魔術×陰謀=
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声が聞こえる。
1人や2人ではない、数え切れない人の発する声が飛び交って雑音になる。
東京と似ているようでどこか違う。一つ一つが明るいというか、活気に溢れているというか。
「いつまで目瞑ってんだ。自分で歩け」
先生の声だ。それに安心して、目を開ける。
そこは、見たこともないような景色。
ビルも、電光掲示板も、電車も、車も。何も無い。
しかしてそこにはたくさんの人がいて、それぞれの生活を営んでいるように見える。
お店で変わった食べ物を売る人。洋服とは違う個性的な衣服を売る人。馬車を走らせて移動する者。
その何もかもが、私には未曾有の光景であった。
「ここ、どこですか……?」
「だから言ってんだろ。俺が生まれ育った世界。お前らでいうところの異世界ってやつだ。ここは魔術で成り立つ魔術師国家、ヴェルド王国だ」
正直、異世界や魔術といったものは創作でしかないと思っていた。
世界は1つで、魔法や魔術といったものは誰かが創った想像上のそれであると。
私は常識に囚われすぎていたのかもしれない。そも、先生と出会った時点で私の常識は覆されていたのかもしれない。
例え頑固な大人だったとしても、果たしてこの光景を嘘だと言い切れる人間はいるのだろうか。
ここにはたくさんの人がいる。水が流れている。風が吹いている。心地よい空気で包まれている。
文化は違えど、もう1つの世界がすぐそこにあったのだ。
それこそ、鏡の裏側にいつもあったかのように。
「なんか、目眩がしてきました……」
「転移酔いかもしれんな。しかし、向こうの人間は常識に囚われすぎなんだよ。嘘だまやかしだと否定しておいて、いざ対面したら小さくなりやがって。これだから日本人は」
「ぐぅの音も出ません……ところで、ここは国のどこなんですか?」
「ここは王城のお膝元、城下町です。ミーズキッド殿、何故ここに転移したのでしょう?」
「久しぶりに魔術なんて使うから座標がズレちまったわ。それに3人同時なんて質量が多すぎんだよ」
言い訳を垂れ流しつつ、フローリアさんの後をついていく。私もその背中を追って歩いた。
一際大きな城、あれが国王様の住んでいる王城なのだろうか?
ともかくここは私の知らないもので溢れている。先程は現実とのギャップに恐れることで精一杯だったが、テーマパークだと思えば気は楽になった。
むしろ次から次へと好奇心が湧いてくる。
「先生、基本的に魔術っていうのはどんなものなんですか? ちちんぷいぷい、みたいな?」
「厳密にいえば、お前の想像するそれは魔法の類いだな。それについての説明は省くとして」
先生がポケットから1本のペンを取り出す。
そして刹那、手の中にあったペンは、一瞬にして藍色の宝石へと姿を変えた。
あまりに唐突な出来事に唖然とする。
「魔法が0から1を生み出すものとするなら、魔術は1を別の1に変えるものだ。奇跡であって神秘ではない。向こうでいうところの科学ってのが1番近いかもしれん。それが魔術だ」
「ミーズキッド殿は魔術の到達点、最上位魔術と呼ばれるものの1つ。世界移動の魔術を成功してみせた、魔術師界隈の英雄のような人なのです。こうしてまたお話できること、光栄に思います」
「へぇ……先生って実はすごい人だったんですね!」
「むしろ何だと思ってたんだよ」
「可哀想な人?」
「ぶっ飛ばすぞ」
そんな話をしているうちに城門前にたどり着く。
見張りらしき鉄の鎧を身に纏う人はフローリアさんの顔を見ると、ビシッと敬礼して挨拶をした。
「おかえりなさいませ、フローリア様。そちらは?」
「こちらは異世界から来ていただいたイセヤ=カエデ殿。そしてこちらが大賢者ミーズキッド=ブロンズ殿だ」
「大賢者殿?! し、失礼致しました。どうぞ通ってください」
合図をすると大きな城門が開き、王城の根元が見えた。
見世物ではない。本当に王族や政治関係者がいる国の中心。王の威厳を表す建物がそこにあった。
初めて東京に来た人のように、思わず上に視線を置きながら歩いてしまう。
中には豪華な絨毯や骨董品が並べられており、王様らしき銅像もまた並んでいる。
天井に吊るされた無数の照明。シャンデリアに似たそれは明らかに電気ではない。放つ光は禍々しく、また美しくもあった。
「一体ここだけで何億円になるんでしょうか?」
「そういう換算はやめろ。気が狂うぞ」
「早速で悪いのですが、今は時間が惜しいです。国王の私室に案内致します」
遊び気分が一瞬にして吹き飛ぶ。目的を忘れかけていた。
これから行くのは亡くなった王様の部屋。
あるいは、殺人現場だ。
ゴクリと生唾を飲む。
ドラマや小説とは違う。本当に人が死んでいる場所なのだ。
緊張で体から血の気が引いていく。胃の中が掻き回されるような感覚に陥る。
「無理するなよ楓。きつかったら見なくてもいい」
「……いいえ。自分の目で確かめます。私じゃないと気がつかないこともあると思うんです」
「どうだかな。まあ、少しは期待しといてやろう」
