古賀蒼野、賢教に行く 三頁目
「ア――――――――――ハッハッハッハッハッハ!!!」
蝶を模した桃色の仮面を被った、上半身は裸、下半身は黒のボクサーパンツを履いただけの筋骨隆々の男。彼は大きめの麻袋を背負い、愉快なこと極まりないという様子の声をあげながら建物から建物へと飛び移っている。
あの変態はなんだ?
そんな言葉が康太と優の脳裏にほぼ同時に浮かびあがる。
「あれが西本部の本部長をおびき寄せた原因だ」
やれやれと頭を抱え口にする蒼野に康太の視線が向かう。
「あれがかよ!」
「てかあいつ、なんか袋から出して放り投げてるんだけど。なに投げてんの?」
その男の姿はしっかりと目視できるが、まき散らしている物体まではしっかり見る事ができない優が何気なく聞いたのだが、その質問を受けた蒼野は答えづらそうな表情をするのを見て、その矛先を隣に座るゲイルに向けられる。
「ねぇゲイル、あいつは何を落としてんの?」
「あ、ああ。あいつが投げてるのはだな」
少々言いずらそうにするゲイルはしかし、言わなければ話が進まない事を感じ口を開く。
「下着だ。それも女物の」
「はぁ?」
「ああ。確かに女物の下着だな」
戸惑う優を尻目に、視力が良い康太は裸体一歩手前の変態が何を投げているのかを直に確認。それが女性ものの下着である事を理解し、頷いたゲイルが詳しい説明を始める。
「一ヶ月ほど前から、あの変態が空を舞うようになったらしい。町中の女たちはとっ捕まえるように町の兵士に頼み込んだんだが、どうにも捕まえられなかった。んで応援も頼みまくったらしいが捕まらず、旅行客の下着にまで手を出し始めたからさあ大変。
しまいにゃ西本部の兵が捕まえにかかったが、どうしてもあの変態は追い詰められなかった。加えてこの情報が町から出て賢教、神教各所まで伝わったから一大事だ」
ゲイルの語りを聞き、間を置かず下を見てみれば、女性物の下着を手に取る男たちがそこら中にいる。彼らの大半はいやらしい笑みを浮かべ、空を駆ける変態に歓声を上げていた。
「西本部はパンツまき散らす変態一人捕まえられない。そんな言葉が耳に入った本部長はここまでやってきたってわけだ」
「なんつーアホな理由でやってきてんだよあの男は…………」
頭を抱え、警戒していた事を後悔するかのような表情をする康太。
窓にもたれかかって蒼野は、そんな様子の義兄弟に対し苦笑いを浮かべた。
「西本部長のプライドの高さは一級品だ。自分の治める領地で、パンツをまき散らす変態一人捕まえられないと他のエリアに伝わってみろ。どんな対応に出るかわかるだろ?」
ゲイルの言葉に、康太と優の二人がプライドの高いその人物の先の行動を想像する。
顔を真っ赤にして激昂する姿に、自らが前線に立ち、犯人を追いつめようと奔走する姿。
確かに、噂に聞くその性格から、ただ座してその後の展開を待つという事はないだろう。
「まあつまりだ、今奴らが血眼になって探しているのはあの変態野郎の正体っていうわけだ。道端で聞かれるのはあの野郎の情報が中心。神教かどうかなんて今回に限っては聞かれねぇ」
「つまり、俺らは極力関わらないようにさえしとけば何の問題もないってわけだな?」
康太の言葉にゲイルは無言で頷く。
「もうマジでね、女の敵を逃がすのはほんっっっっとうに悔しいんだけど、まあ今回は仕方がないか。下手なことしたらそれ以上にまずいもんね」
髪をぐしゃぐしゃと掻きむしり、悔しそうに言い捨てる優。
女であり、加えて人一倍正義感が強い彼女からすれば、目の前で行われている犯罪を黙秘することは耐えがたい屈辱であったが、それでも今回の件には関わるつもりではないと言外に伝える。
「他に交換する必要のある情報はあるかしら?」
その場を取り仕切る優の言葉に返すものはなく、情報交換は終了。
蒼野とゲイルは昼と同じく監視する者とされる者という名目で共に行動し、康太と優は自室のある四階へと昇っていく。
僅かな不安要素は見つけたが、それらには目をつむりできる限りウークでの一日を楽しみ神教側に移動する。それが彼ら全員の思い浮かべる明日の予定であった。
そう、この時点では彼らの誰一人として、目を覚ました時から訪れる一日がどれだけの年を重ね記憶が風化しても忘れられない、そんな時間となるとは微塵も思っていなかった。
「げ、何でいるのよあんた」
時刻は午前二時。草木も眠る丑三つ時。起きるべきでない時間に起きてしまった少女は、自販機が置いてある休憩室に足を運ぶと、誰が聞いてもすぐにわかる不機嫌な声を出した。
「そりゃこっちの台詞だ。明後日……いやもう明日か。明日の別れの時まで、一度も合わずに済めば良かったと思ってたんだがな」
「そりゃ無理でしょ。少なくとも善さん……あ、うちの大将の事ね。善さんに会う場にはアタシが必要だから」
