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1 竜のつがいになる

「……わたしを呼んだのは、あなた?」

「そうだ」

女は長いシガレットホルダーを口に銜えたまま、片眉つり上げて胡乱げな視線を投げる。

「見たところ健康そうだけど、何の用で?」

シガレットホルダーを持つ左の肘を右手で支えるようにし、足は軽く開いて臆することなく堂々とその場に立っている。

場違いなピンヒールの足元に、体にぴたりと沿う黒のロングドレス。艶やかな黒髪を綺麗に結い上げた、目尻の赤いシャドウが印象的な女だ。

少し離れて対峙しているのは、巨躯の白竜。女よりも何倍も大きく、白い体に赤い目、口元に覗く牙が威圧感を与える。

二人がいるのは、山中に開けた場所だった。

木々が生い茂り、葉のそよぐ音と鳥の鳴く声しかしない。

陽光降り注ぐその場所は、白竜のねぐらとしている洞窟の目の前。

女はたった今、この場所に現れた。

白竜が、その力で女を呼び出した。

「あなたが私の番。番を呼んだのだ」

「……」

表情の読めない竜の顔をじっと見つめる女。

「ドラゴン種は自分の番が分かると聞いたことはある。相手が人間の場合もあるとも」

「そう、あなたが私の番」

「……残念ながらわたしにはそれが正しいのか確かめるすべがない」

「間違いなく番だ」

「人間はね、ドラゴンさん。初めて顔を合わせたときに自己紹介するのよ」

「私はドラゴンだ」

「ええ。お名前は?」

「シュルヴェステル。本当はもっと長いが、忘れてしまった」

目を閉じる竜。

「あら、あなた結構長生きしているの?」

女が興味深そうに目線を上げる。

「そんなに長くはない。……いや、人間から見れば長いか。250年くらいだ」

竜の返答に、女が笑う。

「十分長い、普通の人間はそんなに生きられない」

「そういうものか」

「そう。そろそろ灰が落ちそうだから、元の場所に戻してくれないかしら。これから上客が来る予定なの」

「……番は共にいるものだ」

女の要求に、竜は首を振る。

「種族が違うと、面倒よ」

「構わぬ」

「明日、同じ時間に」

「なんだ」

「ドラゴン族は番が嫌がることしかしないというのでなければ、わたしを一旦戻して。そして明日同じ時間に呼び出して。わたしたちは話をしなければいけないようだから」

「必ず来るか?」

「拒否できるの?」

「できないだろうな」

「では問題ないのでは?」

「……わかった」

竜が頷くと同時に、女の姿が掻き消えた。




一瞬にして山の中に移動したかと思ったら、一瞬にして元の場所に戻ってきていた。

「……」

シガレットホルダーを清掃しながら女が呟く。

「ドラゴン、か」

薄暗い室内は黒の装飾で統一されており、窓には分厚いカーテンがかけられている。仄かに灯るランプが唯一の光源で、ふわりと女の周囲を照らしていた。

「ララ様、お見えになりました」

「お通しして」

シガレットホルダーをケースに仕舞い、立ち上がる。

呼びかけてきたのは小さな黒猫だった。ララと呼ばれた女はその黒猫が身軽に部屋から出て行くのを見送る。

指を立て、少し動かすと床のあちこちにふわりと明かりが灯る。

ややあって扉が開いた。

「ああ、魔女殿、お会いしたかった」

黒猫は少し顔を出しただけで、部屋から出て行った。

入ってきた金髪碧眼の青年は薄暗い室内に慎重に歩を進め、ララに手を伸ばす。

「ようこそ、アンドレアス様」

素直に身を寄せることはなく、用意していた包みを差し出す。

「こちらがご注文の品です」

「ありがとう」

小さな箱を渡されたアンドレアスは引き換えに皮の小袋を渡す。

「多くありませんこと?」

「君は、商品の代金しか受け取ってくれないから」

袋の中身は見ずともわかっていた、金貨だ。

「君の薬はよく効く、対価は私が払いたいだけ払う」

「それはどうも」

ララは薬師だ。

薬を調合し、販売している。

多くの種類の薬を作って売っているが、中には大っぴらに売れないものもあり、ほんの僅かな上客だけがこうして直接ララが対応する裏の店舗に足を踏み入れることができるのだ。

