第二十四話
ようやく事件の片付いた公史は、落ち着き払って仕事の席に座っていた。遠征も無くなり、容疑者を殺さなければならないことに対する良心と折り合いを付ける必要も無くなり、精神がすこぶる安定しているのだった。何も考える事のない時間を作りながら業務にとりかかっていると、いつの間にか定時を迎えていた。
疲れていた公史は、そのまま帰ることにした。
仕事の帰り道、公史は普段電車にのって帰るのだが、彼の気まぐれが働いて駅のホームにあるそば屋へ寄ることにした。蕎麦という文字が彼の足を動かせたのではなく、店の落ち着いた雰囲気に魅了されたのだ。
公史はシンプルな蕎麦の食券を買う。
この店はカウンター席で、公史はL字型になったテーブルの一番端の方に座った。すると、続けざまに近藤が入ってきた。彼女も似たような蕎麦に、少しおしゃれな飾りのついた品物の食券を買うと、彼の隣に座った。
店員が手際よく二人分の水をグラスに注ぎ、公史と近藤の前に置いた。
「一件落着ね。なのにどうしたのよ、その嬉しくなさそうな顔」
近藤の観察通り、公史は喜ばしい顔を浮かべていなかった。
「戒のことでな。あいつは大丈夫って言ってたが、不安なところは拭えない。俺は心配性過ぎるな」
「その通りよ。戒ちゃんが危なくなったら、私達が助けてあげればいいんじゃない」
公史はそれ以上何も言わず、用意された水を飲んだ。
「にしても、暗殺者がこんなところで夕食を取るなんて不用心ね」
「今更だろう。証拠隠滅能力をなめちゃいけない俺なりに上手くやってるからこそ、今ここで蕎麦が食える」
「自信満々ね。心配性じゃなかったのかしら」
公史は口ごもって言葉が出ずにいた。ごまかすような言葉を探すように目をキョロキョロさせていたが、結局は近藤が先に口を開いた。
「あなたはただの親バカね」
「仕方ないだろう。これから娘を危険な目に合わせてしまうかもしれないんだぞ。並大抵の父親は心配せずにはいられなくなるに違いないだろうよ」
「前も言った気がするけど、信用してあげなさい」
「いや、してるけどさ」
子供っぽい反論の仕方になり、感情が混ざってきた事に気づき公史はまた黙った。唸りながら腕を組み、近藤の言うことを腑に落とした。
「今ごちゃごちゃ考えるのはナシだ。とりえあず事件解決のお祝いでもするか。二人しかいないけどな」
近藤はテーブルに肘をつき、手の平に頬をつけて頭を乗せると、笑みを混じえて賛成の声を上げた。
「ウィンガーが羨ましがりそうね」
「いいだろ。今日はぱーっと二次会もやるか」
「戒ちゃんも連れてきましょうか」
「だめだ、あいつは未成年だからな。もう後一年経てば深夜徘徊くらいはできるようになる。酒は後三年」
「それ守ってる人いるのかしら」
「戒はそういうのに厳しいんだ。ルールとか、規則とかな」
「つくづく不良じゃないのね。学校でよく喧嘩とかしたり、授業中別のことしたり、わざとテストの点数を取らなかったりとか莢江さんから話しを聞いてる限り、れっきとした不良なんだけれどね」
「あいつの場合はそこらの不良とは違うのさ。ただの喧嘩好きだ」
「そこは心配じゃないのね。喧嘩って、下手したら死ぬのよ」
「前は心配してやめろって言ってたんだが、もう慣れたな。あいつも言われるのは嫌いみたいだから、あまり干渉する所じゃないしな。莢江は今でも心配してるが、あいつは戒に甘いから好きな事させ放題だ。というより、そうならざるを得ないのかもしれないな」
近藤の顔が変わった。
「どうして」
「莢江は上手く子供を産める体質じゃなかったんだ。何年経っても子供が生まれなかったんだが、ある日突然、奇跡的に子供ができた。だから戒を奇跡の子だと思って、甘やかし過ぎてるんだろう」
公史は当時の様子を思い出して、ふと疑問に感じたシーンが蘇った。莢江は子供が出来たと聞いた時、喜ぶ反面、一瞬だけ後悔したような顔つきになったのだった。
「なるほどね」
過去ではなく、現在でも疑問を持った。「なるほどね」彼女のこの言葉の意味は一体何を表しているのだろうか。
