災禍のしるべ 一頁目
木製のドアが荒い音を立てながら開かれる。
ここ最近開くことがなかったその扉は周囲に埃を飛び散らし、入ってきた男がそれを鬱陶しそうに払いながら中へと進んでいく。
一歩、二歩、三歩
男が進む度に男の周囲にあったロウソクに淡い光が灯り、足早に歩くこと数十歩、彼は誰もいない古びた机の前にまで辿りつく。
「ヘイマスタ! あんたが紹介してくれた人物、仕事に失敗しやがったぞ!」
周囲を見渡し、先を照らさぬ闇の奥には誰もいないことを確認し、低くドスの聞いた怒声が男の口から発せられる。
その声はどれだけの広さを持つかもわからぬ部屋全体に不気味なほど木霊し、怪物の嘆きのような聞くに耐えない声色に変化し男の耳に帰って来た。
「おい! 聞いてんのか! さっさと姿を現せ!」
胸を支配する不安感を拭い去るため、先程と比べ更に大きな声をあげる男であるが、様々なところに木霊し返ってきた声は彼の耳から体内に侵入し彼の全身を駆け巡り、耐えきれないほどの不安感が身を襲う。
もしや本当にいないのでは?
彼がこの場所に実際に来たのは今回を合わせてもたったの三回だけだ。
普段はここまで言えば出てくるはずが一向に出てこない事実を前にそんな考えが脳裏をよぎり、弱気になっていたのもありすぐに来た道を戻ろうと回れ右をして一歩前に足を出す声の主。
「やって来るなりわめきたてるとは。嫌いな和食でも食べたのか?」
男なのか女なのかもわからない、機械を通した不快な声が無人であったはずの机から発せられたのはその時だ。
その存在は頭部から足のつま先まで全身を全て黒い布ですっぽり覆い、顔を角が生えたよく分からない生物の骨で隠し、男に一切察知されることなく、いつの間にか机の向こう側にある椅子に座っていた。
「…………あんな味気ない飯なんぞ、頼まれたって食わねぇよ。んでミーが起こっている理由はさっき言った通りだ。この結果の落とし前をどうつける?」
突然の出現に肩を僅かに上下させた男だが、対峙するべき存在が姿を現したことで気持ちを持ちなおし、最初同様ドスの効いた声でそう口にすると、対峙する存在は抑揚というものが感じられない声で、答えを返す。
「ご期待に添えずに申し訳ない。しかし彼も人間だ。いかにこの道のエキスパートとはいえ、失敗もありえる…………それは事前に話したはずだが?」
「あぁ?」
その誠意というものが一切感じられない目の前の存在の答えに男の怒りが溜まっていく。
勢いに任せ目の前の男を殴りたい気持ちが全身を駆け巡るのだが必死に抑え、平静を装いながら再度口を開き、
「失敗をすれば責任を取らなければならねぇ。お前さんの役割からしたらこれは当然のことのはずだ。となりゃ、失敗したお前は可能な限り俺の望みを叶える必要がある。違うか?」
「何が言いたいのかね?」
「邪魔な奴らを殺すためにもう一度力を貸せ。この俺の今から言う依頼をタダで受けろ」
そう告げると同時に、彼は不気味な存在の頭部に人差し指を向け、命令を下す。
「残念だがその望みは叶えられない」
「なら二人目を無料で差し出せ」
「その望みも叶えられない」
次いで出した注文に対しても男の目の前で鎮座している存在は抑揚のない声でそう返事を行い、その返答を聞いた男は勢いよく殴りかかる。
「テメェはふざけてんのか! この俺を誰だと思ってやがる! 俺が本気になればテメェはおしまいなんだ。ハイハイと言う事聞いときゃいいんだよ!!」
怒声をあげながら、上下左右に揺れる首をサングラス越しに凝視する声の主。
その勢いを殺さず彼は目の前の存在の襟を掴み持ちあげるのだが、
ゴトン!
