原口積に花束を
それは奇妙な光景であった。
時は夕方から夜に代わる逢魔が時。
真っ赤な空と黒い天幕が混ざるその時に彼の者は姿を表す。
膝を折り黒い涙を垂らす積のいる真っ暗な空とは対照的に、自身の墓に座る善のいる側は美しい夕日に包まれており、それが二人の今の二人の立ち位置と心境を表していた。
「アニ、キ?」
「久しぶりだな。積」
不思議な事に理由はわからないが、積は確信を持てていた。
今目の前にいる男は、先ほどまで見ていた輪郭だけが似ている存在とは大きく異なる。それこそ『本物』であると。
(そんなはずはない。アニキは死んだ。これは間違いないはずだ!)
自身が至った結論が信じられず心の中で否定の言葉を並べる積であるが、すぐさまそんな自分を否定したい気持ちが心を支配し、困惑に困惑が重なり思わず頭を抱えてしまう。
「あの大事件の最中で死んでった奴らの想いを踏みにじって見捨てた事が『背負った罪』ねぇ。まぁ言いたいことは分かるが、んなもん知るかよって話だよ。死んだ奴らの胸中をどんだけ推測しても、それが真実だと断言できる証拠はねぇ」
「!」
「それに無理に助けようとしたら、お前が巻き込まれて死んでたかもしれねぇだろ。とすりゃ自己防衛の範疇だろ!」
「あ………………………………」
「てことでだ、さっきまでの刃お前を殺したい奴が見せた悪い夢だ。んなもんに囚われて自殺するのは馬鹿らしいし、相手の思う壺だ」
そんな中で聞こえてきた声はあまりにも軽いもので、けれどその気楽さが、追い払うように動く手の動きに合わせ、積の胸に刺さっていた鋭い刃を消し合っていく。
直後に背後を振り返ればそこに兄の姿を模した影はなくなっていた。
「………………なぁ、教えてくれよアニキ」
「ん?」
けれど積は、手にしていた刃を手放せなかった。自身を殺めるに足りる物を、未だしっかりと握っていた。
「俺が行ってきた十年の贖罪は、『間違った選択』だとアニキは思うか?」
なぜなら彼を追い詰める要因は一つではなかった。
『黒い海』が生み出した悪意の巨像が最後の最後に発した言葉。『積は誰かの夢を叶えることをできたことなど一度も無かった』という言葉が、なおも彼を追い詰めていた。
「………………至極簡単なものならできてたかもな。例えば『何を飲みたい』とか『どこに行きたい』とかだ。けどな」
「………………………………」
「酷かもしれねぇが、多分お前が本当に誰かになりきれたことはねぇだろうよ。もし完璧にこなしきってたとしたら、同じ場所に住んでた俺だって気づけるはずだからな」
そして至極残念な事にこの点に関しては善とて否定できなかった。
積の行った数多の努力は、彼の望んだ結果には至っていないと言うしかなかった。
「そうか。そう、か………………」
であれば積はまだ絶望に囚われたままで、前を向くことはできなかった。
この十年余りのあいだ彼を支えてきた目標が瓦解した衝撃は計り知れず、そうなれば積にこれから生きていくだけの気力は生まれなかった。
「けどな積。それは当然の事なんだ。誰かの真似程度ならできるかもしれねぇが、お前の望むような『本人になりきって夢を叶える事』なんざ、どれだけ心を読めたり記憶を読み取ることが出来る奴でも不可能なんだよ」
「………………え?」
だから善は弱り果てた弟に優しい声で伝えるのだ。それが当然であると。
「個々人の持ってる夢ってのはよ、そいつが歩んできた人生の蓄積で形成されるものだ。スポーツ選手になりたいって言った奴ならそいつがそう思うだけの経緯に思い。それに積み重ねた努力がある。一人前の戦士になりたいなんて不鮮明な目標でも、そこに至るまでの道のりや思考は存在する。つまりお前が夢や目標を叶えたいって言った奴らは、みんな千差万別の違う道を辿ってるんだ。もちろん俺だってそうだ」
「つまり………………この結果が普通、いや当然の事だと?」
「そうだ」
「けどよアニキ………………それじゃあ、やっぱり俺が愚かだってことで終わっちまうよ。俺は誤った選択をして、何も築くことが出来なかった。そんな俺は………………やっぱり生きる価値がないんじゃないのか?」
だがそこまで善が訴えても、夜闇に包まれた積は膝を負ったまま動けない。
体内に残っていた『黒い海』による必死の抵抗を示すように体中の穴という穴から黒い液体を流し続け、震える声で美しい茜色の空に包まれた兄にそう告げる。
