元十怪 『統王』 ヒュンレイ・ノースパス 一頁目
凍てついた大地を舞台に、地上に降りたヒュンレイと善が己が得物を構えたまま、微動だにせず時間だけが過ぎていく。
互いが相手の隙を伺うために注意深く相手を観察し、出し抜くための好機が訪れる瞬間を待ち続ける。
「……ちっ!」
そんな中、両者は先に動きだすのは善であるという事を共に理解していた。
命を賭けて戦いに挑むヒュンレイだが、その命が尽きるのはある過程を踏んだ末である。
その過程とは単純で、ヒュンレイが自らの体を凍らせている氷属性粒子を使った時である。
先程伝えた通り、普段ヒュンレイは自らの体内に流れる大量の氷属性粒子を使い、ウイルスの動きを抑制している。
現状はそれら全てを戦闘に注ぎこんでいる状況で、その間のヒュンレイは絶好調だ。
しかし全力で戦い続け全身が熱を発するようになればウイルスは一気に彼の体を蝕み、ヒュンレイはさほど時間をかけることなく死に至るだろう。
そうならないためにも、善はヒュンレイを一早く倒さなければならない。
そのためには放って置けばどれだけでも続くこの膠着状態を打破する必要があるため、善が先手で動くことは道理であった。
「「……」」
一分間、二が微動だにせず時が過ぎた。
「……切れたか」
すると善が口に咥えていた花火が消え、それを見た善は懐から新しく一本取りだし、咥えていたものを換え、不必要になったそれを弧を描くような軌道で投げ捨て、
「…………しまった!」
大地へと落ちていくそれを叩き落とそうと、ヒュンレイが慌てて凍った地面を隆起させる。
「一手遅れたな」
が、遅い。
ヒュンレイの隆起させた地面から氷の枝が現れ、目標に触れ凍らせるよりも早く、善の手刀が花火の先端を叩く。
刹那、彼らのいる凍てついた土地を埋め尽くすような勢いの津波が現れ、ヒュンレイを呑みこもうと一直線に迫るのだが、
「ふっ!」
それを目にしたヒュンレイはケーキに刺されたロウソクの火を軽く消すような勢いで口から息を吐き、それだけで凍て地を埋める大波が凍り、静止する。
「ちっ!」
「流石に気が付くか!」
が、ヒュンレイの顔に余裕はない。むしろこの上なく焦った様子で、振り返ることなく、真横から放たれる強烈な気の流れに向け、無数の氷の槍を射出。
そこにいたのは、大波よりも早く動いていた原口善だ。
「おせぇ!」
彼は光にさえ肉薄する速度を保ったまま伸びてくる氷柱を全て躱し肉薄し、拳が届く距離まで即座に接近。
「氷天衝!」
そのまま目標を殴ろうと踏みこむが、拳が伸びきるのを阻むように鋭利な刃物の如き鋭さを持った氷の塊が、凍てついた大地だけでなくその奥に控えている森まで巻き込むように降り注ぐ。
「派手にするなオイ」
ほんの一瞬、瞬きをする間もない程の間に、地形が変わる。
善の瞳に移るのは、地平線の彼方まで続く凍った刃が埋め尽くした異形の大地。
それらは空から降り注ぐ光を反射し妖しい魅力を醸し出し、その光景を見た彼の口から素直な感想が溢れ出た。
「っと、余裕かます程の時間はねぇわな」
とはいえ、心惹かれる時間は一瞬だ。
惚けている善を突き刺す様に、先端を尖らせた氷の槍が地面から飛びだし善へと直進。
善はそれらを時には避け、時には砕き、ヒュンレイを探そうと視線を彷徨わせる。
「そこか」
そうしていると彼は無数の氷の塊に埋もれてふわふわと揺れる青白い『気』を視界に確認し直進。
その途中で襲い掛かる無数の氷の槍を迂回するように躱すと、その先にいたヒュンレイの背後に回り込む。
「しまっ!」
その姿を前にした瞬間、ヒュンレイは三十センチほどの小さな棍棒を作りだし両手に構え突き出すのだが、反射的に行ってしまった自らの軽率な行動を呪った。
「――――ふっ!」
拳と棍棒が衝突する瞬間、善が拳を解く。
すると自分の脳天に棍棒が届くよりも早く突きを行うヒュンレイの右手を掴み、荒々しい動きで掴んだ右手を起点に彼の全身を持ちあげ、
「オラァ!」
渾身の力を込め、凍てついた大地に叩きつける。
「ぐ、ふぉ!?」
二人を中心にした周辺の大地がちゃぶ台を返したようにひっくり返り、神殿だけでなく離れた位置にあるいくつもの山まで崩壊。
たったの一撃で地図を書き直さなければならない程の衝撃、それがこの戦いの開始を合図する号砲であった。
