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犬と紳士と闘争と 二頁目


「それにしてもなぜ連絡がこないのでしょう? 要求があるのならすぐに来そうなものですが」

「本部勤めのシェンジェン君を持って見事な手際と言ってのけた相手だ。何らかの意味があると思うのだがね!」


 夜九時半、ターミナル前簡易テントにて、真っ先に現場へと赴いたシェンジェンが抱いた疑問を、残っていた紳士淑女の面々も当然のように抱いていた。


「………………もしや、攫っても返す予定はないとか………………」

「く、口を慎め! そんな結末、あっていいわけがない!」

「し、しかし」


 問題なのはそんな彼らの想像力が悪い方に傾いた事で、彼等の頭はすぐさま最悪の方向へ。

 攫われた狗椛ユイが悲惨な末路に至る未来を想起してしまう


「! 電話だ!」

「場所の特定は済んでいるがもしもの事がある! 逆探知は忘れるな!」

「使える能力がある奴も使っておけ!」


 簡易テントに集まっていた彼らの間に広がるどんよりとした空気。

 それを吹き飛ばしたのは犬椛家当主センリの持っている携帯端末から流れてきた着信音であり、彼が声をあげながら腕を掲げると、他の者達が周囲の空気を払しょくするようテキパキと準備を開始。


「………………も、もしもし。狗椛センリだ」


 数秒で準備を終えたところを見届けると、慌てていたセンリは咳払い一つで冷静さを取り戻し、自身の動揺が悟られぬよう細心の注意を払いながら応答。やや強張った声が他の者らの耳に届く。


「お父様! わたくしです! ユイです!」

「お、おぉ! おぉ! ユイ! ユイ! 無事だったんだな!!」


 すると、彼が行っていた平静を保つ努力はすぐさま崩れ去る。

 無事でいて欲しかった最愛の娘が元気な声を発しているのだ。これは仕方がない事だろう。


「そ、それで………………それでだ! お前は今どこにいる! いや誘拐犯の目的はなんだ! 私は何を用意すればいい! お前が返ってくるのなら私は何でも用意するぞ!!」


 取り繕う事を諦めた男の口からは娘を思う心からの願いが零れ、見ている者達がその声に籠っている想いを察し胸を押さえつける。

 であれば話は次の段階に移るはずなのだが、ここで彼らは違和感を覚える事になる。


「彼らは単純にお金を求めているようです。金額としては十億ほど」

「十億だな! 待っていろ! すぐに用意する! 場所は! どうやって渡せばいい!?」

「ば、場所は………………………………えーオルレイユ第一港で、わ、渡し方ですのね。ちょっと待っててくださいまし!」


 犯人らしき人物が一向に出てこないのだ。

 その代わりに会話をしているのは人質の立場であるはずの狗椛ユイであり、彼女が発する内容も要領を得ないところが多い。

 いやそれどころか、意識を集中させ耳を傾けてみれば、人質らしい緊張感も見られないようだ。


「えーとですね、頑丈なケースに入れていただいてですね………………今から指定する場所に置いておけば勝手に回収するらしいですわ。時間に関しては………………また連絡し直すという事です!」

「わ、わかった! またなにか要求があれば連絡をくれ! なんでも答えるぞ!」


 狗椛センリは安心感と焦燥感に襲われているためそれらの事柄にあまり気を回せていないが、現状を振り返り彼らの頭には一つの『可能性』が浮かぶ。

 それは『此度の一件が狗椛ユイによる狂言の類ではないか』というものだが、結論から言うとこの予想は外れている。

 だが攫われた彼女が緊張感をあまり持っていないという予想は誤ったものではなく、彼女がそんな状況になった事を説明するため、時は十数分前に遡る。




「着いたぞ」

「………………………………はい」


 黄金の十字架を刻んだ仮面の男に攫われた直後から足を止めるまでのあいだ、樽でも背負うよう肩に乗せられていた狗椛ユイの心は絶望で埋まっていた。

 周りには頼れる大人だけでなく知り合いもおらず、何を目的とした誘拐なのかもわからない。

 周囲を囲っている木々は鬱蒼としており不気味で、明かりの類はまるでなく、動物たちの鳴き声だけが木霊する。


 そんな場所に連れてこられた彼女は、何らかの見せしめとして殺される可能性に関してまで考えが及んでおり、今が人生最悪の瞬間であると確信し、頭部から生えているさして大きくない茶色い犬耳をしおらせた。


「ウマイ! ウマイウマイ! コレウマイ!」

「ア! アニキダ!」

「アニキ! アニキ!」

「オカエリ! オカエリ!!」

「ひぃっっ!??」


 彼女のそんな予想が軽々と裏切られたのは目の前にあるログハウスに入ってすぐの事。持ち上げられていた状態から、乱暴な手つきで床に下ろされた後だ。


「な、なんなんですの! か、彼等は一体………………!?」

 

