第二話 馬が合う?
ネームメーカーさん、大活躍ですね!
変な夢を見たので、謎の馬が出てきます。
美姫ヴァーザ、といえば数多ある魔王の軍勢の中でも一等輝く一粒として知られた存在である。
全てが全て、自然に生まれる魔族。その中でも王に近い、魔。見目麗しきヴァーザは多くの親愛を受けていた。それこそ、過去の勇者葉大が受けたものをそのままひっくり返したかのような、幸せぶりであったのだ。
けれども、そんな楽しいばかりの生にて、一つ懸念が生まれた。それが、ヴァーザにはどうにも気にかかる。
「むー、ユウシャったら、あんな可哀想な子だとは思わなかったわ! どうしよう……」
幸せということは、相手を思いやる余裕があるということでもある。故に、目で見て感じた葉大のあまりに傷ついた心が哀れに思えた。
魔族は人の闇から生まれたとされる。ならば、葉大の心の深い闇に魔族のある程度上等な存在であれば、皆感じるだろう。
殊更、心優しいヴァーザは、青年の痛みを思って、その快方を願う。だって、少しでも辛いのに、あんな洞のごとく傷が空いていれば、とっても痛いに決まってる。だから、それを慮るのは、人間と相対す魔族であってもおかしくないと彼女は考えるのだ。
「うーん。誰か相談できるの居るかな?」
ぱたぱたと、小さな蝙蝠羽をはためかせて、魔王城の中を考え込みながらあちこち動き回る、そんな少女はやたらと目立った。
暗い石の廊下にカツンと足音響かせ、そうして酷く大いなるものがヴァーザを認める。天を持ち前の角で脅かすその禍々しき存在は、優しく彼女に言った。
「ヴァーザ、どうかしたのかい?」
「あ、お父様!」
人間の美しいものを集めた容姿のヴァーザと比べて、あまりに雑多におぞましい部分を纏めて存在と成しているそれ、彼女の父こと魔王ディアピオスは親愛に笑む。
悍ましきを歪めて笑う、そんな父に向かってヴァーザは突貫。それを優しく受け止め、ディアピオスは彼女の頭を触腕で撫で付ける。そうして、ヴァーザも一時悩みから開放されて、笑んだ。
優しき異形同士の触れ合い。これは魔王城では、実にありがちの光景。痛みから生まれた彼らはそれを解しているがために、知を持てるほどの者達は総じて大人しく優しいのである。
特に、この世の全ての闇を見たとされる、魔王ディアピオスは、その中でも群を抜く。その持つ力と王位と相まって、彼はその残念な容貌とは反し、大人気の存在だった。
そんな愛すべき父親に対して、ヴァーザは語る。
「あのね、お父様。この前ボク、一人でユウシャに会いに行ったでしょ?」
「そうだね。哀れな異世界生まれの人柱。けれども上位存在故に強靭であろう彼をひと目見に行ったのだとは、聞いている。全く、僕たちは酷く心配したんだよ?」
「ごめんなさい……でも、イーアナーが、気になることを言うから……」
「あの、魔物と思い込んでいる謎の馬が、そそのかしたのか……でも、城の外は危険なのだから、せめて、お付きのメイド……マヤシスくらいには言っておいて欲しかったな」
「反省してます……」
「まあ、終わったことは仕方ないね。次は気をつければいい。それで?」
親の苦言に頭を下げる、ヴァーザ。それを魔王ディアピオスは微笑みを持って許し、そうして次を促した。
「ボクはユウシャに出会って、戦うことになったの。ユウシャは四人のパーティを組んでいてね、強かったわ! とっても楽しかった……でもね」
「彼はヴァーザが思っていたのと違ったのかい?」
「うん……戦えば戦う程に、ユウシャの痛ましさが判ったの。思わず、こっちに来ないか、って言っちゃった」
「でも、流石にそれは無理だったと」
「うん。何か、行った途端に向こうのデカ女たちが本気になってかかってきてね。逃げるしかなかったんだー。残念!」
「そうか……」
蒼き節ばかりの手をヴァーザから離して、ディアピオスは考える。
