第三話 特別
あまりに空きすぎたことに焦り、取り敢えずゼロから急ぎ即興で書いてみました。
ネームメーカーさんの存在がなければ、こんなことは出来なかったでしょうね!
感謝ですー。
どんな関係だって、最初は愛から始まるものではない。どの世であろうとも、好意ばかりで人は結ばれるものではなかった。いかに互いに険があろうとも縁が結ばれてしまうことすら、ままある。
異世界。魔族ですら近しいものと覚える程に離れた、勇者(異人)と関係を持ってしまった彼女は最初、それを喜ばなかった。
だって、これは明らかに規格が違う。出力も、構造も異常。下手に抱きしめられたら壊されてしまうだろう、そんな相手をどうして好むことが出来るだろう。
間抜けにも早々に恋を向けだした他の二人と、彼女は違う。勇者、その無闇に優しき人となりをすら少女は恐れれる。
「……あなたは、何?」
「ううん? よくわからない質問だね、それは」
「召喚によって削がれた縁を悼む素振りすら見せずに、いたずらに笑みを振りまき続けるその仮面……不愉快」
「……そっか」
「……壊れた人間ではなく、生きた人間がこの世界を守る。……あなたは無理すべきではない」
「はは……ありがとう」
学ある彼女は考えていた。この世は理性に敷かれ、普遍によって均されるべきなのだと。ただ普通の皆の努力で全てが良くなるという未来を、乙女はただひたすらに信じて願っていたのだ。
だから、彼一人だけが痛み、頑張ることはない。勇みに傷ついて、戦いに悔いる少年が特別扱いされるようなことを彼女はそれまでただの一度も望みはしなかった。
しかし、少女は思いを違える。
「……大丈夫?」
ぞぶりと、その剣は先まで勇者を魔法によって元の世界に還すことを企んでいた、彼にとっては都合のいい相手だっただろう魔物の喉元を貫いていた。
そして、そのまま振り切るように剣は横に薙がれ、その下で魔物の人質にされていた彼女に血の雨を降らす。
「どう、して?」
紅に濡れた視界の中、しかし彼女は瞬かない。分からなかったから。
先まで魔物に諭されその言葉に迷っていたのに、そのために少女の命が必要だと知った途端にその全てを捨てて、僅かなりとも心通わせ勇者に哀すら持っていたようだった魔物を一閃してしまうなんて、どうして。
真っ直ぐに自分を見つめる彼の瞳の黒に、迷いは僅かにも存在しない。それはまるで、本当に健やかな、勇者の様子で。
先まで、特別(勇者)と勝手にラベリングされ惑っていた、遠い少年ではない。彼は生きた、尊き何かにすら見えた。
そして、勇者は言う。
「だって、君が泣いて、俺が笑うなんて、間違ってるよ」
「え?」
そして、少女は驚く。知らない。彼女は知らなかったのだ。
真面目の成れの果て、愛飢えた人の形が、どれだけ非常なのか。憂い、鬱屈しながらも真っ直ぐに立とうと足掻き続けている人間が、己のためでしか無い希望なんか過つことなんて、決してないということを。
人のために憂いて、そのために、自分なんて切り捨てる。そんなの、彼の憂鬱の中ではあたり前のことだった。
ただし、それは優しさとは少し違う。こんなの、信じきれない全ての中で、自分まで信にもとる行動したら、この世に何一つ信じられるものなんてなくなってしまうから、という必死さの表れでしかなかったのだから。
しかし、むせ返るような死臭の中、深いフィンロテの森の暗闇の中で、彼女はその言動と胸元に優しさと熱いものを覚える。
やがてそのまま口元をわずかに動かし、言った。
「……やっぱりヨウタは、特別なんだ」
私の中では、特に深く。目を瞑って、暖かな気持ちを押さえながら彼女は、はじめての想いに感じ入る。
「……っ」
少女の勘違いの言葉に、痛みを覚えて笑みを凍らす少年を、知らずに。
恋は盲目恋は闇。賢かった筈の彼女は想いに単純になり過去の思索を忘れる。そうして、少女は錯誤したのだった。
「あー、にしても勇者って奴は本当にスケベ心が足りない奴だよなあ」
「エールニルったら、突然どうしましたの? 勇者様が清廉潔白であるのなんて、望ましいことでしょうに。ふふ、私はもう、真っ白な勇者様を愛でて赤く染めるのが楽しみで楽しみで……」
「おいおい……エロスラ。興奮して鼻血出ててんぞ。それで勇者を染める気か?」
「あら。情熱が溢れ出してしまいましたわね……ってさらっと、エロスラってなんですの! 名前、間違えていますわ!」
「いやさ、エロも愛とほとんど同じで立派なもんだろ? だからさ。つい、真っ赤に燃えるお前をみてたらそれを名前に付けてあげたくなっちまったのさ」