 土の地面に体をぶつけ、皮膚を僅かにだが傷つけ顔を歪めた彼女が声のした方向に顔を向け目にしたのは、ログハウスのリビングを埋めるように存在している『野蛮』という言葉をそのまま形にしたような者達。

 鍛え上げられた上半身を堂々と見せ、下半身は汚れた腰布で覆っているだけの存在で、彼等は

 両手をだらりと垂らし浅黒い肌をした体をやや前に傾け、二十人以上いる者の半数以上がお椀によそわれたチャーハンとたまごスープを食器も使わず手づかみでがむしゃらに食べており、残る半数は棍棒を持って模擬戦をしたりしていた。


 最大の問題はそんな彼らの似通った風貌で、彼等の大半は頭髪を全て失っており、ギョロリと目を飛び出しかけた状態で、舌を常時口から零していた。

 そんな何らかの薬物でもやっているのかと疑いたくなる姿は、お嬢様である彼女にとって近寄りがたい恐怖の対象でしかなかったのだ。


「お前の今後に関してだが、ひとまずはあそこに用意した牢屋に入っていろ。不審な行動をしない限り、こちらからは手出ししないと約束しよう」


 ゆえに自分を誘拐した男が彼等と何らかの話をした後に行ったその提案は、極上のビーフジャーキを前にしたとき以上に心動かすもので、彼女は残像が残る勢いで首を上下させ続けた後に、誰かに案内されるよりも早く鋼鉄の柵の向こう側に飛び込み勢いよく扉を閉める。


「………………はぁ」


 中は僅か六畳の家具やトイレが存在せず、ベットとちゃぶ台だけが置いてある狭い空間だったのだが、命の危機を感じている狗椛ユイは不平不満を漏らさない。

 部屋の隅に移動すると数分間、膝を負った状態でうずくまり口を閉じるが、心穏やかな時間はやってこなかった。


「ナァナァ。コイツクッテイイ?」

「ダメだ。彼女は大切な交渉材料。それを無駄に傷つけるんじゃない」

「ハーイ!」


 聞こえてくる心臓を握りつぶすような会話を耳にすれば、体を必死に丸めながら犬と人の四つの耳を塞ぎ震えるしかなく、


「コレナンダ! スッゲェヒラヒラ!」

「タカソウ! ウレソウ!」

「さ、触らないでくださいまし! 離れて!」


 着ている橙色のドレスに興味を持って柵の側に男達がやってくると、犬の嗅覚を持っているゆえに一般人以上に匂う悪臭と、彼ら自体に対する不快感から身をよじっていた。


 そんな時間が十分。彼女にとってはその百倍長く続いた感覚に囚われていたところで、彼女は不審に思う。


「あの……なぜお父様に連絡しないのですか? 何か目的が合ってワタクシを攫ったのでしょう?」


 抱いた疑問はターミナルにいた他の者達と同じ。

 『無意味な時間をどれだけ続けるか』というものだ。

 無論この質問をする前に彼女の頭には、『自分は人質ではなく鬱憤を晴らすための生贄として連れてこられた』という可能性がよぎったが、自分に手を出そうとする連中をトップらしき仮面の男が何度もたしなめているため、その可能性を半ばヤケになりながら除去。


 早くこの状況から解放されたいという思いに脳と体を支配された彼女は、喉から内臓が出てしまうのではないかという思いを抱きながら勇気を振り絞ってそう尋ね、


「それは………………」


 これに対しリーダー格の男が言葉に詰まらせ、


「オマエ、コレノツカイカタワカルカ!」


 それを察した連中の一人が飛び出し、手に持っていたものを檻の向こう側にいるユイに提示。


「??」


 信じられない気持ちに駆られながら、狗椛ユイは彼らの様子と、前に飛び出した代錯誤な格好をしたカタコトで喋る男の握っていたもの。


 すなわちなんの変哲もなく、どこにでも売っている市販の携帯端末を差し出し、


「………………至極残念な事なんだがな、本来の交渉役を俺達は君たちのいた場所で失ったんだ。だから交渉ができない」

「………………………………………………」

「こんなこと人質に頼むべきではないのは百も承知だが、俺達の代わりに交渉をやってくれないか?」

「あの…………正気ですの貴方達」


 リーダー格の男が、そんな耳を疑う提案を行った。

 

ここまでご閲覧いただきありがとうございます。

作者の宮田幸司です。


遅くなってしまい申し訳ございません。寝る前に必死の投稿です。


誘拐された狗椛ユイ側のお話、開始。

不穏だったり怪しい雰囲気だったり出ていましたが、なんともあほらしい事実が露呈します。

そんなアホ達の正体とは。

そして攻め込むシェンジェンたちを襲う予想外の出来事とは?


それではまた次回、ぜひご覧ください!

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