原口善が強いと言われる理由は人によって違う。
蒼野や康太などに聞けばその圧倒的な身体能力と話すだろう。
対峙した悪漢に聞けばその気迫、その意思、その魂と答えるだろう。
彼と同じ領域、『超人』と呼ばれる人々ならば、その技術と答えるだろう。
しかしごく一部、彼と幾度となく手合わせをした人間は、そのどれとも違う答えを返す。
原口善の強さ、それは雷属性無しで極限まで研ぎ澄まされた反射神経と、異様な動体視力だと口を揃える。
高等技術『クイック』
拳を握り、構えて、相手へと向け突き出す。そして体に向けて引く。
それら一つ一つの動きを無駄なく、素早く行う事が『クイック』の効果だが、原口善はその動きが異様に早い。
ポケットに手を入れた状態からでも気づかれずに手を引き抜き相手を殴ることができるし、ほんの一呼吸の間に数百から千回程、相手を殴ることもできる。
だがそれらを差し置いて注目すべき最も大きな点は、その早さと動体視力を活かし、相手の動きを見てから好きな行動ができる事だ。
彼が放った一撃を防ごうと相手が守りを展開すれば、それをすり抜けるように動き殴りかかることができる。
彼が後退したのを見て攻勢に出る相手に対し、瞬時に前進し殴りかかることができる。
彼の拳を相殺しようと相手が手を出せば、殴りかかることを止め、投げ技に移行することができる。
言うなれば、自分の『クイック』よりも遅い相手ならば、必ず『後の先』を取ることができるのだ。
それに加え一連の動作を高速で行える善は、どのような姿勢、どのような状況でも、精度の高い拳や蹴りを放つ事ができ、なおかつ相手の気を読み取る特殊な目は、相手がいつ動きだすか、予知することができる。
これらの要素を備えているゆえに、原口善は接近戦では世界最強と称されてされているのだ。
「仕留め損ねたか……」
天変地異が起きた空間の中心に立つ男、原口善が静かに呟く。
ヒュンレイを叩きつけたはいいのだがその感触は決定打からは程遠いと感じた。
具体的に言えば、地面にぶつける瞬間ヒュンレイの腕がすっぽ抜けたのを感じた。
その結果威力は半分以下に削がれ、結果としてヒュンレイ・ノースパスは渾身の一撃を受けたのにもかかわらず致命傷を負った様子もなく立ち上がり距離を取り、じっとこちらを伺っている。
「相変わらず、馬鹿みてぇな冷たさの体だ」
ヒュンレイの体に触れた右腕が、ひじの辺りまで凍り感覚がない。
マイナス百万度、馬鹿みたいな単位の冷たさを纏うヒュンレイの体に触れたものは瞬時に凍る。
氷耐性が高ければその度合いによって氷属性の冷気に耐えることができるが、全耐性を鍛え上げている善でも、連続一秒以上触れれば触れていた場所から順に凍り始める。
幸いなのはその氷の鎧の範囲で、周囲にある冷気まで全て集中させて初めて発揮できるため、直接触れない事には効果を発揮しないことか。
「氷造形」
原口善の右腕が凍りつく、この千載一遇のチャンスを前に指を咥えているほど、ヒュンレイ・ノースパスは馬鹿ではない。
「氷鞭・カンム」
氷属性粒子に木属性を加え、変幻自在に動かすことができる鞭を瞬時に作成。
「――――ふっ!」
常人の目では追えない速度の一振りを善が紙一重のところで躱しながら地面を見る。
鞭の当たった地面が抉れ、凍りつき、砕け、長細いクレーターを作っている。
「やべぇな」
あれに触れてはいけない。
そう察知した善の動きがこれまでの迂回し背後を取ることで確実に仕留められる動きから変化し、最小限の動きでギリギリ攻撃を躱し、一気に肉薄する物へと変化。
僅かたりとも時間をかけず、一気に勝負を決めにかかる。
「捉えられないか。流石だな!」
弧を描き放たれる絶氷の鞭打を躱しながら近づく善の姿に迷いはない。
少しでも触れればその部分を凍らせ砕く攻撃を前にしながらも前へ迫る事を止めず、凄まじい勢いで接近する。
それを見たヒュンレイは点ではなく面を埋めるように巨大な氷塊を作りだしては射出し攻撃の密度を濃くするが、それでも前へ進む善は止まらない。
「消えっ!?」
すると突如視界から消えた善の姿に僅かに動揺するが、理由を考えるよりも先に体が動き、視界に映らない後ろと真上に分厚い氷の板を形成。
