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逆さ虹の森の物語

うそつきだあれ?

作者: 曲尾 仁庵

 根っこ広場の大樹の前じゃ、

 決して嘘をお言いでないよ。

 大樹の根っこが伸びて絡んで、

 闇の奥へとさらわれる。

 さらわれちゃったらどうなるかって?

 そいつは誰にも分からない。

 闇の向こうの奥の奥、

 森の主様おわします、

 美し館の大広間、

 どんな裁きと相成るか、

 試してみたけりゃ止めはせぬ。

 でも気を付けて。

 愚かな嘘も軽はずみな嘘も、

 それが誰かを傷付けたなら、

 報いは必ずやってくる。


 誰もが言った。嘘つきの子は嘘つきだと。


 逆さ虹の森の中心を流れる大きな川の東側に、『根っこ広場』という名の公園がある。樹齢千年を数えるオークの巨木を中心に様々な木や花が植えられ、近所に住む動物たちの良い散歩コースになっている静かな場所だ。オークの根元のうねり絡まる太い根が広場の名の由来になっており、根の隙間から中を覗けばその奥に巨大な空間があることが分かるが、その空間の果てを知る者は誰もいない。『この木の前で嘘を吐くと、根に捕らわれて闇に引きずり込まれる』などという、真偽の明かならぬ噂がまことしやかに囁かれるのも、この巨木の根が抱える深い闇を、見る者の本能が畏れているからかもしれない。

 そんな根っこ広場の片隅には一軒の小さな家があり、一匹のキツネが暮らしている。根っこ広場の管理者であるそのキツネは、落ち葉を掃いたり、花壇の世話をしたりしながら、のんびりと暮らしている。


 なにもかもがつまらない、そんな顔をして、一匹の狼の少年が根っこ広場を歩いていた。ポケットに手を入れたまま、背を丸め、地面を眺めながら歩くその姿は、この場所に来たくて来たわけではないことを主張している。少年は足元に小さな石を見つけると、思い切り蹴飛ばした。石は正面にあった木に当たり、カツンと音を立てた。少年はふんっ、とつまらなさそうに鼻を鳴らした。

 空は晴れ渡り、根っこ広場にも柔らかな朝の日差しが降り注いでいる。冬の厳しさを忘れてしまったかのような穏やかな空気に、木の枝にとまる小鳥たちがうたた寝をしている。花壇の花たちがそよ風に揺れ、気持ちよさそうにさわさわと揺れた。

「冬のくせにあったかいなんて、不公平だろ」

 少年が空を見上げ、忌々し気に呟く。せめて皆が寒さに凍えていれば、納得もできるだろうに。そう言いたげな顔。

 しばらく空を睨みつけた後、少年は花壇に視線を移した。冬にも咲く花はあり、花壇にはそんな花が植えられていた。何の悩みも無さそうに咲いている花の姿は、どうやら少年の不興を買ったようだ。少年は無言で花壇に踏み入ると、大きく右足を上げ、強く踏み込んで植えられていた花を踏み潰した。すると。

「ぎぃやぁぁぁぁーーーーーーっ!」

 耳をつんざくような悲鳴が辺りに響く。少年はびくっと肩を震わせ、周囲をきょろきょろと見回した。しかし、少年の目に映る範囲には誰もいない。少年はゆっくりと自らの足元に目を向ける。おそるおそる右足を上げ、一歩下がった。右足のあった場所には少年の足跡が残り、踏み潰された花が無残な姿を晒している。少年は不自然な態勢のまま足跡を見つめると、もう一度足を上げ、先ほどと同じ場所に足を下ろした。

「いだだだだっ! いたい、いてぇよこのヤロウ! 足どけろこのヤロウ!」

 少年は「うわっ」っと声を上げて飛びずさり、花壇を離れた。目をぱちぱちとしながら、信じられないという表情で自分のつけた足跡を見ている。

「てめぇこのヤロウ! いてぇじゃねぇかこのヤロウ! 一度ならず二度までもこのヤロウ!

