第二話
「冴……? な、なん……は、はぁ?!」
美奈のあげる素っ頓狂な声は、私の驚愕を代弁しているようでもあった。
この世にあるとは思えないほど、あまりにも衝撃の強すぎる一瞬だった。
私と美奈が少し目を離した時、既にこの男が冴の背後に立っていた。
ままならぬ悪い前兆を察した私は、何かに憑かれたように冴の所へ駆けていた。美菜が私の背後から冴を呼ぶ。
冴が声に気付きこっちを振り返った途端だったのだ。
男が腕を振るい、冴の首を落とした。言葉通りだ。落としたのだ。
冴の頭が落ちる前に男は腕を振るった勢いを失わない内に反対の手でトンネルの中にいる男子生徒の顔を手で掴んだ。
私は咄嗟の判断で後ろを向いた。
「美奈、動くな! 何も喋るな!」
今ここで美奈に叫ばれてしまっては冴の二の舞だ。
恐怖と怒りが混ざった感情を堪えて私は再び男の方へ体を向ける。
奴は分厚い紺色の服を着ている。フード付きで顔には陰ができているが、顔はよく見えた。少なくとも、私の知っている男の顔ではない。猛禽類のように鋭い目、金属のように無機質な骨格。
大きく腕を広げても男とは触れないような距離にいるが、大きな躯体は私を縮ませた。
今まで大柄な男との喧嘩をしたことは何度もある。そのどれもに勝ってきた。今更怯える必要はないはずだ。
「良い判断だ。人間」
男子生徒は片手で宙に上げられ、恐怖のあまり体を動かせないでいる。
「お前が殺した女は、私の友人だ」
「それで」
男の態度に、私の中に生まれた恐怖は、私の牙に噛み殺された。友人が殺されたんだ。犯人はすぐ目の前にいる。なぜ私は立ち向かわない? 私の誇りは恐怖に侵されない。
「け……けいさつ……」
絞り出したような声で男子生徒は言った。一般庶民の声だ。
「やめておけ。戦争は免れん」
男は無表情を壊さず、しかしその口調にはどこか冷笑のようなものが含まれている。国家組織を相手にしても、彼らは問題ないということなのだろうか。
テロリスト?
「戦争?」私はそう聞き返した。
「私の仲間は全世界にいる。その数は確かに人間と比べ物にならないほどに少ない。だが、大切なことを忘れてはいけない。私達には国家といった概念が存在しない」
「高質なテロリスト、ということか。なら、お前は窓際族と同じだ。一般人を殺めるようになったなら、お前の中にあるテロリストとしての誇りが落ちぶれていることの証明だ」
ここまで口を動かすことは滅多にない。いつも以上に頭に言葉が思い浮かび、自動的に動いてしまっている。
「テロリストだと? 子供遊びの連中と同じにしてくれるな」
テロ、という言葉に想像以上の反応を見せた。やはりテロリストだ。馬鹿が自分のことを馬鹿じゃないと言い張るのと同じ理論だ。
「その男を放せ」
相手の真似をするように、私も言葉を強めた。一歩でも引けをとれば、やばい。私の直感は語る。
「知り合いか?」
「知らない男だ」
「華奢な人間に似合うつまらない正義感だ」
私はブレザーを脱ぎ、近くにある鉄棒に掛かるように投げた。
「私はそいつを助けようと思っている訳じゃない」
動きにくく、あまり着心地の良いものではなかった。開放感を身に感じ、風が体を撫でる。
私は手を下ろし、構えた。
「そいつがいると喧嘩の邪魔になる!」
私の足が砂埃を舞い散らし男に向かって直進する。背中を曲げ、相手に反応する隙を与えない。相手は片手が塞がっている、チャンスは今しかない。瞬間的な速さを求め、私は足を動かした。
「ほう」
恐れを感じてはいけない、足を止めてはいけない。後戻りのチャンスが失われていることは明確だ。
相手の巨体に真っ向勝負から挑むのは愚かなことだ。私の渾身の力技を使ったとしても柔らかい衝撃として伝わるだろう。なら、相手の弱点を突く。この姿勢で相手の足元への攻撃は難しい、ならば目潰しを狙うッ。相手の片手が使えない今、上段を狙わない道はない。
ほんの二秒で私は男と距離を縮め、拳を握りながら渾身の力を込めて目を狙った。猛禽類の鋭い目に向かい、私の手は――。
「痛ッ?!?!」
確かに私の手は捉えたはずだ、相手との距離とそして眉間を。目を。
手に伝わってきたのは人間の皮膚の感覚ではない。"金属"の感覚だ。私が殴った相手は人間のはずだ。
私は上を見た。そこには男の顔と、正確に目の位置に打っている私の拳がある。
「当分はお前の右手も使い物にならんな」
痛がるそぶりを見せることなく、男は冷徹に言葉を放った。
「お前……何者だ?」
右手がひどく痛む。人間の皮膚のはずなのに、おかしい。
「私の能力は硬化だ。私が指定すれば、思うが侭にその部位にCON細胞を移動させ、金属よりも硬い物質を形成することができる。驚いたようだな」
能力? CON細胞?
