『彼岸』再び 三頁目
午後八時五分、夕日が沈み既に一時間以上経た時分に開かれた戦端。
「………………」
(明かりを潰した。これで、より見えにくくなったってことか)
雲に触れる直前の高層階で対峙していたのは蒼野とイレイザーの二人であり、イレイザーの右手の人差し指を軽く動かすと、既に暗くなっていた部屋の照明が粉々に砕かれた。
これにより不可視の蝶『デスバット』がさらに見えにくくなるが、実際のところこの事態は蒼野にとっても恩恵があった。風属性の攻撃も見えにくくなったためである。
しかし今の蒼野は、それらの損得以上に気にかかる点があった。
(………………やりにくいな)
対峙してから今まで。ほんの数十秒のあいだに、二度三度と自身の記憶を振り返る。
結果抱いた感想は、目の前の人物との接点というのは、思ったほど存在しないというものである。
(だからって、そう簡単には割り切れねぇよ!)
しかしそれで『遠慮なくやれるな』などと思えるほど、古賀蒼野という少年は無感情でも無慈悲でもなかった。どちらかと言えば情に篤い性格ゆえ、切っ先を向ける事を躊躇してしまい、
「おいおい来ねぇのかお前さん?」
「……あんたをここで足止めするだけでも意味はあるんでな。不必要に手出しするつもりはねぇだろ」
「…………そうかい。ま、負ける心配がないってのはありがたい!」
蒼野の発言を聞いた直後、イレイザーの背後に控えていた大量の蝶が、津波となり蒼野へと向かっていく。
「容赦なしかよ!」
「言っただろ。これも仕事だってな」
「風刃・裂破掌」
屋内での戦闘ゆえに逃げ場は少なく、強烈な風の砲撃で無数の蝶を無理やり跳ねのけると、空いたスペースの中に体を捩じ込み、事なきを得る。
「古賀蒼野、お前さんはもうちょっと賢く生きるべきだと思うぜ」
「どういう事だよ?」
「割り切ることを覚えるってことだよ!」
無数の蝶の破裂により生まれた衝撃波。
これにより壁は軋み、砕け、内装や家具の類が粉々に砕け散る。
体を丸めた蒼野は皮膚にガラスの破片が薄く刺さる程度で事なきを得たのだが、蝶が放つ衝撃波では仕留めきれないと判断したイレイザーは即座に前へ。
持っていた黒いステッキーを勢いよく伸ばすと、体を丸め守りを固めていた蒼野を勢いよく突き、吹き飛ばした。
「知人だろうが友人だろうが、戦場であれば戦うのが常だ。それが俺達の星、というより人類の常識だろ?」
「っ」
「俺が負けないってことは、戦っていればいつかお前が負けるってことだ。そうなりゃお仲間が危なくなる。そこまで考えての行動かい?」
吹き飛び、ビルから落下する状態から瞬く間に帰還する蒼野。
彼に対しイレイザーは語り続け、そこまで聞き終えたところで蒼野の視線が僅かではあるが鋭いものに。
「イレイザーさん」
「ん?」
「ありがとうございます」
「………………それ、自分を殺そうとしてる相手に言うセリフじゃないぞ」
自身に対する場違いな言葉をイレイザーは叱る。
ただその顔はまんざらでもなく、
「「っっ!!」」
蒼野が練気を身に纏い、僅かに屈んで前に進む。
その動きに完璧に合わせ、イレイザーも疾走。
二歩三歩と進んだ先で、先ほどまでの一方的展開とはまるで違う、真正面からの衝突が開始。
手にしている黒いステッキーと刃のない剣を中心に、空いている左腕と両足も交えた攻防が始まる。
「風刃・裂破掌!」