 おんなじとこ踏みやがってこのヤロウ!」

「は、花が、しゃべった?」

 少年は混乱した様子で呟く。言葉をしゃべるのは動物だけだ。植物は言葉を持たない。『逆さ虹の森の主』は動物には言葉を与えたが、植物には与えなかったと言われている。しかし今、少年の目の前で、花は少年に威勢よく啖呵を切っている。

「しゃべって悪いかこのヤロウ! 花ナメんなこのヤロウ! いきなり踏んでくれやがってこのヤロウ!

 花だって生きてんだよこのヤロウ!」

 作り物のような、妙に甲高い声でぽんぽんとリズムよく悪態をつく花の言葉を、聞いているのかいないのか、少年はそっと花壇に近付き、足跡を覗き込む。踏み潰された花はピクリとも動かない。少年は両耳をピンと立て、首をわずかに横にかしげた。声のする方向を探っているのだ。声は花から聞こえてくるのではないと、少年はすでに気付いていた。

 少年は花壇の向こうにある、大きな木に目を止めた。樹齢千年を超えるオークの巨木。少年の目は、大樹の影にふわふわと揺れる、金色のしっぽを捉えていた。

「なんだこのヤロウ。どこ見てんだこのヤロウ。こっち向けこのヤロウ。

 そっちには何もないぞこのヤロウ」

 声は焦ったように早口でまくし立てる。少年は無言のまま、大樹に向かって真っすぐに歩みを進めた。大樹の影からはみ出た金色のしっぽがパタパタとせわしなく揺れる。

「待てこのヤロウ! 落ち着けこのヤロウ! いいかこのヤロウ。よく聞けこのヤロウ。

 どうかこれ以上近付かないでくださいこのヤロウ」

 声の狼狽に配慮する様子もなく、少年は大樹の裏側に回り込んだ。そこには金の毛並みをした一匹のキツネが、どうにか身を隠そうと身を縮めて座っていた。少年はあきれた顔をしてキツネに声を掛ける。

「いい大人が何やってんの?」

「あ、あらあら。見つかっちゃった」

 キツネはばつの悪そうに少年の顔を見上げる。年齢に比して妙に幼いその仕草に、少年は脱力したようにため息を吐いた。


「私はこの根っこ広場の管理をしている、スーよ。あなたは?」

 何事もなかったように柔和な笑顔を浮かべて、スーは少年の前に立っている。少年は白けた顔でスーを見返した。スーは表情を崩さないまま右手を少年の頭の上に持ってくると、そのままガシっと掴んで力を込めた。

「いたっ! いたいって! なにすんだよっ!」

「お・な・ま・え・は?」

 少年は必死にスーの手を振りほどこうと暴れるが、スーは微動だにしない。頭を万力で締め付けられるような痛みに耐えかね、少年は自らの名を明かした。

「ルカ! ルカだよ!」

「そう、ルカという名前なのね。よろしく、ルカ」

 満足げに頷き、スーはルカを解放する。頭を押さえ、少し涙目になりながら、ルカは恨めし気にスーを見上げた。

「……笑顔魔人」

「なにか言ったかしら?」

「な、何でもない!」

 極上の笑みを浮かべるスーに、ルカはあわててぶんぶんと首を振った。また攻撃を受けてはたまらない、ということだろう。

 スーは「そう?」と答えると、表情を改め、ルカを見据えた。ルカもまた、警戒するような瞳でスーを見上げる。

「さて、ルカ」

「説教ならいらないよ。オレ、悪いことなんてしてないし」

 スーの言葉を遮り、ルカは挑むように睨みつける。スーは思案気に「ふむ」と呟き、ルカの視線を受け止めた。怒るでもなく無言でいる、というのは予想外だったか、ルカは居心地が悪そうに言った。

「な、なんだよ」

 ルカの問いかけにもスーは無言のままだ。右の手のひらを自らの頬に当て、軽く眉根を寄せて何事かを考えている。しばらくの間そうして宙を見つめていたスーは、不意に、納得したように呟いた。

