貿易都市の深窓令嬢 二頁目
「…………」
一度、二度、三度、それでも返事が返ってこないので四度五度とノックを繰り返す蒼野だが答えは返ってこない。
「失礼しまーす」
勝手に入ってくる事でどのような返答が帰ってくるのかはわからない。しかしそれでも入らなければ何も始まらないと考え、蒼野を先頭に三人は意を決して中へ入る。
「うお!? なんつー汚部屋だよここは!」
明かりがつけられていない真っ暗な部屋をサングラス越しに凝視していた積が、部屋を見渡し開口一番に口にしたのはのはそんな感想だ。
ゴミ部屋
それが積の知る知識の中で今この部屋を最も適切に表している言葉であった。
様々な色で彩られたお菓子の包装と思われるものに、無数のペットボトル。
床から天井へと向けまっすぐに積まれたゲームソフトの山に、置かれているというよりは乱雑に捨てられている漫画雑誌や単行本。
「それにこの臭い………………鼻が曲がるわ」
扉を開けた瞬間から漂う腐臭に加えアルカリ性や酸性の臭い。それにお菓子の脂ぎった臭いが混ざったものが三人の鼻を刺激し、三人は反射的に鼻をつまんだ。
下に目を向けるとどれだけしっかり見ても足の踏み場はなく、歩くだけでも大量のゴミに触れる必要があるというまさしくゴミ捨て場のような空間が、この部屋の正体だった。
「やばい。これはやばい」
匂いに耐えかね、鼻を摘みながら積が率先してゴミの片づけを始め、蒼野と優もそれを手伝おうと動き始めるが、
「あなた達は誰?」
その時、ゴミ山の奥から聞こえてきた声を聞き、慌てて蒼野と優の二人が振り返る。
声が聞こえてきたのは細長の五十畳は超えるであろう大きな部屋の奥、そこにある唯一の明かりであるテレビからだ。
目を凝らせば、巨大なテレビの前には人影があり、辺りに散乱しているゴミはその周辺だけはすっぽりと切り取られたかのようになく、廊下を歩いて来た時と同様かそれ以上に豪華な毯が広がっているのを確認できる。
「…………」
その唯一の安全地帯とも言える場所の中心では一人の少女が佇んでいた。
座っている状態とはいえ地面につく程にまで伸ばされたテレビの明かりを反射する程の光沢を蓄えた銀の長髪に、日の光を浴びていないため日焼けしていない透き通るような白い肌。
チラリとこちらを見るその瞳は丸くパッチリとしたもので彼女を幼い少女のような印象を抱かせるが、それと相反するように体の骨格は成熟した大人のものであり、一歩間違えば崩れるようなバランスを見事に調和させている。
そんな彼女が着ているのは上下ともに地味な赤のジャージなのだが、お金持ちのお嬢様が人を迎える際に見せるべきではないような衣装を着てもなお、彼女の美しさは然程損なわれていないように二人は感じた。
「すっげぇ」
今隣で肩を並べている尾羽優は間違いなく美少女の部類であると蒼野は認識している。その可愛さは一流アイドルのセンターや美人の女優と遜色ないものであると蒼野は考えているのだが、目の前に佇む存在はその更に上の存在のように思えた。
言うなれば現実の存在の領域を超えている。
神話に登場する神に愛された存在、童話に登場する誰からも愛されているメインヒロイン
そのようなこの世の理から外れた存在であるように蒼野は認識した。
「きれい……」
その感想は同性の優にしても同じであり、口から出てきた短い言葉にどれだけの感情が乗せられたものなのかが蒼野には鮮明にわかった。
「ちょいちょいちょいちょい! 二人とも手伝ってくれよ! 俺一人で終わる量じゃねーぞこれ!」
「あ、ああそうだな。てか積は何も反応しないんだな」
「そうよ、わりと顔イケてるんじゃね、って自分で自分を褒められる女のアタシでも絶対に敵わないって思う美貌の持ち主よ。あんたなら真っ先に食いつくと思ったんだけど全然反応しないじゃない?」
「いやこの暗さのせいでサングラス越しだとどんな姿なのかわからないんだ。てかゴミがサングラスに付いてよく見えなくてな。反応しようにもよく見えねぇんだ…………」
「取りなさいよ」
心底残念な様子でため息を吐き至極まっとうな事を口にする優。
「ば、俺のアイデンティティーだぞ! 気安く取れよなんていうなよ!」
「それ、アタシも蒼野も初めて聞いたと思うんだけど」
「はいはいはいはい! そんな事はどうでもいいだろ! それより今は仕事だ仕事。片づけを手伝うつもりがないなら、本題を進めにいけ! 俺がこっちはやっとくから!」