瞬く間に行われた千度の衝突。その結果は両者ともに一度たりとも重傷を受けない互角であり、状況を変化させるため、蒼野が空いていた左手から風の砲撃を発射。
「デスバット! 行け!」
それを真横に躱したイレイザーは、反撃としてステッキーを持っていなかった左腕を真横に振り抜く。
これにより動いたのは、彼の背後で生成され待機していた大量の蝶で、それらは更に連続で撃ち込まれる風の砲撃を躱す主を守るため、蒼野へと向け襲い掛かる。
「っ………………退けない!」
即座に後退しようとする蒼野であるが、思うように体が動かない。
手にしている剣が、伸縮自在なだけでなく変幻自在のステッキーに絡めとられたのだ。
「時間破戒!」
「情報に挙がってた新しい能力か!」
ならばと唱えるのは、イレイザーが初めて見る力。
過程を吹き飛ばし、瞬く間に結果に辿り着く時飛ばしの力である。
「後ろか!」
滝のような勢いで蝶が降り注ぎ蒼野の身を覆ったとき、けれどその姿は跡形もなく消えていた。
どこにいるのかすぐに気が付いたのはイレイザーが感知能力に優れている故で、振り返り姿を確認する頃には、四方に留めていた蝶を動かし始めていた。
「暴竜!」
「な、に!?」
その悉くを、蒼野が繰り出した風の竜が跳ね除ける。
あらゆる障害を易々と突破し、主の敵を呑み込み、ほんの一瞬ではあるが、嵐が去った後の静寂が訪れ、
(躱したタイミングで大技の溜めまで短縮してたか!)
「………………降参は?」
身にまとっていた黒のスーツがズタズタに引き裂かれ、片膝をついたイレイザーを見下ろしながら蒼野がそう尋ね、
「デスバット! ラージインパクト!」
返答は、まだ蒼野が目にしたことのない能力で。
とはいえ壁一面を覆う大きさの不可視の蝶を目にすれば、その効果は一目瞭然。蒼野は唯一の安全圏であると予期したイレイザーの真正面へと時間破戒で跳躍し、
「ま、そう来るよな」
それを読んでいたイレイザーが、強烈な衝撃波の発生と共に、手にしたステッキーを目の前に現れた蒼野の頭部へと振り下ろした。
「捕まえ、た!」
「?」
その一撃が届くよりも早く、蒼野は反応することができ、剣を掲げる事が出来た。
予想外であったのはステッキーが振り下ろされる過程で鉤爪のような形に変化し掴まれたことで、蒼野が困惑している内に、イレイザーは空いている左手で蒼野の腹部を殴打。
「あっぶねぇ…………!」
けれどそれはギリギリ反応することが間に合った蒼野の左手で防がれ、
「………………弾けろ。デスバット」
「っっっっ!」
その展開まで読んでいた彼が開いた掌から現れた一匹の蝶。それが蒼野の左手首から先を吹き飛ばした。
「一気に決めさせてもらう」
慌てて後退する蒼野に対し、距離を取らせはしないと迫るイレイザー。
片手分の差は瞬く間に現れ、互角であった近接戦の戦況は暗殺者優位に傾いていく。
「時間――――」
「させねぇっての!」
少しでも間を置けば、古賀蒼野という少年はこの状況を覆せる。
それを知っているゆえに、イレイザーの攻撃は苛烈だ。
反撃や怪我の修復など一切認めぬと、息つく暇もなく攻撃を繰り出していく。
「おっと!」
「よし! 押し勝てた!」
「いや………………残念ながらそりゃ悪手だ」
振り抜かれたスーツを履いた右脚が、蒼野の脳天目掛け飛来する。
手数が足りず劣勢を強いられている蒼野は、これを躱すことを諦め、自身も右足を振り上げ反撃。
蹴り同士の衝突は蒼野の勝利に終わり、イレイザーが衝撃に耐えきれず後ずさる。
パァン!