アンドレアスもその一人。

『よく効く』薬を求めて、頻繁に訪れている。

「魔女殿」

焦れたように呼びかけるアンドレアス。

ララの唇が弧を描く。

「奥に、参りましょうか」




表の店で売っている薬は一般的なものだ、内服薬から塗り薬まで。

「今日の売り上げです」

「ありがとう」

自宅に戻ったララは気だるげに頷いた。

目の前にいるのは白猫だ。

ララの様子を見てため息をついた白猫が、次の瞬間には白髪の青年になっていた。

「お疲れですか」

「……」

白猫が表の店を仕切っており、ララが作った薬を販売している。

ソファに座るララの隣に腰を下ろし、彼女を抱き締める。

「ヴァイス」

「はい、マスター」

「シュヴァルツは?」

「食事の準備をしているようです」

「そう」

胸元に顔を寄せるヴァイスの髪をララが優しく撫でた。

「食事の後に、みんなを集めてくれる?」

「はい」

それからしばらく、そのままの体勢で二人して微睡む。

ゆったりとヴァイスの髪を撫でるララと、彼女を抱き込んで満足げに喉を鳴らすヴァイス。

「二人とも、ずるいですよ」

「うん……」

声をかけてきた黒髪の青年に、目を閉じたまま返すララ。

「おいで、シュヴァルツ」

手招きされてソファの下に屈み込むと、ララはシュヴァルツの髪を撫でた。

「夕食ができた?」

「はい、できました」

「ありがとう。さあ、ヴァイス」

ゆっくりとヴァイスが体を起こし、ララの背中に手を差し込んで抱き起した。




食事を終え、リビングで寛いでいるとぞろぞろと住人が集まってきた。

白猫・黒猫を筆頭にして、一人の壮年男性と一人の少女がソファの周りに侍る。全員、姿を人間に変じることができる獣たちだ。

「全員そろった?」

「はい」

身軽にララの膝に飛び乗るヴァイスとシュヴァルツ。

「ララが全員集めるなんて珍しいね」

ふんわりとしたオレンジの髪の少女が一番離れた場所の椅子に座って足を揺らしながら言った。

「そうよ、エメ。みんなにお話があるの。エメは今日何をしたの?」

「パン屋でパンを売ってきたよ。お給金は明日。ララとお揃いの帽子を買うんだ」

「帽子なら買ってあげるのに」

「自分で買ったらもっと嬉しいってララが言ったもん」

「……そうね。兎の時の帽子はわたしが買うわね」

「うん」

黒猫と白猫に視線を落とす。

「言いにくいことですか」

「……ドラゴン種って知っている?」

白猫のヴァイスの問いに肩を竦め、全員を順に見る。

「知っています」

黒猫のシュヴァルツが折り目正しく答えた。

「みんなも知っているかしら」

「はい」

それぞれ頷くのを確認し、ララは首を傾げた。

「ドラゴンはどうやって番を探す?」

「寂しくなったら探すと聞いています」

シュヴァルツが言った。

「シュヴァルツはドラゴンに会った?」

「一度だけ、番になったばかりの二人を見たことがあります」

「竜が卵を産んだ場合、孵るとしばらく子育てをしますがすぐに親離れをして住処を探し、一人で生きていくそうです。それで、寂しくなったら番を探すと」

「意外と、感情的なものだったのね」

うんうんと頷くララ。

「相手が人の場合は、竜も人化をして人間と同じように暮らしていくそうです」

「寿命は?」

「番として契りを交わすと、人間の寿命も竜と同じになります。竜が死ねば人間も死んでしまう」

「……まあ、それはそうなるものだわね」

「マスター。マスターはどうして急にドラゴンのことを聞くのですか」

ヴァイスが青い目でじっとララを見る。他の三人も同じような表情だ。

「まさか、ララ様」

シュヴァルツが立てた尻尾の毛を逆立てた。

「なんだか今日、番と名乗るドラゴンに出会ってしまって」

「……」

部屋に沈黙が落ちた。

ララが全員を順番に見るが皆神妙な顔をしている。

「どう思う?」

「ドラゴンは上位種だ、我々では勝てない」

重々しく言ったのは、この中で最も体格が良く自警団に所属しているウッツ。

「ウッツの言う通りです。体の大きさも、魔力も、純粋な力でも桁違いです」

シュヴァルツが黒髪の青年の姿を取り、ソファの下に跪く。

「ララはすごい人間だと思ってたけど、なんでドラゴンの番なのよー」

エメが頬を両手で押さえて嘆く。

「ドラゴンから逃れられるのでしょうか」

ヴァイスが言い、ウッツが首を振る。

それぞれが口を開いて逃げようと言ったり勝つ方法を探そうと言ったりと騒がしくなってきた。

「別にわたし、嘆いているわけでも嫌がっているわけでもないわよ?」

ララがヴァイスを撫でながら言うと、しんと静まり返った。

「……何故ですかマスター」

「我々はどうなるのですか」

「ララがいなくなったらあたしたち死んじゃう!」

静かになったのは一瞬で、今度は別の種類の叫びが上がる。

「落ち着きなさい」

手を伸ばしたララが、シュヴァルツの顎を捉えて視線を合わせる。

「喉が渇いたわ、お茶を淹れてくれる?」

「……すぐに」

「僕も行きます」

