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犬と紳士と闘争と 一頁目


 狗椛家の一人娘を攫った誘拐犯が現場から立ち去ろうとするのを、シェンジェンは追わなかった。見送ったとさえ言ってもいい。

 なぜならそれほどまでに見事な撤退具合であった。

 エアボムを躱した動きの無駄の無い動きに、人質である少女を掴んだ後の迷いのない疾走。

 それに加えて認めたくない事実ではあるが、たとえシェンジェンが風属性をフルに使った全力疾走をしても、目標はそれ以上の速さで走っている事が、一目で理解できてしまったのだ。


「そこの君! こっちに来てくれたまえ!」

「犬椛殿のところのご息女を助けなければいけない! 幸い彼女が持ってる携帯端末は壊されていないから、発信機は潰されていない! これなら世界中のどこにいようと追えるぞ!!」


 だが、それで今回の件が終わりではない事はシェンジェンだけでなくこの場にいた紳士淑女全員がわかっていた。


 立場上一般人よりも遥かに狙われやすい彼らは、このような状況に陥っても慌てこそすれど混乱する事はなく、各々が持つ力を利用し飛行機に電車が行き来するターミナルの近くに簡易的ではあるが作戦会議用のテントを作成。


「まず第一にK・プロテクス家に連絡だ! 誘拐の目的が何であれ、追跡して来るものを封じるよう交渉して来るのは奴らの常套句だ。そうなる前に警備会社への連絡を済ませてしまえ!」

「それと戦力を早めに確認をしておきたい。各家系の長は、ワタクシ狗椛センリにお教えください!」


 絢爛華美な風貌に似合わぬこざっぱりとした場所の中でやるべきことをやっていくが、その手際の良さと判断の的確さを見て、最後尾にいたシェンジェンは舌を巻く。

 それこそ自分の出番など何もないのではないか、などと思ってしまうほどだ。


「我々を導いてここまで避難させてくれたそこに君! 見たところこういう類に関して我々とは場数が違うようだ。知恵を貸してくれないか! 頼む!」

「え、あー………………ワカリマシタ」


 そんな思い込みを吹き飛ばすように肥えた腹をした老紳士が鋭い目つきと声で話かけると、やや気圧されたシェンジェンが片言で対応。


 数分後。

 隠していた自分の素性を明かす事により多くの者らが心強い味方ができた事による歓喜の声をあげた。


「よし。ユイ君を攫った相手が足を止めたな。発信機に関してはまだ気づいていない」

「普通なら既に探りを入れてるはずだが、どうやら人物は科学文明に関して明るくないらしいな」


 それから更に数分後。犬椛ユイが攫われて十分少々が経過した時、動き続けていた対象が停止。アジトらしき場所に辿り着いた事を確認するのだが、このタイミングで状況が大きく動く。


「当主のカーゴ・K・プロテクス様に繋がりました! 敵の規模や現地の状況を教えて欲しいという事です!」

「電話を繋いだままにしておけ! 情報を解析したらすぐに伝える!」


 第一に貴族衆が抱える自警団、プロテクス家との連絡がつながった。

 彼らはクロバ・H・ガンクを筆頭としたギルド『アトラー』が外様用の戦力なのに対し、内部に力を注いだもの。

 つまり貴族衆内で起きた事件を解決する事に注力した組織であり、他勢力には漏れていない専用の装備を所持していたのだが、そんな組織の長と一行は会話。


「発信機が拾った情報によると、敵が拠点にしているのはここから千キロ少々離れたところにある木造二階建てのペンションだな。発信機が示した通りなら人数は二十五名ほどだ。流石に戦力の内役まではわからんが、ご息女を攫った者に一斉に近寄っている動きをしていることから、襲撃者はリーダー的立場の者ではないかと思う」

「よし。それをすぐにカーゴ殿に伝えろ!」


 手に入った情報をすぐに伝えると『必要な戦力をそちらに提供する』という返事があり、これを聞いたところで舞踏会に参加していた家系の長に、シェンジェンのように場数を踏んだものを咥えた総勢十八人が、テントの中心部にある木造の円卓へ移動。

 未だ待機している敵勢力へと奇襲をかけるための作戦を立てていくことになるのだが、陣頭指揮をするのは娘を攫われた狗椛家の当主狗椛センリで、彼は鋭い目をしながら机を人差し指で小突き、これにより真っ黒な三角錐の駒二十五個が無から生成された。


「話し通りならば、こちら側の戦力はこのくらいか」


 更に机を小突くと、向かい合うように真っ白な円柱の駒が多数と、円錐の駒が八つ。

 それに真っ赤な女性型の駒を一つ生成。


「まず第一にだ、ここには用意していないが、カーゴ殿はこちらが言った分だけの戦力を送ってくださるらしい」

「おぉ! それは心強い」

「とはいえだよ、個人で見た場合、ここにいるシェンジェン君以上の者は求められないと思う。さらに言えば現場にやってくるのには少しばかり時間がかかるだろうとも思う。ここまでで異議のある者はいるか?」

