ルイ・A・ベルモンドの苦悩 一頁目
断言してもよいだろう。世界は今、間違いなく良い方向へと向け舵を切っている。
神の座イグドラシルとその片腕を務めていたデューク・フォーカスの喪失。
他にもいくつかの失ったものはあったが、それでも得たものの方が多いと言いきれた。
中でも千年間滅亡していたとされていた竜人族がスムーズに受け入れらたのは、目に見えて大きな戦果であると言えよう。
新たなる時代の夜明け。
数多くの人々が平和の恩恵を受け、先へと歩を進める新時代。
誰もが背負っていた荷を下ろすことができる素晴らしい毎日………………というわけにはいかなかった。
「………………………………」
その最もわかりやすい例。
すなわち世界で一番忙殺されている男こそ、今しがた竜人族の里にある人間用のベンチで項垂れ真っ白になっている貴族衆の代表。すなわちルイ・A・ベルモンドであった。
「おいおい。お前さん大丈夫かよ?」
そんな彼に声をかけたのは戦友でありギルドのまとめ役でもある竜人族の長、今や本来の姿を隠そうともせず、サイズだけは人間と同じ尺度にしたエルドラであり、不安の色を混ぜた声をかける。
「大丈夫かだって? フフフ、大丈夫なわけがないだろう? 仕事に殺されているところだよ」
すると返って来るのは、力亡き彼の返答。
目はうつろで涎を口から垂らしている彼は、普段ならば必ず整えている髭さえ伸ばしっぱなしで、ワックスで固めたはずの髪の毛は明後日の方向に飛び散り、着ている服も、整える暇などないのか乱れている。
しかしである。エルドラは疑問を覚える。「この平和な世で、ここまで疲労がたまるような仕事があるのだろうか?」と。
「そうか。そうかそうか! 君は亜人と人間との懸け橋を結ぶため、日々動いているんだね! なるほどそれは仕方がない! それじゃあ知らなくても仕方がない! だから心優しい紳士である私が、事細かに説明してやろう!」
疑問に対する答えは、奇妙な方角まで曲がる首と共に投げかけられた。
「エルドラ。君は今、世界中で仕事の割り振りがどのようになっているか知っているか!?」
「な、なんだよいきなり。俺は今こっちの仕事で大変だから他の仕事に手を付けられねぇけどよぉ、いつもと変わらねぇんじゃねぇか………………いや神の座がいなくなった分、神教内の出来事も背負うことになったのか? そりゃ確かにお前さんが背負う分も増えるだろうが、それでも元々の倍にまではなってねぇだろ。それならお前ほどの男なら………………」
とすれば普段からは決して考えられない荒々しい声で疑問が投げかけられ、エルドラも少々真剣に考えた末に答えるが、
「二倍? それならどれだけよかっただろうね。今の私が行う公務は元々の三倍以上だコノヤロウ!」
「は、はぁ!?」
『優雅』と『余裕』の二つを常に持つことを心掛けているルイ・A・ベルモンドが、それらを微塵も感じさせない吐き捨てるように告げた答えにエルドラは愕然とした。
「いや待て。はぁ? どうしてそうなった!?」
さして考えることなく、滝のような勢いで出る言葉の声量が周囲を揺らし、大勢の人々の視線が突き刺さる。
それを理解した彼は自分で自分の口を塞ぎ、最低限の冷静さを取り戻したところで、事の真相を知るために先を促す。
「まず第一に賢教だ。これについてはアヴァ・ゴーント殿の体調が大きく絡んでいる。それにデルエスク卿の失脚も大きい」
「む、むぅ。それは確かに」
当たり前のことだが、仕事というのは任せられるものと任せられないものがある。
それらは各勢力の根底にかかわるもの、他には判断を任せられないものなど種類は様々だが、顕教の場合、そのような類の政務の大半をアヴァ・ゴーントとクライシス・デルエスクが担っていたのだ。
そんな二人が、一方は監獄塔に送り込まれ、もう一方が病気により自由に動けないと来た。
そうなればそのような仕事は他の者に回されるのだが、そのうちの一部、別勢力に任せても良い、けれど大きな責任がついてくる仕事を、彼らは貴族衆の長であるルイに回したのだ。
「といってもこっちはそこまで問題ではないんだ。これに関してはクロムウェルだったりシロバにクロバ。ダイダス老に実は生きてたオリバーに結構割り振ったあるからね。私の仕事量に関して言うなら、全体の二割にも至っていない」
「水分身をうまいこと割り込ませたんだっけか? シュバルツ・シャークスの奴はすげぇことをするな」
「ああ。まあ色々と悪事をやったのは本当の事だ。しばらくの間は監視の目が光ってるさ」
「そうかい。話を戻すとだ、そこまで忙殺される理由が賢教じゃないとなりゃ」
「あぁそうだ――――――問題は神教。というよりイグドラシルの奴が背負っていた仕事だ」