娘はこと、切り捨てられたものの無念の集合。そんな彼女の特性もあるとはいえ、ここまで感じ入るとはよっぽどなのだろう。きっと最早病人とすら呼べるだろう者を魔族に対する尖兵に使おうとは、人間は相変わらずどうしようもない。
そうつらつら脳裏に綴る父に対して、しかしヴァーザはただ、勇者の強さの中に隠れた弱さを思うのだった。あんな可愛い、小さくてぷるぷるした柔らかな心、初めて見たもので。
「ホント、残念だったなあ……」
それを、優しく愛でてあげられないことを、悲しむのだった。
イーアナーは、凄まじく巨大な馬である。成人の上背とてその脛の高さにすら及ばない、ということを知れば、その大きさの程が判るだろう。
はっきりと、彼女は世界最大で、そうしてその頂点にある無駄に大きな頭はそこそこ賢いものでもあった。全ての言葉が神によって分かたれてはいない世界であるとはいえ、意味ある言葉を呟く巨大馬というのは、中々不気味なものである。
「びっくりしちゃったー。あの子、とっても強かったわ!」
ぶるぶると鼻息荒く、それは魔王領を縦断していく。よく見ると胸元に受けた刀剣の傷生々しくも、しかしその足は確かに大地を踏みしめている。イーアナーの蹄の立てる音に驚いた猫の魔物達が、次々尻尾を巻いて逃げ出した。
魔物の生息域であるがために手付かずで、旺盛に育った木をつまみながら、彼女は遠く見える黒く禍々しい形の城へと向かっていく。
因みにそれは魔王城であり、形が歪であるのは造り手である魔王やその側近に芸術のセンスが欠けていたがためであることまでは、あまり知られていない。
「久しぶりに魔族らしく人を襲ってみたけれど、負けちゃったし、久しぶりに皆で女子トークと洒落込みたいところね。ヴァーザちゃん、お城に居るかしら?」
「ここに居るよ!」
「きゃっ!」
「あははー」
どすんどすん進んでいるその最中、独り言に声が返ってきたことに、イーアナーはびっくりする。
近くに思えた声の主を探すと、耳元でぱたぱたと飛んでいるヴァーザの姿が。いつの間にこんなに傍に寄っていたのだろうと、少女の悪戯に驚くイーアナーだった。
「もー、驚かさないでー」
「あはは。もーじゃ牛さんだよ。イーアナーったら、お馬さんじゃない」
「私が馬だなんて、冗談ー! あんな小さな子たちが、私と一緒だなんて、あり得ないでしょう」
「……なら、イーアナーは何なの?」
「勿論、賢い私にはどう見ても自分が人間でないことが判るし、ならば魔族だって、理解しちゃうわ!」
「あはは。何時気づくんだろー……」
改めて語るまでもなく、イーアナーはただの馬である。とんでもなくデカく、話すことも可能であるが、それでも魔から生じたものではない天然自然の産物であるからには、馬で間違いないのだ。
しかし、イーアナーは自分を馬族ではなく魔族であると勘違いしている。それは、同種とのあんまりなまでのサイズの差によって同じく見えないことから生まれた、錯誤。
更には、実際馬状の魔族も存在するがために、ややこしいところ。馴れ馴れしく近寄って来るイーアナーにケンタウロスな魔物達は相当に迷惑を受けていたりした。
ひとしきりニコニコと笑んでから、イーアナーは会話の種として今日のこと口に出す。
「そうだ。ヴァーザちゃん。私今日ね、魔族らしく人間と戦ってきたんだー!」
「え、イーアナーって普段は気が乗らないってあんまり人を襲わないのに……って、戦った? イーアナーと戦いの形にまで持ち込める人間なんて、いるの? どんなヤツ?」
「んー? 何か人間ってちっちゃくて違いが判りにくいんだけれど、そだねー。確か、一人はゆうしゃ、とか呼ばれてたかな?」
「ユウシャ! それって、光の存在、異世界から来る最強の人間ってヤツでしょ!」
