終末への巡礼
夕焼け空を飛んでいた烏たちの声が止むが、死にかけの積はその音を拾えない。真っ赤な空を認識する事さえ難しい。
「そもそもだ、根本から間違ってるんだよ。お前はな」
「うぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛っ!!」
だというのに聞きたくない言葉だけは、信じられないくらいしっかりと耳に入る。
意識を逸すために体を丸め耳を塞ごうともその声だけは感じ取ってしまい、声を遮るために喉奥から獣の慟哭に似たものを絞り出す。
「目を背けるな積。これは」
そのようにして必死に抵抗しても、脳と心臓を震わせる声が止まる気配はない。
凍える息吹のような冷たさで、鋭いナイフのような鋭さで、積の全身を突き刺し続け、これにより積は恐怖により体を震えさせるが、かと思えば勢いよく体を持ち上げた。体を丸めている地面が耐え切れないほどの熱を宿したために。
「お前が背負った罪。犯した間違いそのものなんだぞ」
その直後に見覚えのある輪郭をした影が発した言葉の意味を、積はすぐに理解する。
「あぁ………………………………」
なぜなら積は知っていた。
頬を撫でる灼熱の空気を
そこら中から昇る煙と悲鳴を
倒壊している建物の姿を
今、目の前で繰り広げられてる地獄の元々の姿に見覚えがあったのだ。
「あぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!????」
視界の先で幼き日に亡くなった親友が燃えており、死にかけな事さえ忘れ急いで駆け寄った積は子供の頃は払い除ける事の出来なかった瓦礫を投げ飛ばすが、手遅れだ。
幼い親友の腕を急いで掴むがドロリと溶け、地獄のような風景を形成する一部に。
「父さん! 母さん!!」
次に目にしたのは四肢を切り飛ばされた父の姿で、積はこれから訪れる結末を阻むために大急ぎで駆けよるが、頭部が破裂し脳漿が飛び散る結末を防ぐことはできず、
命乞いをする母を救うために武器を錬成し振り抜くも、全ての攻撃は過去の映像に届くことはなく、積の目の前で母はもう一度肉塊へと変化していく。
「あ………………あぁ………………………………」
なおも地獄は続く。
必死の抵抗を続ける大人達は仮面をつけた狂戦士達に殺され、隣で住んでいた老夫婦は、積を助けるための犠牲となった。
近くに住んでいた親切な青年は助けを求めるが、十にも満たない積は伸ばされた腕を払いのけ走り去り、肥えた体系の中年が足を掴んだ腕は無理やり解いた。
全てが既に起こった出来事。
今更後悔しても、救おうとしても、変えることのできない過去であり、見覚えのある形をした影は、彼等を指さしながら目の位置にできた真っ赤な空洞を積に向け、
「死んだ彼らが、死んだ自分たちが遺した物を残してくれと言ったのか? 目標や夢を叶えてくれと言ったのか?」
嘲るような声色でそう告げ、膝をついたまま彫刻のように固まっていた積は顔を強張らせる。
「言って………………ない。言ってないさ! だけど! 一人残された俺ができる事なんて! それくらいしかないじゃないか!! そう考えてたと信じて! できることをするしかないじゃないか!!」
そのまま喉を震わせるそう言い切る積であるが、そんな彼を見て影は断言する。
『彼らが何を望んでいたのかなど簡単にわかる』と。
「………………なんで?」
「死に際の人間が考えていた事なんざ、さほど難しくねぇ。そんな事、周りをよく見て巧く立ち回れる、聡明なお前ならわかってるはずだ」
怒りや悲しみさえ忘れ唖然とする積であるが、対峙する影の様子は変わらない。
変わらぬ嘲笑を浮かべながら指先を崩壊した建物に向け、
「あの影は『死にたくない』だ」
「あぁ!」
再び積の見ている前で燃え続ける親友を作り出し、丸焦げにしながらそう断言。
「あの影は『守れなくてごめん』。あの影は『助けてほしい』だ」
続けて現れた父と母はまたも同じ最期を辿る。
「んで、あの影は『なんで助けてくれないんだ』って思いだ」
「………………………………あ」
その時、絶え間なく襲い掛かる絶望により枯れた涙と死んだ心が、耳に響いた言葉を聞き再び起動し始めるが、それは決して幸福なものではない。
「あの影も助けを求めてるな。あの影だってそうだ。他にも手を伸ばしたり縋るような声をあげたのに、お前に裏切られた奴はごまんといる!」
「っっ」
「そんな奴らがお前に対して何を思ってるか。ここまで来れば流石にわかるだろ?」
影の発する嘲りが積に追い打ちを仕掛け、体内に抑えきれなかった感情が真っ黒な雫となって積の瞼から零れだすが、その勢いは時を追うごとに増していく。
