010 バカヤロウの顔も三度まで
件の演習から数日たった。
ジグザグは、相変わらずの伸ばし放題の髪と髭を整えることもせずに、椅子にふんぞり帰りながらファイルをパラパラとめくっていく。
部屋は、ジャンヌ少佐の部屋である。
当のジャンヌ少佐の姿は無い。
ファイルの内容は、最近起きたテロ事件の報告が簡易的にまとめられているものだ。一応は、機密情報もあるため、部外者が簡単に見て良いものではない。
「ふむ」
何を思ったのか、ファイルを投げるように机に放り出して、今度はチェス盤に駒を並べ始める。
口元を手で隠し、指でトントンと机を叩きながら、なにか面白い攻め手はないものだろうかと考える。
ひとつ試しにとポーンに手をかけたところで、ドアがノックも無しに開いた。
ジグザグが顔を上げると、ジャンヌ少佐がファイルを抱えて立っていた。
顔には相変わらず呆れた表情が浮かんでいた。
「おいおいノックしろよバカヤロウ。俺たちの先祖が野営していた頃からのマナーだろ?」
「私の部屋ですが?」
はぁと大きくため息をつきながら、ファイルをドサリと机の上に置く。
「どきなさい」
「障害者を歩かせるのか?」
「上官の椅子を占拠する気ですか?」
ふむといった様子で、ジグザグは立ち上がって机を回り込んでいき、ジャンヌ少佐もそれに合わせて机を回り込んで、お互い同時にそれぞれの椅子に座り込む。
「何をしていたんですか?」
「一人でお楽しみ中だ。おっと、チェスだぞ? 流石にもっと下の方のお楽しみは、自分の部屋で」
「聞いてませんから」
ジャンヌは、両肘を付いて、手の甲に顎を乗せた。
「それにしても、演習一つやって、装備の無断使用、試作弾丸の持ち込み、リンクアーマーの破壊、アルカナの部隊員をスパイとして使用と、どれだけ問題を起こしたわけですか? おまけに制圧側の無線を傍受して作戦行動を知っていたわけですが」
ジャンヌが不機嫌そうに言い放つ。
今に始まったことでは無いので、あきらめてはいることではあるが。
「おいおい。バカヤロウの俺様に演習やらせた時点でそうなるってわかっていただろうが? それに」
「ええ。分かってますよ。あんな場所でリンクアーマーがいるののが悪い。スパイを入り込ませる管理体制が悪い。通信を傍受される方が悪い。全て同意です」
「だったら、狙撃砲と弾ぐらいしか問題ないだろ? あれについてはばれないように細心の注意を払うべきだったと反省している」
全く反省した様子無く言う。
「……だから、やるなって言っているんですけどね。さて、そうは思わない頭の硬い連中がいましてね。まるで異世界の人間と話している心境です。何をどうやっても話が通じませんからね」
疲れた様子で呟く。
アルカナとしては問題なくとも、アルカナではない士官達から見ればやはり問題であったらしい。
問題であると考える人物がいたと言うべきか。
「異邦人なら、言葉さえ通じれば意思疎通可能だ。まだ、言葉が違うだけなら問題ない。ダチに地球の言葉まで習得している変態がいるが、そいつは単純計算上、ざっと三十億人と話せるそうだ」
「ええ。それは素敵ですね。そうですね、言葉が違うだけなら通じ合える可能性はありますね。価値観が違うと一切通じ合いませんからね」
「……あっちの指揮官っていうのは、それほど期待されている訳か?」
「されていたですね。左遷されるそうです」
「勝ったのに左遷か。たかが演習だぞ?」
「頭の硬い話の通じない連中のさらに上が、問題視しました。仮に実戦なら、部隊丸ごと殺していたと」
そう呟くように言い、目を軽く閉じた。
「その様子だと、話が通じすぎる上っていうのも、面倒みたいだな」
「そうかもしれませんね」
目を開けたジャンヌが、ふぅと息を吐く。
ジグザグが、チェスの駒を取って左右の手の中に入れて、掲げてみせる。
「ワンゲームといくか?」
「左」
トスの結果は、ジグザグの先行となり、相変わらず迷うこと無く駒を動かした。
釣られるように、ジャンヌも素早く駒を動かしていく。
「一つ聞きたい」
「なんです?」
「俺は、何をどこまでやったらクビになる?」
ジャンヌが眉をひそめて、駒を動かそうとした手を止める。
「……私も知りたいところです」
「あんたが、庇っているわけじゃないのか」
「庇うと思っていたのですか?」
「おいおい可愛いバカヤロウな部下を愛してくれよ? キスしてくれても良いぞ?」
「駒に思い入れなんてあったら殺せないでしょう?」
そういって、容赦なくジャンヌはジグザグのポーンを討ち取った。
「ひっでぇなおい」
「酷いのは貴方の勤務態度ですよ。さておき、曲がりなりにも作戦指揮能力があると認められてしまったので、士官試験を受けてもらうことになりそうです。軍曹のまま指揮官をさせるわけにもいきませんからね。案外に、たたき上げの指揮官ともなれば、士気もあがるかもしれませんね」
「そうか。やっぱり、そういうことか。でも、あんたは論外って意見だろ?」
ジグザグが、ニヤリと笑いながら駒を動かした。
「そうですけど、上がそう指示してますので。上は貴方がお気に入りなんですよ」
「一体どんなバカヤロウなんだか。その上って奴は」
「知らない方が良いでしょうね。言っても知らないでしょうし」
「?」
一体、上というのに、自分が知りもしないとはどういうことかと、視線を上に上げる。
上なんて限られているはず。
それなのに知らない。
その間にジャンヌは駒を動かし、またジグザグの駒を討ち取った。
「気にしなくても良いですよ。軍にも色々ありますから」
「軍の上って意味なら大統領?」
「まさか」
なんとなく口にしたが、ジャンヌは鼻で笑う。
釈然としないながらも、ジグザグが駒を動かそうとしたが……、既に打てる手が無いことに気がつく。
「今度は、キングを討ち取られた後に、こちらのキングを討ち取ることも出来ないようにしましたよ?」
「本当に強いよな。ったく、その歳で評価されているわけだ」
「チェス通りに現実なんて上手くいきませんけどね」
「チェス通りに上手くいって欲しいのか?」
「出来れば。そのほうが面倒が少なくて済みます。戦争もチェスで勝負をつけられたらいいのに」
「よく言うぜ」
ジグザグは、チェス盤に伸ばした手を引っ込めて、両手で杖を握る。
「色々と考えたんだがな」
どこか神妙そうに、ジグザグが切り出す。
また、何か馬鹿なことでも言い出すのだろうかと思うが、いつもの事である。
「打てる手はありませんが?」
「ああ、打てる手がない。そう、足の悪い兵士ってものを俺自身が認めていない。走れない兵士なんて使えるか。俺自身がそう思っている。そして、バカヤロウどもの命を預かれるほど俺は賢くない」
「何の話です?」
ジャンヌがいぶかしげに首をかしげる。
ジグザグが自身のキングに手をかける。
「詰みってことだ」
そう言って、キングを倒した。
「じゃあな、最後の一勝負は楽しかった」
「……本当に、予想できない人ですね」
そうは言っても、ジャンヌは、なんとなく分かっていたのか小さく頷いた。
「止めないのか?」
「私の言うことを聞くのですか?」
「……いや」
ジグザグは立ち上がり、杖を付きながら部屋から出て行った。
その日、彼は退役した。