「なるほど、そう言われるとそんなに悪くないような気も……うん、ひょっとして私騙されてます? しかも、結構雑に……」
「話を戻すが……いやさ。あたし達だって綺麗所に入るだろうに、勇者は関係持とうとしないどころか侍らすことを喜びすらしないなんてさ、ちょっとおかしくないかと思ってな」
「そうですわね……異世界とはいえ神法によって辛うじてとはいえ通じさせることが可能なくらいにほど近しい世界。人間の美醜の範囲はそれほど変わりないはずですのに。ちょっと不思議ですわよね」
「だよなあ、エロ」
「エールニル、どこか親しげに私に向けて呼んでいますが、それではただの悪口ですわ! もう、私の名前の名残が全くありません!」
「あれ……あんたの名前って何だったっけ?」
「ついに、命を預けた仲間の名前まで忘れだしましたわ! ちょっと……ボケ役がボケ過ぎですの!」
太陽が盛んに主張を始めた朝の頃。馴染みの宿屋に併設されているこじんまりとした喫茶スペースにて、こんな下らない会話が無闇に繰り広げられてれた。
猥談に冗句。見目としては麗しく、凛々しき戦士と清廉な神官の女性等がするにはいかにも残念な会話は、一枚の衝立以外に遮られるものないために辺り一面に披露されている。
エールニルと言われた一見ではどこか硬質な印象の女性はしかし朝から飲んだくれてだらけていた。エロ……ではなくハリスラと言う神官の装束を乱すことのない、容姿は隙の伺えない彼女はあまりにツッコミに全力で百面相である。
やがて、通りがかった気にする人を大いに呆れさせたその会話の間隙に、土を踏む硬質な足音が響いた。その音を常に重きヘルティア鋼の装備にて全身を固めている彼のものと理解した二人は、さっとそちらを向く。
「噂をすれば影、ってやつか。おはよう、勇者。いや、今日は暑いねえ……」
「おはようございます、勇者様……って、エールニル、暑気からかアピールからか知りませんが、そんなに大げさに胸元を披露しないでくださいな! 公衆の面前でのぽろりは流石にお縄につくことになりますわよ!」
「おっと、流石にそれは困る。ユノグルを警邏してる奴ら、嫌に厳しいんだよなー……」
「痴女に優しい世界などどこにもありませんわ!」
「おはよう。あはは……二人共、相変わらず仲がいいね」
「いや、これもスルーか……これは更にもう一肌脱いだ方が良かったか……」
「エールニルがそれ以上布地を減らすと、お猿さんと同じになってしまいますわ! 野に還るおつもりですの!」
「あはは……」
エールニルとハリスラ。立ち上がった二人はまた丁々発止とやり合い出す。奇妙にそして、朝っぱらから愉快な空間に勇者葉大は招き入れられた。
ぎしりと、胸元で痛みを覚えるのを葉大は禁じ得ない。彼にとって、人と関わるのは負荷である。それも、ここまで温度差がある人間との接触は正直なところキツかった。
しかし、彼女らは仮にも勇者パーティの仲間。好意が転じて嫌われてしまうことを恐れてそんな内心をおくびにも出さず、彼女らが繰り広げる謎のコントの合間で、微笑み続けるのだ。
まあ、内心彼女らの容姿に関しては眼福と思わなくはないが。ただ、決してそれと繋がれないという現実はやはり辛かった。
と、そんな水と油の会合に、新たに影が一つ。あくびをしてから全体的に褐色の彼女、イシュトは挨拶を始めた。
「ふぁ……おはよう、皆」
「おはよう、イシュト」
「おはようさん」
「おはようございます。あら、イシュト。今日は遅いですわね」
「ん……そういやそうだな。なんだ、お寝坊か?」
ぴと、と葉大に寄り添ってから、小さめなイシュトは子供のように目元を手の甲でぐしぐしと擦った。
少しお兄さんな葉大は、彼女の眠気をどこか心配そうに見つめる。心配性な彼は、自分の重い心の病も忘れ、眠気が何かの病気の初期症状ではないかと気にしていたのだ。
流石にイシュト愛らしさと、勇者の無闇な思いやりを見てしまう、ボケて茶化すこともしたくなったようで、エールニルもハリスラも笑顔でそののんびりとした光景を受け容れていた。
自分から触れもせず、しかし離れて拒みもしない葉大に安心を覚えながら、眠気眼のままイシュトは耳に入った寝坊という言葉にこくりと頷く。
「……そう」
「そりゃあ、珍しいもんだな」
「良かったら、どうしてか訊いても構いませんか?」
「いい……あのね」
隣で小さな喉が息を静かに吸い込む。その動作に葉大は不安を覚える。
