第六話
私は少しの間誰とも口を聞く気がなかった。人に、今の自分の状況や感情を伝える手段も言葉も見当たらなかったからだ。近藤に部屋にもどれと言われ、戻って身をベッドの上で休めるしかできなかった。
今更になって右腕の痛みを思い出す。
足にはまだ冷ややかな空気が潜んでいた。得体の知れない何かと他に表現のしようがないモノに絡まれていた所だ。足ではなく、直に肌に当たる首にも残っている。感覚としては残っているが、見た目は通常だ。分からない何かに首を抑えられたと言われて、誰が納得するだろうか。
いつの間にか近藤が二階に上がってきていたらしく、ノックもせず私の部屋に入ってきた。
「苅田君は意識が戻って、とりあえず帰しておいたわ。もう話は済んだもの。莢江さんはソファーの上に寝かしておいた。あの男はもうこの家にはいないから、もう安心していいわ」
「安心すると思ったか」
私が語気を強めると、近藤は言葉を出さなくなった。仰向けになりながら視線を下に向け立っている近藤を見た。幾分か彼女は落ち込んでいる様子だった。
「ごめんね。まさか、こうなるなんて思ってなかったから」
「あれが私の命を狙う連中なら、かなり頭が悪い」
「戒ちゃん、聞いてほしいことがあるの。これ、苅田君の前では言えなかったことなんだけどね。……ちょっと私、あなたに嘘ついてたのよ」
驚きはしなかった。むしろ予想通りで嬉しいくらいであった。今更コンサイバーがいないと言うわけではないだろうし、この目で見てしまったのだから信じざるを得ないが、この女は他に何かしら嘘をついていると直感していた。
「あなたは命を狙われていないの。というよりも、戒ちゃんはコンサイバーから大切な扱いを受けなければならないのよ」
理解しかねた。殺されかけたのに大切に扱われなければならないとは、一体どういった矛盾だろうか。
私は困惑しつつも起き上がり言葉の意味を考えたが、やはり首を傾げた。
「分からないみたいね。そうよね、気づかないわよね」
「何の話かさっぱりわからないんだけど。私は殺されかけた。なんで大切に……待てなんで私はさっき殺されそうになった? あの玄関に倒れてた血まみれの男は誰? ああもう、分からない!」
近藤はくすくすと気品のある笑みを私に見せながら、自然と椅子に座ってみせた。
「玄関の男はいいとして、とっても重要なことを戒ちゃんに教えておくわ。刺激が強いと思うから覚悟して聞いてね」
ここテストに出るぞ、と振りを入れる教師のように近藤は呼吸を置いた。私は教師の言うことはほとんどぞんざいに扱い、大して重要視しない。今もまた同じように、次に近藤が言う言葉をあまり期待せずに待っていた。彼女の言葉を雑に扱ってやろうと、この時には心に余裕ができていたからだ。
「あなたもコンサイバーなのよ」
――ん?
「は……え、……???」
あっはっは、と近藤は大笑いした。私は今まで彼女に対し反抗的であったが、今の言葉で敵対心が一気に消え失せた。二つある私の唇が同じ極を持つ磁石のように離れていってしまい、まさに、開いた口が塞がらないといった状態である。
「四月一日に言えるならまだマシな冗談で済んだんだけど」
「嘘じゃないわ、本当よ。今すぐには信じられないと思うから後で信じさせてあげる」
「私があんな化け物と同じ体質をしてるって妄言を素直に信じると思ったらそれは間違い。信じないし、信じたくない」
「嫌でも信じさせてあげる」
「嫌」
「運命よ。諦めなさい」
人生という壮大な舞台上から見ても、私は能力を持っていると思ったことは一度もなかった。
喧嘩か……? 私が喧嘩に強いのは能力のおかげで、無意識の内に使っていたのか?
「私の能力は?」
「アンチコンサイバー。頑張って日本語にしてみると、CON細胞破壊奥義ね。ひどくかっこ悪い名前だから、アンチコンサイバーって言った方がそれっぽくていいと思うわよ」
人の能力名にケチをつけることはさておき、ここでまた新たに聞いたCON細胞という単語に聞き覚えがあった。夕方のあの公園であった事件の男がそう言っていたのを耳にした記憶がある。
「CON細胞って?」
「コンサイバーがコンサイバーであるための細胞よ。極論から言えば、彼ら能力者はその細胞さえなかったらただの人間なのよ」
私は頷くだけで何も言わず、頭の整理を開始した。
とりあえず、私は近藤を信じることにした。コンサイバーのことはよく知っているように見受けられるし、どうやらただの一般人ということでもなさそうだ。先ほどの一件で膨大な不安が私にのしかかってきたが、コンサイバー絡みの事は今のところ近藤に任せれば良いだろう。だから今は、近藤の言葉を一言一句聞き逃さないように努めた。
「CON細胞の働きは色々あってね、そのうちの一つに人体に対して超能力的な事象を引き起こす力を与えるものがあるの。元々、CON細胞っていうのは体全体にあるんじゃなくて、体のある一定の箇所にだけ存在するわ。例えば腕だけとか、足だけとか。基本的に、全ての能力者にあるCON細胞の量は一定よ。異例もあるけど、それは今回は置いておくことにするわね。
超能力的な力っていうのは、そうね、変形が基本形よね。腕にCON細胞が集まっていたら、その腕だけを別の形に変化させる。どういう形になるのかは変形させる人物が"産まれた時に視覚したもの"よ。要するに、お母さんのお腹から出てきて目をあけて、一番最初に見えた形状の物が変形の形になってくるってこと。この流れで分かったと思うけれど、CON細胞っていうのは産まれた時からあるのよ」
「私も産まれた時からあった……」
「そういうことになるわね」
「どうすれば腕とか、足とかは変形できるんだ」
