008 逃げるがバカヤロウ
アルカナ。
それは、都市連合体軍に所属する特殊部隊の一つである。
実を言えば特殊部隊は数多く存在するのだが、対テロ部隊はアルカナの一つだけである。
タロットのアルカナをコードネームにしたチームと隊員が所属する。
軍の特殊部隊の中でも、特にエリートが集まると噂されるが、機密も多くその全容は明らかにされていない。
ジグザグ、彼が所属していたチームはフール。
活動はチームによって異なるが、フールの場合は、情報収集から実戦までと多岐にわたっていた。
彼自身も、リンクアーマーのリンカーとして配属はされたのだが、実際には情報収集、監視、尾行といったバックアップ任務も行っていた。
制圧任務も、歩兵としての参加もあれば、リンクアーマーを用いての大規模なものもあった。
軍に所属して五年、その大半をアルカナで過ごした彼は、嫌でも百戦錬磨の戦士であった。
その任務内容のほとんどは機密事項のため、彼ほどの問題人物であっても、任務の内容について外部に漏らしたことは無い。
そう、彼ほどの人物でも。
とはいえ、そもそも彼は決して無能では無い。
問題行動が多すぎるが、無能では無い。
むしろ、それ故に厄介者として扱われていたとも言えるが。
命令無視、規律違反、が数多くあり、配属されてから一切昇進の気配さえも無いが、戦果だけなら多い。
テロリストの考えと行動を読むのが非常に上手く、強襲奇襲をさせれば大金星を上げたことも少なくない。
彼自身が、正規の軍人よりもテロリストに近いからでは無いかと称されるが、それでも、彼は戦果を上げ続けてきた。
それ故に、軍と上官は彼を切れなかった。
しかし、今、彼はある任務で負傷し、左足に後遺症を持っている。
これでは、まず間違いなく軍人としてお役御免になるのは目に見えていて、数少ない彼を評価する軍人達は頭を悩ませることになる。
そして、出た答えが、指揮官として育成してみてはという苦汁の策であった。
足が悪くても、指揮官としての能力を持てれば、テロリストに有効な手になると考えたのである。
実際に、この軍の歴史でも、障害を持った指揮官は存在していた。それに習おうというわけである。
さて、そんな上層部の思惑を知ってか知らずか、ジグザグと呼ばれる軍曹は鼻歌交じりに階段を一段一段ゆっくりと登っていた。
鼻歌の曲は、巷で人気を博しているファルシオンと呼ばれるバンドのデビュー曲である月下美人。
タイトルとは裏腹に陽気なリズムで陽気な歌詞である。
「あーったく面倒くさい」
そう一人呟いて、階段を上ることをあきらめてドサッと座り込んだ。
支給品の腕時計をポケットから取り出す。およそ、演習が始まってから約二時間ほどが経過していた。
奇襲奇策トラップは尽きた。
既に、数多くのテロリスト役が死亡判定もしくは拘束を受けている状況であり、残りは偵察兵があちこちに隠れて、状況を知らせてくるだけである。
あれだけの手駒で、エリート部隊相手にここまで粘ったのなら、十分に評価はされるだろう。
まさに健闘ものである。
これだけ時間をかけられ、被害を与えられ、エリオット指揮官がどれほど怒髪天にきていることか。
ジグザグにとっては知ったことでも無いのだが。
ポケットに腕時計を仕舞うと、今度は小さな金属片を取り出した。
半分ほど黒焦げになっているが、それは軍の認識票であった。
しかし、彼自身は自分の認識票を首からかけていた。
これは、ある人物の認識票だ。
すでに、この世にはいないが。
「かといって、このまま負けるわけにもいかんか」
そうつぶやき、認識票をしまい込む。
痛む左足を引きずるようにして階段を上っていく。
「階段がこんなに憎いとはな……。怪談より階段が怖いね、全く、世の中に階段なんて作ったのはどこのバカヤロウだ」
悪態をつくが、それを聞く人間はいない。
フィリップ達とは、最後の策のために分かれていた。
そう最後の策。
負けるための策である。
エリオットは優秀ではあるし、ジグザグの仕掛けた奇襲奇策にすぐさまに対抗策を練り上げ、被害を受けた部隊を現地で的確に再編成させている。
そんな彼でも、ジグザグがそもそもとして勝つ気が無いという、これだけは読み切れていなかっただろう。
そう、勝つ気はない。
ただで負ける気が無いだけで、勝とうと思っていない。
何故、勝とうと思わなかったと言えば、追い詰められたテロリストが勝とうとしてくるかという問題である。
