国王殺人事件
突如として現れた不思議な女性。どうやら先生に話があるらしく、遠いところから会いに来たらしい。
2つのコーヒーカップをテーブルに並べる。
背筋を伸ばして上品に座っている彼女に対して、先生はタコかスライムの如く椅子に全体重を預けた姿勢。
果たして彼の骨と筋肉はどこに置いてきたのだろう。
「ありがとうございます。この黒い液体は、セキユというものでしょうか? ミーズキッド殿の資料から拝読しました」
「これはコーヒーというものです。石油は飲めません……」
コーヒーすら知らない、となると彼女の正体が本当にわからない。
外国にしてもコーヒーくらいは知っているはず。それとも箱入りのお嬢様?
頭を捻らせていると、見かねた先生が口を開いた。
「一応紹介しとくぞ。これは伊勢谷楓。そっちでいう俺の側近みたいなもんだ。で、こっちがフローリア=ルキス。王国に仕える魔術師のひとり。俺の後輩でもある」
「王国? まじゅつし? 全然わからないんですが」
「前言っただろう。俺が元いた世界の住人だ」
「……え、あれ本当だったんですかぁ?!」
確かに先生の経緯については聞いた。
――かつて不動瑞樹は別の世界で魔術師をしていた。そこで研究をしていたところ、今私たちのいる世界を発見。さらにこちらへの転移方法まで見つけ出した。
前の世界は生き辛かったのでこちらに移住してきたのだ、と。
当時の私は思った。
ああ、この人は可哀想な人なのだと。
あまりにも辛い人生に目も当てられなくなり、いつの間にか現実が見えなくなってこんな妄言を吐いてしまうのだと。
それが一言一句間違いのない事実だということを、一般大学生である私にどう信じろというのだろうか。
「ご紹介に預かりました。ヴェルド王国直属上級魔術師のフローリア=ルキスと申します。カエデ殿。ミーズキッド殿の側近ならば、それは優秀な魔術師でしょう」
「いや、この世界に魔術師はいない。ただの学生だ」
「あの、ミーズキッドというのは」
「それは向こうでの俺の名前だ。こっちに来て馴染むように変えた」
「なるほど。道理で聞き覚えのある響きだなと思いました」
よく考えてみればこの女性、言葉に気品はあっても一般常識はまるでないように伺える。
コーヒーも警察も知らない理由が明確となるので、ようやく私は、彼女と先生がこの世界の住人ではないことを認めざるを得なくなった。
「で、何の用だ。俺はもうあっちの世界には戻らないと言ったはずだぞ」
「存じています。しかし、今は貴方の力が必要なのです。どうかお力添えを」
「用件次第だ。いいから言え」
フローリアさんは頷き、事の発端を語り始めた。
「先日、我らの国王がお亡くなりになりました。国民には衰弱死と通達しており、民は嘆き悲しんでおります」
「てことは、死因はそれじゃないと」
「はい。国王の遺体からは複数の魔術が施された形跡があり、これに疑念を抱くものが多かったため、誰かに殺されたのではという推察が挙がっております」
「それだけか?」
フローリアさんは黙って首肯する。
それに対して、先生は――
「そうか。あのジジイついにくたばりやがったか。てか長生きしすぎだろ。まあいいや、ご愁傷様とだけ伝えてくれ」
笑顔と嘲笑の混じった声は、とても悲しんでいるようには見えず。
むしろ今にも小躍りを始めそうなほどにその表情を緩めていた。
「なっ……知恵をお貸しいただけないのですか?!」
「やだよめんどくせえ。だいたい何故俺がお前らの手助けをしなきゃならん。お前らで解決しろよ」
「……」
私は言葉を失っていた。
この男、前々からどうしようもないと思ってはいたが、ここまでとは想像もしていなかった。
話からして国王様というのがどれだけすごい人で、また亡くなったことがどれだけ重大なことか、部外者の私からでも感じることはできた。
さらに、自分を頼ってここまでやってきた後輩の頼みを、面倒の一言で済ませようとしている。
これは大人として、いや、人間としてあっていいことなのだろうか。
「国王は、貴方のことを自らの子どものように可愛がっておりました。どの魔術師よりも目をかけ、あの転移の大魔術を完成させたときは、国を挙げて祝福しました。その人が亡くなっても、貴方は何とも思わないのですか?」
「じゃあ言うけどな。アイツがやたら贔屓するせいで周りからはいびられるし、俺は騒がしいのは嫌いなんだ。祭りなんかされても嬉しくねえ。押し付けの好意なんざ、ただの嫌がらせだ」
「先生……」
フローリアさんは黙り込んでしまう。
彼女が悲しんだまま、元の世界に帰ってゆく姿が想像される。
先生はともかく、私はとても心苦しい。
ここは変わって、私が説得を試みよう!
