少女脳内解剖録
神教と賢教の戦争状態からの停戦。さらには恒久の時とまではいかずとも、無期限の和平。
神の座イグドラシルの死だけが要因では決してないない。
両戦力の要となる人物。すなわちアイビス・フォーカスとシャロウズ・フォンデュの努力。
そして二人の若人。古賀康太とアビス・フォンデュの後押しにより成された偉業の成果を惑星『ウルアーデ』に住む多くの人らが享受していた。
かつて存在していた『白亜の壁』。
すなわち二つの宗教を隔て、自分らの陣地を示していた世界最大の境界は先の戦争の影響でなくなり、しかし両陣営の上層部の尽力の末、築かれた平和が崩れるような事件は起きずに済んでいた。
これによりかつては困難であった場所の旅行も行えるようになり、ギルド所属とはいえ神教にも属していた蒼野は、僅かでも時間があれば賢教の観光名所に言っていた。
積やゼオスにしても形は違えどこの状況を大いに利用しており、康太に至っては世間に対するイメージ戦略、更には神器持ちの強者という評価もあり、今はギルド『ウォーグレン』にいる時間よりも、賢教の総本山『エルレイン』に滞在している時間の方が長くなっていたほどだ。
「尾羽優さん。三番の部屋にお入りください」
「わかりました」
では残る優はどうであるか?
その答えが今この瞬間にあると言えよう。
「失礼します――――初めましてDr.グレイシー.お会いできて光栄です」
「あら、私の名前は神教にまで伝わってるの? 光栄だけどちょっと恥ずかしいわ…………でもそうね。それを言うなら、時代を切り拓く若者に覚えてもらえて、こちらこそ光栄です尾羽優さん」
汚れ一つ、というより細菌一つ存在しないよう丹念に掃除された真っ白な壁に濃緑色のタイル床。
冷たさを感じさせる光が注ぐ廊下には薬品の匂いが沁み込んでいるその場所は、賢教総本山『エルレイン』のお膝元にある、賢教のみならず世界で最も巨大な病院で、呼ばれた通り三番の扉を潜りあいさつをしたところ、返答を聞き優は目を丸くした。
「アタシの事を知っているんですか!?」
「人の治療に関わる人なら、貴方を知らない人はいないわ。最前線で戦うヒーラーって珍しいから。一定の戦果を挙げてるとなればなおさらね」
そこで彼女を待ち構えていたのは、年のほどは三十に差し掛かるかどうかという、紫色の髪の毛を肩に触れる程度まで伸ばし、潤いのある肌に細長いフレームオフの眼鏡をかけた理知的な空気を発する女性。
しかしてその実態は千年前の戦争を実際に体験した大先輩。
千歳を超える大古株にして、現代におけるヒーラーというカテゴリーのの頂点に立つ女傑グレイシー・マッケンジーである。
「さてとこうやって顔を合わせた素晴らしい偶然をもっと味わいたいところだけど、患者さんは後にも控えていてね。単刀直入で申し訳ないけど、検査の結果からお伝えします」
グレイシー・マッケンジー
戦場に立つことはなくとも、ゲゼル・グレアやエルドラ、それにルイ・A・ベルモンドと同じく、千年前の戦争時代を駆け抜け、ガーディア・ガルフによる蹂躙を目にした者。
彼女が切り拓いたものは、言ってしまえば『医療行為』という概念である。
千年前、彼女が別の惑星に行き学びを得るまで、この世界における怪我や死の概念というのは実に大雑把なものであった。
これは『回復術の類を用いれば傷や病気、それに呪いというものは治るもの』という概念が世界中に蔓延していたたためである。
ただ水や光、それに特殊粒子を使うことで、実際に欠損した部分の補助や再生。悪化していた傷の化膿の除去にがん細胞の完全撤去に後退の作成などを行っていたため、その考え方自体に間違いはない。
そんな中で彼女が広めた『医術』というのは、あらゆる作業の『効率化』である。
傷の原因となる部分がどこにあるかを明確に示すことで様々な治療術にかかるコストを削減。
部位や程度によってかける治療術の種類を選ぶことによるコストのさらなる削減。
それだけではなく当時では簡単ではあるが弱すぎて使えないと言われていた回復術の類でも、治療できる程度の怪我や病気の種類を提示。
その術式をヒーラーのみならず多くの人に伝えることで、師匠率の大きな減少にも携わってきた。
これに加え『衛生』というものの概念まで世界中の人に叩き込み、回復術を使えない類の戦士でも怪我を悪化させない方法を唱えた。
「貴方が突発的に起こす記憶喪失。この原因は私でも解明できません。ごめんなさい」
まさにこの星におけるヒーラーかつ医療分野の第一人者呼ぶにふさわしい彼女は、脳の仕組みについても専門の一つとして扱っていたのだが、優が今でも時折起こす記憶喪失。
すなわちスパンも範囲もしっかりと決まっていないそれが、どのような原理で起こっているのかについてまでは残念ながら説明できなかった。
「そう、なんですね」
優の声から漏れるのは悲哀に満ちたものであった。
なにせ目の前の女性が匙を投げるというのならば、この星で自分の身に起きている事態を解明できる人物は誰もいないという事なのだ。
普段は明るく振舞い、仲間や知人、見知らぬ人に対しても『問題ない』という風にふるまう彼女でも、自身の記憶喪失に関しては治せるならば治したいと思っていた。
それが事実上不可能であると言われてしまったようなものなのだから、この反応も当然だ。
「けどそうね。だからといって何も言えないわけではない。わからないことだらけの現状だけど、それでも言える事を貴方に伝えておくわ」
ただそこで終わらせないのがグレイシー・マッケンジーという女性で、その言葉を聞き俯いていた優が顔を持ち上げ、
「私は色々な星を回ってきた。それこそ宇宙全体で最新最先端の医療分野を見てきた自負がある。その技術や知識を身に着けたという自信もあるわ。その上で言わせてもらうと――――尾羽優さん。貴方が陥っている症状は偶然によって起こっているものではない。おそらく人為的な行為の結果として、記憶の喪失は起こっている」
「蒼野や優か、いや客の類か?」
仲間達がいなくなったキャラバンの奥で、積は一人残り作業をしていた時の事であった。
部屋に繋がる木製のドアがノックされたのだ。
即座に警戒の色を見せた彼は、けれど扉の向こうから発せられる気質に敵意の類はないと判断。
「どうぞ」
兄である善がしてきたよう、自身の腹の底を探られないような声で中に入るように促すと、扉は開き、一人の人物が彼の前に姿を現した。
「失礼します。蒼野と康太に会いに来たんですが、留守でしょうか?」
その正体は、
「都合が悪いようでしたら、一度引き返しますが」
「あな……あんたは」
二人がまだギルド『ウォーグレン』に入る前。古賀孤児院にいた頃に義兄として慕っていた人物。土方恭介であった。
ここまでご閲覧いただきありがとうございます
作者の宮田幸司です。
ところ変わって優の話。その内容は彼女が抱えている大きな悩みに関してです
そしてもう一方の積サイドはといえば、この惑星『ウルアーデ』見聞録きっての裏に事情がありそうな男土方恭介の来訪です。
両サイドで行われる話とは…………
というのが次回の話なのですが、申し訳ない。
次回の投稿はまた賞に投稿する都合でお休みさせていただきます。
そちらの期限が8月末日ですので、次回の投稿は9月1日となります。よろしくお願いいたします。
それではまた次回、ぜひご覧ください!