重苦しい音を発しながら、目の前の存在の頭部が男が目にしている前で地面へと転がり落ちた。
「ど、どうなってやがる!?」
その瞬間、頭を支配していた怒りが急速に冷えていき、自らが怒りに任せて行った行為の思いもよらぬ結果を前に、声が震え恐怖からか体が動かなくなる。
「君の怒りはよく分かった」
混乱の極みながらもどうするべきかと考える男の背後に全く同じ姿の存在が現れたのは、それからすぐの事であった。
「そして語る理についてもある程度納得できる面もある」
唖然とする男を一瞥すると謎の存在は足元に落ちている首を拾い、そのままゆっくりと机の向かい側まで歩いて行くと、地面に倒れた自身の体を引きずりながらどこまでも続く闇の如き空間の奥へ移動。
ほぼ同時に古びた机の前に全く同じ存在が出現した。
「彼らの仕事の重要性から無料というわけにはいかないが、せめてもの詫びだ。君がこれから話す依頼は半額で受けさせてもらおう」
「そ、そうか。そりゃ助かる」
そんな中どこからともなく聞こえてきたその答えは、彼が望んでいたものであった。
仕事の内容や機密性から、元々無料という提案は蹴られるとはわかっていた。
それゆえ様々な手段を用い、最終的には半額までおとせればよいと考えての行動であったため、告げられた結論はまさに彼の思い描いた通りの、理想的な結果だ。
だというのに、彼の胸中を満たすのは底のない恐怖心、ここから生きて帰れるのだろうかという疑問。
この時になり彼はようやくしっかりと認識したのだ。
自分は、得体の知れない怪物の口の中に居るのだと。
「さあ」
「選びたまえ」
無数の蝋燭の奥から、同じ顔に服装、そして声をした人物が現れると、彼が何かするよりも早く彼を囲い、幽鬼のような声を出すと、肉が一切付いていない白骨化した腕を伸ばす。
その光景を前にして男は身を竦ませ短い悲鳴を上げるのだが、伸びて来た手は男の体の前で静止し、所属している面々の写真を彼の前で開き、その状態で物音や呼吸音させ立てずに静止。
品定めするような目で、中心にいる哀れな子羊を眺めていた。
「く…………!」
そのあまりに常識外れかつ恐ろしい光景に、男の体が恐怖で縛られ額に冷や汗が流れる。
「クソッタレ共め!」
がこのままではまずいと感じた男が怖れを吹き飛ばす様に声をあげ、無理矢理気持ちを昂らせながら差し出された写真の中から一枚を奪い取り確認。書いてある内容が気にいらずバラバラに千切り地面に叩きつける。
そんな事を自らを囲う不気味な存在を前に幾度となく繰り返し、二十枚以上の写真を破り、新しい資料に目を通した所でその動きがピタリと止まる。
「こいつだ。こいつにする」
先程までの激情が姿を隠し、理知的で聡明な声が男の口から溢れると、無数にいた謎の存在も机に肘かけているものを残し闇の奥へと消失。
「人を見る目はしっかりと養われているようだな」
「馬鹿にしてんのか?」
「いいや、賞賛している。彼は素晴らしい暗殺者だからね」
その後告げられた言葉に再び苛立ちが募るが後の賞賛を聞きぐっとこらえ、心の奥底で噴火を待つ火山のように怒りを蓄積させる。
「それで………………誰を殺したい?」
「…………」
が、そんな気持ちは目の前にいる正体不明の怪物の声を聞くだけで瞬時に消え去ってしまう。
目の前の存在に唯一感情というものが込められる瞬間、それがこの瞬間だ。
人を引きつける怪しい誘惑と審判を下す神の如き厳かな空気を同居させたかのような怪物の感情の籠った声を前に、彼はここに来て注文をする度に思うのだ。
本当にこの存在に頼ることは間違っていないのだろうか?
「…………ギルド『ウォーグレン』というところに所属している奴らを殺せ。邪魔だ」
そんな女々しい感情を吐き捨て、彼は忌むべき存在の名を宣言。
「了解した」
すると返ってくるのは、短いがしっかりとした了承の言葉。
「今度は失敗するんじゃねぇぞ!」
それを聞くと彼は足早にその場から去り、来たときと同様かそれ以上に荒々しく扉を閉めた。
「………………………………フッフッフッフッフ」
そうして顧客が帰った空間で、部屋全体に不気味な声が木霊する。
「これは面白い。とても面白い」
そう告げるその存在には男がついぞ耳にすることのなかった感情が込められていたのだが、それを聞く者は誰もおらず、
「…………」
しばらくすると、その存在は闇の奥に溶けて消えた。
ここまでご閲覧いただきありがとうございます。
作者の宮田幸司です。
本日から前もって伝えた通り一章最後の物語に突入!
今回はその前置きでございます。
これから訪れる戦いを、心行くまで楽しんでいただければ幸いです!
それではまた明日、よろしくお願いします!