「あるさ。お前には生きるだけの価値も意味も十分にある」
対する善は、そんな積を目にしても断言する。迷うことなく、絶対の自信を持って。
「言い切るんだな。どうしてだよ。どうして………………………………そこまで言い切れるんだよ?」
それを聞いても積の体から立ち直っていない事を示すように黒い液体が流れ続け、『自分が生きるに足る意味』を目の前にいる兄に尋ね、
「この十年のあいだ、確かにお前は間違った道を間違っていたかもしれねぇ。だとしても、その過程で築いた縁や物は本物だ」
「!」
「なぁ積よ。自分の人生は間違った選択をしていたと落ち込む弟よ。お前は蒼野やゼオス。康太や優。他にもたくさんの奴らや俺と出会った人生を無駄だと言うのか? 無意味で何も築くものがない人生だったと言っちまうのか?」
「………………ぁ」
「俺は死んじまってるが、それでもお前を慕ってくれる奴らはたくさんいて、その人らを悲しませないために生きる。それが生きる意味でもいいんじゃねぇのか?」
諭すような口調で語られる答えを聞き、黒い涙が止まる。
『生きるだけで意味はある』『人間は誰しも生きる意味なんてなく、見つけるのが人生だ』などと言われれば彼は立ち直れなかったかもしれない。
けれど生きるための理由に、自分を慕ってくれる多くの人々が挙げられた時、彼は解放された。
『自分の死で誰かを悲しませたくない』なんていう、当たり前の答えが積を襲う『黒い海』を完璧に吹き飛ばす一手となったのだ。
「ただまぁ、兄として忠告してやるがな、間違っているってわかった『誰かの夢を叶える』だけの生き方ってのはやめておけ。俺も、たぶん死んだ父さんや母さん。それに他の奴らも、そんな事でお前が残る人生の全てを費やすのは望んじゃいないはずだからな」
気が付けば頭痛は去り、耳鳴りは収まっていた。胸を襲う圧迫感も消え、さっきまで必死に掴んでいた刃は手放していた。
そしてそんな積を見て、善は楽しそうに笑いながらそう告げるのだが、
「これからは誰かのための人生じゃねぇ。お前は、お前自身のために生きるんだ」
「………………………………………………………………ふざけんな」
続く善の言葉を耳にする中、正常に戻った積を襲った感情。
それは強烈な怒りであった。
思えば積の人生が大きく変化したのはここ数年。蒼野達をきっかけに善と出会ってからであった。
それまでの積の人生に危険なことなど滅多になく、日々は穏やかなものであったが、目の前の人物に出会った事でそんな日々は粉々に砕かれた。
見知った顔の『夢』を叶えるための時間は、任務や他人との関わりで大きく減り、『十怪』に『三凶』、それに賢教の枢機卿や『果て越え』一行などと関わり、命の危機に陥ったことも数えきれないほどあった。
同年代の仲間達からぞんざいな扱いを受けた事は数えきれないし、望まぬ仕事をした事もあった。
厄介な女がストーカーになったのも頭を抱えたし、生きていて喜んでいた兄などは自分にいつだって無茶ぶりを投げつけた。
色々と大変な時に、弟を庇うどころか静観や指示役だったことだってたくさんあった。
そんな男が目の前にいるのだ。
積としてはこの千載一遇の好機に、文句の一つでも言いたくなるのが道理であろう。
「あ――――――――――――ありがとう!」
けれど思った通りの言葉は出てこない。
口を開いた時に発せられたのは、震える声で行われた感謝であった。
一人で送るはずであった日々が終わり多くの隣人が増え、本来ならできないはずの経験をたくさん積んだ。
辛い事や苦労する事がたくさんあったのは事実だが、それ以上に毎日が楽しかった。
それこそ贖罪に費やすはずの人生を忘れ、本心から笑えた時もごまんとある。
「お、俺! 俺! アニキにもう一度会えてよかった! 楽しかったよ! あの時もし会ってなかったら! きっとどこかで今みたいに絶望してた! そんで立ち直れなかった! 一生苦しんでた! だから! だから………………………………!」
そんな人生を送る事をできたきっかけである兄に対し、怒りはあれどそれ以上に感謝があった。
ゆえに涙を零しながら、積は頭に浮かんだ言葉を、整えるよりも早く外に出す。
どのような縁で導かれたのかわからない奇跡的なこの瞬間に、生前言う事ができなかったことを全て伝える気概で口を動かし続ける。
