『彼岸』再び 五頁目
未だ差は埋まり切っていない。以前有利なのはネームレスである。
この事実に間違いはない。
(さて、と………………やり口を変えなくちゃな)
しかしそう告げた本人、すなわち『名無しの女』当人が、事態はこれまでほど容易に転がりはしないことを理解していた。
なぜなら今回の依頼を受けるにあたり、彼らについて詳しく調べた彼女は知っているのだ。
原口積という男が分析力という一点において、五人の中で頭一つ以上秀でていることを。
だからこその速攻、だからこその透明化であった。
考える暇や材料を与えず、古賀康太を巻き込み一気に勝負を決める算段であった。
しかし今、築いた前提は崩れた。原口積が鋼色の箱を手にして透明化の呪縛を解いたことによって。
『ならばどうするか?』と、彼女は己に問いかける。
(…………ひとまず引くか。考えがまとまらないうちに戦いを挑んで、いい結果が得られる相手じゃない。一方的に視界の届く位置取りをしたうえで牽制を繰り返して、神経を削ぐところから始めるか)
答えは即断即決というワケにはいかなかった。
けれどひとまずの行動指針を決めた彼女は僅かに腰を落とし、持っていたナイフを口に咥えると同じものを革袋から取り出し、右手でしっかりと掴んで二人を凝視し、
「周りには生物の気配はねぇな………………やれ
「あとで蒼野に頭下げる必要があるな。コリャ」
「…………は?」
駆け出すより一歩早く、膠着状態は瓦解する。
彼女が考え、動き出すよう決意している十秒ほどの間に、感知術の類で最寄りの空間に自分ら以外の生命反応がない事を積と康太の二人は把握。
視界を埋める暴力的な光の発生源。すなわち左右に聳え立つ建物の山を銃弾と鋼の刃で砕いていく。
「思い切りがいいなぁ!」
降り注ぐ瓦礫の山を視界に収め、ネームレスが毒づき能力を行使するのだが、その顔は渋い。
(『瓦礫』じゃだめだな。跳ねたのが当たる)
彼女の持つ希少能力は自身の肉体に触れるあらゆる外部からの物や物理法則。いや万物万象が自身に影響を与えるかどうかの『有無』を選べるというものだ。
例えば自身の体に当たる夏の日差し。
例えば他者の視線や足音。
例えば星から発せられる引力。
他にも様々な物や事柄を指定し、『通す』と選べば他の人らと変わりなくその恩恵や被害を受け、『通さない』と選べば無視することができる。
「夏の日差し」を『許可しない』と決めれば暑さから逃れられ、
他者の視線を『許可しない』となれば、目の前にいるのに映らない透明人間へと変貌。足音を『許可しない』と思えば、それだけで無音の歩法が完成するし、
星から発せられる引力を『許可しない』と言えば、無重力の状態で動けるのだ。
(鉄にコンクリートそれに………………クソッ! 対象が多い! デカいものだけに絞るか)
これだけ聞けば強力無比な能力であるが、実のところ万能とは言い難い。
それというのも対象の選択をかなり細かくしなければならない点にある。
先の例に挙げるながら『夏の日差し』が当てはまり、この場合『秋』になったり『冬』になった場合効果が失われる。
さらに言えば『日差し』のみが効果の対象であるため、地面に籠った熱などは無効化できないのだ。
逆に『熱』を許可しないと広い範囲にした場合、外部から与えられる全ての『熱』を遮断してしまうため、彼女一人だけが極寒の地に投げ出される感覚を味わう事になる。
「そこだ」
「つぁっ!」
鉄にコンクリートなどを筆頭とした『当たった場合に大きなダメージがある』物だけを通過するよう指定し、残る物体は手にしているナイフで弾き、二人の視線から外れるよう弧を描く。
だが彼女に狙いを定めた康太の目は照準を外さず、引き延ばされた腕の先にある銃の引き金を絞る。
それにより発射された銃弾は、自身を中心とした周辺一帯を砕く威力を発揮。
躱しこそしたものの余波により強烈な痛みを覚えたネームレスの口から、悲鳴に似た叫びが零れだす。
「攻守交替だな」
「お前! 生意気!」
数多の瓦礫を吹き飛ばし、目標へと向かい一直線に伸びる空洞。
その穴が塞がるよりも早く中を通り、積が目と鼻の先まで迫る。
先ほどまでは避けていた接近戦を自ら挑む。
「お前自身が言ってたじゃねぇか。『前と変わったな』って」
繰り出される攻撃の数々は、実際のところそれほど脅威ではない。
鉄を用いた錬成であるため、全て彼女の体を通り抜けている。
「っ!」
しかし目の前にいる積自身が視界を覆う肉壁となり、時折背後から撃ち出される康太の弾丸を視認できない。
いつ来るかわからない最大の脅威に意識を注いでいるせいで、先ほどまでは圧倒出来ていた接近戦が拮抗状態になっている。
(視覚の有無が、ここまで!)
気づけば状況は覆されており、彼女は歯噛みする。
全てのきっかけがどこであるかに頭が向かう。
原口積が鋼色の箱を手にしたこと?
