日常への帰還
朝日が差し込む礼拝堂の中で、少年少女が様々な表情を見せる中、善がニコニコと笑うアイビスの元へと近づいていく。
「今回の件は本当に助かった。ありがとよ姉貴」
「ほんとよ。結構危ない橋を渡ってたのよあんた」
そうして下げた頭をあげると、何とかなったことに安堵しもう一度大きく息を吐き、それを見てアイビス・フォーカスは億劫げな表情を彼に晒した。
「にしてもゼオス・ハザードのあの様子。笑っちゃうわね」
とはいえ、彼女の表情はすぐさま変化し、今度は呆然とした様子で棒立ちしているゼオス・ハザードを指差し、愉快に笑い始めた。
「まあ完全に予想していなかったであろう展開だから仕方がねぇさ。それより一つ聞きたいことがある」
そんな彼女に同意しながら、別の話題をしようとする善。
しかし彼女はそれに付き合うつもりは毛頭ないという様子で彼の顔の前に人差し指だけを立てた右手を出し、口を開く。
「ところでさ、あんたは今回の投票結果はどうなったのかわかる? 外したら今度パスタを作って頂戴」
「……当てたら?」
「今あんたが聞こうとしていることに答えてあげる」
「…………しゃあねぇな」
手を貸してもらった手前、流石にこれを断るのは礼に欠けると考えた善。
彼は頭を掻き毟りながら考えてみるが、どれだけ思い浮かべてみても出てくる答えは一つだけで、なぜこんな設問を設けたのかという疑問だけが頭を巡る。
「賛成票はあんたにアーク、それに加えて……まさかとは思うがオーバーの野郎か」
が、質問として投げかけられたからには安易な答えではあるまい。
そう考え、考えられる中で最も低い可能性の答えを提示。
「んんんん……ブブー残念外れー! ゲゼルの爺様が反対する理由がないじゃない」
それを聞いた彼女は僅かにタメを作り、善の目の前でバッテンを両手で作りながら否定すると、その様子に善は肩を落とした。
「てことは一番シンプルなあんたに爺さん、それにアークか。くそっサービス問題を落としたか」
「あ、それも違う」
「はぁ!? てことはアークの奴がダメでオーバーか」
彼女の答えを聞き声をあげる善。
「それも違う違う。最後まで出てこないなんてあんたあいつの事よっぽど嫌ってんのね」
「おい、それって」
「考えてもみなさいな。あんたはフルに活用しなかったからさして意識してなかったみたいだけど、このタイミングでラスタリアの兵士の全権を渡すなんて、それこそ都合が良すぎない?」
それさえ違うと言われた善は最後に正しい答えに辿り着き、思わず言葉を失う。
そしてその様子を満足げな表情で見ていたアイビス・フォーカスはというと廊下を指差し、片目を閉じて悪戯小僧のようにニッと笑った。
「確か彼、ミレニアムの対策かなんかのために四大支部の本部長を集めて会議をするらしいわ。ほんと大変ね」
「…………行ってくる」
「ええ。彼の戸籍を用意しておいてあげるから、早いところ行ってきなさいな」
走りだす元部下に、そう告げるセブンスター第一位。
その言葉に返事をすることなく、善の姿は消えていた。
真っ白な廊下を、数人の部下を引き連れたノア・ロマネが歩く。
部下に持たせた資料は紙とデータを合わせれば数千にも昇り、そのどれもが現在対策をしなければならない凶悪犯罪に迫るために欠かせないものである。
彼はその内の一枚を手に取り内容を確認すると、思わず顔をしかめた。
「ちっ」
分かっていた事だが此度の会議は時間がかかりそうだ、渡された内容を前に舌打ちをする。
続いてため息が出そうになる彼であるが、それを部下の目の前で見せるのは忍びないと考え飲み込むと、前方を歩く部下が騒がしいことに気が付いた。
「どうした、なにがあった?」
「あ、はい。前方に善様がいらっしゃり、ノア様と話がしたいとおっしゃってまして」
「…………わかった。お前たちは先に行って入口で待機だ。私も後で行く」
そう指示をして部下を先に行かせるノア・ロマネ。
部下が消えてすぐに廊下の先に目を向けると、こちらへと向け歩いてくる男の姿が目に入る。
「…………」
「何の用だ原口善。悪いが今私は忙しい。要件があるのなら、手短に済ましてくれ」
近づいて来た男に対し棘のある言葉を飛ばすが、男は無表情で近づき懐から何かを取り出すようなしぐさを見せる。