先生は私の頭をポンポンと叩き、歩を早めて先を行く。
この人は何も見ていないようで、細かなところまですべてが見えている、かもしれない。
授業中も、ケータイをいじったり、話を聞いていない生徒を正確に見抜く。
嘘を吐こうものなら、それが嘘だと突きつけ直ぐに論破してみせる。
洞察力というのだろうか。話しているだけで、その人の心の中まで見据えているようだ。
怖くもあるが、私はそんなところを尊敬できると思っている。
「ここが私室です。カエデ様、大丈夫ですか?」
「はい。大丈夫です!」
フローリアさんは頷くと、ドアノブを回してゆっくりと扉を開ける。
私室、といってもあまり絢爛なものはなく、机と椅子が1つ。そしてやけに大きいベッドが置かれているだけだった。
そのベッドの上に、人が寝ていた。
ぐっと唇を噛み締める。そして、その様子を覗いた。
綺麗な人だった。
老いた体でありながら、そこには確かな風格がある。
まるで眠っているかのよう。しかしてこの人はもう二度と動かない。
遺体と聞いてややグロテスクなものを想像していたが、まるで違う。
衰弱死と聞いても、何ら違和感のない状態であった。
「魔術の痕跡、というのはどれですか? 私には見えないものなのでしょうか?」
「そうだな。理を知らない者はその目に映らない。けどこれは……」
先生は国王の遺体を見て黙り込む。
何かを観察しているのか、それとも顔を見て過去を思い出しているのか。
真剣な面持ちのまま、自分の世界に入ってしまったようだ。
「遺体についての補足を。発見されたのは朝の6時。始業の時間になっても来ないので、側近が訪ねに行ったところ、既に脈はなかったと報告されました。昨晩は0時頃に私室に戻ったので、この6時間の間に亡くなったものと思われます。魔術の痕跡、魔術痕は全身のあらゆるところに残っています。1つのものが広がったのではなく、複数回行われたものと推察します」
「どんな魔術か、とかはわかるんですか?」
「それなんですが……重ねて防護の魔術がかけられているため、解読は困難です。ミーズキッド殿はわかりますでしょうか?」
先生は呼ばれるとはっとして振り返り、首を横に振った。
「いや、流石に他人のかけた術を解くのは骨が折れる。魔術をかけるってのは、呪いを刻むようなものだ。それを簡単に解くことができるのは、かけた魔術師のみだな」
両者ともに黙り込んでしまう。それほどこの事件が難解なものなのだと感じる。
ひとまず状況をまとめよう。
国王様には複数の魔術をかけられた形跡があり、何をかけたか判らぬよう防護されている。
この時点で、王はただの衰弱死ではないことが考察できる。
「隠されているということは、それが他ならぬ犯人を特定する証拠になるわけですね」
「……はぁ」
「先生?」
意味深な溜め息に振り返る。
いつの間にか、いつもの間抜けた表情に戻っていた。
これが何を意味するのか。先生が口にしない限り、私には判らない。
「これはただの衰弱死だな。うん、間違いない。誰も殺してなんかないさ」
「えっ……?」
すっぱりと断定する先生。しかし、私にはその理由が検討もつかない。
複数の魔術痕、それを隠す防護の魔術。これを見ても尚、先生は衰弱死だと断定するその思考が、まるで理解できない。
「どうしてそう思うのでしょう。仮にそうだとして、何故魔術痕が残されているのですか? 教えてください、ミーズキッド殿」
「あのなぁ……」
スイッチが入ったように見えた。
いい方向にでは無い。これは定期的に見えるアレだ。
「んなもんいちいち説明しなくていいだろ! 衰弱死したことに変わりはねえ。歳も歳だし不自然じゃない。そうだろ?」
やる気スイッチオフモード。私はそう呼んでいる。
レポートの添削中などによく起こる現象で、こうなったらテコでも動かない鋼の意思を持つ。
説得も物で釣ることも無駄。何にでもとりあえずヤダヤダを連呼する子どものようになってしまうのだ。
珍しく真剣だと思いきや、まさかこんなところで発動してしまうとは……
「しかし、それでは他の者たちも納得できません」
「知るかそんなこと! これ以上俺が詮索してやる義理はねえんだ。じゃあな!」
「先生、どこ行くんですか?!」
「城下町をふらついてくる。晩飯食って夜店でひと暴れしてやらぁ!」
そう吐き捨てて、先生は国王の私室を飛び出した。
あまりに突然の出来事に私とフローリアさんはその場に立ち尽くしている。
互いを見合わせ、状況を確認する。
そして察知する。
今この場において、完全に立ち往生してしまったのだと、認識せざるを得なくなったのだ。
「どうしますか。カエデ殿」
「えっと、まずは……事情聴取です。国王様とよく会っていた人たちの話を聞きましょう!」
「わかりました。では該当者をここに招集致しますので、暫しお待ちを」
確かに1人で行くと口にした。
しかしそれは先生がついてくることを思考の端に置いており、実際は先生の後ろをついて歩くだけだと思っていた。
改めて一人になると、計り知れない不安が押し寄せてきた。
「もう、先生のバカーーーーーーーーーーーーー!!」