ヴァーザは、その内容にびっくり。しかし、イーアナーの身体に出来た傷が大剣で出来た創傷であることに気づいて、彼女はなるほどと思った。
馬のくせして魔王軍でトップクラスに強いのでは、と思われるイーアナー。それがこれだけ傷つけられるとは、本来考えにくいこと。けれども下手人が人型の究極とされる勇者であるのならば、納得だった。
むむむ、と眉を寄せてから、ヴァーザは口を尖らせ、言う。
「ゆうしゃ、って有名だったの? まあ、強かったよー。私、負けちゃったもの」
「それってすっごい! ボクとイーアナーって喧嘩の結果が殆ど五分五分だったよね。なら、そいつ、ボクよりも強いのかな?」
「周りの子は大したことなかったけれど、あの男の子は……どうなんだろ。やってみないと分からないんじゃないかな」
「うーん! ちょっと遊んでみたくなっちゃった! その子はどっちの方に居たの?」
「デーメヴァン平原の辺りに居たよー」
「そう、行ってくる!」
ヴァーザは喜色に表情を可愛く歪めてから、羽根とマナを大いに騒がせ、そしてびゅんと音が出るほどにその身を加速させる。そうして、あっという間にイーアナーの視界から消えていった。
風の後に残るは、魔王城の手前で所在なさげにしてる不審馬が一頭。ひひんと鳴いて、そうして彼女は呟くのだった。
「……それにしても、小さな体に大いなる力。それってちょっと可哀想なのかもね」
イーアナーは、己の哲学によって勇者の哀れを感じ取ってから、空を見上げる。魔王の支配下であることを示す、紫色の雲。この世界では忌み嫌われるそれが、向こうの世界では吉兆と知らず、彼女はただその蠢きを先の青年に重ねるのだった。
「なんだったんだ……あの馬……」
だだっ広い平原。戦のあとにのテントを張り直してからの、装備確認の最中。王より下賜されたヘルティア鋼の大剣にゆがみ一つ起きていなかったことに、勇者葉大はほっと一息を吐く。
恒常的な気怠さに緊張はどうしようもないが、その中で少しは安心しひと呼吸が出来た気がしたのだった。
何しろ、武器の強さを忘れ、持つ感覚を奪われてしまうくらいには、先に現れた敵は強かったのだ。
デカければ、強い。それは真理である。巨大故に、魔法もなにもない向かってくるがだけのただの馬はそれだけで驚異となった。
走り、轢く。ただそれだけの戦法。しかし単純であるがこそその突撃はどうしようもない威力となって襲いかかった。
黒い疾風、それと対するに大きく葉大の身体は軋み、ダメージを受ける。掲げた大剣により低く当たってきたイーアナーの巨体は異世界の産物であるがためにマナという鬆が入っていない分強靭な彼の身体であっても、押し返すに難儀したものだった。
都合三度のぶつかりを経て、ようやく痛打を与えて追い返した、その際の苦痛は中々効いたもの。これは、後で寝入る前の肉体の悲鳴が増えるな、と葉大は思った。
「あんなバケモノを追い返すなんて、流石勇者だねえ」
「……私達では、どうしようもなかった」
「エールニルの怪力も、イシュトの魔法も、私の神法も、全部全部吹き飛ばしてしまうなんて、とんでもないお馬さんでしたわ!」
「まあ、荒事は本来俺の仕事だから。普段皆に助けてもらっている分、こういう大事には頑張らないとね」
「本当に、控えめで、まあ……」
「……ハリスラも真似したほうが良い」
「どうして私ですの!」
「あはは……」
肉の苦痛に耐えていると、精神に負荷をかける存在達がやってくる。テントの隙間から覗く、整ったかんばせ。その三つの笑顔に隠れ潜むものを妄想してしまい、葉大の心はぎしりと軋んだ。
そのため、自然に吐いている自分の綺麗ごとなんて、気にもしなかった。故にこそ、それが褒められることが気持ち悪いのである。
当たり前が良いと言われても理解出来ずに、不通ばかりが感じられていく。乗り切れないコントじみた会話も、それに一役買っていた。