正体不明の行為を前に警戒心を顕わにして僅かに後ずさってしまう彼であるが、善のポケットから出され、投げつけられた物をキャッチするとその正体に片メガネの奥の目が丸くなった。
「なんだこれは?」
「疲労回復剤だ。栄養剤みたいに元気をつけるタイプとは違う、体に溜まった疲れを吹き飛ばすタイプの奴だ。今の俺の手持ちで一番効果がある。
長旅なんだろ、必要になることがあるかもしれねぇし持って行っておけ」
「…………」
受け取ったものを投げ捨てようかと一瞬考えたノアであったが、それはやめておいた。
確かに善が投げつけたものは今の彼に取って一番必要なものであり、それを感情論で投げ捨てるのはあまりに愚かだ。
「餞別感謝する。では」
「一つ聞かせてくれ。なんでよりによってお前が、ゼオスのギルド参加を許した。お前だけは絶対に反対票を入れてくると俺は思ってたんだぜ」
「…………その言葉。やはり貴様はギルドに入ってから墜ちた」
「その言い草。昔の俺なら別の感想だったってことか」
「そうだ」
善の問いにノア・ロマネが一瞬だが言葉に詰まり、歩いてその場を去ろうとする。
だがしかし善が続けて質問を投げかけると足は自然と止まり、背後にいる彼の方を振り返り、強い語気でその問いを肯定した。
「神教で働いていた時の貴様はもっと思慮深かった。常に物事の真意を推し量り、正しい道を進んでいた。しかし神教を抜けた時から、その素晴らしい才能が腐っていった!」
一度言葉を吐きだせばもう止まらない。まるで水道の蛇口を一気に開ききったように、とめどなく言葉が溢れ目の前の男に注がれる。
それを聞き善は理解した。
数年前に神教を出て行きそれ以降自分に対して敵意をむき出しにしてきたノア・ロマネ。その感情は裏切りから来るものであったのではなく、失望から来たものであったのだと。
「……まさかお前は……俺を尊敬していたのか?」
「当たり前だ! 貴様ほどの傑物を俺は知らん!」
半ば冗談の気持ちで投げつけた言葉に対する思わぬ叫びに、咥えていた花火を落としかける善。
「驚いたな。お前は大切な神の座を守っている、アイビスやデュークの野郎を尊敬してるもんかと思ったぜ」
「彼らは生まれながらの傑物だ。我らが神を守るために生まれた天使と言っても良い。そんな彼らには敬意を払いはするが、尊敬の対象ではない」
そんな彼に対し、ノアは自論を語り始めた。
「だがお前は違う。彼ら二人や四つの神器を持つ怪物、竜種の血が流れているわけではなければ、粒子の量が異様に多いわけでもない。ただの人間だ。そんな存在が、彼らに並ぶ姿を私は、いやこの神教を守護する全員が憧れた」
自分を尊敬する存在が数多くいたことは知っていた。
だがその理由は前に進むことだけに意識を向けていた善が知らないものであり、今ここで告げられ一瞬驚きの表情を見せたかと思えば、羞恥心からか自らの頭を掻き毟り下を向いた。
「待て待て。それはわかったが、まさかお前がそんな理由で、神教を守るというお前さんの誇りを投げ捨てて、俺に投票をしたってのか?」
「馬鹿を言うな。私は愚か者ではない。貴様に投票したのは、それでよいと考えての事だ」
もしもギルドだけを守ると考えてだけの行動ならば、彼は例え尊敬していたとしても善に票を入れなかった。しかし神教を離れてなお神教の事を思った制約を入れたのだと世界最強の一角から聞かされ、彼は賛成の票を入れた。
「おめぇ……いやお前の言いたいことは分かった。そうだな、今度またいっぱい飲もうぜ。積もる話もあるだろうしな」
その制約がアイビス・フォーカスからの入れ知恵である事は語らない。
ただ神教を離れてなお自分を慕ってくれるその男に、親愛の情を込め提案。
「結構だ」
彼がそうして飲みの提案をするとノア・ロマネは迷う事なく即断しながら善を脇を通り、
「…………そんなものより、うまいチョコレート菓子の差し入れを頼む。脳を働かすための糖分以上に欲しいものはないのでな」
その後間を置かず自身の要望を吐露。
それを聞き――――善は笑った。
「へっ。分かったよ。お前の気にいりそうな極上の一品を持ってきてやるよ」
「………………期待している」
そうして別々の道へ歩き出す二人。
その胸中は善が神教を離れて以降彼と顔を突き合わせたもので最も穏やかなものであった。
