ルティス・D・ロータス 一頁目
「?」
蒼野と優が去り再び目の前の画面に意識を集中させ始めた彼女の耳に豪快な音が聞こえてくる。
「痛たたたた……お嬢様すいません。すぐに片付けるのでしばしお待ちを」
それが積み上げたゴミ山が崩れた音だと気が付いたのはその後に聞こえてきた男の謝罪の後だ。
「いえ、お気になさらず」
自分のことを呼ばれゲームを中断し意識を声のした方へと向ける。彼女の耳に聞こえてきたのは、これまで母が送ってきた人々とはタイプが違う、簡単に言えば軽薄さを感じる声だ。
「…………そういえばもう一人いらっしゃったのですね」
それから僅かな時を置き彼女が思いだしたのは、今日招かれた面々の数。
話の途中で知った蒼野と優という名前の他に、もう一人いたことを思い出す。
「別にそこまで急ぐ事はありませんよ。怪我をしないように気を付けて、ゆっくり進めてください」
普段と同じ声色で、未だ姿を捉えられない男にそう優しく語りかける部屋の主。
「お、マジっすか。いやーそう言われると気持ちが楽になっていい。あの、それならもしよければなんですが、ちょっと疲れたんでそこらで休ませてもらっていいですか? あ、ついでに飲み物とかあります?」
「え、ええ、ちょっと待っててくださいね。用意しますよ」
しかし彼女は、その時帰ってきた思わぬ答えを聞き少々戸惑った。
彼女の予想ではそのまま掃除をして帰る程度のものであったのだ。口には出さなかったが心中で動揺し、どうするべきかと頭を捻る。
「どうぞ、アイスティーです」
導きだされた答えは、これまでと変わらない対応。
側にあったコントローラに酷似した物のボタンを弄り、冷蔵庫からペットボトルに入ったアイスティを取り出し綺麗なコップに注ぎ、相手の姿を見ないよう細心の注意を払いながら声のする方へと置いた。
「いやーすんませんね。では一口……んーうまい。これまで飲んだ紅茶の中で一番だ!」
「気にいっていただけたようでよかったです」
男の言葉を聞き息を吐くが、彼女は気が付く。
いつの間にか後ろで掃除をしていた男は自然とした様子で背後におり、これまで誰にも握らせてこなかった主導権を取られている――――
「では、わたくしはゲームに戻らせてもらいますね」
その事実が何よりも恐ろしく、彼女は少々強引に話を切ってしまい、
「手を止めさせちゃって申し訳ない。俺もこれを飲んだら片付けに戻らせてもらいますよ」
「そうですか」
彼女の背後にいる男はそう返事をするとそれ以上は何かを語ることもなく、元の静けさが部屋に戻ってきたところで、ルティス・D・ロータスは再び画面に意識を集中させた。
それから数分間、どちらも何も口にしない無言の時間が続く。
それは先程の蒼野と同じ状況なのだが、心中で焦る立場は先程とは真逆に、この部屋の主の方であるルティスであった。
「……ずいぶん長いおやすみなのですね」
どれだけ時間が経とうとも背後から動かず掃除を始めるような音が聞こえない事に不服を覚え、胸に溜まった不信感に耐えきれなくなった彼女は、背後を振り返ることはしなかったが、思わず強張った口調でそう口にする。
「あーすんません。知覚過敏なわけじゃないんですけどなんか最近冷たい飲み物に弱くって。寒くなってきた事に関係すんのかな……なんか知ってますか?」
「いえ……わたくしは特には。それにしてもそうですか。もう寒くなる季節なんですね。部屋の中にいると、季節の変化に疎くって」
「まあこの部屋ならそうなるよなー」
それに対し返される答えはまったく予想だにしなかったもので、積が素直に天井を見ると、この部屋のちょうど中心には業務用の最新型エアコンが取りつけられているのを確認。その後さして焦った様子もなく立ち上がると、やっと掃除を再開した。
「あ、ここらへんのソフトとかも片付けていいんですか。てライズファルコン14だ。お嬢様もやってるんですね」
「せっかくならそうしてもらおうかしら。後で片付けた場所だけは教えてください。それと、そのゲームならかなりやり込んでいますよ。と言うかわたくし、そのゲームで上位ランカーです」
そうして周囲に散らばっていたゲームを眺めていた積であるが、ルティスがさも当然と言うようにそう言った瞬間顔が引きつる。その時の彼の胸中は、心を見られれば途端に部屋を追いだされるであろうものであった。
「お、お嬢様は何でもできるんっすね」
「そんな、何でもなんて……わたくし」
適当な相づちを打ちながらも内心では積の事を手強い相手であったとルティスは賞賛。
今度こそ意識をゲームに集中させようと心に決め、
「けどお嬢様も大変ですよねー。外に出る気なんて一切ないのに、こんなふうに俺らの相手をしないといけないなんて」
刃物の切っ先が刺さるような胸の痛みと共に、再び意識が積へと向けられた。
「そんな……わたくしは……」
「いやまあうん、責めてるわけじゃないんだ。というかすいません。今の一言は完全に失言でした。だからお母さまには黙っててください。お願いします!」
対する積はといえば自身がしてしまった失敗を理解し、のんびりとした口調が徐々に速度を上げていき、最後には彼女が聞き取れないほどの速度で言いきり土下座をする積。
「そ、その……顔を上げてください。悪いのは…………ずっとここにいる私なんですから」
その口調に気圧され思わず振り返ってしまった彼女が見たのは、土下座したまま自身に対し心底から怯えた心を見せる一人の男の姿。
その姿を前にした瞬間、心がこの上なく乱れていた彼女は、これまで誰を相手にしても抱いていた疑心暗鬼の心を捨て、ポツリポツリと、誰にも話さなかった自身の心を打ち明けた。
