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犬と紳士と闘争と 三頁目


「また連絡し直すということです。それでは失礼いたしますね………………………………はぁ」


 何とか両親への電話を終えた狗椛ユイが持っていた携帯端末を側にある机の上に置いたのだが、その頃には自分を攫った者に対する警戒心が当初よりも遥かに薄れていた。


「いや本当にどういう事ですの貴方がた? 文字が読めない連中が計画誘拐しようとするなんて、そんなことがあり得ますの?」

「あり得るから人質に頼むことになったんじゃないか。いやそもそも、これが想定外の出来事な事は既に説明したはずだが?」

「それ、自慢する事じゃありませんわよ………………」


 それほどまで場の空気は変わっていた。

 狂気で染まっていたような片言しか喋らない狂人の群れは間抜け面を集めた集団に見えており、彼等を纏める頭脳的存在のリーダー格は幼稚園の先生のように映っていた。いやそれどころか、己の家で雇っている雑用係のようにさえ思えてきた。


「文字の読み書きなんて、小学生でも習っていますのよ。貴方がたは義務教育を終えてないんですの?」

「…………ぎむきょういく?」


 突然の周囲の変化を前に頭痛さえ覚えていたユイは、自分の発言に対しリーダー格の男を含めた誘拐犯の大半が首を傾けたのを見ると、唸るような声をあげながら眉間を抑え沈黙。


「原始人か何かですの貴方がたは………………」

「げんし人………………あぁ。その言葉には聞き覚えがあるな。おそらく俺達はそのげんし人とやらだ」

「………………なんですって?」


 次いで冗談のつもりで言った言葉を受け入れられた瞬間、耳を疑った。


「一応聞きますが、貴方、言葉の意味を分かって言っていますのよね?」

「今より遥か昔の人類、という奴だろう。その通りだ。間違ってない」

「!」


 とするとより彼が正気であるかどうか知るためにそう尋ねるのだが、返された言葉を聞き彼女は息を呑んだ。目の前にいる男が、嘘をついていない事がわかったからである。


 それというのも狗椛家の令嬢である彼女が、犬由来の優れた嗅覚と聴覚を用い、相手の発する声の調子や心臓の鼓動などを元に嘘を見抜くことが出来るためであり、彼女は彼の言葉の真偽を即座に判定。真剣な目で彼を見つめ、事の真意を告げるよう促す。


「…………あまり詳しく話すつもりはないが触り位ならいいだろう。端的に言ってしまうとおれ達は、今より遥か昔からやって来た。科学文明とやらが全くなかった時代で、今よりもずっと物騒な時代を生きてきた」


 男はこれを受け入れず無視する事も出来たのだが、人質であった彼女の様子があまり好ましくない方向へと変化していることを察知しこれ以上悪い方向に転がせないため開口。

 語り始めると彼女は意識を彼に注いだ。


「………………どれほど昔なんですの?」

「既に言っている事だが、俺達は文字が読めん。だからどれくらい昔かなどは、わからんよ」


 すると質問を投げかけてくるのだが、全て語る必要がない彼は適当にあしらい、そこに緊張や声の変化がなかったため、ユイは素直に受け取ることに。

 次に彼女が気になったのは彼女の周りで飯を食べたり棍棒を振り回したりして好き勝ってしている狂人達に関してで、そんな彼らを指さしながら質問。


「彼等はなんですの。見たところ、気が触れて………………うっ!」


 しかし最後まで言い切るよりも早く、言葉を呑み込んだ。

 というよりも呼吸する事が出来なくなった。

 金の十字架を描いた仮面の奥から見える瞳から、強烈な殺気が発せられたゆえに。


「………………血のつながった家族。俺の兄さん達だよ。全員な」

「は、はい?」


 それが解かれたのは数秒経った後で、全身から大量の汗を流しながら彼女は床にへたれこみ、そんな彼女を仮面を被ったリーダー格の男は見下ろした。


「………………今と比べて、昔は荒れていた。安全な場所なんてなく、誰もが命を賭けなくちゃいけなかった。そんな中でも末弟だった俺を、みんなが大切にしてくれたんだ。『お前には才能がある』『幸せになれ』『強くなってみんなを導いてくれ』ってな。だから俺一人だけは、こうして正気を保っている。普通に話せている」