「そうね」

「は?」

 思わず、といった様子でそう声を上げ、ルカは拍子抜けしたような顔をした。怒ると思っていたし、怒るべきだと思っていたのだろう。そして、悪いことをしたと思っている者に「悪いことをしただろう」と言っても意味がないのだ。スーはルカの手を取ると、

「来て」

 引っ張ってルカが踏み荒らした花壇まで連れていった。

「踏み潰されてるわね」

 スーがルカのつけた足跡を指さして言った。ルカの顔が不貞腐れたものに変わる。

「だからなんだよ」

「そこで、これをかけてみます」

 スーの手には、いつの間にか青いじょうろがある。ぎょっとした様子でルカが叫ぶ。

「ど、どっから出したんだよ、それ?」

「最初からあったわよ」

「ウソだ。何も持ってなかっただろ!」

 とぼけた顔でルカの追及を跳ね返し、スーはじょうろで花に水をかける。水をすべて撒き終わると、じょうろを脇に置き、話を切り替えるようにぱちんと手を叩いた。

「はい、それでは目を閉じて」

「なんでだよ」

「い・い・か・ら、ほら、さっさと閉じる」

 ルカの目の前で、スーの手がわきわきと動いた。ルカの顔が恐怖にひきつる。

「わ、わかったよ」

 スーに逆らってもろくなことはないと思い定めたのか、ルカは言われた通りに目を閉じる。

「それじゃ、いくわよ。三、二、一、はい、目を開けて」

 ルカは素直に目を開き、そして目の前にある光景に思わず声を上げた。

「うわっ」

 ルカの目の前で、さっき確かに踏み潰したはずの花が、まるで何事もなかったかのようにすました顔で咲いている。ルカは何度も目をこすり、花を見つめた。そして、それが幻ではないことを確認すると、スーの顔を見上げ、不可解そうに問いただした。

「手品?」

「種も仕掛けもございません」

 得意げにスーが答える。

「ウソだ。別の花と入れ替えたとか、そんなんだろ」

「植え替えた跡なんてある?」

「……ない」

 ルカは納得のできない表情を浮かべる。花壇の土にはルカのつけた足跡がはっきりと残っており、掘り返したような様子はない。そもそも、ルカが目を閉じていたのはスーが三つ数える間だけだ。そんな時間では植え替えるどころか、別の花を用意する時間もない。

「でしょう」

 どこか勝ち誇ったようにスーが言った。ルカは鼻にシワを寄せ、不機嫌そうに鼻を鳴らした。スーはかすかに微笑むと、花壇に視線を戻した。

「植物はしたたかよ。花や葉を踏み荒らされたって、何度でも起き上がるわ。

 根さえしっかりしていればね」

「ほんとかよ」

 ルカはうさんくさいものを見る目でスーを見る。スーは心外そうに口を尖らせた。ふたりの様子にまるで関心などないように、花は太陽に向かって揺れている。

「……根さえ、しっかりしていれば」

 ルカはそう呟き、じっと、自分が踏み荒らした花を見つめた。

「根さえしっかりしていれば」

 歌うように繰り返し、スーもまた花を見つめる。しばらく二人はそのまま、日差しを浴びてきらきらと光る花を無言で眺めていた。


「おい、見ろよ、あれ」

 広場の入り口がある方向から、少年たちの話し声が聞こえる。声を聞いたルカはわずかに身を固くした。苦いものを無理やり口に入れられたような顔をして、声の方向を振り返る。広場の入り口には三匹の少年がいた。ヤマイヌ、イノシシ、カワウソの、いかにも活発な少年たち。

「よお。こんなところでなにしてんだ」

 妙になれなれしい様子で、カワウソの少年がルカに声を掛けた。その声に、態度に、視線に、あからさまな侮りがある。

「最近見ないと思ったら、こんなとこで遊んでんのかよ」

 イノシシの少年が言葉を継ぐ。その顔にはどこか嫌なものを帯びた笑みが浮かんでいる。

「寂しいじゃないの。オレ達も誘ってくれよ」

 ヤマイヌの少年がおどけた様子で言い、何がおかしいのか、三匹は顔を見合わせて笑い声をあげた。ルカはうんざりした様子で目を伏せる。

「で? 今日はそのおばさんをだますのか?」

 ヤマイヌの少年の言葉に、スーの表情が笑顔のままで固まる。ルカはぶるっと体と震わせ、そっとスーから距離を取った。スーの様子に気付くこともなく、少年たちは得意げに話し続ける。