「まあ、皆が無事で良かったよ」
「そうですわね……魔物退治の依頼も、あのお馬さんが来る前に方が付いていましたから、後はテントを収めて王都に戻るばかりですわ」
「……ハリスラ、近い」
「調子に乗って勇者の腕に胸当てんなよ、困ってんだろ?」
「あら、失礼しましたわ」
「はは。こう、もう少し距離を気をつけたほうが良いよ?」
「はい。勇者様以外に対しては、気をつけますわ!」
「これからも攻める宣言か……」
「……これには、ヨウタも困り顔」
「いや、はは……こういう、子なんだねえ」
葉大は、笑う。こんな、告白のような言葉を苦笑で誤魔化すのは、何度目だろう。彼は慕情を、理解出来ない。だから、こわごわと、受け止めずに流すのだった。
「つれないですわー」
「……ハリスラ、引かないと魚はつれないもの」
「なるほど! 駆け引きという奴ですね! 引く……つまりは押さない……なるほど!」
「ハリスラ……あたしらから離れてどうしたってんだ?」
「勇者様から私にいらしてくださいな! 今なら触りたい放題ですわよ! さあ、勇気を出して!」
「いや、いくら勇者といわれても、そういう勇気はちょっと……」
「あれ、引いたのに、おかしいですわね……」
「むしろ引かれてんな」
「……食いついてもいないのに、変なことをしたら魚は離れるもの」
「イシュト、それ早く教えて欲しかったですわー! ……って、この音何でしょう?」
「っ、皆集まるんだ!」
そうして笑顔変えずに、装備を整えてから愉快げな三人の間で溜息も吐けないままに、テントを片付けていると、何やら音が聞こえてくる。
構えた四人がそれが大きな者の羽音であることに気づいたその時、空から降りてくる者があった。地に立ち、極上の笑顔を作ったそれは、当然のようにヴァーザである。
「ふーん。貴方がユウシャ?」
美の究極が殆ど顕になった、その体躯を見定めた皆に、起きた反応は概ね一つ。それは驚愕。まず、感想の口火を切ったのは、勇者たる葉大だった。
「痴女、だな」
「……中々破廉恥」
「エッチですわ!」
「ん? そうか?」
首をかしげるエールニルを他所に、心は一つ。布切れ一つで大事を隠しているばかりのヴァーザを、まともに見るのは難しかった。
そんな反応に、羽根生やした痴女は、首をかしげる。
「何かボク、おかしい?」
「まあ、水着と変わらないと思えば……いい、のか?」
「良いに決まってるじゃない。変なの」
「あたしも、良いと思うぞ?」
「だよねえ」
裸の獣ばかりを同族としているヴァーザは、照れを知らなかった。ただ防御と清潔のために大事なところに一枚を巻いているばかり。それが変態的だと思わないのは、露出狂の気があるエールニルだけだった。
疑問符を浮かべる二人。そこに、遅まきながら背中の羽根に気づいたハリスラが言う。
「その背中。あの……ひょっとして、貴女、魔物ですの?」
「うん。ボクは、ヴァーザ。ユウシャはどうだか分からないけれど、きっと皆は知っているよね」
「……美姫、ヴァーザ!」
「おい、魔王の娘とすら呼ばれる大物じゃないか!」
その名を知り、構える三人。それに遅れて、葉大も剣を構えた。そうして、問う。
「ヴァーザ、と言うんだね。どうしてここに来たか……は愚問かな?」
「理解っているのね。そう、ボクは君の力を見に来たんだ!」
「俺としては、戦いたくないんだが……そう、平和には、いかないよね」
「ははっ! そんなに平和になりたければ、ボクを殺してみせればいい! 魔王ディアピオスの将が一人、【騒乱】のヴァーザ、行くよ!」
「くっ!」
話し合いは一方的に決裂。凄まじい速度で襲い来る爪を、葉大は鋼の剣で弾いた。
そして開ききらなかった距離の中で、輪舞曲は始まる。その身に補助の魔法に神法が掛けられ、エールニルの手を借りて、それでも互角に争ってくるヴァーザの紫色の瞳を、葉大は多く覗いた。