「………………………………」

「手荒な真似をして悪かったな」

「いえ、こちらこそ………………その、申し訳ありませんでしたわ」


 直後に発せられる声に込められているのは強い悲しみで、真正面から受けたメイは投げかける言葉を失い謝罪を行い、


「あの…………よろしければ読み書きを貴方のお兄様型にお教えしましょうか? わたくし、家庭教師、いえ人に教える仕事に多少なりとも携わっている身なのですよ」

「なんだと?」


 気が付いた時、そう口にしていた。

 それは罪悪感だけから来た言葉ではない。

 周囲にいる狂気に身を浸したリーダー格の男の兄弟が、食事や暴れる事しかしないのは『それしか知らない』ゆえであると判断したためであり、仮面を被っていた男は意外な言葉を聞いたことを示すように気の抜けた声をあげ、


「………………いやいい。遠慮しておこう」


 一瞬迷う空気を発したかと思えば、静かにそう返事をした。


「よろしいの、ですか?」


 とすればその胸中を優れた嗅覚で察したユイはそう尋ねるが、彼の返事は変わらない。


「ああ。そんな時間は許されていないようだからな」

「え?」


 なぜなら彼らへと向け飛来する存在が迫っていることを示すように敵意がログハウスを埋め、金の十字架を刻んだ仮面を被った青年が起立。


「セ、セロ!」

「敵だね。わかってるよ。ドス兄さんは他の兄さん達と一緒に、彼女を逃がさないよう見張っててくれ。他に邪魔者が来た場合の指揮は任せるよ」

「ワ、ワカッタ」


 そのタイミングで地中から飛び出してきたのは、他の面々とは一風変わった風貌をした男。

 ボロボロのベージュのチノパンを履き、上半身は裸の長身痩躯の男で、ボロボロの荒れた白の長髪で片目を隠したその男は、セロと呼ばれたリーダー格の男の指示に頷くと地中へ。

 海でも泳ぐような様子で周囲を動き回ったかと思えば、そのまま姿を消した。


「言うまでもない事だが、逃げようなんて思うなよ。そんなことをすれば、両手と両足はなくなると思え。わかったのなら牢屋に戻れ」


 その姿を見届けるとリーダー格の仮面を被った男、いやセロは踵を返し外へ。

 その際に発せられた言葉に嘘が混じっていない事を理解した彼女は、檻の中に戻ることしかできなかった。




「さてと、あとはここら辺で強い敵意を放てば誰かやってくると思うんだけど、上手いことあの強い奴が来るかな?」


 時間はほんの少々巻き戻りシェンジェンに移るが、彼はリーダー格の男が気づくよりも幾分か早く現場に到着していた。

 だというのにすぐに動き出さなかったのは戦場となる周囲の環境を調べていたゆえで、その結果、周囲の鬱蒼とした森に罠の類は存在しない事を確認。

 ならば想定通り動いても何ら問題ないと考え、


「ニャーン!」

「猫? こんな山奥にいるもんなんだ」


 そのタイミングで、声をかけるものがいた。

 いつの間にかシェンジェンの足元に近寄り頬を寄せていた茶トラ猫である。


「猫ちゃん猫ちゃん。ここは今から戦場になるからね。すぐに離れようね~」


 この猫をシェンジェンは猫撫で声をあげながら撫でた。

 それというのも彼が犬より猫派の人間であるからで、


「あらぁ。とってもお強い殿方である貴方でも、猫相手にはそんなナヨナヨした態度で接するんですのね――――ウケますわ!」

「………………はぁ!?」


 直後に猫の口から発せられた声は、置いて来たはずの猫目メイの意地の悪さを感じさせる声であった。


ここまでご閲覧いただきありがとうございます。

作者の宮田幸司です。


前回に引き続き狗椛ユイサイド。

そして敵の背景説明。

色々と事情があるのはそれはそれ。平和になったとはいえ戦が常の物騒なこの世界では待ってくれることはないのです。

という事で次回から戦闘フェーズです。


それとすいません。賞に応募する作品が今回いつもより長くなってしまい、執筆に時間をもらいたいと思います。

そのため9月6日から14日までと、長めにお休みをもらうのでよろしくお願いします。


それではまた次回、ぜひご覧ください!

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