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慟哭のピリオド 二頁目


 とても、とても心地よい感覚が彼の全身を包んでいた。

 足のつま先から頭のてっぺんまで、全てが満たされている感覚。抗う事もなく、ただ受け入れるだけで訪れる幸せ。

 その状態に身を浸し、彼は穏やかな笑みを浮かべている。


「――――!」


 ただ、そんな安寧の時を揺らすこともあった。

 外部から彼の耳へと向け、飛び込んでくる『音』があったのだ。

 何を言っているかもわからない。けれど今この場においては不必要で不快な『音』。それは彼にささやかな苛立ちを抱かせるが、彼がそう思った直後に『音』は去り、望んだ時間が戻ってくる。


 そうして彼は、その身をさらに深くへと沈めていく。

 自分がいる場所が底の見えない黒い水の中で、何もしなければ死を迎えると知らぬまま、己が意識を鎮め続ける。


――――誰かに見て欲しかっただけなのか? それだけのために、これだけのことを?――――


「……………あ?」


 その時、彼の耳に届いた『音』が、いや『声』があった。

 彼が、バークバク・G・ゼノンがそれを『声』と認識できたのは、耳に届いた内容が彼の最も触れられたくない恥部であり、声の主が誰かを知らぬまま、彼は強く念じるのだ。


 殺せ。あの者を活かしてはおけぬ、と。


 それが終わりの始まりであった。




「積! そっちに!」

「あぁわかってる。悪いが援護を頼む。この量を捌くのは今の俺にはかなりきつい!」


 確かな確信を持って放たれた言葉の弾丸。それが望んだ効果を発揮したことを理解したのはすぐ後のことであった。

 今まで自分を含む六人全員に、ほぼ均等に襲い掛かっていた超高熱を身に纏う蠅の大群。その行き先が積一人に絞られ、黒い塊となり迫りくる。


「あぶねぇ!」

「サンキューヘルスさん」

「いいって。それよりこの様子」

「あぁ。あたりを引いたな」


 途端に援護に向かうヘルス。彼が急いで積を肩で背負うと、その後を追うように蠅の塊が迫っていく。


「なんだなんだ。千歳超えてるクセに、そんな幼稚な理由で暴れるのかよクソ爺。品性を疑うぜ!」

「ダマレ! ダマレ! ダマレダマレダマレ!」


 とはいえ未だ意識が他者に向けられている気配を積は感じ取っていた。

 ゆえにさらにこちらに意識を注がせるため、神経を逆なでするよう言葉を吐く。そうすれば、理性を失った怪物は面白いほど食いついて来る。


「お、おい積君。あんまり煽りすぎるのは危ないんじゃっ!?」

「ガキみてぇな反応しやがって! お前みたいな嫌われ者がなぁ、人に構ってもらえるかってんだ!」

「人の話を聞いて!?」

「アアアアァァァァァァァァァ!!!! ソウジャナイィィィィィィィィ!!」


 攻撃の勢いだけではない。身に纏う圧も悲鳴のような咆哮に合わせて増していく。それでもなお怪物はゼオスや康太の攻撃を捌くことができるだけの余裕があり、ヘルスの注意も放り投げ積が語る。


「そうじゃないだと? なら――――あんた自身の口でしっかり言葉にしてみろよ!」


 それだけではない。今までのように一方的に殴りつけるのではなく、自我の崩れた怪物に語り掛け始める。


「ワシハ…………ワシは許せナカッタノダ!」


 それに反応し、声が届く。

 未だ狂気に飲まれてはいる。しかしその中に一筋の理性が混ざっているのを積は感じ取った。


「許せない?  何が許せないってんだよ?」

「アァァァァァァァァ!!」

「ッッッッ!!」


 静かな、その中に厳しさを込めた声で対話するよう接する積。返事は変わり果てた老人の全身。すなわちあらゆる攻撃を弾く硬度を備えた己が身を弾丸とした突進で、


「ワシハ! スベテをキゾクシュウニ捧ゲタ! スベテはアノ日! 千年前のアラソイガあった日カラ! 全てヲ!」

「くそぉ。しつこいなコノヤロウ!」


 ヘルスが急いで躱したかと思えばカマキリを連想させる腕の刃が幾重にも叩き込まれ、そのうちの一部が鋼鉄の盾にぶつかる。


「キゾクシュウがキズイタセンネンのレキシ! 科学ブンヤのハッテンは、スベテ儂のコウセキダ! ヨンダイセイリョクに至るタメ! ウラデ根回シをシタノモワシジャ!」


 火花と悲鳴が木霊し、積とヘルスが顔を歪める。

 思わず足を止めてしまったヘルスを前に繰り出される先端部が尖った六本の足が繰り出され、それを防ぐようにゼオスと優が割り込んだ。


「ソレなのに! ソレナノニ! 役目ヲハタセバオハライ箱! カガクの発展、そのサイセンタンはクロムウェルの小僧に! ヒビのジンリョクは忘れ去ラレ! ロクダイキゾクの地位から降格! コレガ! これがヒビの尽力にタイスル仕打ちナノカ!?」

「上のやり口が気に入らなかったってか? そりゃご愁傷様だ! だがなぁ、世界中相手に喧嘩吹っ掛けたところで!」

「ナゼだ! なぜ去る!? ワシは! 儂はマダやれル!」


 絶叫に近い悲鳴を前に意識せずとも表情が強張るのを積は感じる。

 けれど意識の大半が自身に集中していることを感じ取ると、その状態を維持するために口から血を吐きながら言葉を吐き出すが、怪物が発した言葉を耳にし、吐き出される寸前であった言葉を飲み込む。


 それは、老人の虚のような瞳から黒い涙が溢れ出し始めたゆえで、

 

「ワシから奪ウナ……………もっと認メロ……………………………置いていくな…………………………忘れないデ」


 頭を抱え、足を止め、その場で唸り始めた彼の姿を目にしたところで積は理解した。

 自分に攻撃が集中した瞬間、積はこの男が図星を突かれ押し黙ったのだと考えた。


 その考えは間違ってはいないのだろう。的を射ている部分もあるのだろう。

 しかし、しかしである。心の底から望んだ一番の願い。それは――――――


(………………………………積)

(……………………………………………………そうだな)


 その正体を正確につかんだ瞬間、念話で自身へと話しかける声が届き、それに応じる。


「ギギ!?」

「…………悪いな、とは言わねぇよ。どうせ死ぬなら、誰からも恐れられ、近寄りがたい怪物の姿より、塵一つ残さないこっちの方がマシなはずだ」


 直後、もはや動かぬ的となった老人のへそから下が毒々しい真っ赤な光に飲み込まれ消滅。残された上半身は地面に落下すると、万物を消滅させる破壊の毒は上へと昇っていき、


「一人は………………………………………………………………………………寂しい」


 最後にそう言い残し、塵一つ残すことなく、妖怪と恐れられ周りから忌避された老人はこの世を去った。


ここまでご閲覧いただきありがとうございます。

作者の宮田幸司です。


妖怪と恐れられた老人との対決はこれにて終了。

『少々呆気ない』『泥臭くないのはつまらない』と言われてしまうかもしれませんが、たまにはこういう終わりでもいいのでは、と思っています。


次回からは4章前半戦ラストフェーズ。解答編のようなお話に至ります。


それではまた次回、ぜひご覧ください!

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