・ラディオスか!」
その男の名を口に出し、積が身震いする。
賢教を心から愛し、神教を心から憎む、『賢温神寒』を掲げる根っからの賢教至上主義者。もし見つかり神教からの観光者だとばれてしまえば、事態はよからぬ方向へ転がっていくだろう。
「逃げよう、今すぐ逃げよう。この世の果てまで逃げよう!」
積が背負っていた少女をゆっくりと地面に下ろし、二人がその場を離れるよう走り始めたその時、ポツリと、康太の鼻先に何かが当たる。
「来たか」
空を見上げれば、次第に増していくその勢い。
康太のみでなくこの町に住む全ての住民に平等に降り注ぐ自然現象。町の人々が非難の声をあげるのを傍目に、訪れた好機に康太は笑う。
――――雨が降り始めた――――
「ここまでよ、おとなしく投降しなさい」
『ラウメン』の浅黒く焼けた肌を大量の雨が襲い、尾羽優の光を反射する程の鮮やかさを持った黄金の長髪を水滴が伝う。
街全体に降り注ぐ雨は『一踏の湖』の前で追い詰められている『ラウメン』にも蒼野にも優にも、等しく降り注いでいた。
「ヌ、ヌヌヌヌ!!」
笑顔が消え、その表情に張り付くのは憤怒の感情。拳を握り、歯を食いしばるその姿を優が満足げな表情で眺める。
炎属性は攻撃力に特化した属性の一つだ。
気体・液体・固体のどれで使っても圧倒的な攻撃力を持ち、それら全てが他の属性にはない特徴である『熱』を持っており、火傷の状態異常を引き起こすその力は攻撃の要となる属性にふさわしい。
だが今この状況において、炎属性は大きな弱点を露見していた。
「この雨じゃ思うように炎属性は使えないはずだ。大人しく投降しろ」
雨が降り、大気中に宿っていた炎の属性粒子が消えていく。
空の雲から地面まで、この世界に存在する全てのものは粒子で形づくられているのだが、大気中に存在する炎の属性粒子は雨や雪に弱く存在できにくい。
そのため雨が降り、力を得た水属性の相手との戦いは、相性の悪さもあり苦戦を強いられる場合が多い。
『ラウメン』が振り返れば、貯水量が増し風に煽られ荒れる湖の水目に映る。逃げる算段をたてようと前後左右どこを見ても二人の意識を向けられるようなものは存在しない。
「それとも何? この状況でまだ足掻くのかしら?」
目の前の男が一ヶ月間逃げおおせた理由の一つに、町の道を熟知し自分にとって有利な状況で戦い続けていたことが理由にあげられる。
だからこそ優は地上へと降ろさせることはさせず、捕まえるより追い詰める道を選んだ。
徹底的に相手にとって不利になる展開を構築し、その結果この追走劇を見る者がいたのなら全員が納得するであろう、王手をかけた状況を形成した。
「…………」
その時ふと、蒼野が考える。
この町の様々な場所に熟知し逃げおおせたこの存在の正体。それはもしかしたら自分たちにとって思いもよらないような意外な存在ではないか?
疑惑を胸に視線を向けると、男の表情を見て絶句した。
その表情に感情は宿っておらず、張り付いていた笑顔も、怒りを訴えかける表情も消え、まるで人形のような無表情を見せている。
「こいつは一体?」
蒼野の心の奥に宿った違和感。それの正体を知る間もなく、男は走りだし優が追いかける
蒼野の疑問の答えが出るのを待つまでもなく、追走劇は佳境を迎えた。
ここまでご閲覧いただきありがとうございます。
作者の宮田幸司です。
さて、今回の話にて零時更新は終了となります。
次回は本日18時から20時の間、それ以降も同様の時間の間にあげるので、よろしくお願いします。