「っっっっ!」
その隙に回復を行おうとした蒼野の右足が、軽快な破裂音と共に吹き飛ぶ。
それは接触の際に自身の右足に付着した不可視の蝶によるもので、即座に体制を立て直せず、蒼野が片膝をついた。
「手数の差による敗北、か」
「風刃・一閃!」
「当たり前っちゃ当たり前だが、言葉にしちまうと随分と呆気ないな」
悠然とした足取りで迫るイレイザーへと向け、風の刃が迫っていく。
それは彼の頬を僅かに傷つけるが、彼の足はなおも止まらず、確実な『死』を与えるため、掌に留めた蝶を顔面にぶつけようと距離を詰め、
「ギリギリ!」
「今の風刃が狙ったのはそれか!」
そのタイミングで、吹き飛んだはずの蒼野の右足が彼等の間に挟まり、
「破裂返しだ。受け取ってくれ!」
二人の目と鼻の先で、持ち主の命により内部に循環させていた風属性粒子を放出。
右脚が粉々に砕けるのと同時に、周囲のあらゆるものを吹き飛ばす風の爆弾へと変貌した。
「時間回帰!」
「クソッ!」
今度こそ距離と時間を稼げ、吹き飛んだ自身の左手と右足を急いで修復する蒼野。
その姿を目にして振り出しに戻ったと理解したイレイザーは、蒼野の一挙一動を逃さぬと意識を集中させ、
「あんたの言う通りだイレイザーさん」
「?」
「勝敗を決するのは――――――」
そんな彼を前に、蒼野が時間回帰を発動する。
一度や二度ではない。三度四度、いや十度以上連続で行使。
「どこを狙って?」
イレイザーが少々不審に思ったのは、その狙いが自分ではない事で、しかし時間が戻ることで生じた結果飛来した風の砲撃を前に理解した。
「単純な物量差だ!」
十ヶ所以上の巻き戻った時間。
これにより襲い掛かるのは、これまで蒼野が繰り出した様々な攻撃であると。
「お、おぉぉぉぉぉぉ!!?」
相殺するべく周囲に展開していた不可視の蝶全てを動くよう指示を出すイレイザー。
「原点――――回帰!」
「!」
その抵抗を嘲笑うように、あらゆるものをゼロに返す赤が宙を舞い蝶をかき消す。そして、
「接近戦なら互角だと思ってるかもしれないけどな!」
「なっ!」
「時間回帰ある分、こっちの方が無理がききやすいんだよ!」
被害を最小限に抑えようと動こうとするイレイザーに蒼野自身が張り付き、直後に時間回帰により再生したあらゆる攻撃。
風の砲撃に斬撃。竜の形をした暴風が、二人の体に襲い掛かり、
「おぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
「ぐ、あぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!!!
それを受けながらも、蒼野は風の塊を掌に装着して目の前にいるイレイザーを殴打。
手足に腹部。顔面に鳩尾を、延々と殴り続け、
「俺の、勝ちだ!」
竜の細長い胴体が通り抜けた時、数多の傷を『時間回帰』で戻しながら、目の前で大の字で倒れたイレイザーを見下ろし言いきり、
「殺さないのか? やっぱ甘ちゃんだねぇ古賀蒼野」
「…………さっき暴竜に呑まれた際、抵抗できただろうに俺の攻撃をわざと受けた人に言われたかねぇ」
「気づいてても言うなよ。恥ずかしいじゃねぇか」
呆れた様子で空を仰いでいたイレイザーは、しかし蒼野の返答を受けると、恥ずかしさから自身の顔を両手で覆った。
ここまでご閲覧いただきありがとうございます。
作者の宮田幸司です。
一話で一気に終わらせる予定だったため、結構な分量になった今回の話。
蒼野や優、それにアイビスみたいな自己再生持ちを書いてると常々思うんですが、四肢欠損をポンポンできるのってすごく楽ですね。
簡単に負傷具合を表せるのがいい。
さて今回の話を振り返ると、『どっちも甘ちゃん』でまとめられちゃうと思います。
さて次回は、その甘さが極端に薄い面々。康太・積VSネームレスに移ります。
それではまた次回、ぜひご覧ください!




