第七話
至って平凡な一日の始まりを迎え、私は歯痒い思いをしたまま起き上がった。
遠くから聞こえる車とバイクの音。窓を開ければ微かな夏の香り。アスファルトの地面の上を歩く猫の姿。
昨日の今日で、なぜこんなにも新しくない朝なのだろう。例えば学校に行く必要のない程の事件が起きたり、異変が起きたりしないものだろうか。昨夜は妙な期待を胸にして寝たため、朝の声を聞いた時の失望は高かった。
「おはよう」
「なっ?!」
ぼんやりとしていたため気付かなかったが、本当ならば一階のリビングにある椅子が出口付近にあり、そこに近藤が座っていた。
「一晩中見張ってたのか……?」
「寝たわよ私も。戒ちゃんの寝顔を拝めた後ね」
「ストーカー」
「別名護衛人。さ、早く用意しないと学校に遅れるよ」
時刻は私の思う通りに七時半。眠りは微妙であったが、私の生活リズムは一度変調が加わっただけで崩れることはないみたいだ。
「着替えにくいんだけど」
「いいじゃない。昨日もいったけど私女よ?」
気に入らない理論に私がやきもきとしていると、扉がノックされた。
「俺だ、戒はまだいるか?」
父の公史の声であった。昨夜は私が夜中の一時頃に寝たにもかかわらず帰ってきた気配はなかった。
「いる」
父がこの近藤をこの家に寄越したと話であったため、無愛想な返事となった。
父はドアを開け、変に律儀な様子でドアを閉めた。既にスーツ姿になっているが、昨夜の帰りからずっとそのままなのかもしれない。父は大体この時間帯には既に家を出ているため、朝に会うのは珍しい。
「その、なんだ。少し混乱してると思うが、何か質問とかないか」
「質問が見当たらない。まだ私が追いついてない」
「そうよね。だから、とりあえず今日は学校にいって頭を休めてきなさい。勉強なんて二の次でいいわ」
「そのことなんだけど」
私は妙案を閃いた。もしかしたら、私はこのいつコンサイバーに襲われるか分からない状況を利用できるかもしれない。
「私が狙われてるなら、学校にいるより家にいた方が安全じゃないの」
菊元を心配させるかもしれないが、彼女なら私の家にきて無事がわかるだろう。他の奴らは知らない。全員は私を恐れている。むしろ、いなくなった方が多数の彼らにとってはありがたいかもしれない。
「学校の方がむしろ安全よ。あそこは人がたくさんいるでしょ? コンサイバーは人気の多いところで能力を使うことはないわ。例外はわからないけどね。家より学校の方が安全なことは確かよ」
つと昨夜の会話が頭の中に蘇った。近藤は、コンサイバーは私のことを大切に扱わなければならない存在であると言っていたはずだ。まさにいま近藤が座っている、私のその椅子の上で。
私はそのことを、そのまま声に出して近藤と父に質問した。確か昨夜も疑問に思っていたことだったが、質問しそこねてしまった
「コンサイバー全員がお前のことを大切にする訳じゃないんだ。あいつらの中には自分の能力が消えることを恐れ、その元凶となるお前を殺しにくるヤツがいるかもしれない」
「私がそういう能力を持っているってコンサイバーは全員知ってるのか」
「いやあ、それがね」
近藤は自分の頭を撫でる動作をしながら、苦笑いを浮かべて言葉を続けた。
「私が一人のコンサイバーに教えてあげたら、広まっちゃって」
「はあ?!」
私は驚いて父を見る。
「……はっはっは」
「何笑ってんの。もう」
ということは、昨日襲われたのも近藤にストーカーされなければならなくなったのも全ては近藤が悪いのか。
大げさに溜息を吐きながら、私は柔らかなベッドに倒れこんだ。不運の絶頂期にいるような気がした。
「でも大丈夫だ、戒。俺たちが責任を持ってお前を守ってやるからな。父さんはこうみえてやるときゃ頑張るのさ」
この父はやたらめったら面倒くさそうに全ての事を執り行うのだ。たまに朝に鉢合わせするときは眠そうに玄関を出て行くし、その時に聞こえるいってきますの声はやけに低いし、土日は大体ぐーたらしている。これでもきちんとお金は稼いでいるのだから、若干私は安心感を覚えている。