普段は賢く働いてくれていた頭を睡魔で著しく衰えさせていたイシュトは、あの二人に伝えると大げさなことになりかねないから秘密にしてね、という葉大の言葉を忘れていた。
だから、どんな自分を演出しようか悩みに悩んだことも含めて、
「……今日は、ヨウタと二人で一緒に出かける日だから、緊張して」
「なっ!」
「なんですってー! って、お茶が、熱いですのっ!」
驚いたエールニルは手のひらをテーブルに思い切り載せた。するとドカンと、卓上にて大きな音が立つ。
そして、弾かれた宿の主ミスザが大事にしている神法にて中身をアツアツに保温できるポットがひっくり返り、その中身の火傷はしなくとも激しい熱さは感じる何とも芸術地味た温度が被さったハリスラを騒がせる。
びくり、とイシュトは突然のうるささに一つ跳ねた。葉大はもう、何か悟ったような顔をしている。
あまりの騒々しさに、ばたりばたりと葉大には正確な名前も分からないこの世の鳩が飛んで逃げていく。自分もそれに続きたいな、と勇者は思うがそうは問屋がおろさない。
抜け駆けか、冷水はどこですのー、という声が早朝の長閑な空気を引き裂くように大きく響いた。
勇者パーティの一人、希なる魔の人間ことイシュトは今はなき皇国、イツラヘルの生まれである。神法により成っている人の世、殊更その奇跡に魅せられている旧くからある王国ウェミテルにて、亡命して来た彼女は異端だった。
いや、そもそも原則として、魔に支配されたもののみ、魔力を得られ、魔法を行使できるものである。神に支配されている筈の人間であるだろうイシュトが神法ではなく魔法を使えるものであるというのは、おかしい。
と、いうよりもこの世界ではあり得ないのだ。神に仕え、しかし魔の法に触れるものだというその歪み。故に、イシュトは因果を歪ませる存在とされて、良くも悪くも重いものと扱われた。
未知の魔すら自在に操れるまで学び深く、そしてその生命をこそ一番大事にとの厳命を受け、少女は成長した。
そう、勇者召喚のその日まで。
「疲れた……」
「……ごめんね」
「いや、イシュトは気にしないで良いよ。君に隠し事をさせた俺が悪い」
この世界でも孤高な星が空高く。長々しい別の正式な名前があるらしいが元の世界のものと同じく太陽と呼んでいる、殆ど同じ働きをしている一つ星を見上げながら、葉大は小さく嘆息する。
彼は思う、まさか、あのうるさい二人にバレてしまうとは、と。
そして別段嫌いだからと除け者にした訳ではないが、それでも望む静かさと程遠い存在であるから、と気が向かない街歩きに帯同を避けたのはやはり問題だったか、と葉大は考えた。
ちなみに、今現在、エールニルとハリスラがそんなに平らな身体が良いのかと騒いだせいで勇者はロリコンという病気なのでは、と真剣な議論が開かれていたりする。
開催場所はいつぞやの酒場で、議長はミスザ。そして議題に頭悩ませたのは大勢だった。
噂は広がり、しばらく葉大が道歩くと子供連れの親から敵でも見るかのように睨まれたり、親の注意をうけた小さな子らにきゃあきゃあと逃げられたりすることになるのだが、それは今回の話には関係のないことである。
そんなことを知らず、後で埋め合わせに機会を作らないとな、と反省し頬を掻きながら彼は周囲を見回し思ったことをそのまま口にする。
「それにしても、ユノグルの街は大きいけれど、どこか狭いね」
「……その方が、守るに易いから」
「なるほど。人のための箱はなるべく多くして価値を不明に。そして或いは敵を分断したりするために路を塞いだりして工作するに、下手な広大さは邪魔なのかな?」
「……大体、そういうこと。後、魔族の領地の隣接している上に海に挟まれて、人口の割に土地が狭い、というのもこの雑多な街の印象に貢献している」
「へぇ……それにしても市街地戦も想定しているなんて、中々面白いデザインだな」
「……それだけ、ここウェミテルでは争いがあった」
「……そっか」
そう。葉大は苦手な人の群れに迷子にならぬようイシュトの手を取り混じりながら、軋む身体を動かし改めて、守るべき人たちの顔を眺める。
眺望は良い。異世界の者の顔立ちはそうそう悪いものが見当たらなく、どこかアジアンテイストが混じった欧州的な町並みは中々刺激的だった。
少し触れてみた石造りの壁にも、価値を感じる。文明の連綿さ、そしてイシュトから必死さすら覚え、自ずとそれを大事にしたくもなる。
だから、自分も必死に守護しなければならないのだ、と考えてしまうのは、葉大の悪いところだった。
