4 薬師の看病
「ララが!ララが死んじゃった!」
シュヴァルツが買い出しから帰宅するとエメが玄関先で泣き崩れていた。
「ララ様が?どこにいらっしゃるんです、エメ、泣いていないで動きなさい」
荷物を放り出し、エメを急かしてリビングに駆けつける。
ララは床に倒れ込んでいた。
「ララ様!」
シュヴァルツが駆け寄って抱き起す。
「ララ様!エメ、ベッドの用意を」
「い、いきてるの?」
「生きているに決まっているでしょう」
「わ、わかった!」
身軽に部屋から出て行くエメ。追って、シュヴァルツも慎重に揺らさないように腕の中のララを運ぶ。
ベッドに寝せ、息を吐いた。
「いつもよりも、体が熱い」
「どどどうしようララが死んじゃう!」
エメは完全にパニックだ。
意識のないララはエメの大声にも反応しない。
「ヴァイスを呼び戻しましょう」
薬屋を預かっているだけあって、ヴァイスが一番薬に詳しい。
猫の兄弟は考えていることをお互いに伝え合うことができるため、ヴァイスはすぐに帰宅した。
「マスター!」
部屋に飛び込んできたヴァイスがシュヴァルツとエメを押し退けララの枕元に飛びつく。
「マスターどうしたんですか目を開けてください!」
シュヴァルツが慌ててヴァイスを引き剥がす。
「まて、待ちなさい、ヴァイス」
「シュヴァルツ!」
「落ち着きなさい、ええと、ウッツを、ウッツを呼んできてください。そうしたらララ様も目を覚まします」
「あたし行ってくる!」
「僕も!」
大騒ぎで二人が出て行き、シュヴァルツはベッドの下に膝をついた。
「ララ様」
しばらくするとウッツが戻って来、ララは発熱しているのだと三人に教えた。
「は、はつねつ」
涙目のエメが復唱する。
「ヴァイス、薬屋に解熱剤を買いに来る客がいるだろう」
「い、いる」
シュヴァルツに首根っこを掴まれてララに近づけないようになっているヴァイス。
「解熱剤を持ってきてくれないか」
「わかった、解熱剤」
ヴァイスが部屋を出るとシュヴァルツがほっと息を吐いた。
「ウッツはどうしてララ様のことがわかるのですか」
「自警団の詰め所には病人が運ばれてくることもあるし、医者に連れて行くこともある。人間は風邪という病気にかかり、発熱したり頭や喉が痛くなったりという症状が出る」
「し、死なない?」
「死なない」
エメが力が抜けたように床に座り込んだ。
「よ、よかったぁぁー」
「また泣くんですか」
「だって、だって誰もいないのにララが倒れててあたしララが死んじゃったかと」
「ああ、よしよし、怖い思いをしましたね」
「我々は病気というものと無縁だからな。町の顔見知りも、病気の時に会うこともないから病状など知らないだろう」
「私も知りませんでした、ウッツがいてくれてよかったです」
「俺もそう詳しくはないが……解熱剤を飲ませて、治らなければ町へ連れて行くか……」
頼りにされても頼りにならないことを自覚しているウッツが思案気に言うが、シュヴァルツは首を振った。
「ですがララ様は町へはおいでになりません」
「そうだな。……あるいは、長く生きているドラゴンは知恵を持っているかもしれない」
「ドラゴン……そうですね。今日は呼び出しにも応じられないと伝える必要があるでしょうし、私が行ってきます」
「薬!持って来た!」
ヴァイスが部屋に駆け込んできた。両手いっぱいに薬の入った瓶やら袋やらを抱えている。
「解熱剤だ!」
「シュヴァルツ、白湯を用意してくれ。ヴァイス、粉の薬だけをこちらへ。後は戻してきてくれ」
「わかりました」
「粉?粉って何だ、粉か、粉、ああこれだ、ウッツ」
白湯に溶いた薬を、ララを支えて起こしたウッツが唇に流し込む。無意識ながら、そして僅かながら飲み込んだのを確認してため息をつく。
「これだけでは足りないだろうな。……シュヴァルツ、行ってくれるか。ドラゴンでもわからなければ町に行くしかない。ララ様が普通の人間と違っていると知れるのはやはり良くないだろうが」
「行ってきます」
シュヴァルツが部屋から出て行った。
ウッツが再びララを横たえると、ララが薄く目を開いた。
「……あ、れ?」
「ララ様」
「ララ!起きたの!?」
エメがぴょんと飛び上がってベッドを覗き込む。
「高熱で意識を失っていたようです」
「そう……ああ、熱が出るなんてとても久しぶり……。時間が、動き出したからかな」
掠れた声で一言ずつゆっくりと話すララ。
「時間が?」
ウッツが聞き返すとララは彼に視線を遣った。
