1-6
「ん?……え?……ああ……はーい」
誰かが部屋のドアをノックする音で目を覚ます。
どうやらあの後、いつの間にか眠っていたらしい。
窓の外を見ると、空は暗くなり、星がちらほらと輝き始めている。
鏡の前で少し身だしなみを整えて、自室のドアを開くと、そこには仁王立ちした楓がいた。
「え〜っと……怒って……る?」
「怒ってるよ!もう!なんで先に帰っちゃうの!?呼び止める暇もなく、走って行っちゃうんだもん!それに、あんなに早く走れるなんて聞いてないし!他にも!あの後、大変だったんだからね!」
「あっ……ごめん」
今更ながら、あの事故現場に親友である楓を放置して帰ってしまっていた事に気が付いた。
そして、それを今思い出すという……自分は相当参っているようだ。
片手で顔を覆い深く反省する。
これはダメだ、これではダメだ。しっかりしないと。
「それで、悠は……どうしたの?」
「あ〜……うん……え〜っとね……あ〜……え〜」
説明しようにも、自分の中で自分の感情や状況を整理しきれず、答えが出ていないので、要領の得ないというか、ただのうめき声になってしまう。
「もしかして、本当にどこか怪我したの?」
私の態度がいつもと違う事を察したのか、楓は先程までの怒りなど忘れて、私の顔を覗き込む。
心配してくれるのは嬉しいけど、どう説明していいか自分でも分からないので、困ってしまう。
「いや、そういうのとは……違うの。大丈夫だよ、うん」
「それじゃあ……どうしたの?様子がおかしいよ?」
本気で心配してくれる楓に申し訳なくなって、自分に喝を入れて、努めて明るく振舞う。
今は何もかも横に置いて、更に隅に追いやって、楓を悲しませない様に笑顔を作る。
上手く笑顔が作れているかは別として、明るい声を作る。
「大丈夫!本当に心配しないで!一時的なものだと思うし、もし何かあったら真っ先に相談するわ!それより、お腹空いてきちゃった。食堂に行きましょう?ね?」
「う、うん。分かった……よーし!じゃあ、私を置いていった罰として、今度なにか奢ってね?」
楓は渋々頷いた後、私と同じように元気よく答えてくれた。
「ふふっ、分かったわ。今度美味しいお菓子でも見つけに、二人で出掛けようね」
「やったー。デートだね!」
何も聞いて欲しくない時には、何も聞かない。
こっちの意図を理解してくれて、気遣いの出来る友人に感謝しつつ、食堂へと向かった。
別に食堂のご飯や、お菓子に釣られた訳じゃないよね?楓さん?
私達が食堂に着くと、食堂ではたくさんの生徒が席に着いてご飯を食べていた。
いつもの夕食を食べる時間より、少し遅めだったので、部活終わりの生徒たちと鉢合わせたようだ。
運動部女子……健康的で良いよね!
ここは女子寮なので、運動後の男子ならでは汗臭さはなく、殆どの子は軽くシャワーでも浴びたのか、良い匂いがして食欲を誘う。
いや、違うよ?食堂の方からの匂いだからね。
食べ物の匂いだよ?本当だよ?
「悠、どうしたの?挙動不審だよ?」
「あっいえ、自分に言い訳を……」
「???」
私の意味の分からない言動に首を傾げる。
そりゃそうだ。私だって意味が分からないんだから。
運動部でもない私達は、軽めの晩御飯をとる……つもりだったが、今日はハンバーグ定食がおススメらしく誘惑に負け、しっかりとお皿の上にはハンバーグがある。
「ぐぬぬ。ハンバーグめぇ!高カロリーの権化めぇ!いや……全てはこんな美味しい料理を作る、おばちゃんのせいだ!」
おっと、私とした事があまりの美味しさに、内なるパトスが漏れ出てしまった。
楓は……まぁいいとして、こんな姿を周りの子に見られると、折角苦労して作った『お姉様キャラ』のイメージが壊れてしまう。
「えへへへ〜、そうだね」
そんな「ぐぬぬ」と唸る私の言葉に、楓はニコニコと笑いながら同意する。
「えへへ〜、おいしいね」
「ふふ、そうだね」
笑顔の楓を見ながら「何がそんなに楽しいのかな?」と思ったが、さっきまで落ち込んでいた私が、笑いながら食べているのが嬉しいのだろう。
なんていい子なんだろう!この子は!
仮に、まぁ……本当に仮にだが「ハンバーグが美味しいから笑っている」という理由でも私は許す。
楓の笑顔に罪はない。楓ちゃんマジ可愛い!