そして、その本来ならばどうでもいい筈の異なる世界の住人の一つから、笑顔で彼は声を掛けられる。
「お、そこにいらっしゃるのは勇者様じゃあないか。タナボス、食べるかい?」
「おっと。タナボス? 淡い橙色の果実、かな……イシュト、あれはどんなものかな?」
「……甘くて、とても酸っぱい。私は苦手」
「ははっ。ちょっと酸味が強く思えてしまうかもしれないが、慣れれば病みつきに思える味さ! ほら、剥いておいたから、一つたべておくれよ」
「おっと、それじゃあ一つ……あむ」
「……酸っぱいでしょ?」
「いや、それも含めて美味しいよ、これ」
「がーん……初めてヨウタと意見を違えてしまった……」
こわごわと、を必死に隠しながら、勇者は丸い果実を食む。当然といってはそうであるが、味覚も鈍化してしまっている葉大には酸いも甘いもあまり感じなかった。
故に、果物店店主の男の笑顔に合わせて、美味いと嘘を吐く。何となく、胸元痛めながら。
そうして、その嘘に喜びを覚えた強面の店主は一人、声を上げる。
「いや、勇者様ったら味覚まで玄人だったとはねぇ! いや、勇者が認めてくださったこのタナボス、これから半額セールだ、皆じゃんじゃん持ってって行ってくれ!」
その声に応じて出来上がったは、人の渦。そこからはじき出された葉大は、思わず零した。
「おお、商機を逃さず、か……商魂が凄いね」
「……ここの人たちは皆、逞しい……逸れないように、しないと」
「だね」
人混みを前にして、遠慮がちに触れてきた褐色の手のひらを葉大はぎゅと握り返す。
知らないことは怖いことと、少し身体の調子の良い日にちに改めて知見を広めようとしている葉大にこの世界のことは、殆ど知らない。けれども、イシュトの頬の赤みの理由は、知らないふりをしていて、知っていた。
勇者にとってはそんな不実が、辛くて、また怖いというのを、未だ誰も知らない。
異世界の、日が暮れた。真っ暗になっては、怖い。それは、誰だって同じこと。
少し辺りに慣れ初めて来た葉大が、不明の闇を恐れ出したのは、殊の外遅かった。
それは憂鬱によって歩みが鈍化していたためであるが剣を振って食べて戦って寝て、を繰り返してばかりいた彼は、ろくに守るべき人間たちすら見ていなかったことに遅まきながら気づいたのだ。
不誠実を覚えたのならば、身を正すのが、彼にとっての当たり前。大体に明るそうなナビゲーターにイシュトを選んで、共に恐るべき人の海に乗り出したのは、葉大にとって一大事だった。
「ふぅ。美味しかったね。あの麺。中々、こう、海鮮の味が強くって」
「そう……」
大体の笑顔に、卑屈を感じながらも、それでも普通をやりきったと思い、安堵。先に薄く感じた海鮮の香りを思い出し、隣の暗がりにまぎれて黒子のようにも見える少女にそう葉大は話を作る。沈黙は、相手の考えが解らず恐ろしいから。
緊張に疲れ。それは、憂鬱によって常ならざるものとなっていた。故に、張っていたものも僅かにゆるむ。闇の中少し、本来の引きつった笑みを彼は漏らした。
それを知ってか知らでか、幼子のように彼の手を持ち熱を感じていた彼女は、大人びた音色で冷たく、言う。
「美味しかった。それって……嘘、でしょ?」
「え?」
二人の歩みは止まり、沈黙は闇に没する。喧騒を遠くに感じ、まるでその場は時すら停まったようになった。イシュトは、続ける。
「……ねえ、ヨウタ。タナボスっていうのは本当は生食するものじゃないんだ。だって本当に、とっても酸っぱいものだから」
地元の通しか味わわず、もっぱら匂い付けに用いられる、柑橘。店主が勇者にそれを食べさせたのは、漫ろな旅人に自分たちを気にさせるためによく行っている、驚かせる悪戯じみたお遊びのようなものだったのだ。
しかし、過度の酸味をすら喜んで、葉大は頂いた。それは、どういう意味なのか。懸命なイシュトに分からないわけがなかった。
「実は、時に辛い料理を知らず平気で食べていたのにも、私は気づいてる……ヨウタって、酸味も辛味も感じないんだね」
「それは……」
「……いいよ。貴方は特別。そういうことにしておく」
そっと彼から離れて、闇の中、真の意味での魔女帽をひらりとさせながら褐色が踊る。しかし影の法師は一人、ただくたびれた少年を真っ直ぐに見つめていた。
「……だって、ヨウタは勇者だもの」
異世界と繋がるための人の柱でしかなかった少女は、恋情によって自分を人間にしてくれた彼の全てを認める。それこそ、弱みをすら。
「……そっか」
それが、少年にとって何より恐ろしいことであると、知らず。