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薬師とドラゴン  作者: 花瀬 水弥
過去編
8/9

なかないうさぎ:エメの話

ある雨の日のことだった。

店を閉めたヴァイスが、布に包んで何かを持ち帰ってきた。

「マスター」

その日は裏の店に来客もなく、一日調合に費やしたことをシュヴァルツに見咎められ、ようやく休憩をしているところだった。

「おかえり、早かったわね、ヴァイス」

ティーカップを置いて、手を伸ばす。

帰宅したらすぐに頭を撫でてやるのが日課だからだ。

だがヴァイスは身を屈めると頭ではなく布包みを差し出した。

「なに?」

「子どもが持ってきました」

「薬屋に?」

「瀕死なのです」

ヴァイスの言葉に眉を寄せたララがそっと布を捲り、立ち上がる。

「地下の調合室へ」




ヴァイスが持って帰ってきたのは、手のひらに収まるサイズの子兎だった。

傷はないようだった。

目を閉じて、震えている。

「雨の中、小さな兎が一匹濡れていたから心配して、薬を売っている場所なら治せるだろうと連れて来たらしいのです」

「そう。親はいなかったのね」

「そのようです」

この大きさからして、まだ親が育てている時期だろうに何かあったのだろうか。

「暖かいミルクをお願い。これを一滴混ぜて」

小瓶を渡し、ヴァイスに指示をするララ。

冷え切って衰弱している。少し湿った毛並みを丁寧に拭いて、暖炉のあるリビングに移動する。

「マスター」

ヴァイスがミルクを持ってやって来た。

「冷え切っているから暖めて、飲めるようなら飲ませてあげたいのだけど」

「はい」

「見たところ、しばらく放置されていたんでしょう。さらに雨で冷えてしまったと」

「死にますか」

「生きる力があれば、目を覚ましてミルクを飲む」

「……死にますか」

二度目の問いに、ようやくララはヴァイスを見た。

「無理やり口をこじ開けて飲ませても吐き出してしまうだけよ。……死なせたくないの?」

「死ぬと、いなくなります」

「ええ」

「うさぎが、いなくなります」

「そうね。無理やり飲ませてみる?」

調合用の小さなスプーンはうさぎの口にも入る大きさだ。ミルクを乗せて口元に運ぶ。

匂いが刺激して口を開けると良いのだが、まったく反応しなかった。

「機能が低下しているのだと思う」

「……死にますか」

「ヴァイス」

「マスターなら、助けられますか」

ララは深くため息をついた。

「この子が生き延びたら、あなたが面倒を見る?」

「見ます!」

ぱっとヴァイスの表情が明るくなった。

「本当はいけないこと。ただ、私が手を加えて助かるなら、それがこの子の運命」

「はい」




黒猫と白猫の間に薄いオレンジの毛色をした小さな兎が寝ている。

猫たちが温めているのもあって体温は戻ってきたようだ。生き物の体温であれば、安心もできるだろう。

鼻先にミルクを近づけると鼻をピクリと動かしたから、もう少しで飲んでくれそうだ。

「……」

背中を撫でながら、少しずつ魔力を流す。体の中をゆっくりと通して、どこか悪い場所はないかを探る。

「内臓を傷めていないか心配だったけど、大丈夫そう」

ララが息を吐き、そっと立ち上がった。

皆で兎につきっきりだったため、夕食を取り損ねていたのだ。

「兎は何を食べるんだろう。草?とりあえず今日はミルクで、明日考えよう」

ぶつぶつと独り言を言い、手早く調理をする。

夜も遅いので消化に良いように細かく刻んだ野菜を煮込んだスープ。とろみをつければ、少量でも満腹感を得られるだろう。

出来上がったスープをリビングに持って行くと、鼻をひくつかせて猫たちが起きた。

「……お腹空きました」

「ええ。わたしが暖めているから、あなたたちは食事を」