そんな賢教の仕事さえも彼は見事にこなしたが、もう一つの大勢力。
すなわち神教の仕事には頭を抱えた。
神の座はおらず、ギルドの長であるエルドラは別件で手を貸せない。賢教の最高権力者も病床に伏しているとなれば、必然イグドラシルの仕事は彼に向ってくるのだが、彼女が背負っていた仕事は『量』はもちろんのこと『質』に関しても厄介なものであった。
世界中で起こる様々な重大な事件や戦争の対処などは序の口で、
黒海研究所における現状の確認と研究成果の閲覧。
この世界で未だ解明されていないもう一つの危険物質。すなわち『闇の森』と呼ばれるデットスペースの解明。
さらにはバランサーを名乗る貴族衆以上に日夜各勢力の均衡についても頭を働かせ、他にも無数の出来事を他の者には任せず自分で行っていた。
中でもミレニアム発生の原因、すなわちデューク・フォーカスの敗北の真相に関しては血眼になっていた。
これらのほぼすべてをルイは代役として現状こなさなければならないのだ。
「まだ継ぎきれていない、いわゆるブラックボックスもあるのだがね、他の者に任せるには危なすぎる地雷ばかりだ。だからこれらに取り組むのが、今の私の仕事の半分以上を占めている」
「なるほど。それに普段の仕事まで乗っかってきてるってことか。そりゃ大変だな」
「いやそれだけではない?」
「え?」
「そこにお前が忙しくてできないギルドの仕事まで加わってるんだよ! だから早く目先の問題を片付けろ!!」
「そ、それはすまねぇ。さっさと何とかするよ」
最後に怒声と共に撃ち出された正拳突きはさすがに躱す気にならず、エルドラはそれを真正面から受け謝罪した。
「しかし、減ったな」
「何がだよ?」
「あの時代を生きた者がだよ。そう思わないかい?」
そうしてひとしきり愚痴を吐き出した後、荒くなった呼吸を整え、生気を取り戻した目をしたルイがベンチに座ったまま空を仰ぎ、懐に手を突っ込む。
「久しぶりに見たな。何年ぶりだ?」
「そうだな。ざっと二百年ぶりかな」
取り出したのはこれまた普段の彼ならば決して手にしない物。
すなわち安っぽいロゴが貼られたたばこの紙箱で、色褪せたそこからたばこを一本取り出すと、指先から出した炎で点火し、この上なくおいしそうにそれを吸い、煙を吐いた。
「ゲゼルもイグドラシルも死んだ。となれば私にお前、それに」
「『裏世界』で頑張ってるあいつと、賢教で粒子術を使わない医術を教えてるあいつくらいか………………『裏世界』に関する仕事も継いでるんだろ? なんか連絡はあったか?」
「いや。特にないな」
まだ貴族衆全てを収める立場になるより前、若かりし日の彼が愛用していた物。
今や生産中止になり、私用の金庫にしか残っていないそれは、彼が本当に疲れた時、そして過去を思い起こす際に咥えるもので、自然と話題もそちらに寄っていく。
「………………平和になれば味方だった者らも敵になる、か」
「ん? なんか言ったか?」
「早く仕事を終わらせろと言ったんだ。そうすれば、私の仕事が幾分か減るんだからな」
「あ、ああ」
そんな話が数分続き、終わり際に呟いたのは、多忙な仕事量とはまた別の課題。
けれどエルドラはそこまで拾うことはできず、発した言葉の意味は告げず、二人は別れた。
「こんな時間まで護衛も付けずクライメートから出ていたのはいつぶりだろうな。早く帰らねば」
彼がエルドラに語らなかった出来事、それはここ最近自身に向けられている謎の視線である。
それは様々な場所で彼の姿を追い続けており、彼の精神を削る大きな要因と化していた。
自分が狙われていることに対する恐怖、というわけではない。
こちらの予定が筒抜けであるという事実。
つまり仲間の中に自分の首を狙う者がいるという事が、彼に多大な疲労を与えていたのだ。
「ルイ・A・ベルモンド」
「!」
そんな彼を包むように彼らは現れる。
一人だけではない。二人三人四人五人と、突如現れた黒い霧の向こうから、顔には目と鼻の部分だけ空けてある銀の仮面を被り、背格好がバレないよう黒いローブで身を包んだ状態で現れ、人通りのない路地裏で彼を囲う。
そして
無数の凶刃が、彼の全身に襲い掛かった。
ここまでご閲覧いただきありがとうございます
作者の宮田幸司です。
日常回その三。ルイさん視点のお話です。
といっても全体を通して取り組まなければならない課題に関する話題が散りばめられており、今後関わってくる内容とかもあります。
あと、責任がある立場って大変だよね!
なんて話題だったりもします。
次回は彼の今の大変な日常回の後編部分。
正体不明の相手からの襲撃からになります
それではまた次回、ぜひご覧ください!




