古賀蒼野、賢教に行く 二頁目
「クソ犬、お前はやっぱクソだな」
「いきなり何よ?」
時刻は十九時、蒼野達が情報交換の待ち合わせ場所として集まっているのは、一行が一夜を過ごすホテル、『シュバルツ』二階にある談話室だ。
談話室はホテル一階廊下を抜けた一番奥にあり、部屋には四人掛けの木製テーブルが5つに、それに合わせた数の椅子が設置されており、赤の縦線を等間隔に奔らせた橙色の壁に、赤いレンガの床、そして電球色の光が居心地のいい空間を形成している。
加えて天井からは暑い夏や寒い冬でも過ごしやすいようエアコンが設置され、エアコンから出てくる冷気のおかげで、夏の暑さに晒されず快適に過ごせていた。
「今お前はコーヒーに砂糖を入れたな」
優が口に運んだ白のコーヒーカップを指差し、康太がため息交じりで確認を取る。
「それが何よ?」
その動作が腹の立つものだったからか、または元々の性格からか、優が喧嘩腰で言葉を返すと、康太がわざとらしく肩を竦め憐みの念を込めた視線で優を見つめた。
「それが何よ、だと? コーヒー本来の甘味や酸味、何より苦味を損なう行為がどれだけ邪悪なのか、わかってねぇなお前?」
「何言ってんのアンタ。コーヒーフレッシュに砂糖をうまく使って、一人一人が好きな味を出す。それがコーヒーの良さでしょ?」
康太がため息混じりにそう言うと優が使っていたマドラーで康太を指差し、その行為に不快感を覚えた康太がマドラーを指ではじき、先端についていた水滴が優の額にぶつかった。
「ブラックの良さがわからないのか、舌がガキだな!」
「自分だけが正しいと思ってる痛いガキね!」
「なんだと!!」
「なによ!!」
「おたくら、どっちも良いっていう解決方法はないのか?」
「「こいつ相手にはない!」」
声を挙げて立ち上がる康太と優に、蒼野とゲイルが肩を揺らし、なだめるようにゲイルが提案するが同じタイミングで同じ答えが返ってきた。
「こ、こんなところで暴れるなよ。穏便に済ませる方法はないのか?」
一触即発の空気を醸し出し顔を見合わせる二人に、妥協案を尋ねる蒼野。
「あるわ」
「ああ」
それから一拍置き、二人の視線がゲイルと彼の机に置いてあるコーヒーに向けられる。
「簡単な話だ。今テーブルに置いているゲイルのコーヒー」
「それを飲む際、普段どう飲むか、ここで示してくれたらいいのよ」
「おいおい、それを言うなら俺じゃなくて蒼野でも」
「あいつはダメだ。水を飲んでる」
確かに蒼野は水を飲んでいるのだが、ゲイルはその様子に違和感を覚えた。
「おたく一番最初に飲み物を取りに行って、その時はコーヒーじゃなかったか?」
「康太と優がコーヒーを淹れたのを見て、時間を戻して水に変えた。なんとなーく、こうなる予感がしたからな」
「なら俺にも教えてくれよ!」
「いや、白黒はっきりさせなけりゃいつまでも続くだろあれ。申し訳ないが、あんたの手で白黒はっきりさせてくれ」
「遠回しに犠牲になれって言ってるなおたく!」
蒼野が手を合わせそう口にすると、ゲイルが口を尖らせる。
しかし康太と優の視線が真剣そのもので、下手な言いわけや嘘は自身のタメにならない事を理解すると、ゲイルはため息をつきカウボーイハットを深く被り覚悟を決めた。
「それで?」
「あんたはどういう飲み方をするの?」
「俺か、そうだな」
二人の視線を一心に浴びるゲイルが腹を括り、角砂糖とコーヒーフレッシュを取る。
「ほらみなさい! やっぱり好きな味に調節できるのがコーヒーの醍醐味よ!」
「嘘だろおい!」
それから角砂糖の入った瓶を開けコーヒーに向けひっくり返すと、入っていた角砂糖二十個を全て入れ、右手で握れるだけコーヒーフレッシュを掴み、一つずつ開けてはコーヒーに注いでいく。
「悪い、ここって生クリームあるか?」
「あ、あるんじゃねぇか?」
思いもしなかった光景に戸惑いながらも、康太がホテルの従業員を呼び生クリームを渡してもらう。
「ん、サンキュー」
受け取ったディスペンサーに入った生クリームを一滴残らず絞り、それら全てをスプーンでぐちゃぐちゃに混ぜ、全員が見ている前で一気に飲み干す。
「とまあ見ての通り、俺は色々加える派だ。てことで、おたくの勝ちだ」
「あ、うんありがとう」
「ん、どした? あんまりうれしそうじゃねぇな」
足を組みリラックスした状態でゲイルが優を指差すが、康太に勝ったというのに彼女の表情は優れず、気になったためその点を指摘すると、やや申し訳なさそうに口を開く。