「いいじゃないですか先生。フローリアさんは他でもない先生を頼ってここまで来たんです。後輩にかっこいいとこ見せようとか思いませんか?」
「思わない」
「そ、それに真実を解き明かしたいとか……」
「興味ない」
「犯人がどんな奴かとか!」
「よくやったと言ってやろう」
「もう! 先生の人でなし! 人間の恥晒し! 万年独り身!」
「最後のはいらないだろ?!」
説得はやめよう。決して諦めたわけではない。敢えて見逃すのだ。
それに、このままフローリアさんが帰るのは可哀想だ。先生が力になれないのなら――
「では、私が行きます!」
「は?」
「本当ですか、カエデ殿」
「はい。これでも先生の助手。先生より推理小説を読んでいます、ミステリーの心得はあります!」
「待って」
「素晴らしいです。スイリショウセツ、というのは知りませんが、魔導書のようなものですね。是非ご同行願いたい」
「ストーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーップ!!」
たまらず先生が遮る。先ほどまでの眠そうな目でなく、焦り交じりのそれへと急変していた。
「いきなり余所者が来てはいそうですか、なんて受け入れるわけあるか? それに、向こうの世界は魔術の存在する世界。こっちの常識はまるで通用しないんだぞ。あと、お前絶対楽しそうとか思ってるだろ?」
「興味がないと言えば嘘になります。でも、それ以上に助けたいんです。国王様も、このままじゃ報われないはずです」
「……」
「私からも改めて頼みます。ミーズキッド殿。いえ、創設以来初めて大賢者の称号を得た偉大なる魔術師、ミーズキッド=ブロンズ殿」
先生は俯いてしまう。同時に低い声で唸っている。
ここまで押されては、流石の先生でも断り切れないだろうか。それとも……
次の言葉を、固唾を飲んで待つ。
発された言葉は。
「大賢者、ねえ。そう呼ばれたのは何年振りか。褒められるのは悪くねえな。うん、なんかやる気出てきた気がする。それに、この浮かれたパンピーを放っておくのも目覚めが悪い。そこまで言うのなら、この大賢者様も知恵を貸してやらなくもないという話だ」
「本当に面倒くさい人ですね先生は……」
「ありがとうございます。それではすぐに向こうへ転移をしましょう」
ここで私に1つの疑問が浮かぶ。
ごく単純にして、初歩的な疑問だった。
「どうやって向こうの世界に行くんですか?」
「ああ。ちょっと待ってろ、今から準備する。場所は……ここでいいか。残ってもマットで隠せるし」
すると先生は机からカッターを取り出すと、自らの手首を――切った。
何の躊躇いもなく、さも当然のように、私たちの前で。
「な、何してるんですか先生?! リスカですか?! メンヘラなんですか?!」
「まあ落ち着け。この世界は魔力が極端に薄い。普段は石灰やら墨で代用できるんだが、今回は俺の血液でもないと無理そうだ」
血を人差し指に付け、床に紋様を描いてゆく。中には文字らしきものもあるが、明らかにこの世界の言語ではない。この手のものにはとことん疎いので、その場を黙って見ていた。
「よし。円内に入れ。楓は俺にくっついてろ、上手く転移できなかったら最後、肉体を失って世界の狭間を死んだように生き続けることになるぞ」
「よくわからないけどやばいのはわかりました。では……」
差し出された左手を両手でしっかりと握る。ほんのりと温かく、男らしい大きな手だ。
少し恥ずかしいが、死ぬよりはずっとマシだ。
先生の顔を見る。今まで見たことのない真剣な面持ちで、その目はどこか遠くを見るような、何か見えないものを捉えているかのような――
深呼吸した後、口を開いた。
「大いなる精霊よ。世界を創りし大地のマナよ。我に力を与えたまえ。我、虚構を渡りし者。異界の地に根を降ろす者。この目に映るは理の果て。禁忌を以て最果てに至る。示したまえ。示したまえ。我が目に道を示したまえ。告げる、術を開きし者の名はミーズキッド=ブロンズ。転移の門をここに顕現せよ」
瞬間、世界が輝いた。否、目が眩んだ。
私のいるここは私の知る世界ではない。日本でも、海外でも、まして地球でもない。
遠い、遠いところに行こうとしている。
まるで体を失った魂のよう。動かしている感覚もなく、息を吸う心地もない。
やがて思考すら止まりそうになって、目を、閉じた。