「ウソは得意だもんな。ウソついて気を引いて、そのおばさんから小遣いでもせしめようって

 思ってんだろ?」

「もう近所に騙せる相手がいないから、こんな場所まで来たんだろ?

 おまえがウソつきだってことはもうみんな知ってるもんな」

 ルカは俯いて少年たちの言葉を聞いている。その肩がかすかに震えた。

「駄菓子屋からチョコ盗んだ時も、おもちゃ屋からおもちゃの剣を盗んだ時も、やってないって

 言ってたもんな。結局証拠が出なくておとがめなし。うまくやったよね」

「うらやましい才能だよ。今度俺たちに教えてくれよ。ウソのコツってやつをさ」

 ルカは自らの腕を抱えた。肩の震えは大きくなり、少年たちは楽し気に口の端を上げる。そして次の瞬間、ルカはもうこらえきれないというように吹き出し、天を仰いで笑い始めた。少年たちの顔から笑みが消える。

「おい、なに笑ってんだ」

 カワウソが低く物騒な声で言った。思う通りの展開が得られないことに苛立っている。ルカはおかしくてたまらないというように笑いながら、言葉を搾りだす。

「おまえら、ホントに、ワンパターンだよな。

 話の入りも、その後の展開も、前に会った時と同じじゃないか」

「なんだと?」

 カワウソの顔が怒りにゆがむ。「あー笑える」と呟いて、ルカが言葉を続ける。

「いい加減飽きるぜ。それじゃあこっちがどれだけ泣いてやろうと思っても、笑いしか出て来ない」

 ルカは目じりに浮かぶ涙を手で拭って、ようやく笑いを収めると、哀れみを湛えた顔で見下すように言った。

「もう少し言葉のお勉強をして出直しな。悪口も言えない脳みそじゃ、お前たちの将来が心配だよ」

「調子に乗るなよウソつき野郎が!」

 怒りに耐えかね、カワウソはルカの前に駆け寄るとその襟首をつかんだ。ルカはおどけた様子で両手を上げると、しょうがないな、という表情を作った。

「言葉で勝てなきゃ殴って解決。自分の頭の悪さを全肯定か?

 それで満足できるならうらやましいよ。オレはそこまで単純になれないんだ」

「この野郎っ!」

 カワウソが右の拳を振り上げる。ルカはカワウソを鋭く睨んだ。

「やめとけ」

 ヤマイヌがカワウソの背中に声を掛け、カワウソの動きが止まる。ヤマイヌは侮蔑の笑みを張り付け、ルカを見つめて言った。

「本気になるなよ。やせ狼がようやく搾りだした精一杯の遠吠えだ」

 カワウソは「ちっ」と舌打ちして拳を下ろし、ルカを突き飛ばす。ルカはよろけながら二歩下がると、服の乱れを直した。イノシシがニヤついた顔で大仰に声を上げる。

「そうそう。まともに聞くだけムダムダ。なんせこいつは」

 勿体つけるようにイノシシは言葉を切り、たっぷりと間を空ける。そして、この場にいる誰にも聞こえるように、ゆっくりと、大きな声で言った。

「詐欺師の息子なんだから」

 ルカの顔から、皮肉めいた作り笑いが消えた。


 ルカの父はいつも夢を見ているような男だった。出所の分からぬ宝の地図、滅びた国の隠し財宝の噂、神話に語られる黄金の都の記述。そんなものを集めては、いつか必ず見つけ出すと、そうすれば世界一の大富豪だと、そんなことばかり話していた。まともな職にもつかず、生計の全てを妻に任せて趣味に生きる道楽者。周囲の者たちはあきれ、バカにしたように父を見ていた。だが、幼かったルカは、楽しそうに夢を語る父の姿が好きだった。宝の地図を広げて語る、宝を隠した山賊たちの冒険譚。栄華を誇った古の王国の、最後の王が隠した秘宝の伝説。伝説の武具を身に着けた英雄たちが、魔物たちを相手に繰り広げる激闘の物語。父の膝の上で聞く話は、たとえすべてがただのホラ話であったとしても、ルカを自由な世界へと誘う魔法だった。

