約束された戦い
ヒュンレイの告白を聞き穏やかだった空気が霧散し、重苦しい空気と沈黙が場を占領する。
「もう、限界なのか」
善がそう口にして場の沈黙を破ったのは、カップに残っていたコーヒーを飲み干し、一息ついた時の事であり、普段蒼野達には見せない少々弱弱しい声色であった。
「ええ。申し訳ありませんが、これ以上は待てません」
あっけらかんとした、さして罪悪感なども感じていない様子のヒュンレイ。その答えを聞き善は目を伏せる。
それからしばらくの間どのような言葉を告げるべきかと試行錯誤を脳内で繰り返すのだが、
「…………無理だ。今のお前とは、戦えねぇ」
結果出てきたのは、そんなありきたりな返事だけであった。
「俺達戦士はみんな、大なり小なり戦いたい相手ってのがいる。死ぬ前にそいつと戦って死にてぇって奴も確かにいる」
「だが、そいつらのその願いが叶えられているかと言われれば否だ」
一言口にすれば後は容易い。
大人が子供に語るような当然の事を淡々と羅列し、なぜ自らが断ったのか説明する善。
それを聞くヒュンレイの顔に…………表情はない。
「君もそうである、と?」
「当たり前だ。誰が部下を……いや大切な右腕の自殺に手を貸したいと思う!」
「まあそれはそうですね」
無機質な、魂の籠っていない声で淡々と尋ねるヒュンレイ。
それと反比例するように吼える善であるが、その姿を前にしてもヒュンレイの様子は変わらない。
その様子を目にして顔には出さぬが善は焦る。
目の前の男は、何か大きな隠し玉を持っていると直感で判断する。
「君も既に理解しているはずだ。私がもうすぐ死ぬと。このまま放っておけば、私は老人のように徐々に衰弱し、最後には病床に伏し意識すらなく命を落とすはずだ。
そんな死を迎えるのならば、私は戦士として……全てを出しきって死にたい!」
そう言いながらヒュンレイは着ている蒼葱色の服を持ちあげる。
そうして善が目にした彼の肉体は無残なものであった。
服に隠れていた全身の至る所がまるで焼け焦げたかのように真っ黒に染まっており、皮膚が液状化し内部の筋肉が見えている。
並の者ならばそのまま崩れ落ちてもおかしくないその状態でなおヒュンレイが立って動けているのは、彼が類まれなる氷属性の使い手であるためで、崩れ落ちるはずの肉体を無理矢理凍らせ動かしているからだ。
「…………下の方もそうなってんのか」
「ええ、残念ながら」
困ったように笑うヒュンレイの姿を前に、善は顔を歪める。
そんな『少し困った』程度の顔で語るなと、叫びたくなるのを必死にこらえる。
彼がかかっているその病に明確な病名はなく、治療法も確立されていない。
きっかけは数年前、ヒュンレイと善がギルドを開き、ある依頼を受けた時の事であった。
たった二人ながらも実力の高さから世間に注目されていたギルド『ウォーグレン』は、あるとき神教から依頼を受けた。
それが『三狂』の討伐依頼だ。
各勢力の精鋭が結集しイグドラシルの指示の元、様々な戦略を駆使し『三狂』を追いつめたのだが、その最前線で戦っていた善とヒュンレイに『三狂』は牙を向いた。
対峙する相手の力は未知の病原菌を作りだすものであった。
そうして生まれたウイルスを纏った攻撃がヒュンレイに直撃したのだが、その効果は絶大だった。
ヒュンレイの全身に流れる血液に入ったウイルスは血液を全身に巡らせている心臓をすぐに支配。火属性による火傷や木属性による腐食とも違う謎の力で彼の体を粉々にした。
他の者ならば死んでいたそのウイルスに対し、ヒュンレイは自らの氷属性の力で全身を凍結させ寝食を防ぐことに成功。
以来ウイルスの進行を抑えるために自らの粒子の八割を使い進行を止めるよう努めてきたが、それでも年を重ねるにつれウイルスは徐々にだが体を蝕み、日夜ヒュンレイを死の危機にまで追いこんでいた。
さらに言えば体を温めることを極力控えなければならないため、飲食程度ならば問題ないが、激しい動きを伴う戦闘、走る等の運動もできない体になってしまった。
それでも生きるために必死に足掻き続けていた彼らは、アイビス・フォーカスの協力も得て特効薬の開発に勤しんでいたが、そんな生活にもついに限界が訪れていた。
その事実を、彼はいま善に伝えた。
「私はもうすぐ戦えなくなり、そして程なくして死ぬでしょう。そうなる前に私はあなたと戦いたい」