一人でも犠牲にして死のうとしても可笑しくない。
これまでの経験上、テロリストだけで無く、追い詰められた人間が何をしでかすか分からないことを重々承知していた。
だからこそ、彼は、そういうテロリストを演じることにした。
自身が最も恐れている、追い詰められた人間を演じることにした。
そういった人間に、仲間が傷を負ったこともある。
死んだこともある。心を折られたこともある。
軍という組織は、彼自身は帰属意識が薄いかもしれない。
それでも、今後戦っていく人間達に何かしら教えられればという思いが無かったとも言えない。
最も、彼自身、実際、どう考えているのやら。
「さーて、バカヤロウ」
最後の段差を登り終えて、杖でスチール製のドアを押す。
大きく開いて、ジグザグは、ビルディングの屋上に出た。
ゆっくりと、ゆっくりと歩いて行く。
遠くから、銃声がするのは、辛うじて対抗している部隊が残っている証拠だ。
「出てこいバカヤロウ!」
立ち止まったジグザグが叫んだ。
叫びに応えるかのように、二体のリンクアーマーが向かいのビルディングから大きく飛んできた。
慎重に、槍を構えたままジグザグに距離を取った。
それに続いて、何人もの兵士達が屋上に姿を現してきた。
ライフルを構えた者、サーベルを構えている者、それらが慎重にジグザグを取り囲んでいく。
相手はリンクアーマーに生身で斬りかかった人間と言うことで、決して間合いにまでは入り込まない。
何かあっても、そう、なにかあっても、万全の備えをしていた。
これ以上、アルカナといえど一軍曹に痛い目を見るわけにはいかないのだ。
その様子を見て、ジグザグはニヤリと笑う。
兵士達が、自然と身構える。
ジグザグが、刀に手を伸ばし、鞘ごと引き抜いた。
それをわざとらしく、足下に落とす。
続いては、ホルスターごとリボルバー拳銃をコンクリートに置く。
さらに、隠すように持っていたナイフを落とした。
最後の最後に、左手に持った杖も落とす。
そして、両手を挙げた。肩から羽織っていた軍服が滑り、風に流されてコンクリートの上に落ちた。
「さーてさてさて」
兵士達は身構えたままである。
偽装降伏は散々されており、装備解除したというのに気を抜く兵士は一人もいなかった。その様子に、ジグザグは満足そうに頷いた。
きっと兵士はこうあるべき、特にテロリスト相手にはこうあるべきと言わんばかりだ。
「降参!」
が、あっさりとジグザグはそう宣告した。
今の今までの必死の抵抗を、不良軍人達の頑張りを、その全てをまるで意味が無いかのように否定する行動だった。
「……本気か」
「本気も本気だバカヤロウ。降参!」
一人の兵士の問いかけに、あっけらかんとジグザグは応えた。
だが、そのニヤリと笑う顔を兵士は信用しなかった。
「両手を頭の後ろで組んで歩け!」
「もう演習終了だぞ?」
「いいから」
「へいへい」
そう言われてジグザグは、大人しく従う。
刀や杖から十分に離れたところで、うつ伏せになる。
それでも、これほどまでに無抵抗に徹していてなお、兵士達は慎重にジグザグを拘束していく。
しかし、拘束はしたのだから、これで演習の目標は達成された。
そう、制圧側が勝ち、テロリスト役側は敗北となった。
「こちらアルファーチーム。敵指揮官を確保した。オーヴァー」
通信兵から本部へと連絡がいく。
しかし、いつまでたっても本部から応答が無い。
通信状況が悪いのかと、何度も通信兵が連絡を繰り返すが、それでも応答が無い。
こうなってくると、疑わしい人物は一人だけである。
兵士達が、腕を拘束されたジグザグをにらみ付ける。
「何をした?」
「さぁ? 今更何をすると思うのか?」
「言え!」
「ふむ、敵に容赦するな? 学習したな? ただ、お前らな」
そこで、ジグザグは彼を取り囲む数十人の兵士達をゆっくりと眺め回す。
「俺様程度に戦力を使いすぎだろ?」
「……?」
言っている意味は分からないが、一つだけ間違いの無いことがある。
このジグザグと呼ばれる男は、不敵な笑みを崩さないこの男は、まだ、なにかを隠している。
何かを企んでいる。
いや、もしかすれば既に企みが実現しているからこそ本部に連絡が行かないのでは無いかと思った瞬間に、アルファーチームのリーダーは叫んでいた。
「本部に戻るぞ!」
何かが起きている。
それしか分からない。
まだ、間に合うことを切に願いながら、焦りは加速していた。