十二歳になるその日まで、彼女は母親を中心とした面々の指導の元様々な事を学び外に出るための準備をしてきた。
礼儀作法、口調、そしてこの魔眼との付き合い方、それらについて必死に勉強してきた。
幸いにも彼女の周りにいる人々の心は母であるダイダス・D・ロータスが厳選した人物達であったため清い心を備えており、誰もが明るい色を放ち、彼女に期待をして物事を教えていた。
ゆえに彼女はその期待に応えるために日々努力をして、十二歳の誕生日に初めて舞踏会を訪れた。
その時見てしまった物を彼女は今でも鮮明に覚えている。
黒い……黒い……果てのない漆黒の欲望。
ある者は他者に対し目を覆いたくなるほどの嫉妬や悪意を抱き、
ある者はまだ十二歳の自分に対し劣情を催していた。
他にも笑顔で話をしながらも相手を見下す存在や人を人とも思っていない者が存在。
舞踏会の至る所に、ドス黒い悪意を身に纏わせ、悪魔の顔を形づくり口を三日月のように歪ませたものが存在していた。
「紹介するよ。あたしの娘のルティスだ。これから顔を出すこともあるだろうから、よろしく頼むよ」
「「…………」」
「あ……あ……ああ!?」
間もなくダイダスが舞踏会の参加者に自身の娘を紹介するのだが、視線が自身に向けられた瞬間、彼女は呼吸するのが難しくなるほど胸を締め付けられ身が縮こまる。
「る、ルティス!?」
「――――」
どのような叫び声をあげていたのか、本人にもわからない。気が付けば彼女は部屋から飛び出しており、走って、転んで、立ち上がってまた走って、呼吸が苦しくなるほど走り続け目の前にあった転送装置に乗り、その場から逃げだしていた。
そうして青い光に包まれ外へと逃げだした彼女が見たものは――――――――黒い塊。
どこに飛んで行ってしまったのかはわからない。しかし舞踏会以上に濃く、数の多い悪意の感情。
それを見て彼女は悟ってしまった。
この世界は悪意に満ちている、自分がいていい場所でない。
「…………」
端正のとれた顔を鼻水と涙でぐちゃぐちゃにさせ、意識を失うルティス。
それと同時に、彼女は外の世界への扉を自ら閉じてしまったのだ。
「本当はこんなに長く引きこもっているつもりはありませんでした」
全てを話し終え、一呼吸置いたところでルティスが悔恨の念を積に告げる。
「そうなのか? じゃあなんでこんな長い間部屋の中にいるんだ?」
「心の傷が癒えれば、この部屋を出て行くつもりでした。母にもそう伝えたのですが心配は払拭されなかったようで、この部屋に引きこもったわたくしに対して幾度となく話相手が送られてきました」
「それで?」
「最初の内は良かったのです。来る人みんながわたくしのために来て下さり、慰めてくれました。けど、この部屋に籠り始めて1ヶ月が経った頃から、それは変わっていった」
この部屋に来る人々の心は、始めの内は確かに自分を心配しての行動であった。しかしその時にはまだ心の傷が癒えておらず、外に出る決意ができておらず、だからこそまだ部屋から出なかった。
「日が経つにつれ、彼らの心に違うものが混ざっていったのです。それは苛立ちだったり怒りだったり、どれだけ経っても出てこないわたくしに彼らは愛想を尽かし始めたのです」
悲しそうに顔を伏せるルティスであるが積も彼女自身もそれを非難するつもりは全くなかった。
誰だってそうなのだ。事態が好転せず長引けば悪感情の一つや二つ持って当たり前の事なのだ。
そこまでわかっていたのだが、彼女は恐怖に打ち勝てなかった。
「そうして一年が経った時、この家に仕える人たちは『わたくしに仕える者』ではなくなった」
その時になり彼女は自らの過ちに気が付いた。
もっと早くに少しでも勇気を振り絞り、重くなりすぎた部屋の扉を開けるべきであったのだと。
今はもう、完全に手遅れであるのだと。
加えて母親にも説明していなかったのだが十五を超える頃には彼女の魔眼は更に強力になり、『色』や『形』だけでなく、『文字』となってまで見れるようになってしまった。
結果彼女は更に外が恐ろしくなり、扉から離れ、奥へ奥へと逃げていった。
「いやそれでもよー外に出ればいいじゃん。みんなきっと祝ってくれるぜ。かわいいお嬢様が、ついに脱引きこもりをしたって!」
「普通の人なら……そう思えるのでしょうね。でもわたくしは、そんな風には思えない」
「…………」
普通の人が同じ状況ならば、ここまで深く考えなかった。
仕える主人の娘が5年ぶりに部屋から出れば、胸中でどのように考えていようとも表面上は喜ぶはずだ。そしてそれを見て部屋から出てきたものは安堵する。
だが彼女は違う。
どれだけ取り繕おうとも、その眼が真実を見抜いてしまう。
その結果彼女は知りたくもない真実を目にする可能性が大いにあり、それが怖くて彼女は最初の一歩を踏み出せない。
「わたくしは…………外には出れません」
絶望に染まった少女の突き放すような物言い。
それが取り繕っていない彼女の心を、この上なく鮮明に表していた。
ここまでご閲覧いただきありがとうございます。
作者の宮田幸司です。
本日分の小説を投稿させていただきました。
内容はこの通り、一人の少女の内面を解決する話です。
基本的に作者はバトルが好きなのですが、こういう内面をつまびらかにする話も結構好きです。
まあ、ハッピーエンド至上主義ですので。
それはそうと、今回はもっと言い表現はないかと悩む日々でした。
改善点などがあれば、ぜひご連絡ください
それでは、明日もよろしくお願いします。