最初は数秒に一滴程度だったが、少ししたところで瞬きをするたびに零れるようになり、それから更に時間が経てば、滝のような勢いで瞼だけでなく口や鼻からも零れ出し、
「みんな、お前が生きて欲しいなんて思ってないよ」
嘲りがなくなり、底冷えするような寒さだけを感じる声が全身を包んだ時、積は目にしたのだ。
自分の足元に生まれた黒い水たまりから形成された、虚ろな表情をした見覚えのある青白い顔の数々。
それが呪詛のような言葉を吐きながら、自分へと向け迫っていく光景を。
「――――――――――――――――――――――――――」
それが、悪夢の終わりであった。
精神が完全に崩壊した積は、それから二度三度と瞬きをしたところで夕焼けと夜闇がせめぎ合う現実に引き戻され、ほんの数秒前までが嘘のような体の重さに襲われて地面に沈む。
「俺は。俺、は………………」
そんな中、積の口から零れたのは無意識の抵抗。
生にしがみつきたいと訴える意志の最後の発露であり、
「まだ足掻くのか。無駄なのにな」
「………………………………………………………………………………」
「ならダメ押しだ。お前は『俺が言っていることが真実だと言える証拠がない』くらいに思ってるかもしれねぇがな」
「………………………………………………………………………………………………………………」
「だとしても無意味な事に変わりはねぇ。何せお前は、死んだ奴らの願いなんざ、一つとして正しく叶えた事がないんだからな」
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………え?」
「当然のことだ。何を疑う必要がある?」
けれど最後の防波堤も、気軽な口調で告げる影の言葉により粉々に砕かれ、信じられない気持ちで積が反射的に声をあげるが、影はなんの躊躇もなく断言し、
「どこまで必死になってもお前はお前。必死に真似をしたところで、他人に成り代わる事なんざできやしねぇだろ」
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
続くさも当然という様子の言葉を聞き、全てが終わった。
目指すべき道は間違いだと言われ、それでもと堪えた先でも当然のように挫かれた。
とすれば今の疲弊した積に何かを考える余裕はなく、虚ろな瞳をしたまま伸ばした右腕は、見覚えのある輪郭をした影が背景にしている宵闇へ。
「人間は………………喉を斬られて、適切な措置をしなければ………………当然のように、死ぬ」
現れたのは積の鍛え上げた喉を切り裂くのに十分な大きさと鋭さを秘めた刃物であり、その切っ先を見つめる彼の口からは色彩を失った言葉が零れ、
「十年前はできなかったけどさ、今なら………………できそうだ」
瞳から大量の黒い涙を零しながら最後の言葉を口にして、見つめていた切っ先を自身の喉へと押し込む。
「?」
直前、耳にする『音』があった。
「この」
その音はか細いものであった。
常闇に呑まれた草木が揺れていないゆえに、崖の下に敷き詰められている海が荒れていないゆえに、聴覚の大半を失った積は何とか耳にすることができた。
「音は………………………………」
それは派手さは全くなく、寂しい気持ちを湧きあがらせる。同時に名残惜しさと温かさを感じさせるものであり、
「――――――――――――!!」
それが線香花火に非常に似た音であると脳が判断した瞬間、積の頭の奥に浮かぶ『ある物』があり、『信じられない』という思いと顔をしながらゆっくりと振り返り、常闇に身を浸した積は目にするのだ。
「よう。随分とやつれてるじゃねぇか」
先ほど自分が墓にかけた学ランを羽織り、音の正体である花火を咥えた姿。
つい先ほど目にした輪郭をなぞっただけの黒い影などでは断じてない。
鋭い瞳にワックスでガチガチに固めた髪の毛。それに鍛え上げた体を備えたその姿を。
「つっても仕方がねぇか。色々あったみたいだからな」
「アニ、キ?」
「久しぶりだな。積」
沈みゆく夕日を背景に、自身の墓の上に腰掛けながら己に向け笑いかける兄、原口善の姿を。
ここまでご閲覧いただきありがとうございます。
作者の宮田幸司です。
突きつけられる言葉の刃と積の反応。そして最後の最後に現れたトリを飾る人物。
まぁ積に関する話の完結編。なおかつ最後のエピソードとなれば絡んできますよね。
という事で久々の善さん登場。二人の対話によってこの話を締めましょう。
次回(可能であれば)最終話。よろしくお願いいたします。
それではまた次回、ぜひご覧ください!