なお、ヴァーザが叫んでいる二つ名はディアピオスが酒に酔った中で、雑に将等に付けたものだったりする。酔い冷めた後では魔王の黒歴史となってしまった、この二つ名をヴァーザは好んでいた。
因みに、騒乱、は彼女が赤ん坊の頃によく泣いて暴れていた、そんな事実に由来していたりする。
戦いは、本来は直ぐ終わるもの。力の差、時と共に減り続ける体力。そして優れた両手両足でも隠しきれない隙の多さから、どうしても決定打はそう時経たずに起きるものだからだ。
しかし、ヴァーザと葉大の戦いは、簡単には終わらなかった。
魔法により速度を増し、神法によって優れた身体。それを持って、葉大がその長身よりも尚大きな大剣を振るったのは幾度のことか。加熱し、速さを増したその剣戟には熟練の戦士たるエールニルですら助けの隙間が見つけられないほど。
その剣閃の全てが軌跡にしか思えない、そんな中でヴァーザは既にその剛剣を受けるのを諦めている。故に、彼女は攻撃届く合間を狙って葉大の周りを飛び回るばかり。
縦の一撃を避けて、その勢いのまま手を辿って一周してきた斜めに走る剣をすれすれで回避し、そうして手首だけで軌道変じて振られた横薙ぎを潜り、今だと爪を向ければそこには掌打が迫っており、再びの回避を要求された。
果たしてどうやれば、これだけ堅牢な剣舞を披露できるものだろう。尊敬に値する。
才能もあるが剣を振っている時ばかりは忘れられることもあるから、とずっと葉大が己を鍛えていたがための、この力量だと彼女は知らない。
ただ、生まれつきに優れた自在の身体に、独特の動きを生む羽根。それが無ければ、とうに自分の首なんて飛んでしまっていることだろうと、ヴァーザは素直に思う。
どうしようも無いがために離れ、飛び来る土塊に強力な風、エールニルの斧による追撃すらひらりと躱してから、ヴァーザは呟いた。
「君、強いね……」
「……ありがとう。ヴァーザ、君もとても強い」
「素直だねー。はは、変なの。でも、本当に強いよ、君は。ただ、寂しい強さだよね」
「寂しい?」
そして、彼女は感じたことをそのまま口にする。それに、眉をひそめる葉大の黒い瞳をヴァーザは大いに見定めた。
まず、その剣の強さは一人己を鍛えるために多くの時間を採ったことに拠るものだ。太刀筋からして、それは他を容れるようなものではない。一人戦うための剣だった。
そして、観察から感じたことであるが、葉大は魔法や神法の補助も戦士の助けも、全て嫌っている。いや、それはむしろ恐れているに近いか。
助ける筈の奇跡の効果が薄まって、戦士の攻撃を容れないように動いていたのがその証左だ。間近で見つめていたヴァーザには彼が全てに険を持っている、そのようにすら思える。
そして、そして。魔として闇を感じるヴァーザの瞳には、孤独に震える少年の姿が、心の痛苦にのたうち回る青年の思いが見て取れてしまったのだ。
「ああ、なんて――可哀想」
「っ!」
戦うべきではない、ただ取り繕っているばかりの病人の奮闘。それをまざまざと見てしまったヴァーザは、ただそう言うしかない。
それに目を大きく開く、葉大。彼の手に自ずと力が籠もった、その時。
「何が、可哀想、だ! 勇者はなあ、そんなお前が下に見て良いような男じゃないんだよっ!」
「わわっ」
あまりに鋭い横やりが入る。その一歩で、地が割れ、大斧叩きつけられた全てが飛散していく。
ヴァーザの眼に入ったのは、鬼の如き形相の美人。そう、怒りに、その手に彫られたタトゥー状の呪印の一部を光らせてまでして、エールニルが突貫したのだった。
「お前に分かるか? 剣すら上手く握れなかった素人が、ひと月であたしを越える、そんな努力の凄さを。そして、腐らずに周囲を見続ける、その気遣いを!」
「そんな……」
怒り、エールニルが語るのは、鬱々とした精神、そうであるがための、怯えの結果。
