古賀蒼野と尾羽優、森を駆ける 七頁目
突如現れた蒼野の姿に全員の意識が向けられる。
ライクルルと呼ばれた存在が、グランマが、そして味方である優が、思いもよらない事態に硬直する中、最初にその状況から回復したのは鋭利な刃物のような目をした男、ライクルルだ。
「…………君は?」
「……教えられません」
様々な精密機器が置かれている管制室の内部に緊張が奔る。
一歩間違えれば地雷を踏み抜くような張りついた空気の中、蒼野は時間を稼ぎこの状況の打開を図り、優は周りの状況を把握する事に専念する。
「た、助けてくれ。死にたくない……死にたくないんだ!」
無論、頭を働かせる者は彼らだけではない。
鼻から上の皮膚がなくなり骨や脳が見えている男、死にかけのグランマ・アマデラは必死に救いを懇願し、
「…………」
この場を今現在支配しているとも言えるライクルルは、目の前に突如現れた青年を推し量るような視線で眺めている。
「名を教える事ができないという事は、何か後ろめたいことでもあるのですかな?」
そんな中最初に動きだしたのは先程同様ライクルルだ。彼は膠着した空気をほぐすように長く続く息を吐いたかと思えば、自身の胸に手を置き、穏やかな声色を発した。
「私にはない。ゆえに名乗ろう。私の名はライクルル・ハロルド。悪人達の退治を専門のギルドに所属している賢教の民だ。今回ここに訪れたのは……神教の領土において悪事を働いている同僚を罰するためだ」
話し終えると両手を上げ、敵意がない事を示す男の姿に蒼野の気が僅かに緩む。
目の前で同僚らしき男を殺しかけたゆえにまだ信用できないが、それでも今の返しを聞き、少なくともこの場を丸く収められる可能性がある事を感じ取ったのだ。
「俺はすぐそばの町、神教のジコンに住む一般人です」
「ふむ……」
多少なりとも話さなければ、無駄に警戒させてしまうと思い蒼野が僅かながら自己紹介を行う。
それを聞いたライクルルは顎髭をいじり思案した。
「君はなぜこのようなところに?」
「とある人物から依頼を受けて、ここにいる人たちを助けに来たんです。と言っても全てが終わったあとでしたが」
二人の会話で場に張りつめた空気が急速に軟化していく中、暴れ続ける二頭の動きが徐々に落ち着いている様子を見て、その光景を隠れて眺めていた優の額に汗が浮かぶ。
援軍が来る前に何とかしなければ、この窮地を脱したとしても意味がない。
事情を知らぬ賢教の兵がこの状況を見れば、間違いなく自分たちに襲い掛かってくる。
ヘルメットの下で焦る優が、付いている通信機能を思い出し、蒼野に繋ぎ膠着状態の打開案を提案しようと考える。
「……ところで、ライクルルさんの用事はもう終わったのですか」
「いやまだだな。この男を賢教側に連行しなければならない。部下についてはこいつさえ捕まえておけば黙ってついてくるだろう。それさえ済ませれば用事は終わりだ」
「それはダメです」
穏やかな会話のキャッチボールが続いたと思えば、その時蒼野の厳しい声が館内に木霊する。
それでは男が殺されてしまうと考えた蒼野の思考が、優の指示よりも早く自らの目的を達成するために反射的にライクルルの提案を否定したのだ。
「ここは神教の領土です。だから彼は神教の手によって裁かれるべきです。
全ての責任が頭領一人に負わされるのなら、ライクルルさんは二頭の巨馬を止めようとしている彼らを引き連れ賢教へお帰りください」
緩みきっていた空気が、蒼野が話し始めたと同時に再び引き締まる。
話を聞いていた優が息を殺しながら場を見守り、ライクルルが何も言わずにただ立ち尽くす。
「何か不都合でもあるのですか?」
「…………いや、ないよ。そして君の言う事は最もだ。神教内の事件は神教で裁かれるべきだな。うむ、私はグランマの部下を引き連れ帰らせてもらおう」
何か考えている様子だったライクルルが壁伝いに部屋を歩き、入口へと向かって行く。
一歩ずつ、ゆっくりとした足取りで先へと進むライクルルから視線を外さぬ蒼野と優。
「ああああぁぁぁぁ!!?」
その時聞こえてきた断末魔の悲鳴に、蒼野が視線を向ける。
声の主は腹部から先端の尖った土塊を生やしたグランマ・アマデラだ。
