1-5
楓の用事が終わりカフェで合流し、ついでとばかりに昼食をとって一服してから、マスターさんを交えて心温まる会話をした。
普段から人と接する職業だからなのか、それともマスターさんの人柄なのか、マスターさんの話は面白く、時間を忘れて話し込んだ。
ファンキーな叔父がいて、アクロバティックな級友に囲まれて生活しているので、彼らの事を嫌っている訳ではないが、こういった何気ない時間をとても貴重に感じ、本当に大切にしたいと思ってしまう。
しばらくして、マスターさんは仕事に戻り、この座っている位置から見える公園の桜を眺めていると、私の腕を引っ張る感覚で現実に戻る。
「それでね〜……って悠?聞いてるの〜?」
「ふふふ、ごめんね。楓が可愛いから、見惚れていたの」
「え?そう?えへへへ〜、私可愛い?」
公園に咲く桜に見惚れていて、全く聞いていなかったが、楓はこういう風に笑いながら褒めれば、大抵の事は流してくれる。
楓が可愛いのは変えられない事実なので、私は嘘を吐く必要が無い。
楓も嬉しいし、私も嬉しい、これこそ正にWIN−WINの関係なのではないだろうか?
違うか?いや、間違いではない筈だ。
こうして、今、私は幸せを感じているのだから、間違いな訳が無い。
「それで、なんだったっけ?」
「もう!悠!えいっ!えいっ!」
「わぁ〜、痛い痛いよ〜」
私が惚けた態度で質問すると「えいっ!」なんて言いながら、楓は駄々っ子パンチをする。
これもいつもの日常。
そう、いつものちょっとした戯れだ。
非力な楓の攻撃など私には効く筈もなく……って、痛い……だと!?
「いや、待って!痛い!鳩尾はダメだと思うんだ?ほら?人体の急所って知ってるかい?楓さんや?」
「もぉ!もぉ!」
「あ、あの?か、楓さん?本気で……痛いのですが?」
「えへへへ〜!医務室の先生に『悠ならそこを突け』って教えてもらったの!」
楓の素敵な笑顔で、そんな事言われたら「なら、しょうがないか〜」と思ってしまう自分もいるが、楓の為にも、私の体の為にも、ここは心を鬼にして言わねばならないだろう。
急所攻撃は本当にシャレにならないと。
「そ、そうなの?でも、私の話も聞いて欲しいのだけど、そこを叩くと下手したら人間は死んでしまうわよ」
「……え?」
楓の顔から笑顔が消えて、サァーっと青くなる。
実際は、世紀末に現れる彼の有名な胸に七つの傷跡のあるあの人じゃないから、秘孔を突かれた訳じゃないし、人間をそう簡単に殺せないのだが……どうやら、怖がらせ過ぎたようだ。
「ご、ごめんね……大丈夫?死なないで……悠……」
「ふふふ、大丈夫!私は楓を置いて、先に死なないわよ!」
ここで漫画やアニメの様な物語なら、これは立派な死亡フラグなのだろうが、敢えて私は口にする。
「な、なら……大丈夫だね!」
楓はさっきの言葉で納得したのか、また素敵な笑顔を見せてくれる。
本当にちょろい。
でも、そんな楓が大好きだ。
しかし、私が言った事は強ち嘘じゃない。
この平和な街で死に瀕する状況など、そうそう起こりはしないのだから……とか言いつつも、あんなあからさまに死亡フラグを立ててしまった私は、少々挙動不審気味に周りを警戒する。
いやほら、だって死にたくはないじゃないですか?
そして、周りを見渡すとカフェから見える公園で、三人のどこか見覚えのある少年たちが、ボールで遊んでいる所が目に入る。
そんな少年達の姿を、警戒していたのを忘れて「昔はよく遊んだなぁ」と懐かしく思いながらも見ていると、少年の一人が投げたボールが公園から歩道へと出てしまう。
車道では馬車が行き交っており、それを追う様に少年も歩道へ飛び出す。
「いやいや、私じゃなくてあっちの死亡フラグか!?」
それを見た瞬間、私は席から立ち上がり走り出していた。
このまま何もなければいいが、向かいからは馬車が迫っていた。
少年はボールに夢中だったのか、迫りくる馬車に気付かない。
御者台に座る青年も、運が悪い事に客に話しかけられたのか、少し顔を後ろに向ける。
「ヤバい!」
全力で走り、車道に飛び出した少年の首根っこを掴んで思いっきり引き寄せる。
少年は尻もちを突きながら歩道に倒れ込む。
そして、慣性の法則というやつなのか、ただ私の力が足りなかっただけなのか、私はというと、少年を引っ張った時に入れ替わる様に、車道に躍り出てしまう。
「あっ、死んだ」
私の口からつい出てしまった。
死を覚悟して目を瞑る。
その直後、馬車に跳ねられたのか、浮遊感が私の体を襲う。
しかし、ある筈の衝撃が無い。いくら経っても衝撃は来ない。
恐る恐る目を開けると、そこには美しい男の人がいた。
男性に向けて美しいというのは、褒め言葉ではないのかもしれないが、目の前の人は――美しかった。
長く伸びたまつ毛、中性的で整った顔立ち、金色の髪に青い瞳をした美少年だった。
例えるなら、童話で出てくる『王子様』が妥当だろう。
なんなら、少女マンガの様に、彼の背後に薔薇のエフェクトが出てもおかしくない容貌だ。
「大丈夫かい?怪我はないかな?」
美少年の声が聞こえているのに、答える事は出来なかった。
なぜだか、その美少年から目が離せない。
瞳を逸らす事が出来ない。
そして、顔がとても近くにある。
ここでふと我に返り「というか顔近いなぁ」と思って、今の状況を確認すると、どうやら私はこの美少年に、お姫様抱っこをされているらしい……ん?男の人に?