「お前、仕事どうするんだ。昼間は戒の特訓に付き合ったり、色々しなきゃいけない事が増えるんじゃないか。戒も、最近はお前を信用してきてるみたいだし、家に居て損はないとおもうが」
「そう、だから今日退職の手続きについて聞いてきたわ。総務の人にね。吃驚してたけど、理由はきかれなかった」
「そうか。少し寂しくなるな」
二人は仕事で五年の付き合いであった。裏の仕事では更に上を行くが、公史には哀愁を感じさせる心が残る。
「泣かないでね」
蕎麦が二人の前に用意された。ラーメンの丼よりも和風になった容器が湯気を出している。中にはネギや油揚げが入っており、良い香りが空腹感を刺激した。近藤はその他に、中に天ぷらが入っている。
「一つもらってもいいか」
公史はイカの天ぷらを指して言った。
「え、だめよ。これは私のなんだから」
「けちだな」
傍から見れば子供同士の会話であるが、二人はよくこういったふざけ合いをする仲でもあった。
行儀が悪いとはわかりつつも、公史は食べながらも話を続けた。
「ショッキングだったな、あのニュースは」
近藤は、公史の言うニュースがすぐに分かり、同意した。
「佐伯菜々。死んじゃったわね、それも自殺」
佐伯菜々は能力を失った次の日、自殺した。飛び降りだった。遺書も何も用意されておらず、今警察は他殺を疑っているが、犯人は見つかっていない。今日はあれから五日後くらいである。報道番組の中には、自殺と決めつける所も出てきている。
二人は最初から、自殺だと決めつけていた。
「能力がある苦しみと、能力のない苦しみが存在する。やっぱりコンサイバーって、平等に幸せになることは難しそうね」
「だからこその戒だろ。あいつはコンサイバーを救う」
「能力がある苦しみを解放するものね。でも今回の一件で分かったのは、無闇に能力を消してやらないことね。佐伯の二の舞いは作るべきではないわ」
「だが、生かしておいたらおいたで殺人は続いただろう」
「公史君、今回の反省点は能力を消したことじゃなくて、能力を消した後佐伯を見張る人物が居なかったことよ。ウィンガーにはケルヴィンの遺体を片付けさせてたから。あの場合、生かすっていう手段は存在しなかった」
公史は、段々頭が回らなくなってきていることに気づいた。早すぎる平和ボケである。
「まあ、今日はいいや。せっかくのお祝いに話を持ち込むべきじゃないな。暗い話は」
「あなたが言い出したのに」
「悪かったなっ」
電車が停まる音が聞こえ、客が増えてきたために話題は中止となった。
「にしても、ケルヴィンには悪い事したわね」
「他人の人生だ。あまり深く考えるな」
「そうじゃないのよ」
近藤は麺を啜ったが、長かったのか途中で噛み切っていた。
「ケルヴィンに、どうして私達が世の中に出てきたのかを教えるって言ったのよ」
公史は物を食べる事を止め、疑問の顔を近藤に向けた。水を飲んでから言葉を続けた。
「酷い女だよ、お前は。まだ俺らですらその理由が分からないのに」
「本当ね。ちょっと夢を見すぎてた。もしかしたらすぐにわかるようになるかも、なんてね」
公史はぼうっと想像に耽った。どうしてコンサイバーが世の中に出る事を強いられたのか、その目的と、原因を考えようとした。
どちらも想像はできないものであった。公史が生まれる前の出来事だ。当時の世界情勢、時代の様子も分からない内に想像するのは、それは思い込みだ。結局夢想もすぐに終わり、箸が動いているのだった。
「はい、ごちそうさま」
公史よりも早く近藤は食べ終えていた。汁も飲み、食べ方に隙がない。
「いつもより早いな。何か用事でもあるのか」
「うん、まあね。早速戒ちゃんの能力を使って欲しいって人がいるのよ。少し、その人の情報を調べないといけなくてね」
「ウィンガーに任せればいいんじゃないか」
「もう任せてあるわ。今から少し顔を合わせにいくのよ」
公史の顔を見た途端、笑いをこらえていたが、堪え切れなかったように近藤は笑った。
「どうしたよ」
「顎にネギつけてる人初めて見た」
公史は慌てて紙で顔を拭くと、恥ずかしさを追いやるように「まあ」と最初に付けて言葉を続けた。
「戒に無理させるなよ」
「勿論」
会計を済ませると、近藤は颯爽と店から出て行った。