「大丈夫ですか!?」
その振り絞るような叫びを耳にして蒼野がそこへ向かって行こうと動きだした所で、
「やっと……視線を外したな」
同時に、心臓を鷲掴みにされるような殺意が蒼野に注がれる。
直後、蒼野の視線が再びライクルルへと向けられ、そこで見た。
首の付け根から額に向け血管が浮き上がり、充血した目を見開くライクルル。
拳を握り、殺意を充満させ、彼は蒼野へと殴りかかりに来ていた。
「っ!」
化け物、怪物、悪鬼、あらゆる言葉を連想させる男の破顔が迫ると同時に、走ってくる少女の姿。
それを確認した蒼野が僅かばかりでも時間を稼ぐために被っていたヘルメットを投げつけ男の動きを抑えると、その一瞬を利用し優が一気に距離を詰める。
「なに奴!」
優が射程圏内に達すると同時に、ライクルルも背後から近づいてくる気配に気づき振り返り、迫る少女に拳の照準を変更。
「リバース!」
「………………何を」
「口を閉じてください。そんな事で寿命を縮めたくないですよね?」
迫る殺意から解放された蒼野が、すぐさまグランマに駆け寄り能力を発動。
無理矢理にでも動こうとする男を抑え、まだ間に合う事に一縷の希望を賭けその力を行使する。
「剛拳!」
「っふ!」
その背後、管制室入口で対峙する尾羽優とライクルルの両者。
ライクルルは蒼野に対する突きの姿勢から、背後に迫る優に対し裏拳の姿勢に変化。肘のバネと手首のバネ、そして体全体の捻りを活かし振り抜く。
「こっちの方が一歩早い!」
迫る拳の軌道は自らの腹部だが、相打ち覚悟でこのまま拳を撃ち抜いてもいいと優は考えていた。
今回の事態で最も重要な点は『時間』だ。
もしも外でのごたごたが片付けば、多数の敵が内部へと戻ってくる。そして誰か一人でもこの状況を見れば、全戦力がこの一点に集まる可能性が高い。
そうならないためにも、目の前の男を速やかに対処しなければならない。
ゆえに撃破だけを念頭に置いた一撃必倒の渾身の力を込めた拳。
相打ちだとしても時間を戻せる蒼野の存在を考えればそう悪くない策だと優は高を括っていた。
「っ!」
そう思いながら振り抜こうとしたところで、ライクルルの拳が自身の二の腕を通過した瞬間痛みが奔る。
思いもよらぬ事態に優は顎へと向けていた拳の動きを途中で変更。
握り拳を解き、迫る裏拳を屈めるだけで避け、足はらいでライクルルの体勢を崩し、腕を掴み投げ飛ばす姿勢に入る。
「女……貴様は!」
投げ飛ばす方角は前でも横でもなく真下の地面だ。
「せぇいや!!」
「ぐっ!」
地面を抉るような勢いで投げ飛ばされたライクルルの頭部が、耳を抑えたくなるような音を立てながら地面に衝突。地面が揺れ、グランマの時間を戻していた蒼野が目を白黒させる。
「もいっちょ!」
続けてライクルルが先程行ったのと同じく体を捻り、そのエネルギーを右足に込め腹部へと押し込もうと振り降ろすと、今度は右足に痛みが生じ、優が慌てて距離を取る。
「何かしら、これ」
チラリと足に視線を向けると、拳と同様に皮膚が剥がれ肉が抉れている。恐らくグランマの頭部を抉ったものも同じものだと推測するが、それ以上の考察をする時間を与えるほど敵も甘くない。
優が考察に頭を使う暇など与えず、前へ前へと攻めてくる。
「厄介ね!」
今回の戦いにおいて最も重要な要素は『時間』だが、それが厄介な要素となるのは蒼野と優の二人に対してのみだ。
ライクルルからすればむしろ同じ賢教の味方が上がってくるため、自らを優勢にする要素である。
無論グランマの惨情を見れば困惑する者もあらわれるが、それら全て自分たちに押し付けても疑い一つ持たれない程、二大宗教の仲は険悪だ。
それこそどれだけ蒼野と優が本当の事を話そうとも、何の根拠もないライクルルの言葉に耳を傾けるほどである。
つまりライクルルは援軍の到着をじっくりと待ち、時間を稼ぐだけでよく、蒼野と優の二人はこの謎の力の正体を暴くなりして、目の前の男を撃破する必要があるのだ。
「急いで蒼野、恐らくもうそこまで時間がない!」
「待たせた!!」
皮膚が抉られるような痛みに舌打ちをしながら優が掌から水を溢れさせ、身の丈を超える大きさの鎌を作成。一度だけ大きく振りきり、近づいてきたライクルルを後退させた。