間髪入れず真上から襲い掛かる衝撃の余波で大地が揺れるが、その奥……すなわち砕けた分厚い氷の壁の向こう側に善の姿を確認。
大気中に溢れる氷属性の粒子に自らの粒子を加え、大地を押し上げ善を挟む。
「エノルメ・ロウ!」
その結末を目にするよりも早く、ヒュンレイは身の丈の数倍の棍棒を作りだし一閃。
厚さ三メートルを超える隆起した大地と氷が混じった壁を煙を裂くかのように容易く両断するが、そこに標的の影はなく、
「背後!」
音を完全に置き去りにして近づいて来た善を相手に、作り上げた二本の棍棒で立ち向かう。
「しっ!」
対峙する善の右腕は未だに冷気を放っており、感覚が戻っていないのが一目でわかる。
つまり今、善は左手は万全だが右腕は物を掴んだり拳を握ったりできない状態なのだ。
「相変わらずむちゃくちゃですね君は!」
にもかかわらずヒュンレイの攻撃は全て捌かれ、不意打ち気味に放たれた蹴りが、彼の手に握られ複雑な軌道を描く二本の棍棒を正確に蹴り砕く。
「テリトリー・0!」
その結末を前にしたヒュンレイが凍った地面に冷気を飛ばし、触れたものを全てを凍てつかせる領域を作りだすが、それを察知した善が前のめりになっていた態勢を瞬時に立て直し、目にも止まらぬ速さで後退。
「まったく……厄介な移動術だ!」
その動きを前に、彼をよく知る人間ならば誰もが口にする感想を彼もこぼす。
近接戦に限ればほとんどの相手に対し有利に立ち回ることが可能な善だが、その根底を支えているのは四つの基本動作だ。
これにさらにいくつか加えたものが原口善が我流で作りだした基本形で、彼自身が『独式』と呼ぶものだ。
「壱式・発拳」と「弐式・影蹴」はそれぞれどのような体勢からでもノーモーションで放てる最速の拳と蹴りであり、「伍式」と「陸式」は同じようにどのような姿勢でも行える移動術だ。
「伍式・直歩」はノーモーションかつ光速に近い速度で縦方向に自由自在に移動できる歩法で、「陸式・曲歩」は「伍式・直歩」に速度では劣るが、左右の移動に加え緩急も自由自在につけることができる移動術だ。
これらを時に単体で、時に複数を混ぜ、さらに様々な技術を織り交ぜ戦いを進めていくのが、原口善の戦闘スタイルだ。
「絶氷界回!」
後退しながら鞭を作り目にも止まらぬ速さで操り周囲一帯を抉り砕くが、それでも善を捕えるには至らず、彼は大きく弧を描きながら近づいて来る。
「氷樹!」
無論、目の前の事実は十分に想定していた事だ。ゆえにヒュンレイは更なる手を打つ。
ヒュンレイの足元から凍った大地へ、氷で作られた根が伸び、善が踏んだ地面から木の枝が飛びだし善を追いかけ、動き続ける善の足場が徐々に減っていく。
「捕えたぞ!」
その結果かレアは左右と後ろを奪い、前に進むしかない一本道を作り誘導。
そこにやって来た善を確認すると彼はすぐに鞭を引っ込め、巨大な棍棒を瞬時に作ると大上段に構え振り下ろす。
「そんな大振りの一撃が当たると思ってんのか?」
あまりにも愚直で単純な行為を前に問いを投げかける善。
彼はヒュンレイが棍棒を振り下ろすよりも早く拳が届く距離にまで一気に近づくと、ほぼ氷が解けきり感覚が戻りかけた右手で拳を握り、渾身の力を込め振り抜いた。
「ご冗談を!」
その展開を予期していたヒュンレイが笑みを浮かべると、彼は右手を虚空に伸ばす。
「氷牙創葬!」
迫る拳が顔面へと迫る中、後退しながらそう唱えるヒュンレイ。
すると前後左右加えて上下のあらゆる空間から現れた千を遥かに超える氷の刃が善へと狙いを定め、
「行け!」
主の命に従い襲い掛かる。
「甘ぇ!」
それでも原口善を追いつめるには至らず、千の刃がその身に届くよりも早く、その全てが拳と蹴りという人が持つ最も原始的な武器により砕かれていく。
「馬鹿げている!」
一本あれば標高数千メートル級の山を続けて六つは斬り裂くことはできるほどの切れ味の刃を全て破壊しなお傷一つ付かない肉体を前に声を荒げるヒュンレイであるが、その結果に驚きながらも自らの身を守るたに再び氷の鞭を作成。
しかしヒュンレイが何らかの行動を取るよりも早く善は直進。
「しまっ!?」
鞭を見た瞬間先程のように迂回するか僅かに距離を取るであろうと想定していたヒュンレイが虚を突かれ、ほんの一呼吸の間に五十を超える拳を叩きつけられる。
「終いだ!」
