2 家族の日常
「引っ越しをします」
厳かにララが言った。
早速全員で荷造り、などというまどろっこしいことはしない。
ララは今までもずっと定期的に引っ越しをしており、あらゆる国に家を持っている。場所は大抵町外れの森の中なので、誰かに見咎められる心配もない。
必要な中身だけを移動させれば良いのだ。
「今度はどこに行くの?」
「どこが良いかしらね」
「どこでも良いの?」
「ここでなければ良いわよ」
「ここじゃダメなの?」
エメの無邪気な問いに、ララが頷く。
「アンドレアス様が来る頻度が上がってしまったから」
「ちなみに、コンラート様とルーカス様も最近頻度が高いです」
シュヴァルツが眉を寄せて言い、ララは頷く。
「そう。彼らが来れないくらい遠い場所が良いわね。国交がなければ易々転移もできないでしょう」
「依存されると戦争が起きかねませんし」
「寝てるだけなのに、どうして来るのかな。おうちでも寝てるんじゃないの」
「自室では難しいこともあるのでしょう。大変な立場でもあるし」
穏やかに言うララに、エメは首を捻る。
「自分の部屋で寝るのが難しいなんてかわいそう」
「そうね」
滞在国を変更したから、という理由でララは移動先の国王陛下に謁見に行った。
伴うのは黒猫で、『それっぽいから』と言っていたがエメにはよくわからなかった。
「遅いなあ、ララ」
「いつもは気にしないのに、今回は気になるの?」
ヴァイスがからかうようにエメに言う。
「だっていつもは寝てる間に全部終わってたもん」
「ふうん」
「なんでシュヴァルツだけ連れてってもらえるの?」
「黒い魔女に黒い猫だと雰囲気が出るから。オレンジの兎が行っても侮られるだけだよ」
「むー。兎の方が絶対可愛いのに」
「白猫だって侮られるし、熊が行ったら逆に警戒される」
「なんでよ」
「魔力も戦闘力も兼ね備えてたら怖いだろ?か弱そうな魔女だから優遇されてるんだし、マスターはそれを熟知して利用してる」
「じゅくち」
「エメに言ってもわからないか」
「ウッツ!ヴァイスが馬鹿にする!」
エメがウッツに訴えるが、ウッツはちらりと視線を流しただけで手元の本から意識を外さない。
「そうだな」
「そうだな、じゃなくて!」
「エメも本を読むと良い。簡単なものから始めれば、そのうち馬鹿にされることもなくなる」
「ううう。二人して馬鹿にして!ララに言いつけてやるんだから」
「マスターはあまり相手にしてくれないと思うけどな」
「確かに。ねーヴァイス、はちみつりんごジュースが飲みたい」
ヴァイスが眉を上げ、立ち上がった。
「本当にエメはわがままだな。おいで、一緒に作ろう。マスターの分も」
「はーい!」
なんだかんだと仲が良い様子の二人を見送り、ウッツは静かに読書を進めた。
「戻りました」
日が暮れた頃に戻ってきた二人。
ララはこめかみを押さえてリビングのソファに腰を下ろした。
「お疲れですね」
ヴァイスが温かいお茶をテーブルに置く。
「ありがとう」
「どうしてヴァイスはララが帰ってくるのわかったの」
「私が知らせていましたから。ララ様の力を横から使う権限をいただいています」
そつなくタイミング良くお茶を出したヴァイスを見ながらエメが言うと、ララの隣を抜かりなく確保しているシュヴァルツが答えた。
「……ふーん」
「店舗は確保できたから、明日一緒に様子を見に行きましょうねヴァイス」
「はい」
白猫の姿になったヴァイスがララに擦り寄る。
「ウッツはどうする?自警団は人手が足りないと言っていたけれど。他にも職はいくらでも紹介してもらえそうよ」
「自警団でお願いします。町の情報が広く集められますから」
「そう。じゃあウッツも明日ね。エメは、パン屋?食堂とかケーキ屋とかもあるみたい」
「えー、どうしよっかなー、甘いものも良いなあ。ケーキ毎日食べたいなあ」
甘いものに囲まれる自分を想像してか口元を緩め体をくねらせるエメ。
「決まったら教えて」
「ええ?一緒に考えてよ!」
「ああ、そうか。良いわ、夜にブラッシングしながら考えましょう」
エメが少女だということを忘れる傾向にあるララが一瞬考えて頷いた。エメは一緒に行動するのが好きなので応じられる範囲で応じるようにしているものの、言われないとできないのだ。