 ルカが憶えている父の最後の顔は、興奮を隠しきれない、無邪気な子供のそれだった。

「すごいぞ! 今度こそ本物だ!

 伝説の宝の在処を示す手掛かりに間違いない!」

 一枚の古びた紙切れを握り締め、父は叫んだ。ルカを抱き上げ、その場でくるくると回る。父の喜ぶ姿は、それを見ているルカにとっても喜びだった。単純に父が喜んでいることが嬉しかったし、もし本当に宝を見つけることができたら、父を見る周囲の目も変わると思ったのだ。

 喜びを全身で表した後、父は家を飛び出した。ずっと後になって知ったことだが、父は森に住む動物たちから出資を募っていたらしい。金持ちの商人から近所に住む年寄りにまで声を掛け、宝探しに必要な資金を集め、必ず宝を見つけてくると言い残して、父は旅立った。そしてそのまま、帰っては来なかった。


「父親は関係ない」

 少しかすれた声でルカが言った。ヤマイヌが鼻で笑う。

「関係ないなんてことあるかよ。狼からは狼の仔しか生まれない。

 詐欺師からは詐欺師の仔しか生まれない」

「黙れ」

 怒りを押し殺した低い声でルカが呟く。ヤマイヌはルカにゆっくりと近づいていく。

「お前の父親がしたように、お前も騙して盗むだろう?

 今、騙していなくたって、いつか騙す。必ず騙す」

「黙れ!」

 叩きつけるようにルカが叫んだ。ヤマイヌはルカの正面に立った。

「お前は嘘つきなんだよ。そう決まってる。そういう風に生まれたのさ。お前の血がそれを証明する。

 お前が嘘をついていようがいまいが、お前が言えば嘘なんだ。お前は嘘つきだ、ルカ」

 真理を語る目をして、ヤマイヌはルカの目を覗き込んだ。ヤマイヌの瞳には、憐れみ、憎しみ、怒り、妬みの色がせめぎあっている。ルカは己を奮い立たせるように、ヤマイヌを睨み返した。

「ウソなんか、ついてない……!」

 呻くように搾りだしたルカの言葉を踏み砕くように、ヤマイヌはルカの肩を優しく叩き、耳元に顔を寄せて、優しく、優しく囁いた。

「お前のその言葉を、一体だれが信じるんだ?」

 一瞬目を見開き、奥歯を強く噛み締めて、ルカはヤマイヌから目をそらして俯いた。


「確かめてみましょうか」

 不意に、沈黙を守っていたスーが口を開いた。ぎょっとした顔をして、三匹はスーを見る。ルカもまた、スーを見上げた。スーは普段と何も変わらない様子で話し始めた。

「根っこ広場の木の前で嘘を吐くと、根に捕らわれるという話を知ってる?

 その木が、ここにあるオークの木。この木に向かって聞けば、嘘を吐いているのが誰かすぐにわかる」

「そんなの、ただの噂じゃ……」

 気味の悪そうにカワウソが言う。スーは穏やかな声のまま、話を続ける。

「噂にだって根拠はあるものよ。それとも、試してみるのは怖いかしら?」

 イノシシとカワウソが戸惑うように顔を見合わせ、そしてヤマイヌを見た。ヤマイヌはくだらないと言わんばかりの表情を浮かべた。

「いいよ。やってみても」

「い、いいの?」

 イノシシがヤマイヌの袖を引っ張る。ヤマイヌは声を落として答える。

「どうせはったりだ。何も起きやしない」

「では、始めましょう」

 スーはそう皆に告げると、オークの正面に進み出る。軽く息を吸い込むと、よく通る声でまじないのような言葉を唱えた。


 逆さ虹の森の主に御願い奉る。

 今、御前に二つの言の葉あり、

 いずれかは真を持たぬ朽ち言なり。

 我ら偽りを破る能わざれば、

 大樹の霊威を以て我が問いに答え給え。

 偽りしはいずれなりや?