私も面倒くさがりだからだ。
「休みたい」
特に、今日は疲労感が強かった。予想以上の衝撃を昨日は食らってしまったらしく、体そのものが重い。ただ、それだけが休みたい理由ではなかった。
「何かあったのか」
「昨日色々あって、それで疲れた」
「本当にそれだけか、戒」
下の階から母の声で、「戒、遅れるよー」と声が聞こえた。私が返事をする前に代理で父が「ちょっと待って」と母に伝えた。
「他にも何かあるんじゃないか。お前が一日だけでヘコたれる奴じゃないのは知ってるぞ」
柔らかな生地に甘えている私の目線に合わせ、父が座った。近藤は黙って私達を見ている。
「何もない」
父を見ず、私は答えた。天井にかかれている模様は、今日も不規則だ。
「それならいいんだ。まあ、わかった。今日は休め。お前が一番気楽になれるところにいればいいさ」
ストレス発散目的で喧嘩をしに学校にいくのもいいが、やはり。
「それじゃあ父さんは行ってくる。何かあったらすぐ頼れよ。休むことは母さんに伝えとく」
父が部屋を出て行ったため、私はまた近藤と二人になった。
「親には言いにくいことでもあるのかしらね。最近の子は」
近藤はいつの間にか休む理由が一つでないことを察しているようだった。他人の子供だからこそ分かることでもあるのだろうか。
そういえば、近藤に家族はいるのだろうか。
「お前、家族はどうした」
「ん~? ふっふふ、秘密」
「一日中人の家にいても家族から連絡が来ないのは、そういうことか」
自分のことについて聞かれると、近藤は黙ってしまった。家族の話題は地雷だったのか。気まずい空気が訪れ、私もそれに流され言葉を出せなかった。
布団が段々暑くなってきて、私はうつ伏せになった。
「嫌いなんだよ。あのガヤガヤした空間が」
この事は誰にも言うことができなかった。菊元と薩山にも言ったことがない。二人はガヤガヤした空間が好きだったから、私がそれを否定すると彼女らから好きな空間というものを奪うことになる。私の発言力は、彼女達にとっては大きいものであった。
親にも言わなかったことである。特に理由はない。なんとなくいいたくなかったことだ。
「どうして?」
「知らない。ただ嫌いなだけ」
「戒ちゃんの友達は?」
「あの二人の事は嫌いじゃない。別に、私に付いてきてくれてるからとかそんなんじゃない。元々私が嫌いな奴は側におかない」
「友達がいるんなら辛いことはないんじゃないの?」
「学校は別に辛くない。勉強や教師が嫌いとかじゃない。周りが馬鹿ばっかで飽々してるだけ」
「達観してるねえ」
事実、そうなのだ。私がD組に入って一番後悔していることは、周りが馬鹿だらけであり話を聞くだけで私も馬鹿に侵される気がしてならないことだ。
「面白くない話題しかない」
「でも、あの公園で一緒にいたあの子とはとても仲が良いのね」
菊元には人知れず感謝していた。彼女だけは特別に扱わなくてはならないと常日頃から思っているのだ。
私が高校に上がった頃、最初は一人で行動していた。強くなるために、不必要な物は一切合切捨てていたため、友達なんてものは一人もいなかった。ただ喧嘩ができればそれでよかった。ある時、その学校で強いと評判の年上と勝負した時の事だ。手応えのある喧嘩で、私も脱臼をする傷を負う程激しいものであった。結果は私の勝利。最後の方は私もあまり覚えていないが、怒った私が逃げようとする相手をマウントを取り決着をつけたことは覚えている。相手は気絶し、後日発見されて学校中の問題となったのを覚えている。
そして、偶然それを見ていた菊元が私に話しかけてきたのだ。
最初は菊元を認めることはなかった。がやがや騒がしいタイプの人間で、仲間を持つ必要を感じなかったからだ。
一度だけでなく、彼女は何度も私の右腕でありたいと願った。彼女は喧嘩をするわけでもなければ、奇抜な能力を持っていることもない。ただ口調が男っぽい女子高生だった。そんな彼女がなぜ私の側にいたいのか不審でならなかった。