私は全身に鳥肌を立たせた。この男の言うことはまず信じられないが、現実に私はこの男を殴った私の右手が、悲鳴を上げているのだ。
私は大きく後ろに飛び退いた。
「コンサイバーという能力者について聞いたことはないか。日本では妄真ともいったか」
「どっちも聞いたことがない」
美奈が駆け寄ってきて、私の背後に立った。指示通り一言も喋っていなかったが、何か言いたげな顔をしているため指示を撤回した。
「聞いたことあるぜ、私。都市伝説だと思ってた……。な、なあ戒、ヤバイよ。だめだよ、逃げようぜ……」
「そういう訳にはいかない」
私達は男の言葉に捕らえられたように動けなくなった。化け物に脅されている現実が、私達を縛り付ける。
「コンサイバーを見た者は例外なく始末しなければならないのが我々の掟だ。この男もそうだ」
男は手を開いて男子生徒を落とした。いつの間にか気絶していたようで、目を瞑っている。
私は無残にも首を残していない冴を見た。冴は、コンサイバーを見ていない。
「冴は関係なかったはずだ!」
右手の痛みは恐怖という電流が流れ長引いている。恐怖と憤怒が攪拌されて、私が安定しない。致命的なバグが起きたように私の声が震える。
「この男の関係者は例外なく共犯だ」
美奈が私の左手を取り、一目散に公園の出口に駆け出した。連れられるように私も走り出した。情けない、かっこ悪い。私は目に涙を浮かべていた。
「くそ、くそ……」
二つの足音に混ざって、もう一つ重い音が聞こえる。男が追いかけてきている!
私は恐怖から目を逸らすために前を向いた。
先ほどよりも音が近い。このまま捕まってしまえば私は殺される。
シューズの中に砂が入るのを構いもせず、私達はがむしゃらに走った。街に出て叫べばこの男もそれ以上は追わないだろう。それまでもう少しだ。足を止めるな、息を忘れるな。
――女が見えた。手には赤いナイフのような物を持っている。
「美奈! 止まれ!」
止まる美奈よりも早く、女は駆け出していた。あまり暑くないというのにロングコートを羽織っており、私よりも長身で細身の体をして、サングラスをかけている。
男の仲間が、待ちぶせしていたのだ。
死を直感した人間の知性と能力は賞賛すべきだ。一瞬でそこまで把握できたのだから。
予想外の出来事が起きた。女は私達を殺すのかと思えば、横切ったのだ。あの男の仲間で、私達を逃がさないように準備をしていたのかと思っていた。
短く低い悲鳴が背後で聞こえた。咄嗟に後ろを見て、複雑な光景を目の当たりにした。
「弱い者イジメは感心しないわよ。本当大人気ない。同じコンサイバーとしてあなたを糾弾してあげたい気持ち」
驚きの連続で、私が追いつかない。
女は男の肩に前から貫くようにしてナイフを二本刺していた。焼けるような臭いが立ち込めている。
「超過熱か、厄介な!」
男が足で反撃するも、ロングコートの女は横に回転しながら避け、相手の首元めがけて勢いよく蹴りを入れた。
「戒、逃げよ……」
打って変わって女性となった美奈に同意して、私達は一斉に駆け出した。
今までのはなんだったんだ。夢か、幻か。突然映画のエキストラに参加させられでもしたのか、それともドッキリ企画か? その場凌ぎの言い訳がましい発想が思い浮かんでは、そのどれもが勝手に否定される。