「楓に少しお裾分け〜」
「えへへへ〜、ありがとう」
「こっちこそ、ありがとう」
「ん?」
「なんでもないよ。さぁ、冷める前に食べちゃおう?」
「うん!」
二人してニコニコしながら、おばちゃん特製のハンバーグに舌鼓を打った。
明日は「少しご飯の量を減らさねば!」と心に誓うが、明日も明日で美味しいメニューなのだろうから、ハンバーグ様に負けた自分の自制心に「明日こそは頑張れ!」とエールを送っておいた。
きっと、明日も誘惑に負けるだろうけど、今日はもうお腹の中だから問題はないさ。
楓と食堂で別れ、自分の部屋に戻り、一息つく。
すると、またしてもあの美少年が頭を支配する。
くそぅ……せっかく、楓に癒してもらったのに……なぜだ!?
「も、もしかして、これが世間で言う、一目惚――いやいや、そんな事はない!」
自分の言葉の途中に頭を左右に振る。
そんな事、あり得ない事だ。そう、あり得てはならない事だ。
ならば、この感情や症状は何なのか?
「そ、そうだ!困った時は調べればいいんだ!現代には、インターネットという便利なものがあるんだ。そんな世の中になったんだから!うん。それがいい!」
大きな独り言を言いながら、パソコンの電源を入れる。
もしかしたら、今日は長い夜になるかもしれない。
「え〜っと、まずは、胸が痛む、見た瞬間、っと」
ゴーグル先生の検索に、気になる症状を入力し検索する。
「え〜、なになに?胸に針で刺した痛みがある?助間神経痛?いや、なんか違う気がするな……」
見つけたサイトや症状を見ながら、自分に当てはまっているか確認するが、どうもしっくりこない。
当たり前だ。これは病気じゃないと、自分でも気が付いているのだからな。
いや、何言っているんだ、私!
その考えは早計だ。
「違う検索ワードの方がいいのかな?」
そう呟きながら、キーボードをカタカタさせて、マウスをポチポチする。
それからどれぐらい経ったか分からないが、そこでついに私が求めていた、それらしきものを見つけた。
「こ、これは……なるほど……吊り橋効果とインプリンティングか」
吊り橋効果。
それは、吊り橋を渡る時の恐怖や緊張の興奮――そのドキドキを一緒に渡った人へのドキドキと勘違いしてしまい、そのドキドキが相手への恋愛感情だと思い込んでしまう事だ。
これは、広い範囲で確認される。
例えば、これは高く揺れる吊り橋でなくても構わないのだ。
お化け屋敷やジェットコースターなどの場所で、恐怖や緊張で興奮さえすればいいのだ。
つまり、その体験というものは私が今日遭った、交通事故でも構わないのだ。
もう一つのインプリンティング。
これは、刷り込みや刻印づけとも呼ばれるもので、簡単に言うと、雛が孵化した時、初めに見たものを親だと思い込む現象の事だ。
広い定義でいうのなら、幼い頃学んだ事を忘れずにいつまでも覚えていたり、社会人一年目などの上司と部下の関係も、それにあたるらしい。
しかし、ここでは心理学の観点では、本来の意味とは違うかもしれないが、もしかしたら、これも起こったのではないのだろうか?
だが、インプリンティングの内容は、どこか違う気がする。
そもそも、私は雛ではないし……くそっ!一年の時に心理学の抗議を取っておくべきだった。
「だが、これは……あり得るな」
自分で言うのはなんだが、私はなかなか図太い方だと思う。
なんて言ったって、見た目は美少女だから、色々な人に見られるので、それなりに度胸も付くものだ。
だが、今日事故に遭いかけ、死ぬかもしれないという体験をした。
やはり自分が死ぬかもという状況では、流石に恐怖を覚え、身を縮みこませて緊張した。
そして、目を開けたら件の美少年がいた。
この現象がインプリンティングに当てはまるか分からないが、吊り橋効果の方には確実に当てはまるだろう。
ここで私が着目したのは、勘違いしてしまうという事だ。
そう、勘違いであるのなら、人間誰しもするものだ。
それならば、私も勘違いをしてもおかしくない。
そう思えば、これは、この感情は自然なものなのかもしれない。
まぁ、何が言いたいかと言うと「私はおかしくないのだっ!!」という事だ。
「ふぅ〜これだ。きっとこれだ。いや〜良かった。本当に良かった。一目惚れじゃなくて、吊り橋効果だ!」
グッと体を伸ばし、一息つく。
今迄にない解放感と達成感で胸がいっぱいだ。
「やった。やったんだ」
両手を天に掲げ、ガッツポーズを取る。
きっと、私の姿は宛ら勝利を掴んで戦乙女の如く美しく輝いているであろう。
「やっと、この訳の分からない感情と決別できる……って、あれ?」
集中していて気が付かなかったが、窓の外は明るくなっている。
どうやら、もう朝が近いらしい。
「え〜っと……とりあえず眠れるか分からないけど……寝てみよう」
とりあえず、訳の分からなくなったテンションで、ベッドの中に潜り込んだ。
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