結局今もその理由は分からないが、菊元は自分の友人を全て捨て、私に懇願した。彼女にとって友人とは学校で生きていく上の、彼女の人生を構築する大工のような役割を持っていたはずだ。家は大工がいなければ作れない。彼女もそれを分かっているはずで、それでも友人を捨てた。
良心など綺麗な言葉で彼女を認めたとは思っていない。私はそこまで思い上がっていない。
菊元認めたのは、その時に発生した彼女絡みの厄介な人物達を相手にしたことが切っ掛けであった。例によって厄介な奴らと戦う羽目になったのだが、その時に菊元は最高なフォローをしてくれたのだ。菊元のフォローがなければ私は命を失っていたかもしれないという程だ。
昨日の公園での出来事も、菊元がいなければ私は殺されいた可能性だってある。
そして、私は彼女を認めた。
「もう一人いた。あいつ以外、もう一人」
薩山を認めたのは、彼女が私に弟子入りを申し込んだからだ。今までも何人かそういう人物はいたが、全員私は認めなかった。弟子入りと称して私を陥れたり、弱点を見つけられて広められるのを私が怖れたためだ。つまり、信じるに値しない奴らだったからである。
薩山と勝負し、彼女が負け、彼女が私に弟子入りしたのは、彼女がそういった奴らとは全く違う人間であったからだといえる。彼女は力がないが、頭脳は高かった。クラスはBだが理系科目の教科は私よりも優れている。特に優れていたのは人体について、骨や筋肉といった保険科目に近い授業である。
今まで喧嘩してきた相手の中で圧倒的に小さな見た目をしており、舐められていると思ったのをよく覚えている。
いざ開戦となれば彼女は頭脳戦を持ち込んできた。ひたすら殴る、蹴るという相手ではなく、人間の弱点を狙って攻撃してくるのだ。
その時実感したのは、人間は弱点を突かれれば絶望的な痛みに襲われるということ。彼女は頑丈なシャープペンシルを使い、体のツボを突いてきた。しかしそこから接戦に持ち込み、最後はゴリ押して勝ったのだ。戦っている最中に、私はその痛みに慣れ、突かれつつも同時に打撃を与えたのが勝利の経緯となる。
私が見ても分かる通り、彼女自身人体の知識や瞬発的な計算力には優れているが、喧嘩の技術はかなり疎かった。私が大きく隙を見せても反撃はしない。攻撃の回避も雑で、全体的に一般人と変わらなかった。
薩山もそれがわかっていた。だから、彼女から私に弟子入りを志願してきたのだ。
「倒れてた子ね」
「悪くない奴だった」
意外なことに、人間が首を落とされる時の血しぶきは無かった。湧き出るような血が流れ、砂を湿らせていたことが脳裏に焼き付いている。
「あの男はどうなった」
「私が殺したわけじゃないけど、戒ちゃん達が逃げた後すぐに殺されたわ」
「誰に?」
「さあ?」
知ったかぶりの反対の対応をされ、私は追求を止めた。これ以上尋ねたところで近藤は答えてくれないことは明白であったからだ。ただ、何かを隠しているように見えたのは気になった。
「友達が死んじゃって、戒ちゃん想像以上にショックなのよ。人間はそんなに強くないからね」
「私はコンサイバーじゃなかったのか」
「コンサイバーと人間の違いは細胞、つまり能力があるかないか。彼らだって感情はあるのよ。くす、それよりコンサイバーだってもう自覚できたの?」
「できるわけない」
実は先ほどから空腹で早く朝食を食べたいと思いながらも立ち上がるのが億劫で動かなかったが、ちょうど今鳴ったお腹の音によって近藤に知られてしまった。若干、私は顔を近藤から遠ざけた。
「今日の朝ごはんは贅沢よ。あなたのスタミナも回復するでしょうし、食べに行きましょう」
未だに億劫なきもちは残りつつも、朝食は食べなければならないという謎理論が私の中で生まれ、自然と足は地面についていた。
そこからもう一度窓の外を見てみたが、やはり何も変わることのない景色がそこにはあった。