「そんなもん、オレが後から行けばいいだけだろ。何の問題にもならねぇ」
優の視線の先にいる康太は少女以上に不機嫌な声で、休憩室に入ってきた彼女をジロリと睨む。
「てか何でこんな時間にここにいるのよ。寝ないの?」
「ぶっ壊れた銃の整備だクソ犬。本当なら部屋でやりたかったんだが、工具の類を部屋に持っていくなって言われたからな。諦めてここでコツコツ作業中だ」
机に置いておいたコーヒーカップに口をつけると、コーヒーの苦味とほのかな酸味が口の中で広がっていく様子に満足そうに康太は頷く。
そうして一息ついた康太が少し手を動かしたかと思えば突如両手をピタリと止め、銃の中から小さな部品を引っこ抜く。
「これか」
壊れかけた部品を抜きだし、腰に掛けた布袋から予備のパーツを取り出す。そうして残像が見える程の早さで組み立て始めたところで、
「ねぇ、クソ猿」
優が康太に語りかける。
「なんだ、コーヒー議論の続きなら受け付けんぞ。こんな時間に騒ぎは起こしたくないからな」
「アンタは蒼野が外に出たら死ぬと思ってるから、それを防ごうと躍起になってるけど、それって本当の意味であいつを助ける事になるのかしら?」
それを耳にすると残像が見えるほどの速さで動いていた両腕が、少女の言葉を聞き静止。
「どういう事だ。いや…………何が言いたい?」
「ふと思っただけよ。おつむの足りない猿が心配するようなことじゃないわ」
問いを投げかけた少女は、それ以上は口を開くことはなく、自販機にあった苺牛乳を買い優は自室へ戻っていく。
「ふん、意味の分からんことを」
視界から消えていく少女を見送り、少年の腕が再び動き出す。
しかしその速度は先程と比べ、ずいぶんと緩慢なものであった。
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ウークを訪れて2日目の朝、蒼野と康太の二人が目を覚まし、廊下で待ち合わせをしている時にその悲鳴は聞こえてきた。
二人が寝泊りをしていたのは418号室と419号室。ちょうどその間で待ち合わせをしていた彼らの耳に入った声は、優の泊まる420号室から聞こえたものであった。
「どうした! 何が!」
叫びを聞きつけ、隣の扉をドンドンと叩き続ける蒼野。その返事は、全力で開けられた扉の鼻への衝突という形で返された。
鼻に襲い掛かる鈍い痛みに顔をしかめ、勢いよく出る鼻血が床を真っ赤に染めるが、すぐさま能力で怪我を治し、床のシミも消えていく。無論記憶はしっかりと残るため、鼻を襲った痛みまで忘れる事はできなかったが。
「敵襲……じゃねぇみてぇだな。何があった犬っころ」
康太が銃に触れていた両手を離しうずくまる蒼野の背をなでた後、優の部屋に入る。
「アタシの下着がなぁい!!」
怒りを込めた声に口を『へ』の字に変える蒼野と康太。
しかし僅かな間を置いた後に康太は心底下らないとでも言いたげな表情をしながら頭を掻き毟り、億劫な様子で口を開いた。
「んなつまらんことでキャンキャン叫ぶなよ」
「うっさいクソ猿。てか女子の部屋に勝手に入ってくんな!」
「ぶっ!」
康太が腹部へと放たれた回し蹴りにより崩れ落ち、それを見た蒼野はうずくまったままの姿勢で冷や汗を流す。
「ちょ、落ち着けって」
すぐに康太の時間を能力で戻し始める蒼野。そうしている内にも優は一人で騒ぎ立て、握り拳を作り自らの意思を語っていた。
「こうなったら今日の予定は変更よ。薄汚い下着ドロをとっちめてやるわ!」
「一日大人しくしとくんじゃなかったのか!」
自らの下着を奪われた怒りに加え、女の敵を滅ぼすという正義感に燃えていた彼女に、蒼野の声は聞こえない。
「ちょ! 真上の方うるさい! こっちは季節外れのサンタさんからのプレゼントに喜んでる最中だってのに!!」
その時、優の泊まっていた部屋に見覚えのある姿が現れる。水玉模様をあしらった上下のパジャマを着た、頭に女性用のパンツを被った積と名乗った赤髪の男だ。
「あ、お前は。って、なんつー格好してんだよお前!」
「そこか女の敵!」
予想だにしなかった被り物をしている積を見て脱力する蒼野に、その姿を見て渾身のとび膝蹴りを放つ優。
「あじゃばぁ!」
突如放たれた飛び膝蹴りの直撃を受け奇声を発し、康太同様壁に叩きつけられる男の姿を見ながら、蒼野はふと口にした。
「また能力使わなきゃ」
ご閲覧いただきありがとうございます。
作者の宮田幸司です。
さて、突然の報告申し訳ありません。
筆者の仕事の都合になってしまうのですが、来週の火曜日から投稿の時間を月曜日を除き、今の0時過ぎから19時過ぎに変更させていただきたいと思います。
これまでこの時間帯の投稿で慣れてしまっている方は大変ご不便であると思うのですが、
ご了承いただければ幸いです。
それでは、よろしくお願いします。