「………………そういえば一つ、訂正しなくちゃいけない事があったんだ」
「え?」
そんな様子の弟を見て、口から花火を話した兄は両足で地面を踏みながら笑みを浮かべ、次いで言わなければならないことを口にする。
「お前は確かに俺の真似をできてなかった。夢を叶える事はできてないがな…………実はもっとすげぇ事をやってるんだよ」
「どういう、ことだよ?」
「シュバルツ・シャークスを倒したことや、ガーディア・ガルフを何とか助けるために動くことまでは俺だってしてただろうさ。けどな、たぶんその場にいたら、俺はガーディア=ウェルダを助けるって選択まではできなかった。世界を滅ぼす危険の芽は、あの場で摘む選択をしてただろうさ」
「!」
「そんでそこで残した命が! 先の戦いで形勢を覆す最大の一手になった! こりゃ凄いことだ! 再興に痛快な事だ!」
その内容を聞けば次に発せられる言葉は自然とわかり、積は鼻水を啜りながら体を震わせ、
「胸を張れ積。お前は俺にはなれなかったが、俺以上の成果を叩き出したんだ。俺を――――超えたんだ!!」
思った通りの言葉を兄は弟に告げたのだ。
「じゃあな積。達者でな」
次いで夕日が完全に沈み、茜色の空が夜に染まる。
と同時に善は積に対し背を向けながら別れの言葉を口にして、
「ありがとう、ございます! ありがとうございます! ありがとうございます!!」
伝えきれなかった感謝を積は何度も口にする。
もし誰かに見られてみっともないと思われようと構わない。
心に宿った暖かい気持ちを全て伝えようと、呼吸をするのも忘れ同じ言葉を繰り返し、
「………………あぁ、そういえばもう一個忘れてたな」
「?」
そんな様子の弟の言葉を持ち上げた右手で制し、善が伝え忘れていたことを口にするため振り返り、
「『果て越え』に関する件から今回のイグドラシルの偽物騒動に至るまで、お前は最善最高の動きをずっとしてきた。だから――――――――――百点満点だよ」
「………………………………………………あ」
「本当に、よく、頑張ったな」
積が聞いて来た中で最も穏やかで優しい声色でそう告げられた時、滝のような勢いで涙がこぼれた。
もはや喋る事すらままならず、嗚咽を零し続ける事しかできなかった。
「ありが、とう! 兄…………ちゃん!!」
それでももう一度だけ、心からの感謝を幼き日に似た声色で積は告げ――――突風が吹いた。
「――――――――――――っ!!」
その風の勢いは凄まじく、呪いから開放されたものの疲弊していた積は、顔を手で隠しながら吹き飛ばされないよう両足に力を込め、
「あ………………………………………………」
風が止みもう一度目を開いた時、そこに兄の姿はなかった。
目にしたのは星が輝く夜闇の中を自由に舞う兄の遺品たるボロボロの学ランの姿で、それを拾おうと一歩前に進み手を伸ばした積は、けれどすぐに諦めた。
なんとなくではあったが、この形が自然であるような気がしたゆえに。
「ほらみろ! やっぱここにいたじゃねぇか!!」
「いやでも俺が見たときはいなかったんだって! 絶対に見逃してたわけじゃないんだって!!」
「タイミングが悪かったってことでしょ! それより今はアイツの事よ! 具合は大丈夫かしら?」
「…………問題なさそうだが実際に見てみるまではわからんな。急ぐぞ」
「「おーい」」
次いで聞こえてきたのは自分を探していたらしき友の声で、振り返れば必死さと安堵が混じった表情で近づいて来る四つの影があり、彼は控えめに手を振りながら迎え入れる。
そこに、彼を呑み込むはずであった絶望の影はなかった。
ここまでご閲覧いただきありがとうございます。
作者の宮田幸司です。
四章エピローグ。積の物語はこれにて終了です。
この『ウルアーデ見聞録』を構想していた段階から思い描いていた二人の話はいかがだったでしょうか?
正直なところ積に関しては察しが良かったり頭がよく回る点は描いていたのですが、この話に関してバレたくない一心で内面や他のフラグが不足していたかもしれません。
ここら辺はもし夢がかなって商業化したりするなら直したいところです。
それでも満足していただけたのなら本当に嬉しいです。
さて次回ですが、少年少女の物語もついに終わりへ。
長く続いた物語の最後に描かれる話を確かめてください。
それではまた次回、ぜひご覧ください!