「そう。少しずつ、死に向かっておいていくのよ、人間は。……わたしは今まで、時間が止まっていたから」
「ララ様」
「ララぁ」
永遠がなくなったのだと、その場にいた三人は改めて噛み締めるしかなかった。
「シュルヴェステル」
「……シュヴァルツか。どうした」
最初に会った時よりも小さいサイズ、目線の高さもウッツとそう変わらないくらいになっている竜が呼びかけに応えた。
「本日はララ様はこちらへ伺えません」
「何故」
「発熱しているのです」
「発熱?風邪、というものか」
「……私たちには人間の病気についての知識がないのです。何か、ご存知でしたら教えていただけないかと」
「私も人間のことはわからない」
「そうですか……」
あからさまに落胆するシュヴァルツに、竜が目を細める。
「だが良いことを教えてやろう。私の角を煎じて飲めば万病に効く」
「え」
真っ白な角の二本あるうち一本がぽきりと折れてシュヴァルツの手の中に移動する。
「少しで良い、煎じて飲ませよ」
「ありがとうございます。明日また、様子を報告に参ります」
「ああ。ゆっくり休むように伝えてくれ」
「はい」
戻ったシュヴァルツは早速角を煎じ寝室へ運んだ。
「ドラゴンの角、か。それこそ竜殺しとやらが欲しがりそうな代物だな」
ウッツが頷き、眠るララの体をそっと起こす。
「ララ様、薬です」
「カップ一杯くらいあれば良いでしょうか」
「薬はそんなに一度に飲むものなのか」
「わかりません。多い方が良いのでは」
「とりあえず、飲めるだけ飲んでもらおう」
ウッツとシュヴァルツの、何も理解していない会話であるが止める者はいない。更に理解していない二人は止めようもない。
ぼんやりと目を開けたララ。
「くすり……?」
「ドラゴンの角を煎じました」
「……」
唇に宛がわれたカップを素直に受け入れる。こくりと一口飲んで、口を離した。
「少しずつで良い。効かなかったらまた飲む。少し、一人にしてくれる」
「はい」
「ああ、喋らずにいてくれるなら一人だけ、傍に」
「私がおります」
立候補したシュヴァルツに、誰も異論はないようだった。
三人が部屋から出て行き、ララがシュヴァルツに言う。
「風邪では、死なない」
「はい」
「寝ていれば治る」
「はい」
「大丈夫よ」
「はい」
「泣かないの」
「はい」
「少し、眠る」
「はい」
朝、黒猫が丸くなって寝ているのを撫でてそっと起こす。
「おはよう、シュヴァルツ」
「……ララ様!おはようございます、風邪はどうなりましたか」
人間の姿になってララを抱き込むシュヴァルツ。
「大丈夫みたい。熱もないし、喉の痛みもない、すっきりしてる。治った」
「よかった……」
肩に額を押し付けているシュヴァルツの髪を撫でながら、ララが笑った。
「驚かせてごめんなさい。みんなにも謝らないといけないわね。あと、人間の病気についても教えて行かないといけない」
「勉強します。ララ様に指示を仰げなくなっても動揺せずに済むように」
「ついていてくれて、ありがとう。ごめんね心配をさせて」
「いいえ」
「さ、みんなにも治ったと伝えなくては」
「先に知らせておきます。ゆっくり支度を」
「ええ」
シュヴァルツが部屋から出て行くとララは服を着替え換気のために部屋の窓を開けた。
「わーっ!」
外からエメの素っ頓狂な叫び声が聞こえる。
眉を寄せ、声の場所へと転移すると玄関先だった。
「どう、なさったの」
「玄関開けたらいた!」
エメの報告に、眉を寄せる。
目の前に佇んでいたのが、人間サイズの竜だったからだ。
「シュルヴェステル?」
「ああ……やはり心配になって」
「わざわざ?」
わざわざ律儀に玄関から竜が。
「駄目だったか」
「とにかく中へどうぞ。……小さくなったから、家の中に入っても大丈夫ね」
ララがにこりと笑うと安堵したように竜も家の中に足を踏み入れた。
リビングに通され所在無げな竜の頭には角が一本しかない。
「シュルヴェステル、わたしのために角を折らせてしまってごめんなさい。おかげでもうすっかりよくなりました、ありがとう」
「番を心配するのは当然のことだ。治ってよかった。シュヴァルツが泣きそうな顔をして来たから風邪でなかったらどうしようかと思っていた」
「きちんと教えていなかったから」
「心配して、ここまで来てくれたの?」
「やはり、番は共にいた方が良い」
「……そうね、わたしも、竜殺しの心配をしなくて済むわ」
そして竜は一室を与えられ、その知識を頼りにされ四人の師としても慕われるようになった。