ホテル『バンピーロ』 二頁目
兵頭我龍という人間は狗椛ユイのように夜闇を見透かすような目を持っているわけではないが、だとしても部屋の中を一瞥すればわかる事もあった。
「たく、これもあの案内人がいるせいで訪れた不幸か? 笑えねぇな」
口を掴まれて声を挙げられない様子はわからずとも、恐怖ゆえに体を小刻みに震えさせていることくらいはわかるし、そんな彼女へと向け大きな体が二つ、覆いかぶさるように近寄っていることくらいは把握できる。
「………………まぁなんにせよだ」
ゆえに我龍は前に飛び出すと、躊躇することなく二つの影の内の一つ。
ユイの口を塞いでいる影へと向け距離を詰め、大きく振りかぶった拳を撃ち出した。
「事情を聞かずにいきなり殴りかかってくるとは野蛮だな。しかも容赦がない!」
「そういうのは動けなくなった後でも間に合うからなぁ!」
その一撃を、受ける側に回っていた黒い影が躱す。
ユイの口を塞いでいた腕を話すと大きく後退し、地面ではなく壁に着地。
次いで自身へと向け敵意を放つ兵頭我龍に対し夜闇の中でも目立つ真っ赤な瞳を向け、
「――――!」
直後に彼の視界を埋めたのは巨大な拳骨で、それがどのような物か明確に知るよりも早く、彼の顔面は剛腕からなる拳の一撃を受け崩壊。
いやそれだけではない。
「ぐ、ぎぎぎぎぎぎ!!!!」
その威力に耐え切れなくなった体は壁にめり込み、それでもその威力を抑えきることができず全身の至る部分が可動域を超えた方向へと曲がって行き、
「ごばぁ!?」
「「!!?」」
直後にユイと我龍の視界に広がった光景。
それはついさっきまで自分達と会話を行っていた相手が、物言わぬ肉塊へと変貌したという嫌すぎる事実であった。
「は、あ………………?」
その光景を前にして狗椛ユイの脳が許容量を超える。
小刻みな呼吸を繰り返したと思えば頭を抱え、天を仰いだかと思えば意識を手放し目の前にあるベットに顔を埋めた。
「ちぃ!」
「おや。君は意識を失わないか。その年齢で殺人に慣れている………………つまりいくつもの戦場を歩いたということか」
「ハズレだバカヤロウ」
「ほう。ではなぜなおも動ける?」
「目の前に自分の命を狙って舌なめずりしてる猛獣が居て寝れる奴がどこにいるよ」
残る我龍はといえば自身へと注がれた敵意の危険性に気が付いていたゆえに意識を手放さず済み、後悔や吐き気を捨てるように、暗闇の中で蠢くもう一つの影に意識を注ぎ理解する。
(なんだこいつ。異様に手が多いじゃねぇか!)
部屋の明かりがついていない故にしっかりと姿を捉えられているわけではないが、目の前で自分に話しかけてきた存在は、大量の腕を生やしていた。
五本十本どころではない数が体から生えており、生理的嫌悪感を抱かせる動き方をしているのだ。
「めんどくせぇが、こういうのを課外授業っていうのかもしれねぇな!」
外の世界に出て初めて遭遇する敵対者であり、加えて言えば気味の悪い風貌をしているのだ。当然ながら恐ろしい。
けれどそんな感情を言葉一つで飲み込んだ我龍は大きく一歩踏み込むと、目の前にいる存在へと向け再度拳骨を撃ち込んでいく。
「危ない危ない。肉塊二号になるのは御免だ」
(躱した! てことはさっきの野郎より格上か!)
「では――――いただきます」
正体不明の存在はこれを屈んで躱すと、十本以上ある腕を我龍の木の幹のように分厚い足にまとわりつかせる。
「何しやがる!!」
蟻のように小型の昆虫が無数に這うような感覚に襲われ、悲鳴交じりの声を挙げながら考えるよりも早く足を増したへと踏み下ろす我龍。
「むぅ!?」
これにより夜闇に潜んだ存在の右肩から先が潰れ、その影響で我龍の足に巻き付いていた数本の細長い腕が外れる。
そしてこのタイミングで彼は後退を選択。
ベットに頭を預ける形で気絶しているユイと、青い顔をしたまま布団にくるまっているメイの間にまで移動する。
(血を吸ってやがったのか?)