 

 スーの言葉に応えるかのように、穏やかだった冬の空はにわかにかき曇り、びゅうびゅうと強い風が吹き始めた。オークの枝が揺れ、ざわざわと音を立てる。樹皮が蒼く燐光を放ち、かすかに地面が揺れ始めた。

「お、おい。なんだよ、これ」

「どうなってんだよ!」

 少年たちはうろたえ、蒼白な顔で叫ぶ。ルカはどうしていいか分からないように、その場に立ち尽くしている。スーは振り返り、ルカと少年たちを見渡した。揺れは徐々に大きくなり、そして。

「に、逃げろ!」

 ヤマイヌの叫びと同時に、オークの根元にのたうつ巨大な根が地面を這うように伸び、少年たちの足首に巻き付いた。駆け出そうとしたその瞬間に足を取られ、少年たちは地面に倒れる。スーが一歩、少年たちに近付いて言った。

「嘘を吐いていたのは、あなたたちのほうだったみたいね」

 スーの口調にも、表情にも、何も変化はない。穏やかに、微笑みを浮かべて、スーは三匹に話しかけている。

「う、嘘じゃない! 嘘を言ったわけじゃない! 本当にそう思っていたんだ!」

 足に絡まる根を外そうともがきながら、カワウソが叫ぶ。スーは興味の無さそうに答えた。

「そう。でも、それに何の意味があるのかしら?」

「ご、ごめんなさい! 許してください!」

 恐怖に震える声で、イノシシが哀願する。スーは表情を変えず、微笑んだまま少し首を横に傾げた。

「謝られたら許さなければならないの? それは少し、不公平ではないかしら」

 スーの笑顔の奥に、酷薄な光が見える。イノシシは口を開けたまま絶句した。

「オレたちは、ただ、みんなが言っていることをそのまま言っただけだ! オレたちが言ったんじゃない!

 みんながそう言ってたんだ!」

 ヤマイヌが、この裁定は不当だと言いたげにスーを睨む。スーはその視線を平然と受け止め、優しくなだめるように言った。

「その言い訳を、森の主様が聞いてくださるといいわね」

 お前たちの運命など、どうなろうとかまわぬ。笑みの形の目が、三匹の少年にはっきりとそう告げている。ここに至り、ようやく少年たちは気付いたようだった。何をどう言いつくろっても、もはや手遅れなことがあるのだと。

「た、たすけ……!」

 少年たちの声を断ち切り、木の根は一気に自らが抱える闇の奥へと三匹を引きずり込んだ。まるで最初からいなかったように、気配さえ奪い去って。地面の揺れは収まり、風は穏やかなそよ風に変わる。雲は溶けるように消え去り、冬の空は青い色を取り戻した。奇妙なまでの静寂が根っこ広場を包む。

「……しん、だ、の?」

 かすれた声でルカが言った。スーは軽く首を横に振る。

「主様はそこまで残酷な方ではないわ。命を取られることはない。そのうち帰ってくるでしょう」

 スーの言葉に、ルカはほっとしたように息を吐いた。ルカにとってあの少年たちは嫌な相手だっただろうが、生き死にに関わるような事態を望んでいたわけではないのだ。スーはルカの様子に目を細めた。もうその瞳に酷薄な光はない。