「ララ様は」

「わたしは後で良い」

ララが兎を抱き上げると、猫は人間の姿になり器を抱えて食べ始めた。

「心配なのはわかるけど、くっつかないできちんと座って食べなさい」

行儀悪く床に座ったまま食べる二人がララに叱られると、しぶしぶソファに座り静かに急いで平らげる。

「そんなに慌てなくても」

兎の背中に手のひらを置いて苦笑するララ。

「ララ様も食べてください」

「ええ」

シュヴァルツがララに勧め、ヴァイスがララから兎を受け取る。

「ミルクを少し温めて、鼻先に持って行ってみてくれる?」

「はい」

シュヴァルツがリビングから出て行き、ララは食事に手を付ける。

「うさぎは、どうですか」

ヴァイスが兎を見つめながら言うとララは少し笑みを浮かべて頷いた。

「体にも内蔵にも傷はないみたいだから、ミルクを飲んでくれれば大丈夫。薬を混ぜ込んでいるからすぐに回復するはず」

「わかりました」

神妙な顔で頷いて、手の中の兎を大事に暖めるヴァイス。

やがてシュヴァルツが戻って来ると、ヴァイスは慎重に兎の口元にミルクを差し出した。

兎はまだ目も開けず、反応しない。

「ミルクを飲まなければ、どうなりますか」

「……死ぬわね」

冷静に言うララ、ヴァイスは無理やりスプーンを兎の口に捻じ込んだ。

「無理にするものではないわよ」

食事を終えたララがヴァイスの頭を撫でて、兎を受け取る。

ヴァイスはぴたりとララに寄り添って手の中を深刻な顔をして覗き込む。シュヴァルツは食器を片付け部屋を出た。

手のひらに乗せた兎の鼻先をくすぐるようにミルクを差し出す。

「あ」

小さくヴァイスが声を上げる。

兎の鼻がぴくぴくと動いていた。

「目、覚ますかしら。背中を撫でてあげて」

「はい」

恐る恐る手を伸ばし、背中を指の腹で撫でるヴァイス。

「力を入れてはだめよ」

「……はい」

兎が薄く目を開けた。

「目を開けた」

鼻を動かし、口を動かしている。

ミルクを流し込むが、大半こぼれてしまった。

「……うまく飲まない。そうだ、ヴァイス」

「はい」

「調合室から、新しいスポイトを持ってきて。小さいものを」

「はい」

素早く立ち上がったヴァイスが部屋を出て行き、出て行ったと思ったらそのまま戻ってきた。

「どうしたの?」

「シュヴァルツに頼みました」

「……そんなにこの子が心配なの」

「気になります」

「あなたが連れて来たんだものね」

そしてまたぴたりとララに密着するヴァイス。

兎はしきりに鼻と口を動かしていて、何とかスプーンからミルクを飲もうとしている。

「お持ちしました」

シュヴァルツが戻ってきてスポイトを使うと上手くミルクを飲めるようになり、用意した分はすぐになくなってしまった。

「よかった、もう大丈夫。今日はもう休みましょう」

「一緒に寝ても良いですか」

「潰さない?」

「潰しません」

「準備しておくから、お湯を浴びたらいらっしゃい」

「はい」




広いベッドの上に柔らかな布で兎の寝床を作り、それを抱えるように白猫が眠る。

さすがに心配になったララは夜中に何度も起きて確認をしたが、猫が兎を潰すことはなく守るような微笑ましい光景がそこにあった。

「あらあら」

朝には白猫が自分の懐に丸くなっていてララは苦笑するしかなかった。

「……おはようございます」

人間の姿になって抱き込んでくるヴァイスの頭を撫でてやってから振り解き、体を起こす。

「夜にもミルクを上げたし魔力も通したから、起きたら元気になっているはずよ」

「話せるようになっていますか」

「……どういう意味?」

「人間の言葉を話せるようになっていますか」

「ヴァイス」

ララがベッドの上のヴァイスの肩を抱く。

「人間は人間の言葉を話す、他の動物は、理を曲げないと話せないの」