脇目も振らず走り続け、結局学校の門前まで戻ってきてしまった。時刻は六時くらいだろう。部活動での熱狂の声が聞こえる。私達に気付けるほどの生徒は歩いていない。
隠れるようにして私達は校舎裏に回った。
その場に座り込んだ。コンクリートの地面が、今では恐ろしく思えた。
「な、なあ戒、右手、大丈夫か?」
私は右手を見た。明らかに骨折していて、動かすのが辛い。内出血もひどく、擦り傷まである。
私は首を振った。
「だよな……」
美奈は私の右手を支えた。
自然と、再び涙が浮かんだ。情けない。
「しょうがねーって。戒のせいじゃねーよ。コンサイバーって化け物なんだぜ。
生きてるだけでいいじゃんか」
「だけど」
「戒らしくねーぜ!」
私は下向きな自分の目線に気付いた。久しい敗北という感覚に私は自分自身すらも見失っていたのだ。
「確かに冴が死んじまったのは私も悔しいし、なんか、アレだぜ。戒だって同じ気持ちなのは分かってる。っていうかむしろ、戒の方が悔しいよな」
私の友人は言葉を探すように腕を組んだ。やがて見つかった彼女は、納得したように明るく言葉を続けた。
「戒が悔しがるのはいつも一瞬だけなんだぜ。気付いたら戒はいつも通り、ううん、いつもより強くなってそこにいたんだ。だからいつまでもメソメソしてんじゃねー」
どこかしら照れてはいないだろうか、美奈は。
「だ、だからまあ、今の戒は今までより強いってことだよ! 次会った時、あんな奴なんかに負けねーって。それに冴の奴も、絶対悔しがってねーよ。ああ、もうなに言ってんだワタシ」
私が仄かに浮かべた微笑に気付いた美奈もまた、照れ笑いを浮かべた。
それから十分程度の間隔を得て休憩を終え、私は立ち上がった。
多分、あの男はロングコートの女に殺されているだろう。だから対峙することはもうない。直感だ。
「帰ろう。カラオケはまた今度にして」
帰り道の途中にある交差点で美奈と別れた。
励まされはしたが、やはり友の死は忘れられない。帰り道の話題に冴の話は出なかったが、美奈も心の中では悲しんでいるはずだ。
冴はその名前の通り冴えない友人であったが、気が利いて私をよく喜ばせてくれた奴だ。少し美奈に対して嫌気をさしている所もあったが、それは彼女の気まぐれさによるもので、普段は二人とも仲が良かった。
友人の死の涙を惜しむ必要はないのに、私は哀愁を感じただけであった。
実感がないのだ。今もまだ、美奈と冴が話しを交えながら帰っている様子が思い浮かんでしまう。
早く忘れてやることが、彼女にとっても私達にとっても最良の絶交だった。
家に着いた私はどことなく安心感を覚える。片開きの玄関を開けると、見慣れない靴が二足置いてあった。
客人のようだが。私はスマートフォンに映し出された時計を見た。午後六時半。
居間からは母と、同年代くらいの女性の声が聞こえた。更に私と同年代の若い男の声もだ。しかもどこかで聞いたことがある。
「ただいま。誰かいる――」
私は居間の扉を開けると同時に、言葉を失った。
「おかえりなさい、戒。お客さんと、臨時のお客さんが二人よ」
「やっほう。お邪魔しちゃった」
「先ほどは助かりました、戒さん!」
ロングコートの女と、公園で襲われそうになっていた男子生徒の姿があり、二人とも律儀に正座していた。