「やった!ブラッシングー!」
「マスター、僕も」
白猫がララの膝に鼻先を押し付けて強請る。
「ええ、じゃあ、順番に、全員」
「お疲れでは」
シュヴァルツがララの顔色を窺うが、頭を撫でられて黙った。
猫と兎は体が小さいため、ブラッシングはすぐに終わる。
夕食後のひと時にあっさりと終えてしまった。
エメはブラッシングをしてもらいながらひとしきりケーキの魅力について語った後で、ケーキ屋でアルバイトをすることに決めた。
「ウッツ?」
「はい」
皆が寝静まった後の、リビング。
明かりを一つ灯して本を読んでいるウッツに、ララが話しかけた。
「ウッツもブラッシング」
「いえ……俺は体も大きいですし、大丈夫です」
「そう?とりあえず熊になってごらんなさい」
「ララ様」
ウッツは承諾しなかったが、ララは勝手にウッツを熊に戻した。手にしていた本がどさりと床に落ちるのを拾い、ブラシを手にララがにこりと笑う。
「ほら、床に座りなさい」
「……ありがとうございます」
素直に床に腰を下ろした熊の背後に回り、大きな背中をブラッシングする。
「あなたは、わたしに何も言わないでしょう」
「何も、ですか」
「もちろん言わなくても良いのだけれど、たまには甘えると良い。ヴァイスや、エメみたいに」
「いえ……」
「では、一方的に甘やかすから我慢なさいね」
ララの言葉にウッツは困ったように眉を寄せて言葉を飲み込んだが、彼女には見えていなかった。
「よしよし」
「今日は誰か来る日だったかしら」
「エッカルト様です。乗り気でないようでしたので、本当にいらっしゃるかどうかは」
「そう。来たくなければ来なくても構わないのだけれど」
「一度来れば良さがわかりますし、他の方と同じように頻度が上がるでしょう」
「……」
薄暗い一室で、猫の姿のシュヴァルツがララに撫でられて喉を鳴らす。
「残念ながら、いらっしゃるようね」
「お連れします」
黒猫が膝から飛び降りて部屋から出て行き、ややあって戻ってきた。
ララは立ち上がって客人を迎える。
「ようこそ、エッカルト様」
来客は険しい表情の青年だった。顔立ちは整っているようだが、表情のせいで近寄りがたい。ララは気にせずソファを指し示した。
「父上に言われたから来たが、魔女に懐柔されるつもりはないぞ」
腰を下ろした瞬間に目の前のテーブルにティーセットが現れ、エッカルトが表情を動かす。
「惑わすなよ、魔女」
「どうぞ、リラックスできるお茶です。陛下より、わたしの申し上げることに従えという指示は受けていらっしゃらないの?」
手を付けようとしないエッカルトに言うと渋々カップを持ち上げて口を付けた。
「……初めての味だが……美味いな」
育ちが良いからか、味についての否定はできなかったようだ。素直な性分なのだろうと、ララは微笑む。
「ありがとう」
それからララがいくつか質問をし、嫌そうにエッカルトが答え、ララが頷きながら同意をし、別室に誘う。素直に廊下を歩いたエッカルトは部屋の入り口で躊躇した。
「まさか……魔女を抱けと言うのか」
「いいえ、申しません。陛下に何と言われていらしたの」
「疲れを取って来いと」
「でしたら、そのままの意味です」
部屋の中央には大きな寝台。静かに音楽が流れており、焚かれた香が仄かに漂う。
「足元に気を付けて、ベッドの上の夜着に着替えてお休みください。極上の睡眠をお約束いたします」
翌朝、栄養たっぷりの朝食を取ったエッカルトは、キツネに抓まれたような顔をして帰って行った。
「また来ますね、近いうちに」
シュヴァルツがララに言うと彼女は肩を竦めた。
「そうでしょうね」
質の良い睡眠を商品にしている『裏』の店は、王侯貴族からの需要が高い。特殊なルートがなければ辿り着けず、遠慮せずに一人になれる上に、多忙な日常では得難い深い睡眠を得られるためだ。
更に多くを見透かす主と話していると心を開くようになり、真にリラックスできる場所になり、頻度を上げて通うようになるのだ。
主個人に執着するようになれば切り捨てられるが、そうでない限りは受け入れて、表に売っていない薬も特別に調合して販売することもある。
「エッカルト様からの紹介でお客様が増えることでしょう」
国の上層部と繋がりができれば表の商売もやりやすくなるというものだ。