「ちょっと待ってね。あなたの場合、能力の仕様が違うの。能力にもいくつか種類があって、変形型、人工衛星干渉型、超感覚的知覚型っていうのがあって、あなたはその中のイー・エス・ピーに分類される」
学校で授業を教わっている感覚になるが、眠気は訪れなかった。おおよそ学校の席に座っている間は睡魔に勝てないのであるが。
「で、少し話を戻して、CON細胞は他の細胞と同じように生きているってことを教えなくちゃね。なんで産まれた時限定で能力が決まってくるかというと、単純な話細胞が覚えるからよ。視覚情報が細胞に行き渡り、多少の差異はあるだろうけれど、その情報を元に変形させる。まあ、今の話は変形型の例であって、人工衛星干渉型とかになってくると違うんだけど」
「もしコンサイバーから細胞が無くなったら?」
「彼らからCON細胞がなくなることはないわ。ありとあらゆる手段を使って細胞は逃げ切るの。うん、逃げるのよ。例えば細胞のある腕を切り落とされるならば、別の腕に細胞が瞬時に移動するの。そして、今度はその腕に住む。能力は移動した方の腕が使うことができるようになるわ」
私は自分の体のどこかにその細胞があるのだと考えるとぞっとした。まるで寄生されているみたいではないか。私の体の中に、別の生き物が住んでいるように感じられた。
「これもまた例外があって、超感覚的知覚、つまり戒ちゃんは例外。細胞は一箇所に留まったまま移動しないわ。なんでか分かる?」
分かる訳ない、とかぶりを振った。
「CON細胞が脳にあるからよ。しかも、脳全体。人間って脳がなくなったら生きていけないでしょ? ……うーん、CON細胞自体は死なないんだけど、人間が死んだらCON細胞も消滅するから、まあ、似たようなものね」
「まさか、私の脳は支配されてるのか?」
ぞっとする以上の悪寒が走った。今考えていることはCON細胞が考えていることで、私自身じゃないのだろうか。
「大丈夫大丈夫。CON細胞はロボットみたいなもので、ただ命令を聞くだけみたいな奴らだから。意志とかは持ってないけど、ただ生存のために逃げるだけって覚えていいわ。今のあなたは立派な戒ちゃんだから、慌てなくていいのよ」
私は落ち着きを取り戻した。
近藤に対する胡散臭さは残っているものの、私は信じてしまっている。信じる以外に何ができるというのか。
「で、ここまで説明を受けたならもうわかってきたんじゃない? 自分の能力」
「CON細胞の破壊……つまり、能力を使わせなくするってこと?」
「そう。コンサイバーの能力を消す。それがあなたの能力よ」
「何かすごいのか」
「すごすぎて、コンサイバーからしてみればあなたが信じられないでしょうね。
CON細胞ってほら、さっきも言ったとおり破壊とかできないものなのに、あなたはそれを実現させる能力を持っている。その時点で奇跡的な力を発揮しているというのに、能力の応用で相手の能力の痕跡……つまり、コンサイバーが能力で生み出したものを消すことができるんだからものすごいっていうのは分かる?」
今度は私は首を縦に振った。どうやら奇跡的な能力を持ちあわせているらしく、私がコンサイバーを信じないのと同じように、彼らが私を信じていないということだ。つまり、私は都市伝説みたいなものだ。
「最初、私はどうしてコンサイバー達が地上に出てきてしまったのかを調査してるって言ったけど、もう一つ、戒ちゃんのその能力も調査してるの」
「そういえば、やけに私の能力に詳しい。どこで知ったんだ」
「秘密」
だろうな、と私は分かっていた言葉でありながら落胆した。興味はなかったから別にいいんだけど。
「ひと通り教えたし、まあいいかな」
私は様々な事情を整理したとき、疑問を見つけた。
「私の能力が能力を消すことなら、なんでコンサイバーは私を大切に扱おうとするんだ。能力を消すっていうのは脅威だと思うけど」
不良からタバコを取り上げるのと似て非なるものではないだろうか。特にコンサイバーにとって能力とは最高の個性であり、自分が能力者であることの証でもあるのだから。
優美さの欠ける空気が流れるような顔を近藤はした。
「昔はそうじゃなかったんだけど、コンサイバーにとって能力は呪いだから、ね」
近藤は素人のセールスマンが浮かべるような作り笑いを見せた。
「差別か」
「能力があるから差別される。能力のせいで自分は不幸になる。実際、そうでしょ。普通の人間だったら怖がられることはないんだから。だから彼らはあなたを求めるの。もちろん、中には能力を誇るコンサイバーもいるけど、圧倒的に戒ちゃんを求める能力者は多いわ」
「私も、この事が知られたら差別されるのか」
「戒ちゃんの能力だと表には見えない力が働いてるから、それはないと思うわよ。だから安心してもいいんじゃない?」
おおよその話が分かってきた気がする。私はこれから待ち受ける運命を覚悟する気持ちで、次に口を開いた。
「能力消し屋でも開け、てことか」
「そう。戒ちゃんにはこれから、そういう人たちを救ってもらいたいと思ってるわ」
その台詞が学校のチャイムとでも言うように、今日はここで締め切られた。近藤は部屋を出て一階へ向かい、私は今度こそ窓を開けながら一人で部屋に残された。
私はこれから、コンサイバーという人間ならざる物にどう思えばいいのかわからない。彼らに対する第一印象は最低最悪な化け物だからだ。この世に存在するはずのなかった化け物が突然出てきて当惑するのは当たり前のように思える。
そんなやつらとこれから深く関わることになると宣言されたのだ。
荘厳で、無限大で、絵空事のような未来を私は思い描くようになっていた。