火照った頭に幾分かの冷静さが取り戻され、先ほどまで無数の腕が巻き付いていた自身の足に視線を向ければ、細長い針に刺された跡が散見される。
「針に………………注射器か!」
このタイミングで我龍の瞳は夜闇に慣れ始め、対峙する男の肌が不健康に青白い事。
無数に生えている腕の掌全てから細長い針が飛び出ており、手の甲には自身の血を溜め込んだらしきシリンダーが張り付いている事まで把握。
次いで珍妙な格好をしたその男が再度我龍へと迫ってくるが、
「見慣れない建物に囲まれた初見の土地。いきなり襲い掛かって来た正体不明の存在。他にも今日一日で色々あったからな。正直言っちまうとかなりパニックだったんだがな」
「!」
「余分な血を吸ってくれたおかげですっきりしたぜ。んでもって理解もした。お前さん、実はそこまで強くはねぇな」
我龍は冷静に対処する。
無数の腕こそ不気味なものの、拘束から逃れる際に感じた抵抗はさほど恐ろしいものではないと把握すると、躱されないようしっかりと狙いを付けた上で大きく一歩前へ。
「おらぁ!」
気合の籠った声と共に繰り出された一撃は無数の腕が自身の体に触れるよりも早く目標の顔面に到達し、一人目と同じように壁に叩きつけた。
「か、は………………ぁ!」
「原型は残ってるし、小刻みに体を震わせてるってことは息もあるな………………色々と助かったぜ」
その結果を見届けたところで場を支配していた熱していた空気が冷めていき、戦いが終わったことを察しながら二つの意味を含んだ言葉を口にする我龍。
そのまま深いため息を吐きながら部屋の明かりをつけようとするのだが、そこで気が付いた。
「どこに行ったあの野郎!」
自身が殺してしまった一人目の刺客。
彼の四散したはずの体がどこにもない事を。
次いで襲い掛かったのは背中に鋭い刃物を突きつけられた感覚で、
「な、に………………!」
振り返って見てみれば、尻尾の先端部に注射器を付けた新たなる刺客のシルエットがあり、これを叩き潰すため、我龍は自身の体を百八十度回転させる。
「がぁ………………!?」
はずであったのだが、意図せぬ出来事は続けて襲い掛かる。
闇夜から出ずる新たな影。
それは一つではなく複数で、目標を捉え拳を撃ち出そうとしている我流の巨体に勢いよくまとわりつく。
そうなれば学生の範疇に収まらない膂力を備えている我龍とて容易に払い除けきる事は出来ず、手間取っている間に背中に刺さった針から血が抜かれ続け、徐々に意識が朧げに。
「ずいぶんと手こずったな。これで学生とは恐ろしい」
「けどそのおかげで今夜はごちそうが手に入るんだ。メリットとデメリットは釣り合ってるとみていいだろうさ」
片膝をつき呻き声を挙げる中で聞こえてきたいくつかの声。
それを聞き彼は、自分らがとんでもない所を宿に選んでしまった事を理解するのだが、そのまま意識を失う直前に、最後の抵抗に出る。
「ッッッッッッ!!!!」
「こいつ!」
「まだ動けるのか! もっと血を吸え!」
残った力と意識を全てを右腕に集め、砕いてしまうほどの勢いで床を叩く。
これによりホテル全域に大地震が起きたかのような衝撃が迸り、これが次戦へと繋がる狼煙となるのであった。
ここまでご閲覧いただきありがとうございます。
作者の宮田幸司です。
ホテル『バンピーロ』の乱、開戦。
初戦は我龍VS正体不明の相手ですが、彼等に関しては早い内に紹介できればと思います。
さてさて珍しく開始早々に脱落した我龍殿ですが、これは状況が色々と悪かったですね。
視界の悪さはともかくとして、今回語られていましたが『初めて人を殺してしまった』という思いから来る精神的なデバフの影響がかなりデカい。
これがなかったらもうちょっと周りに意識が言ってたはずです。
ただそんな中でもタダでは転ばず、最後の一撃を敢行。
次回はこの成果やこれまで明かされてなかった戦場の背景を語っていければと思います。
それではまた次回、ぜひご覧ください!