と同時に、グランマの頭部周辺で漂っていた半透明の丸時計が消え、少なくとも頭部の傷と腹部の致命傷から回復したグランマから離れ、蒼野がライクルルとの戦いに参加する。
「こっちはたぶん少しだけスペック差で負けてる。数で攪乱するわ!」
優が現時点で理解しているのは、目の前の男が地属性が得意という事だ。
地属性の特性として、地属性の使い手は他の属性の使い手と比べ身体能力が高い傾向にある。特性によりパワー、スピード、タフネス等が他よりも秀でているのだ。
そのため、技術や特殊な才能、個人の格差を抜きにして均一に見た場合、その身体能力は他よりも一歩抜きんでている。
無論、それだけで戦いが決まるという事はありえないが、少なくとも近接戦闘において、地属性の使い手は最高クラスのスペックを誇っているのだ。
「痛え!」
「気を付けて。こいつの攻撃何か変よ!」
攻撃を捌いたはずの蒼野の竹刀が削られ、剣を握る両腕に皮膚が抉られるような痛みが奔り顔を歪める。
「邪教の……犬め!」
一瞬だけ動きが鈍くなった蒼野に、渾身の力を込めた拳が振り下ろされるが蒼野はそれを回避。地面は拳を中心に木っ端みじんに砕け、破片が辺りに飛び散る。
脳天に直撃すれば即死だ
そんな未来を思い浮かべ、蒼野の背筋が凍る。
「神教……神教神教神教神教ぉ!」
顔に浮かびあがった無数の血管がライクルルの叫びと共に破裂し、溢れ出る血が男の顔をさらなる狂気に染める。
「貴様ら神教の信徒は生きている事自体が大罪である!」
叫び声に呼応し男の周囲に目に見えない程細かな砂が集まっていく。
不可視の攻撃の正体はこれか。
蒼野と優の二人が違和感の正体に気がつくが、それでも疑問は残る。
二人に襲い掛かっていたのは目に見えない程小さな物だ。そんなもので何故あれだけの威力を出せたのか、それが理解できずにいたのだが、その疑問もすぐに解決する。
「シャアッ!」
「なんの音?」
大量の砂がライクルルのもとに集まると同時に、不自然な駆動音が辺りを支配する。
その事に疑問に思いながらも一斉に襲い掛かってくるそれを水の壁で防ぐ優であるが、水の中に入った砂の動きで音の正体を理解する。
水の中に入った砂粒が、波紋を立たせる。
見ると砂の一粒一粒が回転しており、触れるもの全てを削りながら前へと進んでいる。
「まずいわねこれは!」
水の壁から離れてからほんの僅かな時間を置いた後、無数の砂粒が水の盾を貫通。蒼野へと向かい一直線に伸びて行く。。
「クソッ、なんか俺ばっかり狙われてないか?」
「仕方がないわよ!」
勢いよく自身へと向け飛ばされる凶器を目にして蒼野が愚痴を吐くが、優はそれが当然と言い返す。
賢教の大部分には『賢温神寒』という考え方が浸透している。
読んで字の通り、神教の信徒に対し差別的な態度を示し、賢教の信徒に対し友好的な態度を示す、という考えだ。
蒼野が神教に住んでいるという事を聞いた後の態度や血気迫る表情はそれが理由なのはすぐにわかった優だが、それでも顔のいたるところに血管を浮かばせる程の変化はそうそうなく、ここまで恐ろしい執念を抱かせた賢教の教えに、彼女は身震いする。
「お前たちさえ馬鹿な気を起こさなければ、世界は平和だったのだ」
言葉に宿る怒りの念。その言葉に押されるように砂は早さと精度を増していく。
「千年前、世界は賢教によって統一されていた。だがそこに賢教の理念に異を唱える者が現れた。それが貴様たちの信仰する神教の祖だ!」
そうして彼は語りだした。
神教と賢教がいがみ合う、そのきっかけとなった1000年前の戦争を。
ここまでご閲覧いただきありがとうございます。
作者の宮田幸司です。
さて、先日お話した連続投稿なのですが、本日の朝方(恐らく十時過ぎ)と、夕方(十六時過ぎ)に
行わせていただこうと思いますので、よろしくお願いします。
ちなみにライクルルの今の状態なのですが、顔面や体中に血管やら隆起した筋肉やらが浮かんで、網目のついたメロンパンのようになっていると考えてもらえれば幸いです。
それでは、よろしくお願いいたします。