「お前の自殺に付き合う気はねぇって言ってんだよ!」
声を荒げ机を叩く善。
木でできた机は善の拳に耐えきることができず、軋むような音を一瞬発すると、善が叩いた場所を中心に粉々に砕け散った。
それを見ても余裕の表情を崩さないヒュンレイを見て、善は理解する。
今この状況は、八年前の再現であると。
あの時とは違い、今度は自らが追い詰められているのだと。
「どうしてもだめですか?」
「ああ、ダメだ」
心底残念というような沈痛な面持ちをするヒュンレイであるが、善は全く油断しない。
それどころかある種の諦念すら抱いていた。
自分は恐らく、この提案を拒めないという、嫌な予感だ。
「ならば私も手を打つしかないようですね」
「手を打つ?」
するとそう口にして一転、決意したような面持ちと口調でしゃべり始めるヒュンレイに嫌な予感を感じながらも善は聞き返し、
「ええ。この戦いを始める際に口にした表の目的を達成するために動きましょう」
「表の目的……っておいまさか!」
「ええ。我々『無貌の使徒』は『境界なき軍勢』に所属します」
「テメェ!」
ヒュンレイの答えを聞き、何かを考えるよりも先に立ち上がり、掴みかかろうと腕を伸ばす善。
「っ!」
その瞬間、キャラバンが大きく揺れる。
突然の出来事に動揺した善はヒュンレイを捕える事ができず伸ばしたは空を切り、この事態を予期していたヒュンレイは慌てた様子もなく窓を突き破り、外の世界へと飛びだしていく。
「ヒュンレイ!」
揺れが収まり始めたのをきっかけにキャラバンの中にいた善が口に花火を咥え、ヒュンレイ同様外に飛びだし、そこで思わず息を呑んだ。
辺りの雑木林とはまるで違う、草木の一本も生えていない凍った地面。
所々が抉れた山脈に、半壊の神殿。
それは決して忘れることのできない、八年前ヒュンレイと自分が死力を尽くし戦った戦いの場、『無貌の使徒』総本部、ケルマデス大神殿に他ならない。
「聞け! 原口善!」
思わぬ場所に移動した事に少なからず動揺する善であるが、そんな彼の耳に穏やかな普段の声色とは違う、荒々しさと雄々しさが混同した力強い声が聞こえてくる。
「我が名は『統王』ヒュンレイ・ノースパス! お前達が『無貌の使徒』と呼ぶ軍勢を率い『境界なき軍勢』への参加を望むものである!」
「その邪魔をするというのならば、私は…………その悉くを粉砕しよう!」
腕と同じかそれよりも短い長さの小さな棍棒を原口善に向けそう告げる。
それを見て、原口善は自らの右腕が何を言いたいのかを理解する。
「もしも貴様がその行いが悪であるというのならば!」
「全身全霊で………………わが野望を阻止して見せよ!」
もしもここで善が止めなければ、ヒュンレイは口にした通りの行動に出るかもしれないし、そうはならないかもしれない。
だが本気でそれを阻むとするならば、それは口先だけの行為では決して叶わない。
「その宣戦布告、必ず阻止してやる」
ならば、取れる手段はただ一つ!
咥えた花火に火を付け覚悟を決め、半壊した神殿の頂上部分で自身を見下ろす『仇敵』を睨み、息が凍る静謐な世界に、に夏の風物詩が燃える音が響き…………
次の瞬間、周囲の凍った大地全てが揺れる勢いで、彼は足踏みをし拳を構える。
「俺がやらなきゃならねぇのは、暴れる悪人を抑えつけることだ…………ヒュンレイ・ノースパス、お前が再び道を違えるというのなら、全力をもって阻止してやる!」
そうして彼は口にする。
自らがこれから執行する行為――――つまりは挑戦を受けて立つと声高らかに口にする。
それを聞いた瞬間、一瞬だがヒュンレイ・ノースパスは柔らかな笑みを浮かべた。
「…………」
「……………………」
八年前に死闘を演じ、今の今まで共に歩んできた二人。
その二人が、今再び衝突する。
ここまでご閲覧いただきありがとうございます。
作者の宮田幸司です。
少々遅れてしまい申し訳ありません。
本日分の投稿でございます。
そしてここから後半戦開始。
まあ大方の方は予想されていたかもしれませんが、善VSヒュンレイでございます。
彼らについてはこの戦いの最中で更に語ることになると思うのでここで話すもは野暮ですが、
裏事情を一つ。
多くのキャラクターには役割があるのですが、ヒュンレイさんの場合かなり明確で、
彼の示す形は『この星に住む戦士の望む死に方』です。
それが今回の物語で訴えられれば幸いです。