全身を襲う衝撃により意識を失わぬよう歯を食いしばり必死に耐えるヒュンレイであるが、最後の一撃で吹き飛んだ体が木々を貫き山脈に衝突。
全身が粉々になるような衝撃が彼の全身に響きわたり、痛みが脳を支配した。
「っ!!!」
それに対抗するためにヒュンレイは血が出るほど強く唇を嚙み、離れかけた意識を必死に保つ。
ああ、やはり勝てないか。
山脈を揺らす程の衝撃を受け止め、それでも意識を保つヒュンレイが思い浮かべるのは、純然たる事実。
七年前、二人の実力はほぼ互角であった。
勝敗を決めたのは、意思の差であったと彼は思う。
勝ちたいという、思いの差で負けたのだ。
だが今はどうだ。
ヒュンレイは一方的に押され、今の殴打で再び右腕を凍らせてなお善には余裕がある。
「まあ……当たり前といえば当たり前ですね。やはり…………」
とはいえそれも当然の事ではある。
七年間自由に動けなかった男と、怨敵を超え世界を掴もうと日々邁進していた男の差が、そこには間違いなく存在し、善もそれを理解しているからこそ、これ以上攻める事はせず、凍った大地の上に立ち構えを取り静止する。
「…………」
もう諦めろと、口には出さずとも語るその目を見て、しかしヒュンレイは笑う。
凍った血が更なる冷気により吹き飛ばされる中浮かべられるその笑みは、この上ない歓喜に満ちていた。
「やはりこうでなくては!!」
ヒュンレイはそれでいいと、その結果を肯定する。
自らが超え続けたかった男が、時を経て倒すに値する強敵になっていたことに感謝する。
力試しと思い放った様々な攻撃を全て捌ききった事実に感謝する。
「今こそ、この命を賭けて君に勝とう!」
そして世界を掴むために日々精進してきた彼を、ただ彼を超えるためだけに日々を生きて来た自分が越すという未来を予期し、彼の気持ちは否が応にも高まり、普段の冷静沈着な仮面が剥がれ荒々しく凶暴な戦士の本性が現れる。
「っっっっ!」
離れた位置でそれを見た善が不穏な空気を察し、収めかけていた闘気を再び放ち始めるのだが、右足が凍っているのに気が付いたのは、そんな時であった。
「なに!?」
原口善の動体視力は光速で動く相手を完璧に視界に収める事ができるほどのものだ。
そんな彼が、いつ、どのようなもので、どうやって攻撃されたのかが一切わからなかった。
「準備運動は終わりだ善」
そんな彼の疑問は、しかしヒュンレイが手に持っていたものを見てすぐに解けた。
「ヒュンレイ……テメェのそれは」
「氷銃・ウェスバー。君を下すためだけに作ったものだ」
ヒュンレイが両手に構えているものは、遠目でもわかるほど強烈な冷気を放つ二丁の拳銃。鉄ではなく氷を固め作られたそれは世界に同じものがないヒュンレイ・ノースパス専用の物だ。
右足が地面に張り付き動けなくなるがそれを無理矢理引き抜き前に出ようと意思を固め
「っ!」
動きだそうとしたその刹那、善の体の至る所に氷の華が咲き誇る。
それはどれも中心部から無数の小さな氷柱を生やし彼の体を飾りつけ、その代償に触れた部分の感覚が失われていく。
「ヒュンレイ!」
あまりの速さ、あまりの冷気、そしてあまりの殺意を前に、山脈から舞い降りた友にして最強の敵に向け吠える善。
「雪華乱蘭!」
その声が相対する男を止める理由になることはなく、瞬きをする暇さえ与えず、ヒュンレイ・ノースパスは原口善の全身を氷の華で埋め尽くした。
ここまでご閲覧いただきありがとうございます。
作者の宮田幸司です。
本日も遅くなってしまい申し訳ありません。
書きたいことを書いていたら、こんな時間になってしまいました!
恐らく二話分近くを一気に書こうと思いこんな時間になってしまったのだと思います。
内容量と時間……難しい。
謝罪はこの位にして本編について解説を。
今回の戦いで馬鹿げた気温が出てきましたが、これについては勢いとかでなくこの星が我々の星とはまず気温の括りからおかしいと考えていただければ。
地球で言う絶対零度というのは彼らの中でも一部の怪物からすれば全く恐ろしくなく、それこそ一般人や動植物でも自由に動ける温度なのです。
といってもヒュンレイの場合その枠組みから更に外れた存在ですが。
長々と失礼しました。
また明日も投稿するので、よろしくお願いします