いやそもそもの問題として二人まとめて相手にしたこと?
はたまたもう一つの能力である『魔眼:彼岸の大華』が神器により、最初から無力化されていること?
他にも様々な事情が雪崩のような勢いで頭を巡り、
「宙を舞う砂埃。木の枝が触れた事によるできた頬の擦り傷――――万物の取捨選択…………いや、そこまではいかないか?」
そのタイミングであらゆる思考と音を超える平坦な声が耳に届き、一瞬ではあるが体を硬直。
その隙を縫うように振り抜かれた積の一振りが―――――ネームレスの頭部を捕らえた。
「な、ん………………」
「メイカーが作れるのは鉄を使ったものだけじゃないってことだ」
零れ落ちた困惑の答えは積の手に。
鉄斧は瞬く間に木のこん棒に切り替わっており、目に映る光景が左右にブレ、足腰に力が入りきらないことを把握しながらも、落下してくる全ての瓦礫を躱し、小高い山となった繁華街のなれの果てで、ネームレスは体勢を整え息を吐く。
「……あってるならやることは簡単だ。お前が絶対に捨てれないもので攻めればいい」
「は?」
「地面だよ」
その直後に繰り出された答えを聞き、彼女は顔を歪める。
積の口にした通り、『地面を捨てる』事ができない事こそ彼女の弱点なのだ。
「奔れ、怒髪の棘」
「クソッ!」
「そこだ!」
瓦礫の山を突き破り生えてきた無数の棘を、彼女は一度の跳躍で躱す。
とすれば自然と空中戦となるのだが、木と土を自身の体を通過する物質に加えてなお、積の放った蹴りは彼女の肉体に重い痺れを迸らせる。
(見た目通りじゃないな。中に何か仕込んでて、それが体を通過する邪魔をしてる)
降り注ぐ攻撃を対処しようと頭を回転させ続け、体に生傷を刻みながら目前に迫った障害を一つずつ対処していく。
「っ!?」
そんな彼女の高度が突如下降。
反射敵意下を見れば、地面から伸びた土の手が彼女を掴んでおり、切り裂くためナイフを振り抜く。
「丸呑み!」
その一手を積は、ネームレスを包む土の檻の生成に利用する。
薄い膜を全体に広げたそれは、硬度の面では不足があるものの視界を奪うという一点においては確かな効果を発揮し、
「オレに対する意識を削いだか? だとしたら詰みだネームレス」
数多の事柄を考えることによる集中力の消費。周囲に向ける意識の欠如。
すなわち己に割かれている意識が薄くなったのを自覚し、古賀康太が再び引き金を絞る。
この勝負を、決するために。
「………………流石に一番やばいアンタに対する注意を忘れるほど、あたしは馬鹿じゃない」
けれどそれを、彼女は躱す。
余波による衝撃により、右半身が吹き飛ぶような感覚に襲われる。
しかしそれらの『痛み』全てを『許可しない』と念じた彼女は、死に体ながらも万全の時と同じような動きを見せ、
「相棒が言ってたよな? 一度撃ち込んだら、その間に首と胴体がお別れするって」
「ちっ!」
「その予想は正しいよ――――」
射撃による一瞬の隙を見せた康太へと肉薄。
「させねぇよ!」
それを阻止するため、積が接近。
地面を強く踏んで数多の棘を飛ばすが、今のネームレスは『地面』さえ自身に影響を与えることを許しておらず、空を歩いている彼女は素通りで厄介な砲撃手へとたどり着く。
「!?」
はずなのに、彼女の体を無数の棘が食い破る。
足を、胴体を、右腕を突き破り、意識を刈り取る。
「お前自身わかってるだろうが、その力の弱点は考える事の多さ。不鮮明な情報に対する脆弱性だ」
「………………」
「つまりだ、混ざりものにはとことん弱い」
その一瞬のうちに語りかける積。そう呟く彼を見て、ネームレスはなぜ自分に攻撃が通ったかを知った。
彼の指先から延々と血が流れ、それが地面に染みこみ、広がり、混ざり、闇属性粒子を用いた黒魔術へと変化している。
「確かに強くなってるのは俺達だけじゃないのかもしれない。けどな、俺は誰よりも多くの修羅場を潜り抜け、こうして生き残ってる自身がある」
「………………」
「だから、誰よりも強くなってるっていう自信があるよ」
敗北の瞬間、耳に届いたのは自身を下した男のそんな声で、
「ほざけ」
以前とは違う。
完璧な敗北により意識を失う直前、彼女はそう毒づいた。
ここまでご閲覧いただきありがとうございます。
作者の宮田幸司です。
芽が見えるようになった瞬間から反撃、一気に決着までなだれ込む今回の話はいかがだったでしょうか?
ちなみにウンウンと悩んでいたネームレスですが、彼女の一番の敗因は積が姿を見えるようになった直後、一度『見』に回ろうとしたことです。
あの時点の情報が足りない二人に対して、『今のうちに攻め切る!』と考えて動くのが一番勝算が高かったです。
もちろん勝てるかはまた別問題ですが。
それではまた次回、ぜひご覧ください!