「自分のアイデンティティーをどうでもいいって言った…………」
「だまらっしゃい! こっちの仕事は俺がやっておくからほら行った行った」
追い払うように手をはらい、二人を先へと進ませる積。
ロータス家の当主であるダイダスから聞いた今回の依頼の目標は、ベストが奥でテレビに視線を向けている彼女を部屋の外に出すこと。ベターで彼女と話し友達になることだ。
「うー作成作成!」
それとは別にゴミだらけになっていると予想されていた室内の掃除も依頼として出されており、物を作りだす事ができる積が紙製のマスクを作りだし装着。さらにゴミ袋にゴム手袋を作りだし、二人に彼女の説得を任せ片付けに取り掛かり始める。
「し、失礼します」
積がそうしている内に残る二人がテレビゲームに熱中する同い年くらいに見える彼女に近寄り、蒼野が彼女の右側に、優が彼女の左側に陣取る。
部屋に入る前に彼ら三人は彼女の母ダイダスからこの部屋の主――――ルティス・D・ロータスの能力について詳しく聞いた。
『深層解明の魔眼』それが彼女が備えている『異能』である眼の名称だ。
ダイダス曰く彼女は見た相手の感情を『色』と『状態』で判別することが可能で、感情が昂っている者を見ればその人物の周りが赤くなり、冷静で落ち着いている心を前にすればその人物の周囲は青くなる。
それに加えて怒り気味ならば相手の周りの空気は炎のように揺らめき、楽しい場合は周りを音符が舞う等、対象の心の機微を目に見える形で表すことができるという事だ。
平時ならば射程は半径10メートル程で、彼女がいる部屋が大きい理由も、部屋に入ってきた存在に目を向けたとしても、その距離ならば相手の心を見なくて済む為である。
そんな彼女と仲良くなる方法は単純で、心を見られたとしても拒否されないこと。
その条件を達成するためにはまず話しを円滑にできるようになり、魔眼の範囲内で自然と目を向けてもらう。そしてその心を彼女が気にいれば、友達になれる、というのがダイダスが考えたプロセスだ。
なおダイダス自身いきなり彼女を部屋に出すのは至難の業であると考えているため、今回は気軽に話をできる友達になってきてほしいという事であった。
二人が真横に座った理由は単純で、ふとしたことが理由で視線を向けてもらいやすいからである。
(な、何を話せばいいんだ……)
(全然良い案が思い浮かばない…………)
だがここで問題が発生する。位置取りについてはベストポジションを確保したと確信を得ている二人だが、うまい話の切り出し方が思い浮かばない。
そのまま空白の時間が一分二分と経ち、嫌な汗が二人の握り拳の中に集まってくる。
「それ、なんていうゲームですか?」
そうして口から出たのは、長い時間思考したにしてはあまりに単純な質問。
彼らの瞳に映るのはピコピコという電子音を流しながら動くドット絵のキャラクターで、時折画面がブラックアウトして、別のステージへと移り主人公が動き、障害物や敵を避けたり倒したりしてゴールへと走っていくという、至ってシンプルな作品だ。
「オボロンっていう昔のゲームです。百年以上前に出た、今でも色々な人に愛されている名作なんですよ」
その質問の意図をどう取られたのか蒼野と優にはわからない。
だが帰って来た優しさに満ちた穏やかな声を聞けば、少なくともこちらの事を悪く思っているわけではないという事は認識出来た。
「百年前ですか。昔のゲームって今のきれいなキャラクターとかとは全然違うんですね。百年前って言うと、ゲームはまだ生まれて間もない頃だったんですか?」
「いいえ、それは違います。ゲームソフトの時代はもっと深く、少なくとも千年は続いていると言われてます」
「そ、そんなに……」
戸惑いの声を上げる蒼野と優。
「ええ、そして百年前には今と同じグラフィックのソフトが少しずつだけど誕生して来ていた。それでもゲーム業界の最初期にあたる時期のグラフィックで出した理由は、過去に捨てた要素がいかに素晴らしいものであったかを説明するためだと言われています」
「どうゆうこと?」
声は僅かに小さいがゆっくりと、誰の耳にもしっかり入るような調子で話し続けるルティス。そんな彼女に対し優が視線を向けると、彼女はコントローラを目にも止まらぬ速さで捌き、画面の端から迫る手が伸びる幽霊から逃げ延びていた。