「僕は話せる」

「それは私が理を曲げたから」

「マスターは、曲げられるんですか」

「いいえ」

「え?」

「魔力の相性があるんでしょう。意図してはできないし、だからこの子と相性が良ければもしくは」

「僕も魔力を流して良いですか」

「やめておいた方が良い。ほら、うさぎが起きた、先にキッチンで昨日言っていたようなスープを作ってあげて。それからうさぎが何を食べるのか確認しておいて」




兎はそれから順調に体調を回復させた。

ヴァイスはしきりに兎に話しかけて、言葉が話せるようにしたいらしく、シュヴァルツもそれを咎めるでもなく見守っていた。

「小さいからだろうか」

「え?」

ヴァイスが呻くように言い、シュヴァルツが聞き返す。

ララは調合室で薬の調合中で、兄弟で家事をしながら兎の面倒を見ているところだ。

「一言も喋らない」

「泣きもしませんね」

「大きくならないと、喋れないのかもしれない」

「それはなんとも」

「人間になれれば良いのに」

「何故、そんなに固執するんです」

「そうしたら、マスターも寂しくない。僕らだけだと、マスターが一人の時間ができる。今みたいに」

「……」

シュヴァルツが黙り込んだ。

「こどものままだと、人間になっても手がかかるからもっと大きい方が良い」

ヴァイスが重ねて言い、シュヴァルツがしばらく考えて頷いた。

「そうですね」




飲み食いせずに調合に没頭していたララは夜になって仕事場から出た時に己の判断の誤りを目の当たりにして頭を抱えた。

「魔力を流してしまったの?」

「大きくなりました」

どこか誇らしげなヴァイスと、ララの反応を見て失敗に気づいたという顔をしているシュヴァルツ。

片手のひらに乗るくらいだった兎が、両手で支えるくらいの大きさになっていた。オレンジの毛並みはふわふわで黒い瞳は相変わらず愛くるしいが、ほんの一日で成長する大きさではない。

「でも喋らないんです」

「……そう。今日はもう兎の面倒は良い、食事をとって休みなさい」

「はい」

素直にヴァイスがキッチンに向かい、シュヴァルツがぺこりと頭を下げる。

「すみません」

「いいえ、わたしの言葉が足りなかった。納得させられなかったのは、わたしのせい」

ララが淡々と言い、兎に手を伸ばす。

「……かまれた」

「え、大丈夫ですか!」

シュヴァルツが駆け寄り様子を見るとララの指先に血が滲んでいた。

「殺しますか」

「何を言っているの。急に触ろうとしたから驚いただけでしょう」

「そうよきょくたんなんだから。びっくりしてかんじゃったけどごめんなさい」

「……」

「あ」

急に第三者の声が割り込んできて、二人して見下ろす。

鼻をぴくぴくとさせながら兎が後ろ足で立ち上がっていた。

「話せるようになったの」

「しろねこがうるさかったからだまってた」

「確かにヴァイスはずっとこの子に話しかけていました」

「これなめたらいいんでしょ」

ぴょんとララに近づいて、ぺろりと血液を舐め取る。

「あ、こら」

「じゃーん」

兎が、可愛らしい少女になった。

「……シュヴァルツ」

ララがシュヴァルツの視界を塞ぎ、マントを少女にかけた。




「ヴァイスは三日間おやつ抜き。あとは二人がお兄ちゃんとしてエメの面倒を見ながらいろいろ人間としてのふるまいを教えること」

「はい」

「わかりました」

お説教をされている猫二人と、にこにこしている兎一人。

「よろしくねー」

「何も言わない大人しい子だと思っていたのに、こんなに煩いなんて」

ヴァイスが毒づき、シュヴァルツが窘める。

「ヴァイスが煩くしていたからだろう」

「三人仲良く、ね」

ララがため息をついた。

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