「ぎゃぁああああ!!」
それを理解した瞬間。
それはもう女の子らしからぬ声を上げ、美少年の腕の中でワタワタと暴れる。
「良かった。これだけ動けるという事は、怪我はないようだね?」
美少年は暴れる私に微笑みながら、優しく地面に降ろす。
そして、少し困った様な顔で深く頭を下げた。
「申し訳ない、気軽に女性の体に触れてしまったね。この件は緊急だったので許して頂けると嬉しい。このとおりだ」
その下げられた頭を見て、今度は私が深く頭を下げる。
「い、いえ!助けて頂いたのに、あのような態度をとってしまい、こちらこそ申し訳ありません」
「そうか、良かったよ。それでもう一度確認するけど、怪我はなかったかい?」
美少年は私の言葉にどこかほっとした様に息を吐き、もう一度質問してくる。
私は体中を見渡し、もう一度美少年に向き合い、動揺を隠す様に、いつものお笑顔を張り付けて笑顔で返事をする。
「え、ええ。このとおり、大丈夫です。怪我一つありませんよ。ふふっ、ありがとうございます」
「――っ。そ、そうか。それは本当に良かった」
私の返答になぜか胸を押さえてから、頬を赤く染めて美少年は安堵するように笑った。
照れたように、それでいて、どこか熱の籠った視線を私に向けて笑った。
「――――っ」
その瞬間、何か私の胸に何か突き刺さった様に感じた。
彼と同じ様に胸を押さえると、次は自分の顔が熱を持ち始めたのが分かる。
なんだこれは……なんなんだ?この感覚は?
生まれて初めての感覚に戸惑いながらも、この思考は止まらない。
これは……いや……この感情は?
胸の奥から湧きあがるこの思いは?
この熱は……一体……?
そして、美少年の顔が、そのはにかむ様な笑顔が、頭にこびりついて離れない。
「どうかしたのかい?胸を押さえて、顔まで真っ赤じゃないか!?やはり、どこか怪我でも――」
「いえ!!大丈夫です!本当に大丈夫ですので、心配をおかけしました。すいません、私はこれで失礼します!」
これ以上は何か危ないと感じて、ガバリと頭を下げ、見事なお辞儀を披露し、力の限り寮への道を走り出す。
それはもう彼のメダリストであるボ○ト氏の如く、綺麗なフォームとスピードで、力の限り寮への道を駆け抜けた。
寮の自分の部屋に戻り、部屋のカギを閉めてベッドの上にダイブする。
「はぁーーーーー」
口からは自然とため息が漏れてしまう。
寮に帰るまで色んな人に、話しかけられた様な気がしたが、全力で走っていたのもあって、全く頭に入っていない。
凄く曖昧な態度や返事をした気がする……明日、皆に確認を取らないといけない。
しかし、今の私には正直それらの事など、どうでもいいのだ。
制服のままベッドにダイブした事によって、明日皺だらけの制服を見て後悔する事が分かっていても、それも本当にどうでもいいのだ。
今、私の頭に浮かぶのは、私を事故から救ってくれた美少年の笑顔だけだ。
「あーーーあぁぁあああ〜〜〜〜〜ぬぅぁぁああああ〜〜〜〜〜〜」
枕に顔を擦りつけながら唸る。
これはマズイ。本当にマズイ。とても宜しくない。
気のせいだろう、そんな事ありえないと自分に言い聞かすが、どうにもおかしい。
必死で別の事を考えている筈なのに、途中からなぜか、あの美少年の笑顔が出てきてしまう。
自分の思考と感情が制御できない。
こんなこと初めてだ。
「え?マジで?いや、ありえない……絶対」
口に出して再度自分に言い聞かすが、胸のドキドキが止まらない。
逆に加速するほどだ。
誰か出来る事なら、このロマンチックを止めてほしいと切に願う。
「気のせいだ、勘違いだ、気の迷いだ。そうに違いない。そうであってくれ……」
それから、呪詛でも唱える様に『嘘だ、嘘だ……』とブツブツと呟きながら、再び枕に顔を埋めた。
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