ヴァイスが人の姿を取ってシュヴァルツに続く。

「何かお考えがあるのでしょう」

ウッツがララの顔を窺うように言うと、その膝にエメが乗った。

「考えって何よ、ララがいなくなっちゃうじゃない」

「みんなに愛されているのは理解した」

「そういう問題じゃないでしょララ!」

「おいでエメ」

「だっこ?」

「そう」

エメがソファに乗って兎へと姿を変じると、抱き上げたララがその背を撫でた。

二人がそれぞれに眼差しをララに向けていて、彼女はそれを受け止めてはいるが席を立った二人が戻って来るまで口を開かないつもりらしかった。

しばらくして人数分の茶器を持ってシュヴァルツとヴァイスが戻ってきた。

カップを持って、一口。

エメも人間の姿になってちょこんと隣に腰を下ろしている。

「ドラゴン種が上位種で、わたしよりも強いんだろうというのが明白」

「……認めたくないけど」

「拒否権はないのだろうから、受け入れるしかない」

「逃げようよ」

「逃げられないと思う。呼ばれたら勝手に行ってしまうの」

「……」

「怒らせるのは得策ではない」

「でも」

「大丈夫。あなたたちはわたしの家族で、わたしはただドラゴン種の番になるというだけ。何も変わらない」




翌日の、夕暮れ時。

昨日と同じ時間。

猫のシュヴァルツを懐に入れてララは再び白竜の前に立った。

身を固くしているシュヴァルツを撫でてやると少し落ち着いたようだ。

「……」

「話を?」

竜が口を開く。

「ええ、そうね。わたしの気持ちは尊重してくれる?種族が違うと、戸惑うことも多いの」

「ああ。ドラゴンは番を大事にする」

「わたしには子どもが四人いるけど良い?」

「こども?既に番がいるとでも?」

竜が不穏に目を細めた。

番がいるものを、竜は番に選ばない。番がいれば選ばれないものなのだ。

「いいえ。わたしの子として育てているの」

「それか」

竜の目がシュヴァルツに向かう。

「そう」

「ならば構わぬ」

「わたしは子どもを産めないけど良い?」

「産めないのか」

「そう」

「子を残さぬ番もいる。そもそもドラゴンは、死まで共に過ごすものを探しているだけだ」

「……人間としか一緒に住めないのだけど、あなたは人間になれる?」

淡々と受け入れていた竜が、ここで目を伏せた。

「人間にはなれない」

「……そう」

「確かにドラゴンは人間と番うときには人間になれる。が、私にはその力がない」

「ないの?」

「ないと駄目か」

「連れて帰れないなと思って」

「あなたがここで暮らせば良い」

「これは譲れない話だけど、わたしは人間として暮らして、人間として死ぬつもりなの」

両者、真っ直ぐに互いを見つめて逸らさない。




「ただいま」

「良かった帰ってきた!おかえり!」

帰宅すると中からエメが出迎えた、待ち構えていたらしい。

抱き着いてきたのを、頭を撫でて引き離す。

「大丈夫よ、そんなに心配そうな顔しないで」

ララがエメの頬をするりと撫でてリビングルームに向かうと、ヴァイスがお茶の用意をしていた。

「ありがとうヴァイス」

「いえ」

「ウッツが戻ったら……大丈夫だって伝えてくれる、シュヴァルツ?」

それぞれ仕事に出ているから、夕食時くらいにしか全員揃うことはない。

「ウッツは今日は夜勤です」

「そう」

ソファに深く腰を下ろして、お茶を口に含むララ。

「今日は店を早く閉めて僕が夕食を作りました」

「楽しみにしているわ、ヴァイス」

ララが手を伸ばすとヴァイスが頭を差し出した。白い髪を撫でられるのをうっとりと受け入れるヴァイス。

「シュヴァルツも、おいで」

「はい」

ヴァイスが撫でられるのを見ていたシュヴァルツにも手招きをする、笑みを浮かべたララ。

「今日はあなたもお疲れさま」

「いえ、ララ様こそ」

膝をつくシュヴァルツの頭を撫で、ララがヴァイスの方を見た。

「少し休む。ヴァイス、後で起こしてくれる?」

「はい」

「エメ、後でね。シュヴァルツ、一緒に休みましょう」

「はい」

ララは寝室に向かい、ゆったりとした服に着替えるとベッドに潜り込んだ。シュヴァルツは先に猫になって丸くなっている。

「疲れた……」

「これからも、ご心労があるかと思います。私たちでそれを癒せれば良いのですが」

懐にもぞもぞと入り込んだシュヴァルツを抱き寄せて、ララは目を閉じた。




お互いに条件が折り合わない、ということでしばらくはララが白竜の元に通うことになった。

竜が人の姿に変じる、もしくは人間が竜となる、通常の竜の番はそうやってどちらかの種に合わせて生きていくものだ。

シュルヴェステルはララに番の証である玉を渡し、ララはそれを受け取った。

「シュルヴェステル」

「ああ」

毎日、ひと時だけ。

白い竜は魔女のために、体を倒す。

鼻先まで近づいた魔女は、手を伸ばして撫でた。

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