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第一話

 ――帰らせてはくれないだろうか。

「お前、最近調子に乗ってんな。D組のトップが粋がるのはまだ早いんじゃねえのか。それに、見ろよ。女だぜ? 超ウゼー」

 クラスメートの一人から放課後ここに残るように言われたが、まさかそれが決闘状だとは思いもしなかった。右から二列目の一番後ろの席で、私は座りながら肘をついて俯いている。

 教室の扉は完全に締め切ってあり、鍵も閉まっている。ここは五階ということで、窓は固定されていて一定以上は開かないようになっている。

 逃げ場は失われている。

「何か言えよ」

 陽はもう傾いている。もう夕方だ。

 私はとっておきの悪態の顔を浮かべ、相手を睨んだ。

 一瞬この決闘相手はうろたえた様子を見せたが、すぐに先の調子を取り戻したようだ。

「おい、お前ら見てみろよ。よく見りゃ結構イケてる顔だぜ」

 男、そして男達は一斉に私の顔を覗き込んだ。

 こいつらがどこの誰かは全くもって知らない。ただこの高校のどこかに蔓延る最高の気持ち悪い輩だということは明白だ。

 男の手が私の顎を持つ。より一層男を睨んでやったのは、私が臆していないことを知らせてやるためだ。

「所詮Dは雑魚の集まりなんだぜ。雑魚がどんな顔しようと俺から見れば可愛く見えるぜ」

 早くやっちまえ! 男の取り巻きが言った。顔を視線で撫でられる感覚に嫌気がさし、私は手を振りほどいて席を立った。

「取引だ。もし、お前が自分を負け犬だと認め、俺の忠実なかわい子ちゃんになってくれるなら許してやる」

 なんだこいつは。私の経験上、決闘相手に告白する阿呆は初めて見る。

 ……ふむ、私は女として見られているのか。完全に舐められている。

「断る」

 私の声は男を醜悪にした。面白いほどに下衆な心が顔に現れている。

「なら仕方ねえ」

 放課後のチャイムが学校中に響いた。

 今のチャイムは授業開始の合図ではない。決闘開始の合図としてあった。

 ――帰りたい。


(かい)! 大丈夫かよ?」

 正門には菊元(きくもと)薩山(さつやま)が二人して私の事を待っていた。私の姿が見えるなり、手を振って迎えた。第一声を発したのは菊元で、心配の言葉とは裏腹に笑顔を浮かべていた。

 彼女二人は、私が傷を負う事を予想していなかったのだ。

「先に帰ってても私は気にしなかったけど」

「いつも三人で帰ってるだろ! やっぱり寂しくてさ~。な、(さえ)!」

 冴とは薩山の名前だ。

「うん、そんな感じ。やっぱり戒がいないとつまんないし」

「なーんかそれ私といるとつまんないーみたいな言い方に聞こえるよなあ」

「あ、そんなつもりはなかった! ゴメン!」

 私も同じだ。確かに、一人で帰るのは退屈を思う。十分の道のりだが、この二人が騒いでくれるおかげで私はおおよそ愉快な気分で帰れるのだ。

「ねえ戒、どんな感じに勝ったのか教えてよ」

 薩山が興味深そうに聞く。私は正門から歩きながら、大体の流れを説明してやった。

 チャイムの合図と同時に男は脆い牽制を繰り出した。握られた拳を私の顔目掛けて放つ。

 本当に簡単だった。牽制を左手で流して、右手で相手の襟を掴み足で大きく相手を刈った。派手な音と共に男は倒れ、止めをさすように私は飛び上がり、地面で悶える男の腹を膝で強打した。

「え、終わり?」

 期待はずれ、といわんばかりの呆気ない表情を二人は私に見せた。

「今日は早く帰りたかった。それだけ」

「いつももっと派手に戦って面白いところ見せてくれるじゃねーかよー! 今日もそんな感じかと思ってた!」

「派手なモンを見たいならプロレスがオススメ」

 それにしても、本当にあの男達は間抜けだ。A組の連中だと分かったが、D組を舐めすぎている。

 私が通う川御台(かわみだい)高校は成績によってAからDまで決まる。Dが一番成績が悪いところで、私はそこに属している。

 何も、私は頭が悪いわけではない。だからといって偉大な科学者と同じ知能を持っていると自惚れてはいないが。D組に入ったのは、気楽だったからだ。

 頭が悪いと見られ、その分A組と教える内容は異なる。こっちの方が簡単で、気楽に生きることができたからだ。それに私は勉強が大嫌いだ。

 少し違った。私は人に教えられるという行為そのものが嫌いなのだ。

 根本的なところから言えば、私は大人が嫌いだ。かっこつけた中高生がよく言うが、彼らはそう考える自分に酔っているだけだ。私は自分に酔うことは決してしない。だからこそD組に入って周りから侮蔑の目で見られようが、気にすることはない。