「ドット映像から理想を思い浮かべる想像力だったり、様々な隠しステージを探すための血の滲むような努力。製作者から遊び手に向けて挑戦状を叩きつけるかのような難易度のステージの配信だったり色々と。当時のソフトではしない事を色々やってきたチャレンジ作なの」
「アタシには良く分からない事なんだけどそれってすごいのね」
楽しそうに話す彼女の手先を再び優が画面を覗きこむ。
横スクロールアクションの中を動き回る主人公の女性は、一目で成金とわかる軽薄そうな男たちの頭を踏みつけ半分ほどの大きさにすると、細長い道を凄まじい速度で進み先へと進む。
その動きは普段ゲームに触れない蒼野や優からすれば見てるだけで楽しくなってくるのだが、これが仕事の依頼である事を思い出し話題を振る。
「そう言えば先日聞いた話なんですけど、ゲイルとは友達なんですよね」
「ええ。あなた達も彼を知っているのね?」
「はい。俺達はあいつとこれまでに何度か一緒に過ごして……いや冒険をしてまして、それで友達になったんです」
その話題を振ると彼女は視線こそ向けずにいたが、目の前にいるのは女神様ではないだろうかと思わせる程美しい笑顔を見せた。
「素敵なお話。できればその話を詳しく聞かせてほしいんですけど、いいですか?」
そのまま声を弾ませると蒼野に対し話をせがむ。
その様子を見て物事がうまく進んでいると感じ、彼はゲイルと共に行った戦いや冒険の話を開始。
それからおよそ十分後、話を終えた蒼野と、途中から話に加わっていた優は一息つく。
「素敵な話をありがとうございます。最近はゲイルとも会ってなかったから、彼の近況が聞けてうれしかったわ」
「そう言ってもらえるとアタシも蒼野もうれしいわ。他にも色々な冒険のお話があるのだけれど、いかがかしら?」
彼女の話を聞き、ウインクをしながら優が聞く。
しかし少女の反応は芳しくなく、ありがたいような、困ったような表情を見せ、口元に手を持っていき言葉を語る。
「ごめんなさい、私ちょっと疲れちゃいました。お話の続きはまた今度でよろしいかしら?」
「え、ええ。そうね。お付き合いさせてしまってごめんなさい」
「今日は本当にありがとう。こんなに話したのは久々です。また別の日に、ぜひ続きを聞かせてくださいね」
思ってもいなかった答えに優が困惑する。真逆に座っていた蒼野も彼女がそう言いきってしまえば口を挟むことができず、半ば命じられたかのような形で退室した。
「どうだった?」
それから専属のメイドに案内をしてもらいダイダスの私室にまで移動する二人。
彼女の私室は温かみのある電球色に包まれた部屋で、洋風テイストのモダン家具が置かれており、部屋の奥では当主であるダイダスが書類相手に睨みを効かせていたが、蒼野達が帰ってくると開口一番に結果を聞いてきた。
「それで蒼野がゲイルと一緒に旅をした話をして」
「最後に、彼女はこんなに話したのは久々だと話していました」
「そうかい、今回はありがとね」
話を聞きつけていた丸眼鏡を外し一息つく。そのままティーカップを口に運び中に入っていた紅茶を飲み干すと、『腰が痛いねぇ』と口癖をつぶやく。
「…………彼女から見て、俺達はどうだったんでしょうか」
最後まで話を聞いたダイダスの様子を見て、聞くべきかどうか迷いながらも蒼野が聞くと、再び書類仕事に戻ろうとしていたダイダスの手が止まる。
「ん、まあ悪くはないよ。ただまあ、ベターの段階に届くかと言われたら……難しいかもしれないねぇ」
そうしてもう一度蒼野達の顔を見て彼女は自らの見解を語り二人が申し訳なさそうな顔をするのだが、そこでダイダスは気がついた。
「おや? そう言えばもう一人の赤髪の子はどうしたんだい?」
「あ。そういえば中に置いて来たままだ」
一緒にいたはずの少年の姿はそこにはなく、その時になり二人は初めて積を置いて来てしまった事を理解した。
ここまでご閲覧いただきありがとうございます。
作者の宮田幸司です。
今回の物語の主要キャラクタールティス・D・ロータスの登場でございます。
関係性は母と娘のダイダスとルティスは、言うなればおとぎ話の魔女とお姫様位に思っていただければ幸いです。
なお本編内において絶世の美女としてルティスに関してですが、美貌に関しては間違いなくこれまでのキャラクターで最高値です。
ゲームなどの数値に直すと、人間の既定値をぶっちぎりで破ってる、数少ない人物です。
それではまた明日、よろしくお願いします