「異議なし」

「賛同しますよ犬椛殿。それで?」

「我々がシェンジェン君を除いてすぐに用意できる戦力は、我々の中に混ざってる腕利き数名に、ターミナル内に設置されている戦闘用のロボットなわけだが、守りに関してはある程度自身があるが、攻勢に出た場合はいまいち。つまり正面突破は中々に困難だと思う。シェンジェン君からしても、我々力ない者を守りながらの戦いは苦しいだろう」

「そうですけど………………あっさり認められるのは意外です」

「娘の命がかかっているからな。プライドなんて捨てるさ。そしてその上で君に頼みたいことがある」

「なんですか?」


 狗椛家の長であるセンリは語りながら机を小突き、するとそれに合わせるように駒が動き出し、ペンション代わりの長方形に真っ黒な駒が集合。その中心部に彼の愛娘を示した真っ赤な駒が存在し、それに向かって円錐型の真っ白な駒が一つ向かって行き、それに呼応するように黒い駒が一つ向かって行く。


「彼らの中に一際強い者がいるのは既に伝えた通りだが、君には彼を何としても引き付けて欲しい。そうして残った面々をこのターミナルに設置してある警備ロボットと、我々の中にいる戦える者で対処する!」

「…………作戦はわかったんですけど、承認することはできません。相手の実力が未知数な以上、犠牲者が出る可能性がありますからね」


 残る黒い駒の大多数は逆側から迫る白い駒の大群に迫り戦い始める事を示すようにぶつかり合うが、その光景を見たシェンジェンは首を縦に振らなかった。

 敵戦力が把握できていない以上、危険性に関して確証を持つことが一切できなかったからだ。


「ではこういうのはどうですかセンリ殿。シェンジェン殿を除く戦力は、残った相手を引き付けはしますが、実際には戦わない。相手をおびき寄せるだけに留まるのです。これなら守りの面では優れてる警備ロボットが大活躍するはずです」

「確かにそれなら我々側の負傷者は減るな。しかし娘を救えない!」


 ここでシェンジェンと狗椛家の当初のあいだに割り込んだのは、頬に凶暴な獣に引っかかれたような切り傷を付けた小麦色の肌をした三十代くらいの男で、無精ひげを生やし腰に慣れた様子で剣を携えた姿やここまでやって来た際の足運びから、シェンジェンはこの人物がどこかの家の用心棒であると判断。


「確かに引き付けるだけでは決定打には至らないでしょうな。しかしここで協力を約束してくださったプロテクス家の出番です。シェンジェン殿と我々が引きつけた事によって激減したペンション内の残存戦力を、彼等が片付けご息女の確保に向かうのです!」

「………………むぅ」


 話の矛先を向けられた彼は得意げな様子でそう言い切り、それを聞くと狗椛家の当主であるセンリを含めた周囲の者達が唸り、彼等は判断を仰ぐようにシェンジェンに視線を。


「…………プロテクス家の援軍の到着にはどれだけかかりますか?」

「連中は腕利きです。おそらくニ十分もあれば、全ての準備を整え、こちらにやってくるでしょう」

「発信機のある場所には僕だけなら一分で行ける。その上で他の人らを怪我させないタイミングで戦力として投入するなら………………………………」


 するとシェンジェンは顎に手を置いた状態で独り言をブツブツと呟き始め、


「彼の案で行きますけど、皆さんの安全を確保するために、突入のタイミングは僕の言う通りにしてもらいたいです。よろしいですね!」


 数十秒後。簡易テントに集まった紳士淑女全員に聞こえるよう声を張り上げると皆が頷き、シェンジェンは詳細を説明。全員が同意したのを確認すると、彼はいち早くその場から飛び出した。


「それにしても連中は何で連絡してこないんだ? これが目的のある誘拐なら、交渉の席はすぐに用意するべきでしょ」


 一つだけ気になったのは、夜空をたった一人で舞いながらふと口にした点。

 不安にさせぬよう誰もいない場所で呟いたその答えは予想外のものであり、


「あれ? メイちゃんは?」


 もう一つ、更に予想外の出来事に遭遇するのは、彼が敵のアジトに到達した後の事であった。



 




ここまでご閲覧いただきありがとうございます。

作者の宮田幸司です。


前回に引き続きウルアーデに住む一般人(富裕層)の活躍回。

こういうのを書いていると、最近のマイブームが『モブだってやれるんだ』というものだと自覚しますね。

といっても流石に戦闘面では本編キャラには及ばないので、次回からはお休み。

戦闘へと一気に移りたいんですが、その前にもう一話。

敵さんサイドや、シェンジェンが陥ったもう一つのトラブルに進みます。


それではまた次回、ぜひご覧ください!


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