「今回の件はマジで助かった。ありがとよ爺さん」
「いやいや、ワシの方こそ久々に一緒に仕事ができて良かった。いい思い出になったわい」
それから一時間後、善達一向がギルド専用の自家用車の前に立ち見送りに来たゲゼル・グレアと会話をしながら、出発の準備を開始。
「蒼野君蒼野君」
「?」
「ワシの昔話を聞きたくなったらまたおいで。時間に余裕さえあれば話してあげるよ」
「はい、ありがとうございます」
何とも言えない様子のゼオス・ハザードをキャラバンに乗せ、神の国・ラスタリアを発つ。
「…………」
それからすぐ中に入り、リビングに集まる一行。
するとこの状況に異議を唱えたい康太と、思いもよらぬ状況に殺意を抱くゼオス・ハザードを中心に、重い空気が部屋を満たした。
「失礼。調子が優れないので部屋に戻らせていただきますね」
「あ、アタシも」
居心地が悪くなったヒュンレイと優がそそくさと消え、蒼野と康太。善にゼオスの四人が残る。
「康太は戻らなくていいのか」
「いい」
「そうかい。それはそうと、色々あって疲れたな。まずは飯だ。適当に作るからちょっと待ってな」
善がそう口にしてキッチンの中に体を隠すと、康太がゼオスを睨み、睨まれた本人はそれを涼しい顔で受け流す。
蒼野はそんな二人の雰囲気を少しでも良くしようと電気ケトルで湯を沸かし、粉末コーヒーを淹れ二人と自分の前に置いた。
「ま、まあまずはコーヒーでも飲んで体を温めようぜ」
「……」
「……」
そう提案する蒼野だが、二人は一切口を聞かず出されたコーヒーにも手を付けず、二人の前に流れる空気は改善することなく時間が流れ、
「うし……出来たぞ。ラスタリアに長居する前提だったから大したもんは残ってなかったが、まあ十分だろ。食べ終わったら優とヒュンレイを呼んでくれ。あいつらの分も作る」
善が食器にパスタを盛りつけるまで、一切の会話なく時が過ぎた。
「…………これは」
「ん? ペペロンチーノだ。ベーコンがなかったからわかりにくかったか?」
出されたのはオリーブオイルとトウガラシだけで作られたペペロンチーノ。
他の具材がないのは冷蔵庫を空にしていた影響なのだが、ゼオスはそれを不思議そうに眺めながら隣に置いてあったフォークを持つと、綺麗に巻きとり口に頬張る。
「…………暖かいな」
「そりゃまあ、出来たてだからな。あ、もしかして普段こういう飯は食べないのか?」
「何言ってんだ蒼野。こいつは火属性の使い手だ。温める事に関しては困ることはねぇよ」
「……そうだな。だがああ、出来立ての温かい飯は……ずいぶんと久しぶりだ」
「…………そうか」
それだけ言って無表情のまま夢中に頬張り始めるゼオスを見て蒼野がそう呟く。
それから目の前に出されたものを黙々と口にすると、康太も少々毒気が抜けた表情をして料理を頬張り始め、蒼野もそれに続いて食事を摂り始めた。
思想、人生、経験、様々な事柄が一般とはかけ離れた男ゼオス・ハザード。
だが今ともに食卓を囲う様子を眺め、何とかやっていけそうだと善は感じた。
それでも、彼らの旅路に平和が訪れる事はない。
「こちらギルド『彼岸の魔手』。依頼かい……相手は……わかった」
あるところでは新たな脅威が目を出し、
「ごほ! ごほ! ――――もう長くはない、ですか」
あるところでは病に蝕まれる戦士がおり、
「本日はお忙しいところお集まりいただいたことに感謝を。早速ですが今回の議題……『境界なき軍勢』の侵攻に対する対策を練っていきたいと思います。まず第一の案件は、先日原口善から情報をいただいた、ミレニアムとパペットマスターが同盟を結んでいる件についてです」
そしてあるところでは、世界中を巻きこむ大いなるうねりが動きだそうとしていた。
彼らの冒険は、まだまだ続く
ここまでご閲覧いただきありがとうございます。
作者の宮田幸司です。
という事で今回の物語はこれにて終了。
今更ですが、修正版第一話に出てくる二人の物語でした。
次回からは新章に突入です。
感想・ブクマ・評価などお待ちしているので、ぜひよろしくお願いします。
なお、ここまでが一章の前半部分。次回からは後半部分となります。
それに合わせて主人公も蒼野から別の人物に変わるので、よろしくお願いします。