「いや、うん。アタシの言ってた好きな味ってのはね、コーヒーの範疇に収まるものなの。砂糖やフレッシュは加えるけど、それは味を調整するためであって、正直ゲイルのそれは……アタシの想像するコーヒーの範疇を超えちゃってるのよね」
「それならどうする。テメェが認めないなら引き分けだが?」
「流石にあれと同類とは……」
「おいおいちょっと待て!」
思わぬ優の反応にゲイルが驚くが、康太も優の言葉を拒むことはせず受け入れ、それをみて空気が変わったことを感じ取った蒼野がすかさず口を開く。
「まあそっちの話が終わったのなら今日の収穫の話をしよう。これ以上時間をかけて、人が増えても困る」
「そうね」
「んだな」
席を立ち睨みあっていた二人が、落ち着きを取り戻し席に座る。
会議の場はそうして整ったのだが、納得ができない様子のゲイルが蒼野の腕を肘で叩き、彼にしか聞こえない声で囁く。
「なぁ蒼野。俺の何がダメだったんだ? あの豪勢な甘みの後に噛むミントガムなんて格別にうまいんだぜ」
「うーん、全部かな」
話を強制的に戻したことで矛先が自分に向かず済んだことに安堵を覚えた蒼野は、心底疑問に思っている様子のゲイルに対し片手間にそう伝え、立ち上がった優に意識を向ける。
「じゃあアタシから。向こう側に戻る予定についてだけど、二日後の朝一。今日通ってきた境界のところにまで移動して、そっから潜り抜けるわ。だから明日は完全にフリー。各々好きな事をしましょ」
十九時を過ぎ食事を取る人々がレストランのある上の階に昇っていく事もあり談話室には蒼野達しかおらず、それゆえ盗み聞きされる心配もせず堂々と会議を始めた一行。
「それと、言うまでもないとは思うけど蒼野とかクソ猿とかは神教出身だとばれないように。血祭にあげられる可能性だってないわけじゃないんだから」
そんな事は言われずともわかっていると鼻で笑う康太だが、自分の横で引きつった顔を見せる蒼野を見て表情を一変させる。
「蒼野……」
「だ、大丈夫だって。ばれた奴は悪い奴じゃなかったし、このホテルの宿泊客……あ、やばい。心臓がバクバク言ってる……吐きそう」
「俺もここで大事になるのはごめんだからよ、そいつの事は軽くだが部下に見張らせてる」
「なら今すぐお前の部下に頼んで水を持ってきてくれねぇか。蒼野がやばい。放っておいたら吐く」
康太の呆れの混ざった声に応えゲイルは指を鳴らし、現れた部下に指示を出す。
それから少しして、水を飲み深呼吸をして落ち着いた蒼野を見て場の空気が戻ると、辺りに人がいないことを確認した康太が口を開く。
「それにしてもこの町の妙に物々しい雰囲気は何だ。そこら中に警備に回る兵がいたし、西本部の長ゼル・ラディオスがいたぞ」
自らの権力を誇示するかのように身につけている紫色の刺繍を全身に奔らせた、黒を基調としたカソック。
見る者を竦ませる獲物を睨みつけるような細目に異常に白い肌は蛇を連想させ、多くの部下を指揮する統率能力と敵を蹴散らすその姿から付いた異名は『蛇夜叉』。
全世界にその名を知らしめる強者にして四大支部の一角西本部の本部長である。
この男の最大の問題点は、神教に対し異常な執着、つまり敵意と殺意を向けている事で、蒼野や康太が神教出身と知れば、その命を脅かす可能性は大いにあった。
「まあ大丈夫だろ。そいつらの狙いが何か、俺とこいつは知ってんだ。こっちから神教だと言いださなきゃ、おそらく問題はないさ」
「「目的?」」
康太と優の声が重なり、蒼野に視線を向ける。
それを見て面白そうに笑う蒼野を見た二人が、声が重なった事に気づき両者ともに相手に対し殴りかかり、同じタイミングで相手の頬を殴った。
「あ、ああ。奴らはな、ある事件を追っているんだ。その事件って言うのが」
優がその場に何とかとどまったのに対し、康太が少し離れた位置にあった扉に衝突する光景を前に蒼野が恐怖を感じていると、その時、ホテルの外から期待に困惑、歓喜に悲鳴が混ざった叫びが聞こえてくる。
「ちょうどおいでなすったか」
言いながら、窓際にいたゲイルが長方形の窓を開き外を見る。
窓の外に映るのは見事な夜景。町中にある建物という建物に光が灯り、昼同様、いやそれ以上の明るさを演出している。
「「は?」」
その時見てしまった存在に、康太と優の二人が同時に裏返った声を出した。
ご閲覧いただきありがとうございます。
作者の宮田幸司です。
先日が軽いウークの紹介を兼ねた日常編なら、今回は完全な息抜き目的の日常編でございます。
正直今回の物語は軽い息抜きなので、そこまで気を張らずに見ていただければ幸いです。
まあ、その分後がすごいですが。