 本当の意味で、私は大人が嫌いなのだ。親は除くが。

 阜桐(ふどう) (かい)――それが私という女だ。

「なんだろうあれ」

 薩山が、いつもとは違った調子で声をあげた。数学で分からない所がある時に私に聞くような声ではない。気味の悪い物を見てしまった時のような、不安定な声を彼女は出した。

「あの子、なんか様子がヘンじゃねーか」

 菊元が指した先には公園があり、そこには細長く筒状になった小さいトンネルのようなものがある。彼女が指しているのはその中で、そこには私達と同じ制服を着た小柄な男がいた。小さく丸まっているため、男の子とも呼べる。

 様子がおかしいと感じるのは彼が小さいトンネルの中にいることがそうだし、まるで何かから隠れているように姿を小さくしているのも疑問だ。

「ただのかくれんぼにしては、大分本格的に怯えてるな」

「私ちょっと見に行ってみる。戒と美奈はここにいて」

 美奈(みな)とは、菊山の名前だ。

「私もついてこーか?」

「ううん、平気よ。大丈夫」

 薩山は学生鞄を肩にかけ直して、公園の中にいるその男に近づいていった。


 正直、私はあの二人から離れたかった。別に戒のことが嫌いな訳ではない。美奈が……好きじゃなかった。

 多分、嫉妬なんだろうと思う。そんなことは考えたくもなかったけど、いっそのこと認めたほうが私は素直になれる気がしたから、認めてしまう。

 逃げるように離れてきたが、私がこの少年を救ってやりたいという母性もあった。多分、年齢はさほど変わらないが、きっと苛められてるのだろう。いじめっ子のリーダーから逃げて、見つからないように隠れているのだろう。

 私は喧嘩が強いほうでもなければ、口論が達者でもない。

 ただ、影に戒がいる。私が助けを求めた時、戒はいつでも助けてくれる。

 私に怖いモノはない。たとえいじめっ子のリーダーに襲われたとしても、戒がいる。

「どうかしたの?」

 トンネルに身を潜めている生徒に顔を近づけて、私は優しく言葉をかけた。

「誰?!」

 生徒は驚いた拍子に壁に頭をぶつけて顔を崩した。

 整った顔立ちをした生徒だ。遠目から見てわかった通り、規則正しい生活しかしてこなかった真面目な坊やだ。

 なら、なおさら私の母性はくすぐられる。

「様子がヘンよ」

 私の姿を確認すると、さほど慌てた様子はなくなったようだ。

「どうしたの?」

 私は再び同じ質問を投げた。名前を聞こうとも思ったが、後回しでもいいか、と気楽に考えていた。

「どうせ言っても信じてくれないだろうし、いいよ」

「苛められてるの?」

「違う。変なやつに追われてるんだよ!」

「変なヤツ? それなら大丈夫だよ。あんた、戒って生徒知ってるでしょ? 戒に任せておけば、誰だって――」

「人間じゃないんだよ!」

 生徒の言葉に、私は呆気に取られた。人間じゃない相手に追われているのか。

「野良犬? それとも、動物園から抜け出したライオン?」

「ふざけてるわけじゃないって! 戒って人は知ってるけど、太刀打ちできる相手じゃないよ」

 戒を侮辱されたようで、私は半ば腹を立てた。

「何? あんた戒のこと本当は知らないでしょ」

 私はこの生徒の顔を見て口を止めた。目を見開いて私を見つめるのだ。

「ね、ねえ、なによ」

「うし……うしろ……」

 私の影に重なるように、もう一つの影が見えた。戒や美奈の影ではない。あの二人はこんな不器用な影を作らない。

「冴ぇぇ!」

 私を呼ぶ声が聞こえる。それは、私の背後から近くないところから叫ぶように。美奈の声だ。

 それなら、私のすぐ真後ろにある大きな気配は何だろう?

 私は瞼を閉じて、ゆっくりと後ろを向いた。

 ――次に瞼を開けた時、私は頬にあたる砂の感触と同時に、遠くから駆ける戒の姿と、私自身が見えた。

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