憂鬱を知らず、それを真面目で素晴らしいものと採っているエールニルと異なり、闇を知るヴァーザは、それを病人が行う痛苦の深さが分かった。
だから、どうしようもなく、泣きそうな顔にになるのである。しかし、それを侮りと採った、二人が今度は本気で魔と神に拠る力を光らせた。
「……まだ、分からないのかな」
「ふん。勇者様の素敵さ、きっと魔物程度には分からないのでしょう!」
それは、熱と光。辺り一帯灰燼にしかねない凄まじい威力を、イシュトとハリスラはその両手の中に収める。
これもまた、怒気に引きずられた、彼女らの本気の一部。恐らくこの二つの攻撃を受けては、たとえヴァーザといえどもひとたまりもないだろう。
思わず広げた羽根は、大いに風をはらむ。
「……まだ、隠し玉があったのね。しかもお付きの三人共。これは、今直ぐユウシャを助けるのは無理そう」
「まだ言うのかい!」
「それじゃあ、また来るねー」
「……あっ」
彼が伸した手は、如何なる感情によるものか。とりあえず今、葉大は何も掴めなかった。
「逃がすか!」
「斧で、飛んでいるものに攻撃できる?」
「……私は出来る」
「私も、ですわ!」
「それは知っているから、こうね」
「くっ、魔法も使えんのか。相殺しやがった!」
この世では神に等しい魔に愛されたヴァーザ。その実力は並大抵のものではない。飛べば鷹よりも早く自在で、そうして支配下の魔法は、人では出せない威力を持つ。
追撃の三つを上手に躱し、そうしてヴァーザは魔王領へと消えていく。
「行ったか……」
「……まだ底がありそうだった」
「言の通りにまた来られては堪りません! 直ぐに去りましょう!」
「ああ……そうだね」
自分を引っ張る三人に、葉大は応じる。そして、勇者はまた孤独になった。
「ユウシャって、そんな子だったの……」
「そうか……やはり鬱屈した心を持つ、半病人……いいや、病人が健常を偽って動いているばかりの可哀想な子、なのか」
「うん……」
そして、魔王ディアピオスの前で全てを語り終えたヴァーザは、下を向く。それは、想いがあるから。神ばかりを肯定し、自分たちを否定する人の子であろうとも、哀れっぽければそれを敵には思えない。むしろ、愛すべきだと真っ当に考える。
しかし、それに対する障害はあまりに大きい。彼を苛む使命から助けてあげたくても、そもそも自分はその枷を生み出した敵。助けの手を否定されるのは当然と思えた。
魔に仕える魔族。神に仕える人間。その差はあまりに大きい。一緒になるにはどうすれば。好ましい相手のことを頬を染めながら考える、その姿は正に恋する乙女だった。
それを認めて、親は言う。
「ヴァーザ。このままでは勇者を助けられない。君はそう、思っているね?」
「……うん」
「何。簡単だ」
「え?」
不安げな娘。それを、慰めるためだろう、触腕で作った指をひとつ上げてから、大いに魔王は笑う。
そして、不敵にも語るのだった。
「ふふ。人間達が、神に支配された神の子だからこそ、我々は敵対せざるをえない。だから――我々魔が人間を支配してあげて、同じとなったら、存分に愛でることも可能になるだろう」
「……なるほど。そうだ。さっすがお父様!」
「ふふ。それほどでもないよー」
「わーい! なら、頑張らないとー」
それで愛することが許される。これまでになく恋する相手に対することになるだろうことを知らず、ヴァーザは大喜び。
羽根をぱたぱた。くるりと飛んで、そうして謎の踊りを始めた娘を、魔王ディアピオスは本気で愛している。
故に、その言葉は、決して嘘ではない。彼は、固く決意していた。
「ふふ。娘の初恋のためだ。世界を二人の婚約プレゼントにするなんて、粋だろう」
そして、生まれて初めて魔王ディアピオスは世界征服の夢を持った。勇者と自分の娘の平穏のために。