「ついていなかったわね」

 ルカの目を見つめてスーは言った。怪訝そうな顔をしてルカがスーを見返す。

「嘘」

 ルカは居心地の悪そうに視線を逸らした。

「……いいよ、どうでも」

「そんなことないわ」

 ルカの言葉を、スーはきっぱりと否定する。ルカは顔を上げ、スーを見つめた。

「大切なことよ」

 ルカを見つめ返すスーの顔に、普段の柔和な笑顔はない。真剣に、正しいことを伝えようとする、透明な瞳。

「……うん」

 どこか気恥ずかしそうに、ルカは小さく頷いた。


 すでに太陽は中天に掛かり、広場は春のような暖かさに包まれている。スーは「うーん」と唸りながら、固くなった身体をほぐすように大きく背伸びをした。ルカは顔を背け、ぼそりと呟いた。

「ババくさい」

「なんですって?」

 スーの声が一段低くなる。ルカはすばやくスーの手の届かない距離まで離れた。

「帰るよ」

 少し背筋を伸ばし、まっすぐにスーのほうを向いて、ルカが言った。

「そう」

 短くスーが答える。ルカはからかうような瞳で口の端を上げた。

「気が向いたら、また遊んでやるよ、スー」

「生意気」

 スーがルカを軽く睨む。ルカは強気にスーの視線を受け止め、そして、ふたりは同時に吹き出し、笑った。

「じゃあね」

 小憎らしい笑顔を残して、ルカは振り向くことなく去って行った。スーはルカの後ろ姿を見送り、ルカの姿が見えなくなってもずっと、ルカの去った方向を見ていた。

 不意に、スーの背後から広場の入り口に向けて、冷たい冬の風が吹いた。暖かい日差しに似つかわしくない、冬本来の凍えるような風だ。その風は時に前に進むことを阻む。寒さに耐えかね、しゃがみ込んでしまう者もいる。しかし、風の冷たさそのものを否定できるほど、世界は美しくも清らかでもない。

「負けないで。

 負けてはだめよ。

 あなたは嘘などついていないのだから」

 スーの呟きが冬の広場の空気に溶ける。祈りが消え去ることを拒むように、一羽のコマドリが鳴き声を上げた。

 

 夕闇が迫る時刻、太陽が安息を求めて寝床へ向かう中、根っこ広場の中心にある大樹の頂に、三匹の影があった。か細い枝にしがみつき、為す術なく震えている。

「だれか、助けてーっ!」

 イノシシが叫ぶと、三匹がしがみつく枝が右に、左にと揺れる。

「バカっ! 動くな! ゆれ、ゆれるっ!」

 ヤマイヌが慌ててイノシシを制したが、時すでに遅く、一度揺れ始めた枝はなかなか動きを止めてくれない。カワウソは声を上げることもできず、目を閉じて必死に枝を握り締めている。

 その時、どこからともなく一羽のコマドリが現れ、少年たちのしがみつく枝の先に止まった。ようやく落ち着き始めた枝が再び揺れる。

「うわぁっ!」

バランスを崩しかけて悲鳴を上げたイノシシを、ヤマイヌの手が辛うじて支えた。ヤマイヌの口から知らず安どのため息が漏れる。コマドリは悪びれもせず、のんきに羽の手入れをしている。ヤマイヌはキッとコマドリを睨むと、ぐっと怒りを抑えるように息を吐き、できるかぎり穏やかにコマドリに話しかけた。

「コマドリさん。僕たち、ここから降りられなくて困っているんです。誰か大人を呼んできてくれませんか? このままじゃ落ちて死んでしまう。お願いします」

 コマドリはじっとヤマイヌを見つめると、優しく微笑んで頷いた。

「まあかわいそう。それでは私がなぐさめに、一曲歌ってあげましょう」

 三匹は声をそろえて叫んだ。

「いらねーよ!」

 コマドリは素知らぬ顔で、勝手に歌い始める。


「今日はとってもバッドディ。

 生きてりゃそんな日もあるさー。

 明日はきっとハッピーディ。

 そんな保証はないけれど、

 信じて眠りにつくだけさー」


 心の底から期待外れの顔をして、少年たちは天を仰ぎ、そして、

「誰か、助けてくれーっ!」

 星々が瞬き始めた夜空の下、逆さ虹の森に少年たちの声が響いた。

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